牧師夫妻やクリスチャンである親たちは、「神様が喜ばれない」「それは罪だから祝福されない」と愛をもって注意しますが、聞く耳を持たないか、聞いている振りをするばかり。自分も神様も見失っており、別れさせようとすれば、信仰を捨てるか、教会を離脱しそうな勢いです。そんな事例を見聞きしたり、相談を受けたりすることがあります。そういうわけで、牧会事例研究のような視点で、今回のベッキーとゲス川谷の今後を予想してみました。
二人の間には、大きな違いが三つあるように思います。三つを記してみましょう。
(1)一つは、恋愛感情の温度さです。ベッキーにとって川谷は、「生涯で二度と会えない唯一の理想の男性」です。まあ、そのように錯覚しているのです。しかし、川谷にとってのベッキーは「好きになり結婚したいと思った一ファン」に過ぎません。つまり、ベッキーにとっての川谷は"Only One"ですが、川谷にとってのベッキーは”One of Them”なのです。
(2)二つ目は、恋愛スタイルの違いです。どうもベッキーは恋愛を犠牲にして仕事に励んできたようです。それだけに、この恋にかける真剣さは、どんな犠牲も惜しまぬレベルです。まさに一途そのもの。報道によれば、ベッキーは周囲の説得に応じないで、結婚を願い、そのためなら、芸能界引退も考えているようです。一方の川谷は、一途とは正反対。結婚時にも元カノのことで悩んだとのこと。また、結婚した事実をメンバーにさえ告げないのは、別の女性との恋愛可能性を残すためのようです。つまり、一人の女性を愛し続けることのできない恋愛体質のように予想されます。
(3)三つ目は、帰る場所の有無いです。ベッキーはこの恋を貫こうとしたために、戻る場所がなくなりつつあります。しかし、川谷の方はいつでも戻る所があります。文春の報道によれば、川谷の妻は、戻ってくることを願っており、謝罪をすれば受け入れるつもりとのこと。その通りであれば、川谷は離婚が成立しない限りは、いつでも戻る場所があるのです。
そう考えますと心配なのはベッキーです。「ただ一人」と思いつめ、「すべてを捨ててでも」という覚悟を決め「戻る場所を失っている」状態です。離婚が成立し、結婚に至らなければ、どうなっていくでしょう?あるいは、二人の恋愛関係が終わったら、ベッキーは、すべてを失ってしまいかねません。多分、川谷の方は、そこまでの真剣さも覚悟もないものと想像されます。ですから、私は川谷はこの恋を貫かないで、どこかでヘタレると予想します。やがて、川谷は恋愛感情が冷めて、損得勘定に走り、自己保身を図ることでしょう。
以上の考察から、多分、この恋の行方はこうなると予想します。
(1)川谷の方が、先に冷めてしまい、損得勘定を考え、自己保身に向かう
(2)川谷の方から、ベッキーに別れ話を持ちだすか、自然解消に持ち込もうとする。
(3)その時にベッキーは危険な状態に陥る。
牧会事例なら、この時にこそ、指導者や周囲の支援によって、自分を取り戻させ、愛をもって受け入れながら、悔い改めと回復に導くのでしょう。
ベッキーの場合は、事務所や家族や友人たちが、帰ってくるところがあることを示し、受け入れる思いを伝えることで、最悪の事態を避けることができるでしょう。孤立を防げたら、彼女は我に帰り、真実な謝罪をして、(川谷が悪人、ベッキーは被害者という筋書きにして)芸能界に復帰するか、引退後の人生をスタートできると思うのです。特に母親と暮らして、母親が「どんな選択をしても、どんな結果になっても、いつも私はあなたの味方」と言ってくれたら最高だろうと思うのです。
失恋した女性タレントの自殺未遂疑惑は、これまでも何度か報道されてきました。ベッキーの追い詰められ方(世間や周囲より当人が自分を追い詰めてしまったように思います)は、私にとっては、そうした危険性を十分予想させるものです。二人あるいは三人の間で刃物沙汰になる可能性も考えなくてはならないでしょう。果たして川谷はそこまで考えているのでしょうか?
帰る家をキープして命綱装着で冒険に出ている川谷、
家を捨て、命綱を切って、冒険しているベッキー
周囲に反対され、会うことを禁じられている間は恋の炎は燃え続けるかもしれません。
しかし、二人の覚悟や状況の違いは、近い将来、きっと破たんや終結をもたらすことでしょう。
その時、ベッキーを危機からどう守り、回復に向かわせるか?事務所の力量と周囲の愛情が発揮されるところは、そこになるだろうと予想します。
以上、芸能リポーター的かつ牧会事例研究的視点から、二人の道ならぬ恋の行方を予想してみました。きっと読んでくれないでしょうが、強行突破型で、今も結婚生活というバラ色の夢を見ているベッキーには、この記事を読んで我に返ってくれたらと願います。
万が一、皆さんの周囲や教会内で同様の事例が起きた場合は、この記事が参考になれば、感謝なことです。