命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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膨大なアクセスは「たかじんの・・・委員会」から!
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     昨日のアクセスも3893。膨大なアクセスの原因が判明。それは12月28日放映の「たかじんのそこまで言って委員会」が村崎太郎さんをゲストに迎えて「部落差別問題」を扱ったためと判明しました。以下のサイトをご参照下さい。

    http://takajintv.blog101.fc2.com/blog-entry-72.html

     村崎太郎さん自身が出演して語っています。また、小説を記した奥様と結婚に反対したその両親とのエピソードも感動的。太郎さん自身の実体験や思いはぜひとも私もお伝えしたいです。私自身も涙が抑え切れませんでした。

    さらにこちらでは、専門家が登場し、差別問題の本質とも言うべき深い議論も展開されています。とても本ブログの記事内で私の力量では論じられない大切な議論です。

    http://www.veoh.com/videos/v17049947skrsCEzs 

     思えば、2004年7月には、私自身がゲスト出演させていただいた(顛末は拙著「チョット聞けない男女のおはなし」に)同番組のおかげで記録的なアクセスをいただいたのも不思議なこと。実際に「村崎多太郎」などの語句で検索するとかなりの上位に本ブログがヒットします。

     私の存じ上げている教職や信徒の中には、部落解放に関わっている方や被差別部落で宣教をしている方もおられます。

    こちらの牧師先生は直接存じ上げませんが、部落問題に重荷を持ち、充実したブログを書いておられます。そして、そのブログにも7000件を超えるアクセスがあったようです。左端の「カテゴリ」ーをクリックし、部落関係や同和教育の記事に入ると専門的な記事を読むことができます。

    http://eigaku.cocolog-nifty.com/nikki/2008/12/post-f516.html


     マスコミでは、タブーであった部落差別問題がこうした高視聴率の人気番組で扱われ論じられるのは画期的なこと。かつての「朝まで生テレビ」も画期的でしたが、この番組ははるかにその上をいっています。私自身この番組での中絶論争に加えていただきました。外面の面白さからは考えられないほどの製作側の真剣さ、真面目さを知っています。

     著書「太郎が恋をする頃までには」同様、今回の同番組も歴史と戦い、歴史を一歩動かす放送であったと私は評価しています。それは、いただいた大量アクセスとは比べ物にならない感謝、そして感動。
    | | 「村崎太郎」関連 | 08:19 | comments(5) | trackbacks(0) | - |
    コメント王子の称号に恥じない(であろう)
    真面目なコメントです(また長文です。ご容赦を)。
    新年一発目から、コメントのハードルをがっちり上げてしまいました(笑)

    私も「太朗が恋をするときまでには・・・を読みました。
    最初は立ち読みか、古本で済まそうかと思ったのですが、立ち読みしていて、感動し涙が出てきたので「これは買わなくては!」と思い購入。

    一番感動したのは「デモ行進で、この詩をシュプレヒコールする母親の腕の中にいる赤ん坊」
    そして、そのタローを周りの仲間たちが「抱かせてくれ」とかわるがわる抱くシーン。
    涙が出た。
    希望を次世代へつなぐために、何とかしなくてはと闘う姿。
    彼らは、希望のない自分の人生の中で、タローという次世代に希望を見出したのでしょう。
    その「抱かせてくれ」の言葉の重みは、「きゃー赤ちゃんかわいい!抱かせて!」というレベルではなく、
    まさに希望そのものを抱いたのでしょう。
    「希望のある社会を」「次世代に希望を」という人間としての当然の営みを彼らの中に見出します。
    国(政治屋/官僚)が、会社(経営陣)が、自分(団塊の世代の勝ち組)が生き残る為に、次世代を切りすてるこの時代・この社会より、はるかに人間としての愛があると思います。

    読んでみて、あくまでもザックリとした印象ではありますが、「日本のリバイバルの希望は、差別され続けた在日と部落の中にあるのではないか」ということを
    強く感じました。
    聖書の例をみると、羊飼い、取税人、女たちや、サマリヤ人や、皮なめしシモン等の被差別階層から、福音が広がり始めているのがわかります。
    ユダヤ人達自身が被差別民でもありました。

    近現代においても同じ現象が起こっている気がします。
    身近な例でいえば、韓国のリバイバルがそんな気がします。
    日本に侵略された朝鮮半島の言語を絶する悲惨な歴史。
    韓国のリバイバルは、福音にしか希望を見出せない中で爆発したリバイバルなのではないでしょうか?
    この歴史をみないで、方法論だけ表層的に真似ようとする日本の教会には絶対に韓国のクリスチャンの多さの要因は理解できないでしょう。
    そして、(私はよくわかりませんが)ブラックゴスペルも、被差別階層であった黒人のリバイバルがあったからこそ存在しているのではないでしょうか?

