2008.11.30 Sunday
(村崎)太郎物語(4)
村崎太郎さんが勇気をもって被差別部落出身者であることを証し、妻が小説「太郎が恋をする頃までには」を出版し、夫婦で歴史的な第一歩を踏み出したというのに、マスメディアの取り上げ方の小ささは驚くべきことです。
なぜ、この件を最初に扱った本ブログの記事が莫大なアクセスを集めたか?答えは簡単です。この件を扱ったネット上の記事が極めて少ないからです。ニュースバリューから考えれば、ありえない少なさです。実はこれと同様の事例を2007年の3月27日の記事で記していますので、その一部を以下に転載します。
名優、三國連太郎さんは自分の育ての父が被差別部落出身者であることを公にしています。「部落出身者」の定義は難しいのですが、片方の親がそうなら、あるいは三國さんのように血縁関係はなくても部落出身者とみなされるようです。実際、三國さん自身もそのようなアイデンティティーを持っておられます。ですから、三國さんは自ら被差別部落出身者であることを公にしたことになります。
押しも押されもしない大俳優、「釣りバカ日誌」の社長、スーさんとしても親しまれている国民的俳優である三國さんが自らの出自を明かしたのは1995年のこと。月間誌「Views」8月号での田原総一郎さんとの対談の中。養父が被差別部落出身者であること、自らのこととして部落差別問題をとらえてきたことを明かします。そして、その後に三國さんが論じた差別問題や歴史認識に立った芸能論を語るのです。私はこれを初めて読んだ時は戦慄が走りましたね。以下に引用します。
「もともと芸能という文化は差別されていた賤民の手によって確立されてきたものです。そこには差別する側を批判していく”けれん”というものがあった。(ところが今の芸能界は)体制批判に繋がる差別の問題であるとか天皇制であるとか、そういうある種のタブーには一切触れられていない。それどころか芸能が体制側から押し付けられたものになっていく中、いつの間にか、自分自身も役者としてある意味で権威付けられた文化という名の体制に取り込まれかけていた。」
この発言の重みと深さ、そして鋭さはまさに戦慄もの。少なくと私はこれ以上に優れた芸能論を読んだことがありません。
しかし、残念なことにこの重鎮が決死の思いで語ってであろうこの発言は何と、マスコミに黙殺されてしまうのです。これだけの問題提起を日本社会に問わないことは、マスコミとして自殺行為に等しいと私は思うのですが。
マスコミがきちんと取り上げれば、どれだけ多くの差別に苦しむ人々の励ましになったことか?潜行する差別問題に大きな風穴をあけるきっかけになったかもしれません。部落差別問題を知らない多くの方々への啓蒙ともなったでしょうし、芸能界のあり方を見直す最高のきっかけにもなりえたでしょう。
しかし、それさえ黙殺されてしまうのが日本の現状。日本のマスコミには同和タブーが支配的です。同和関係に不利なことは、たとえ事実でも報道しない傾向があります。場合によってはこのように有益なことであっても報道しません。過剰な自己規制をしてしまうのです。
それには理由があります。過去にマスコミは部落解放同盟などから、差別的な発言や記述について糾弾を受けてきました。その中には、不適切と思われる糾弾の内容や方法もあったようです。そうしたトラウマのため日本のマスコミは、とにかく部落問題はニュースバリューに関係なく取り上げない方が無難という判断をしやすいようです。その結果、過剰な自己規制に縛られて、本来なら伝えるべき事件もきちんと報道しないことが多いのです。
以上が転載箇所。
最近は和田アキ子さんやギタリストの布袋さんが、自ら在日であることをカミングアウトしています。しかし、私が知る限り、芸能スポーツ界で、被差別部落出身であることを、明かしたのは三國さんと村崎太郎さんだけです。
私は思います。「また、黙殺するのか?」と。「二人の歴史的な意味を持つ発信を日本社会に届けるのがマスコミの使命だろうが!」と「それをしなければ、自殺行為だろう?」と。
巨大メディアに比べれば、取るに足らない本ブログ。しかし、私はいのちの尊厳を使命とする者として、二人の発信を世に届け、世に問うていく一人でありたいと願っています。
小説のタイトルとなった「タローが恋をする頃までには」とは、部落解放運動でスプレヒコールされる詩の一部なのだとか。
「タローが恋をする頃までには 差別のない世の中が訪れますように
タローが恋をする頃までには 全ての人間が平等に扱われますように
タローが恋をする頃までには 様々な問題が解決されますように」
村崎太郎さんの最初の記憶は、デモ行進でこの詩をシュプレヒコールする母親の腕の中にいる赤ん坊の自分だったそうです。
太郎物語 ー完ー
2008年12月30日の追記
12月28日放映の「たかじんのそこまで言って委員会」が村崎太郎さんをゲストに迎えて「部落差別問題」を扱いました。以下のサイトをご参照下さい。
http://takajintv.blog101.fc2.com/blog-entry-72.html
村崎太郎さん自身が出演して語っています。さらにこちらでは、専門家が登場し、差別問題の本質とも言うべき深い議論も展開。
