命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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代理母問題(1)倫理と意味を問わぬ大衆社会
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     日本国内では禁止されている代理母出産を実施している某病院。今回は実母が公けに会見に登場するというケース。詳しくはこちらを。(私のPCでは動画がうまく再生できずに残念!)
    http://news24.jp/articles/2009/11/25/07148541.html

     事の是非とは別にこうした代理母の問題が、一般的に意識され、公にあるいは日常的に論じられることは、とても大切なことだと思います。興味深いことに、データにより数字に違いはありますが、若い世代の女性の半数以上は日本国内での代理母の実施に賛成なのだとか。さらに、興味深いことには、クリスチャン女性にも、賛成でよいことと判断している方も少なくありません。

     今回の会見でも、妊娠出産の望めない女性に希望をもたらすという主にその一点が強調されているように受け取られました。もちろん、医療的な観点から代理母には、問題があります。それ以外にも、この件は「不妊女性の問題解決」では収まらるものではありません。一部の方の利益や要求実現を求めることが、社会全体や次の世代にまで、大きな問題や混乱、不利益を与えると予想された場合、やはり認めるべきではないという判断もあるはず。

     子宮のない女性が子どもを持てるのは、失明した方に視力が与えられるのと同じことなのか?それは、障害の克服といえるのか?他のいのちを生み出す生殖能力とあくまで個人のものである視力は同様と考えるべきか?

     すべての不妊は病気や障害であり、克服されるべきことなのか?不妊であることに何か深い意味を考えるべきではないのか?

     善意と当事者の同意があるとは言え、生殖機能をレンタルすることは、正当か?他の身体機関と生殖器官は、大きく異なる要素があるのではないか?

     代理母が合法化されたら、日本の家庭と社会はより豊かで幸せになるのか?それとも、新たな深刻な問題をもたらすのか?

     代理母出産によって生まれた子どもには、一般に法的に尊重される「出自を知る権利」(つまりその事実を子どもが知る権利)が、当然、保証されるべきだが、そうした経緯で誕生したいのちに対して大人社会は十分な意味づけやフォローができるのか?

     もちろん、子どもを願う思いは正当ですし、可能な限りの手段をもってその実現を願うことも理解できます。しかし、いつも思うですが、現代はそうした「個人の欲求」を際限なく肥大させ、倫理や意味を問うことを忘れてしまった時代のように思います。当事者以外についても現代の日本人は、万事において個人の欲求実現を限りなく肥大化、優先させ、それについての社会的影響、次世代への責任、本質的善悪などを問わなくなりつつあるのでは?と心配です。

     ある意味、各個人が欲求実現至上主義者となり、危険な大衆社会を形成しつつあるのでは?と思ってしまうのです。このまま、代理母の本質的問題や多面的な視点での考察がなされず、大衆の「認めるべき」「女性の真摯な願い」「個人の自由と責任」などの声が世論となっていくとしたら残念に思います。

     私はよく知らない人ですが、バークという方(多分政治学者)は、「過剰な民衆の支配」を批判して次のような二つの言葉を記しているそうです。これは文春文庫の「27人のすごい議論」に掲載された内容で、民主政治が衆愚政治に転落する危険について論じたものからの引用です。

     「何事であれ、人間行動や人間事象に関わりのあることで、その対象をあたかもすべての関係を剥ぎ取り、裸にして、形而上学的抽象の中で単純に考え、断定的に評価する」

     まさに代理母問題はそうではないでしょうか?それがもたらす社会や歴史への重大な影響と責任、誰より生まれてくる命との関係を、剥ぎ取り、現実にもたらされる具体的な不利益や問題を想像することもなく「女性の自己実現」や「母の切実な願い」という抽象的な観念が絶対視され最優先され、単純に断定的に判断される危険はないでしょうか?

     もう一つバークの言葉です。
    祖先から受け取ったものや本来子孫に属するものを忘れて、まるで自分たちが完全な主人であるかのごとく行動する」

     代理母の是非を論じるとしたら本来その議論の会場には、生まれてくる子どもたちも出席してしかるべきです。やはり「本来子孫に属するものを忘れて」の面は否めないのでは?祖先から受け取った「伝統的家族形態」も、最善のものではなくとも、一定の尊重は必要でありましょう。

     代理母はそうした祖先からの継承をラディカルなまでに破損しかねない危険もはらんでいるように思います。前の世代、次の世代への責任という観点を欠いての考察だとしたら、それは自らの不完全性を忘れた「完全な主人」との思い違いと言われかねないでしょう。

     こうした現代民主主義社会や大衆社会における問題は、人間の罪深さに由来する本質的なものです。どの時代にも、どの社会にも一定見られることのようです。聖書はそうした現象を記しています。

     実は、過剰な民衆支配犠牲者の一人は、神様ご自身でした。イエス様ご自身も過剰な民衆支配の生み出したその場限りの単純で断定的判断によって十字架刑に処せられています。

     ピラトが無罪を確信してそれを告げているのに、暴動を予期させながら、圧力団体と化し、不当な判決を引き出した大衆。群集心理に踊らされ、事実などはどうでもよく、一時的な感情や衝動の実現を最優先した大衆。

     「人が神を殺す」という人類最大の罪は、過剰な民衆支配が生み出したのです。ローマ帝国の一植民地に過ぎない社会に、突発的に吹いた強風のような大衆の暴力的な力が、神を殺したのです。

     バークが示すように「関連性を剥ぎ取り、対象を単純に考える大衆」「完全な主人だと思い上がった大衆」聖書が描く古代社会も、現代日本社会も同様の危険性を常にはらんでいるのでしょう。

     私は思います。今後、世論の高まりからアメリカや韓国同様、代理母が合法化されるとしたら、それは「カルバリの再現」「人類最大の愚行の繰り返し」ではないかと。倫理も意味をも問わぬ大衆の暴力、私たちは次の世代のその暴力の被害者としてはならないでしょう。
    | | 妊娠・出産・不妊治療 | 15:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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