うーん、確かに非難されて当然ですし、メディアの見解や大方の国民の声も正しいのでしょう。でも、思うのです。「メディアは、どうしてここまで、他人事のように非難できるのか?」「ここまで、自らを省みず、バッシングする国民ってどうよ?」と感じています。
これを放送するマスコミの中には、セクハラが横行している現場も少なくないと聞きます。社内で女性の人権は保護されているのでしょうか?視聴者である私たち国民の中には、男女に関係なく、職場や家族の女性に、同様の発言をしていないのでしょうか?発言しないまでも、心の中で「同様のセクハラやじ」を発してはいないのでしょうか?
それを省みることなく、対象の議員だけが極悪人のように、責められているように感じるのです。まるで、自分が潔白であるかのように犯罪者に石を投げているように思えてならないのです。
「ひどいよねー、でも、自分たちも職場や家庭で同じようなこと言っているかもなー」
「このことは、私たち国民の女性蔑視の現われとして受け止めたい」
そうした発言をあまり聞かないのが残念です。
せめて、キリスト教会の中では、そうした発言があればと願っていました。教会の交わり中でそんな発言が、クリスチャンブログなどでそうした発信があればいいのですが・・・。
残念ながら、教会に集う30代女性が、塩村議員のように人格否定を受けたように傷つくこともあるようです。独身の女性は、結婚についての心ない言葉で、既婚者の女性は、出産についての配慮のない言葉で、傷つけられるのです。傷つける側は、大抵は、既婚子持ちの先輩クリスチャンたちです。デリカシーに欠けるオジサンだけではなく、同性である女性からも同様の言葉を聞かされます。
聖書からジェンダー論をどう読み取るかの問題もあるでしょうが、日本の教会文化は、専業主婦指向がまだ強いように思います。「女性は結婚して出産、育児に励んで、専業主婦で教会奉仕」との価値観がまだ根強いように感じます。もちろん、結婚と出産は神様の恵みでしょうが、それが女性の生き方のすべてではありませんし、ましてや女性の存在意義ではありません。
そうした教会文化の影響でしょうか?教会によって大きな差があるでしょうが、女性の社会参加には否定的で、ともすれば「女性が社会参加が進むほど、女性は子どもを産まなくなる」という短絡的で誤った発想を持つ年配のクリスチャンは少なくないように観察します。
そこで思うのです。自分自身を含めて、クリスチャン男性の中に、女性蔑視の思いや罪があるなら、それを「キリス党」から会派離脱させたいと。そして、既婚子持ちのクリスチャン女性の中に、未婚女性や不妊女性を理解し、思いやる愛の欠如があるなら、それを、辞職に追い込みたいと。
「人の振り見て我が振り直せ」
「セクハラやじ議員見て、わがセクハラやじ直せ」
「該当議員の会派離脱見て、わが内なる該当議員をキリス党から会派離脱させよ」
「該当議員への辞職勧告見て、わが内なる該当議員に主の御名によって辞職勧告せよ」
果たして、一議員の会派離脱で、幕引きをしていけないのは、自民党と都議会だけでしょうか?いいえ、まだまだ、女性についての人権意識が低い私たち日本国民こそ、自らの意識変革なしに、この事件の幕引きをしてはならないはずです。
そして、願うのです。この事件を機に、教会に集う者こそが、自らを省みたいと。
クリスチャンこそが、その悔い改めの先頭に立ちたいと。
「わが内なるセクハラやじ議員」にこそ、主の御名によって辞職勧告を!