http://www.veoh.com/videos/v17049947skrsCEzs
誠実に取り上げた同番組やスタッフには、心からの賞賛を送りたいです。
なぜ、この件を最初に扱った本ブログの記事が莫大なアクセスを集めたか?答えは簡単です。この件を扱ったネット上の記事が極めて少ないからです。ニュースバリューから考えれば、ありえない少なさです。実はこれと同様の事例を2007年の3月27日の記事で記していますので、その一部を以下に転載します。
名優、三國連太郎さんは自分の育ての父が被差別部落出身者であることを公にしています。「部落出身者」の定義は難しいのですが、片方の親がそうなら、あるいは三國さんのように血縁関係はなくても部落出身者とみなされるようです。実際、三國さん自身もそのようなアイデンティティーを持っておられます。ですから、三國さんは自ら被差別部落出身者であることを公にしたことになります。
押しも押されもしない大俳優、「釣りバカ日誌」の社長、スーさんとしても親しまれている国民的俳優である三國さんが自らの出自を明かしたのは1995年のこと。月間誌「Views」8月号での田原総一郎さんとの対談の中。養父が被差別部落出身者であること、自らのこととして部落差別問題をとらえてきたことを明かします。そして、その後に三國さんが論じた差別問題や歴史認識に立った芸能論を語るのです。私はこれを初めて読んだ時は戦慄が走りましたね。以下に引用します。
「もともと芸能という文化は差別されていた賤民の手によって確立されてきたものです。そこには差別する側を批判していく”けれん”というものがあった。(ところが今の芸能界は)体制批判に繋がる差別の問題であるとか天皇制であるとか、そういうある種のタブーには一切触れられていない。それどころか芸能が体制側から押し付けられたものになっていく中、いつの間にか、自分自身も役者としてある意味で権威付けられた文化という名の体制に取り込まれかけていた。」
この発言の重みと深さ、そして鋭さはまさに戦慄もの。少なくと私はこれ以上に優れた芸能論を読んだことがありません。
しかし、残念なことにこの重鎮が決死の思いで語ってであろうこの発言は何と、マスコミに黙殺されてしまうのです。これだけの問題提起を日本社会に問わないことは、マスコミとして自殺行為に等しいと私は思うのですが。
マスコミがきちんと取り上げれば、どれだけ多くの差別に苦しむ人々の励ましになったことか?潜行する差別問題に大きな風穴をあけるきっかけになったかもしれません。部落差別問題を知らない多くの方々への啓蒙ともなったでしょうし、芸能界のあり方を見直す最高のきっかけにもなりえたでしょう。
しかし、それさえ黙殺されてしまうのが日本の現状。日本のマスコミには同和タブーが支配的です。同和関係に不利なことは、たとえ事実でも報道しない傾向があります。場合によってはこのように有益なことであっても報道しません。過剰な自己規制をしてしまうのです。
それには理由があります。過去にマスコミは部落解放同盟などから、差別的な発言や記述について糾弾を受けてきました。その中には、不適切と思われる糾弾の内容や方法もあったようです。そうしたトラウマのため日本のマスコミは、とにかく部落問題はニュースバリューに関係なく取り上げない方が無難という判断をしやすいようです。その結果、過剰な自己規制に縛られて、本来なら伝えるべき事件もきちんと報道しないことが多いのです。
以上が転載箇所。
最近は和田アキ子さんやギタリストの布袋さんが、自ら在日であることをカミングアウトしています。しかし、私が知る限り、芸能スポーツ界で、被差別部落出身であることを、明かしたのは三國さんと村崎太郎さんだけです。
私は思います。「また、黙殺するのか?」と。「二人の歴史的な意味を持つ発信を日本社会に届けるのがマスコミの使命だろうが!」と「それをしなければ、自殺行為だろう?」と。
巨大メディアに比べれば、取るに足らない本ブログ。しかし、私はいのちの尊厳を使命とする者として、二人の発信を世に届け、世に問うていく一人でありたいと願っています。
小説のタイトルとなった「タローが恋をする頃までには」とは、部落解放運動でスプレヒコールされる詩の一部なのだとか。
「タローが恋をする頃までには 差別のない世の中が訪れますように
タローが恋をする頃までには 全ての人間が平等に扱われますように
タローが恋をする頃までには 様々な問題が解決されますように」
村崎太郎さんの最初の記憶は、デモ行進でこの詩をシュプレヒコールする母親の腕の中にいる赤ん坊の自分だったそうです。
太郎物語 ー完ー
2008年12月30日の追記
12月28日放映の「たかじんのそこまで言って委員会」が村崎太郎さんをゲストに迎えて「部落差別問題」を扱いました。以下のサイトをご参照下さい。
http://takajintv.blog101.fc2.com/blog-entry-72.html
村崎太郎さん自身が出演して語っています。さらにこちらでは、専門家が登場し、差別問題の本質とも言うべき深い議論も展開。
http://www.veoh.com/videos/v17049947skrsCEzs
誠実に取り上げた同番組やスタッフには、心からの賞賛を送りたいです。