命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
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(村崎)太郎物語(4)
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     村崎太郎さんが勇気をもって被差別部落出身者であることを証し、妻が小説「太郎が恋をする頃までには」を出版し、夫婦で歴史的な第一歩を踏み出したというのに、マスメディアの取り上げ方の小ささは驚くべきことです。

     なぜ、この件を最初に扱った本ブログの記事が莫大なアクセスを集めたか?答えは簡単です。この件を扱ったネット上の記事が極めて少ないからです。ニュースバリューから考えれば、ありえない少なさです。実はこれと同様の事例を2007年の3月27日の記事で記していますので、その一部を以下に転載します。


     名優、三國連太郎さんは自分の育ての父が被差別部落出身者であることを公にしています。「部落出身者」の定義は難しいのですが、片方の親がそうなら、あるいは三國さんのように血縁関係はなくても部落出身者とみなされるようです。実際、三國さん自身もそのようなアイデンティティーを持っておられます。ですから、三國さんは自ら被差別部落出身者であることを公にしたことになります。

     押しも押されもしない大俳優、「釣りバカ日誌」の社長、スーさんとしても親しまれている国民的俳優である三國さんが自らの出自を明かしたのは1995年のこと。月間誌「Views」8月号での田原総一郎さんとの対談の中。養父が被差別部落出身者であること、自らのこととして部落差別問題をとらえてきたことを明かします。そして、その後に三國さんが論じた差別問題や歴史認識に立った芸能論を語るのです。私はこれを初めて読んだ時は戦慄が走りましたね。以下に引用します。

     「もともと芸能という文化は差別されていた賤民の手によって確立されてきたものです。そこには差別する側を批判していく”けれん”というものがあった。(ところが今の芸能界は)体制批判に繋がる差別の問題であるとか天皇制であるとか、そういうある種のタブーには一切触れられていない。それどころか芸能が体制側から押し付けられたものになっていく中、いつの間にか、自分自身も役者としてある意味で権威付けられた文化という名の体制に取り込まれかけていた。」

     この発言の重みと深さ、そして鋭さはまさに戦慄もの。少なくと私はこれ以上に優れた芸能論を読んだことがありません。

     しかし、残念なことにこの重鎮が決死の思いで語ってであろうこの発言は何と、マスコミに黙殺されてしまうのです。これだけの問題提起を日本社会に問わないことは、マスコミとして自殺行為に等しいと私は思うのですが。

     マスコミがきちんと取り上げれば、どれだけ多くの差別に苦しむ人々の励ましになったことか?潜行する差別問題に大きな風穴をあけるきっかけになったかもしれません。部落差別問題を知らない多くの方々への啓蒙ともなったでしょうし、芸能界のあり方を見直す最高のきっかけにもなりえたでしょう。

     しかし、それさえ黙殺されてしまうのが日本の現状。日本のマスコミには同和タブーが支配的です。同和関係に不利なことは、たとえ事実でも報道しない傾向があります。場合によってはこのように有益なことであっても報道しません。過剰な自己規制をしてしまうのです。

     それには理由があります。過去にマスコミは部落解放同盟などから、差別的な発言や記述について糾弾を受けてきました。その中には、不適切と思われる糾弾の内容や方法もあったようです。そうしたトラウマのため日本のマスコミは、とにかく部落問題はニュースバリューに関係なく取り上げない方が無難という判断をしやすいようです。その結果、過剰な自己規制に縛られて、本来なら伝えるべき事件もきちんと報道しないことが多いのです。

     以上が転載箇所。

     最近は和田アキ子さんやギタリストの布袋さんが、自ら在日であることをカミングアウトしています。しかし、私が知る限り、芸能スポーツ界で、被差別部落出身であることを、明かしたのは三國さんと村崎太郎さんだけです。

     私は思います。「また、黙殺するのか?」と。「二人の歴史的な意味を持つ発信を日本社会に届けるのがマスコミの使命だろうが!」と「それをしなければ、自殺行為だろう?」と。

     巨大メディアに比べれば、取るに足らない本ブログ。しかし、私はいのちの尊厳を使命とする者として、二人の発信を世に届け、世に問うていく一人でありたいと願っています。

     小説のタイトルとなった「タローが恋をする頃までには」とは、部落解放運動でスプレヒコールされる詩の一部なのだとか。

     「タローが恋をする頃までには 差別のない世の中が訪れますように
      タローが恋をする頃までには 全ての人間が平等に扱われますように
      タローが恋をする頃までには 様々な問題が解決されますように」

