命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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「委ねる=努力をしない」?受験時と結婚時
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     一昨日のJ+Passionの打ち合わせでは、クリスチャン女性たちの結婚について「委ねるとは自分で努力しないことだと思ってますからねー」との発言が。これは「結婚を願うなら具体的現実的な努力すべき」との流れでの発言。それを受けての私の発言内容は以下の通り。

     委ねて祈っていると、素敵な男性との出会が与えられて結婚できると信じて、自分から具体的な努力をしない女性が多いですよね。でも、一方で受験の時はクリスチャンはなぜあんなに努力をするのでしょうね?受験の時は、委ねないで自力で努力をしているのでしょうか?あるいは為すべき努力をして、結果は委ねるのが信仰的と考えているのでしょうか?もし、そうなら、どうして結婚については為すべき努力をして、結果を委ねないのでしょう?

     以上が発言の概要です。時に指導者も不思議な指導をしている場合があるのでは?と思います。受験の時は、「一生懸命勉強して、結果は委ねて」と指導する方が、結婚に際しては「一生懸命、努力をしよう」とはすすめないことも。

     受験時には祈ってばかりで勉強しないなら、怠慢とされます。「もっと勉強せーよ。神様はあなたが勉強してその結果、合格する事を願っているのです。勉強せず合格することは御心ではありません」と説教されたりです。しかし、結婚の場合は、お見合い、紹介のお願い、出会いの場への参加などの努力をせずに、ひたすら祈ることが容認されてしまいます。あまり怠惰との評価を受けませんね。「神様はあなたが具体的に努力して、試行錯誤の中で、成長し、整えられ、結婚する事を願っておられるのでは?」とのお説教はあまりされないようです。

     もちろん、進路と結婚には異なる要素があります。受験は能力が問われる合否の世界、結婚はダイナミックな出会いの世界です。でも、「具体的な努力と委ねること」の関係は同様ではないかと思うのです。

     受験では具体的努力が当然のこととされ、結婚ではそうではないのはなんとも不思議に思えてしまう私です。少なくとも受験時には適用されない「委ねる=努力しない」が結婚時には適用されてしまうのはどうしたことでしょう?

     本ブログでは「結婚したけりゃ努力せーよ」シリーズなど、クリスチャン女性の地雷を踏みかねないような記事を通じて、結婚に際しての祈りを含めた具体的努力の必要性を時に訴えてきました。

     受験時にはありえない「委ねる=努力しない」、一方、結婚時には結構お見かけする「委ねる=努力しない」。なぜ、そうなるのか?間違っているのは信仰理解か?結婚観か?それとも教会や指導者の指導なのか?少し考えてみると見えてくるものもあるのでは?
     
    | | 婚活と伴侶選択のために | 17:01 | comments(8) | trackbacks(1) | - |
    受験も結婚もまず目標ありき。委ねるとは、勝ちに拘り過ぎずに才能を全て出すこと。

    ただ、キリスト教会は色々な形で努力を要求される訳であって、教会を支えるのに精一杯だったりもするのですよね。そこが気になるところです。
    | えるむま | 2009/04/15 7:10 PM |
     えるむまさんは、そういう定義ですか。「委ねる」の定義は確かに困難ですね。当面の教会奉仕に忙殺されて、生涯共に主に仕えるための結婚に向かっての努力ができないようなケースには心痛めるばかりです。
    | ヤンキー牧師 | 2009/04/16 10:55 AM |
    う〜ん、受験と結婚を一緒にするのはかなり無理が感じられますが、、、。失敗したときの傷の深さが違うっていうか、、、。まぁ、感情面や情緒面、霊的問題を度外視した男性らしい考え方ととらえておきますが。結婚相手を探すとき、受験みたいにとりあえず掛け持ちでつきあったりしないですよね?すべりどめとか?一個落ちてもまだ2個受けてるからいいやとか?委ねることと努力を対比させるための例とは言っても、今回は無理がありすぎるし、真剣に結婚を考えている人たちには、あまりいい気はしない気がします。
    | ikapon | 2009/04/16 12:43 PM |
    日本女性の、しかも現代からしてみると古風な
    考え方を持つ人が多いクリスチャンとして
    自ら(結婚のもつ沢山の面のうちの一面で
    あっても→)将来セックスに結びつく婚活が
    たとえ聖なる婚活と自他共に認めるものであっても、積極的に活動することは「恥ずかしい」と思って
    しまうのではないでしょうか。少なくとも私にはそういう傾向があります。