    これらを考えると、「被差別民の存在→希望のない人生→福音が伝わる→そこにしか希望がない→信じる→喜びが爆発する→彼らの文化芸能をもって讃美する
    →福音が外に伝わる→社会が変わる」というパターンがある気がします。

    日本での2大差別は、(ほかにも多くあるでしょうが)部落と在日の二つなのでしょう。
    この差別の構造は、明治維新後は天皇制(国体)によって強化されましたし、敗戦後もその天皇制(国体)は維持されました。
    日本の教会は、残念ながら上述のパターンを取ることができませんでした。
    いや、むしろ「国体」が、そのまま教会にも引き継がれ、牧師先生が小天皇になってしまったと言えるのでは?
    現代のキリスト教会のカルト化・教会の次世代の衰退は、そのあたりに要因があると個人的には考えています。

    日本のリバイバルを目指して、被差別階層(社会的弱者)に福音を伝えていくには、福音を携えている私たちが、自己にある差別構造を認識し悔い改め、歴史の軽視(自己満足的歴史解釈)を悔い改め、高慢を悔い改め謙遜になり、「権威」への依存(内なる天皇制)を悔い改め自立し、信仰の自由と責任(社会的責任)を我がものとするしかないのでしょう。

    もしそれが出来て、福音が伝わった結果、被差別階層が持っていた日本の文化芸能は、イエス様をあがめ、賛美する文化芸能として生まれ変わり、その時、英語の翻訳ではないメイドインジャパンの讃美歌が生まれるのでしょう(ブラックゴスペルのように)。
    そして、紅白歌合戦が、真の意味で希望を歌う歌合戦になれば、すごいですね。
    和田アキコや布袋の讃美・・・ちょーすげぇ。
    また猿回しで、父なる神の愛と失われた人間を表現したら、相当面白いんじゃないかなんて事も考えちゃいました。

    この文脈で、更に考えさせられたのは「小さな命を守る会」の働きは、抵抗することさえ許されず、福音を聞くことさえ許されず葬られていく究極の被差別民を守る働きで、日本のリバイバルの可能性、新しい文化の創造の可能性を孕んだ働きだと思わされました。

    こんな事を考えさせられて、覚えさせられ、では、自分はどうすべきかと強烈なチャレンジを受けています・・・・
    やべぇ、どうしよう・・・重すぎる・・・(汗)
    | ugougoコメント王子 | 2009/01/05 5:33 PM |
    まさに王子の称号に恥じないコメントに賞賛を送ろう。全てに同意はできませんが、大変純粋で、興味深い宣教学的考察は、さすが。発想も内容も本ブログ的でいいですね。そういえば、和田アキコさんはキリスト教会に通っていた経験もあるとか。

     感動が静まり思索がさらに深まってからのコメントもまた楽しみにしていますよ。最後に、自分へのチャレンジから逃げないところが、さすが王子。
     そうそう、まずは本会に入会し給え。(王子は入会済みだったっけ?)
    | ヤンキー牧師 | 2009/01/05 5:54 PM |
    >近現代においても同じ現象が起こっている気がしま
    す。
    >身近な例でいえば、韓国のリバイバルがそんな気がし
    ます。
    >日本に侵略された朝鮮半島の言語を絶する悲惨な歴
    史。
    >韓国のリバイバルは、福音にしか希望を見出せない中で爆発したリバイバルなのではないでしょうか?


    韓国教会史を学ぶと、韓国のリバイバルは神様の恵みとしか言えない要素がたくさん有ります。日本による支配が言語を絶する悲惨なものだったとか、福音にしか希望を見出せないという要素が占める割合は、お考えになっているよりはかなり低いと言って良いと思います。(限られたアメリカおよび韓国の文献からの印象ではありますが。)

    アジア諸国は、キリスト教を植民支配を目論む西洋の宗教と捉えて拒絶反応が有りました。しかし、韓国にとっては、日本の脅威が目前に有り、アメリカの宣教師の実践などはむしろ好意的に受け止められました。そういう拒絶感の無さが、リバイバルに繋がったという分析を、韓国の教会はしています。
    | 細木 | 2009/01/06 12:24 AM |
    ほぅ!そうでしたか!
    いやー勉強不足でした。

    さすがですね。
    | ugougo | 2009/01/06 12:55 PM |
    私も細木氏のコメントには教えられました。宣教の歴史も含めて歴史認識や解釈は多様ですし、広く教えていただくことの大切さを再認識。
    | ヤンキー牧師 | 2009/01/06 1:15 PM |









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