     村崎太郎さんの最初の記憶は、デモ行進でこの詩をシュプレヒコールする母親の腕の中にいる赤ん坊の自分だったそうです。

     太郎物語 ー完ー

     2008年12月30日の追記

     12月28日放映の「たかじんのそこまで言って委員会」が村崎太郎さんをゲストに迎えて「部落差別問題」を扱いました。以下のサイトをご参照下さい。

    http://takajintv.blog101.fc2.com/blog-entry-72.html

     村崎太郎さん自身が出演して語っています。さらにこちらでは、専門家が登場し、差別問題の本質とも言うべき深い議論も展開。

    http://www.veoh.com/videos/v17049947skrsCEzs 

     誠実に取り上げた同番組やスタッフには、心からの賞賛を送りたいです。
    | | 「村崎太郎」関連 | 08:24 | comments(6) | trackbacks(0) | - |
    あなた達は一人の人間の勇気ある行動と讃えていますが、この問題はただ一人のカミングアウトではすまされないのです!何十人‥何百人の親族がいるのです!訳あってその事を隠して暮らしている親族もいるのです!そう‥私の様に。こんな事をしてくれたおかげで息子へのいじめが始まりました。子供とは残酷なものです。マスコミにあんな風に出てしまえばいくら差別を語っても逆効果です。たった一人の馬鹿な行動で簡単に済む問題ではありません!娘は自殺すると言っています!‥怨みます。
    | | 2009/01/13 11:44 AM |
     欠けていた視点を示してくださりありがとうございます。頂いたコメントが事実であり虚偽でない前提で応答します。
     差別の助長になるので、「寝た子を起こすべきでない」のか「寝た子を正しく起こすこと」が差別の克服なのか?やがては血が混ざり、融和して差別が過去のものなるのか、カミングアウトしても差別されない社会を造るのか?いつも問われますね。これは人種差別や女性差別にはない部落差別独自の課題だと思います。特に差別される当事者には、どんなに深刻な現実問題かと思います。読者の方に、差別解決のもう一つの大きな流れを示してくださりありがとうございます。
    | ヤンキー牧師 | 2009/01/14 8:53 PM |
     ただ一人のカミングアウトではすまされないから、マスコミで取り上げて欲しいと、私は思います。
     なぜ隠さなければならないのか、なぜいじめなければならないのか?一人の人間として、誇りある生き方をしている人たちを抹殺していいのですか?それは、私たち被差別部落出身者が抹殺されるのと同じことです。
     差別は、犬と同じです。逃げれば逃げるほど追いかけて来るのです。部落差別があることで、全てのひとが幸せになれない。そのことを、真正面から議論して社会を変えていくべきです。
     同じ被差別部落出身者としてコメントします。
    | | 2009/02/09 9:09 AM |
     私自身は、まだまだ不勉強ですが、いただいたコメントと同じ方針でブログ記事を書いております。犬に追いかけられているような実態を思います。
     実際に差別を受けている側にも、二つの大きな異なる流れがあることを読者に理解していただければと願います。
    | ヤンキー牧師 | 2009/02/09 10:54 AM |
    心の奥底に溜まっていくどうしようもなくイヤなものを、隠していくという事が村崎さんにとって最大の苦しみだったのでしょう。
    一番の理解者でいてもらいたい親族からのコメントはその苦しみよりさらに大きなものになってしまった事でしょう。

    自分の子供のいじめや苦しみは、親としてこれ以上つらいことはありません。全力で守り相手に敵意をもつことは母として自然な行動と思います。
    どうぞ、いじめを受けた息子さんが今回の経験を通して、社会でたくましく生き抜いていくすべを身に付けた力強い男性へと成長していかれる事を願っております。

    数年たってますので、状況はわからず申し訳ございませが、どうぞお嬢さんの心が健やかにお戻りになってらっしゃることを心から願っております。
    | yossy | 2011/02/08 4:41 PM |
    恥ずかしながら、村崎太郎さんのこと、全く知りませんでした。日本に住んでいないからでしょうが、ショックです。まだ、そんなことで、差別があるとは、信じがたいことです。私の子供のころ、同和教育なるものが授業にありましたが、何を教わったのか、まるで記憶にありません。私の両親はクリスチャンですが、もう80代なので、こういう問題にはあまり関心を持って語りませんでしたが、差別意識のようなものはあったようです。誰それさんは,部落の出身だから、などのコメントを聞いたような記憶があります。私自身は、歴代の指導者達の作り出した理不尽で不幸な事と受け取っており、間違ったレッテルを張られ続けている子孫の皆さんの境遇が一日でも早く改善することを祈ります.特に,最後の方のコメント,大変悲しいことです。もう大分前のものなので、現在いい方向に向かわれてることを祈ります.きっと、水谷先生か誰かが介入/援助されたことを願います。
    | ぺんぎん | 2011/09/17 10:39 AM |









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