命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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育てよう健全信徒(3)
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    昔は、いつまでも成長せず信仰的に自立しないクリスチャンを「ベビー・クリスチャン」などと称しました。近年は、そうした「成長不足・自立拒否傾向」だけでなく、「危険な依存性」を伴った「子泣き爺クリスチャン」が増加中のようにお見受けします。

     「子泣き爺」をご存じない方は、こちらのウィキペディアのサイトをご参照下さい。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E6%B3%A3%E3%81%8D%E7%88%BA

     子泣き爺は夜道などで赤ん坊のごとく泣き叫び、保護や援助を求めます。しかし、かわいそうに思い、軽率にも抱きとめてしまうと、その赤ん坊は石に変化。質量保存の法則を超えたその体重は、抱きかかえた人物を押しつぶし、死に至らしめることも。

     「子泣き爺クリスチャン」も同様、泣き叫び、援助を求めます。その叫びを愛をもって受け止める牧師夫妻やクリスチャン援助者たち。しかし、適切な距離をとらずに抱きかかえてしまうと、離れようとしません。やがて石のように重量は増大。愛を持って援助を願った牧師夫妻やクリスチャンたちを押しつぶしてしまいます。特に牧師夫妻に、不適切なまでの時間と労力をとらせ、本来の働きを停滞させるばかりか多大な心労を与えて倒してしまう場合も。

     「自分が距離をとったら、教会を離れる」「教会はどんな人でも受け入れるべき」「一人の人を大切にできないようではいけない」そうした真摯な思いが逆手に取られてしまい、ますます依存の重さは増大。背景に不幸な生育歴や心の病などがあれば、なおさら距離が取りにくくなるのが人情というもの。子泣き爺クリスチャンからも「教会は愛がない」「弱いものを受け止めるべき」「人を差別していいのか?」などの弱点を突く攻撃。これによって支配コントロールされてしまう場合も。

     「子泣き爺」の名前の通り、「子」ですから、幼児性が高く未成熟。自立放棄のために愛と甘えを混同。一方で「爺」ですから人間的にも大人の年齢、クリスチャンとしても本来なら自立している年齢なのでしょう。

     愛とは相手の成長と自立を願うこと。相手の依存要求に答えて自立を損なうことではありません。押しつぶされるまでの犠牲を払っても、自立に向かうことなく、依存し続けたり、押しつぶしてしまって次なる依存対象を求め歩いたりと、こちらの愛を甘えに、こちらの願う自立を依存に変換してしまうのが、子泣き爺クリスチャンの恐ろしさ。

     自立を願う故に、距離をとる愛、突き放す愛、要求を断る愛、依存をさせない愛、いわば「してあげないタイプの愛」が大切かと思います。要求に応えることはこちらに愛しているかのような充実感を与えます。逆に要求を断れば愛していないかのような罪悪感を持ちやすくクリスチャンたち。でも、本当の愛とは?そう、相手の成長と自立という方向性、これがあってこそ愛なのでしょう。

     要求どおりに抱きかかえてしまうのでなく、手を取って共に成長の道を歩むような「距離感のある愛し方」や「知恵のある助け方」が必要なのかな?と個人的には思っています。
    | | 健全信徒・教会・コリント化シリーズ | 09:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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