    もちろんこれは持たなくていい羞恥心だと思います
    ので教会などで経験豊富で、世話好きそうな
    女性クリスチャンの方がいれば個人的に親しくなる
    中で相談に乗ってもらうとううのがまずはそのような
    内気な人にとって抵抗のない婚活の第一歩なの
    かもしれません。

    でもヤンキー牧師さんくらいガツンと言って下さる
    方がいないと動こうと思わない面もあると思います。
    御心でない受身姿勢は避けたいものです。

    もう既に出ている意見かもしれませんし、お忙しいと思うので無理にお返事なさらないで下さいね!
    | 福田 | 2009/04/16 1:55 PM |
    楽をしたいとか、努力したくないとか、そう言う事じゃないと思います。
    ただ単に結婚相手とはもっとロマンチックな出会いによって巡り会いたいと言う願望が押さえ難いのでしょう。若い人の気持ちってそう言うものじゃないですか?
    お見合いとかってどうしても偏差値とランクの擦り合わせとか、学費とか、通学の便利さ、将来設計における有利さとかそう言ったもので志望校を決めるのに似ている気がしてしまうのでしょう。

    女性の気持としては、結婚はそう言うのじゃなくて、そう言った付随的な条件の何も無い所で運命とか、神様のお引き合わせとか、そう言った何か「ロマンの香りのする状況」で巡り会っちゃいたい。「委ねる」とは言いつつ、そう言う点に関しては本当はかなりこだわりがあるわけです。

    お見合いで色々条件をつける女性も「ロマンの香りのする状況」で巡り会った男性には条件がどうのとはあまり言わない。
    「ロマンチック」が様々な条件を補いうる程に女性にとって魅力的だからでしょう。
    女性は努力が厭なんじゃなくて、努力とは無関係な素の部分とか、見ようによっては欠点とも言える様な部分を無条件に愛されたいと言う気持が強いのだと思います。

    「努力による結婚」は一般的に言って女性の望む「ロマンチックな形」ではありません。
    一生に一度の事だから自分の理想にこだわり、妥協を嫌います。
    他の事にはどんなに努力しても、そう言った努力だけはどうしてもしたくないのです。
    だから女性の結婚観を変えるか、そう言う気持にも一定の理解を示さない限り「努力もしなさい」と言っても、心に響かないのだと思います。
    | 桂 | 2009/04/16 3:24 PM |
     今回は主旨や文脈を十分ご理解いただいた上での様々なご意見ありがとうございます。一様ではないでしょうが、女性からのご意見は、いままでぼんやり伺っていたものがより明確になりました。感謝!明日はちょっと続編を書いてみたいと思います。
    | ヤンキー牧師 | 2009/04/16 5:56 PM |
    「委ねる」って、どんな状況でも受け入れる、って事だと思います。結婚相手が見つかったなら結婚する。見つからなければ結婚しない。どちらでもいいよ〜とニュートラルな考えを持って、
    神様にお任せすることじゃないでしょか?
    | うさこ | 2012/01/12 2:18 PM |
    管理者の承認待ちコメントです。
    | - | 2016/08/13 6:43 AM |









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    [祈り][思考]矛盾
    またかと言われるのでしょうが、水谷潔師のブログより。 命と性の日記〜日々是命、日々是性 | 「委ねる=努力をしない」?受験時と結婚時 努力は必要ですね。少なくとも私はそう思います。 実際、私も水谷先生に紹介していただいたりもしましたし(ダメでしたが)。 当た
    | きりなの日記 | 2009/04/16 12:13 AM |
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