命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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コミュニケーションの断絶に生きる個室化社会
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     「地図の読めない女、話の聞けない男」などという名著がありましたが、今回お話したいのは、「話の聴けない若者たち。」

     以前、大学の先生からお聞きした話し。学生の一人が、難聴で音声は聞き取れず、意思疎通が困難かと思われていました。しかし、先生がレポートの指示などをすると、その意図にもっとも的確なレポートを書いてくるのは、その難聴の学生だったとか。逆にその学生以外のレポートは内容が今ひとつというより、レポート出題側の意図をはずしたものが多いのだとか。つまり、先生の話を一番よく聞けていたのは、音声の聞こえない学生だったということ。

     サイモンとガーファンクルの名曲「サウンド・オブ・サイレンス」にはこんな歌詞が登場します。

    People talking without speaking
    People hearing without listening


     これはコミュニケーションの不毛に生きる群集社会を描いているのだと個人的には解釈しています。

     ”People hearing without listening”
    聴くことなく、聞いている人々」「傾聴なき聞き手たち」と訳すべきでしょうか?

     「聞く」とは音が自然に耳に入ってくる受動的知覚を意味し、「聴く」とは対象に関心をもって受け取ろうとする主体的行動を意味しているのだろうと思います。

     音声情報は耳に入っていても、相手の伝えようとしている本当の内容や意図、さらにその背後の感情などは、受け取れていないということでしょう。i-pod、ワンセグ携帯、パソコンなどと共に生きていれば、人生全体が個室化してしまい、人格関係形成や心情交流は困難に。

     さらに自分が主人のような情報処理に留まり、相手の事情心情を想像して聞くことはまさに困難なのでしょう。こうなれば「相手の気持ちに沿う」「思いやり」などは夢のまた夢に。言うなれば次の世代の日本社会は「一億総オレ様コミュニケーション社会」になってしまうのか?

     個室世界の帝王となり、他者の言葉を、自らの好みと気分で取捨選択。これは、情報処理であって、コミュニケーションではありません。これは機能的関係であって人格的関係ではありません。こうした関係では、人が病み人格が歪むことはあるでしょうが、人格が癒され、成長することを望むのは困難でしょう。

     People hearing without listening

     こんな夫婦家族教会の交わりにならぬよう願って止みません。ポールサイモンが1960年代に指摘した「コミュニケーションの不毛に生きる群集社会」は、今や、「コミュニケーションの断絶に生きる個室化社会」に移り変りつつあるのでは?
    | | 育児・信仰継承・家庭・養子 | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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