命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
「日本を愛するキリスト者の会」が講演と親睦の会
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     注目された発足後、あまり対外的なイベントをしていないように見えた同会が、7月20日(月・祝)に曳舟文化センターで「講演と親睦の会」を持つそうです。

     詳しくは同会のサイトをご覧ください。
    http://www.nihon-ai.com/

     ブログほぼ卒業につき、この件については以前の関連記事を紹介しておきます。
     
    | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 17:50 | - | - | - |
    「日本を愛するキリスト者の会」について〜「とりあえずのまとめ」に代えて
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       一週間、このテーマばかりでした。一日のアクセス平均は3000近くとなり、関心と問題意識の高さを痛感しましたが、このあたりで、一旦まとめて、別の話題に移りたいと思っています。そうそう、それから、一連の記事は「日本を愛するキリスト者の会」というカテゴリーを作り、そこにまとめましたので、お役立て下さい。

      日本を愛するキリスト者の会

       自分なりの見解は一定、示したつもりなので、今日は二名の牧師の見解をお知らせして、まとめに代えようという無責任な記事です。正直、私が下手なまとめをするより、その方が、読者の益になると思っています。


       一つ目は大阪聖書教会の牧師であられる宮下篤也先生よりF.B.でいただいたコメントです。「聖書信仰」を定義し、それに基づいての政治観を示し、日本のプロテスタントの政治観の変遷を概観し、歴史と社会のありようとの関連で、大局的な視点に立って、今日の課題と指針を示しておられます。非常に適切な分析、客観的な観察と冷静な考察、そして、分かりやすい文章は、大変、有益だと判断し、ご本人のご許可をいただき、以下に転載します。



       聖書信仰とは聖書を信仰と生活の規範とすることだと思っています。聖書をすべての価値判断の土台、最終的な拠り所とすることだと考えています。かたや政治の世界には絶対はなく(あるとすれば独裁のみではないでしょうか)、何を、どう考え、どう判断し、どう行動するのがベターなのか。その都度、様々な意見を総合してベターを判断して、行動を決定して行く作業ではないでしょうか。

        日本では戦後の歴史的プロテスタント教会は政治観を随分長い間左翼思想にどっぷりと依存して来たような気がします。戦前の右翼的、国家主義的な政治観の反省からでしょうか。一方、福音派と呼ばれるグループは伝道一本槍で人任せの政治観から、ローザンヌ宣教会議以降、ようやく目覚めようとしているようです。しかし左翼的な政治観しか持ち合わせていないような気がしています。今回は単純に戦前回帰の思想のような気がします。日本を愛するとはどう言うことなのか。愛国とはどう言うことなのか。この場合の日本とは何なのか。聖書から論じなければならないでしょう。

        それは列強の植民地にならないように近代国家建設を強力に推し進めていた時代と、海外に進出し、侵略し戦争し、自ら植民地を作って行った時代の反省と、敗戦後の荒廃した中から経済力をつけ復興を成し遂げた時代の反省と、豊かな生活を獲得したが、他国が発展する代わりに経済的に疲弊して行こうとする現在の日本とをしっかり見据えて、大局的に考えなければいけないことではないでしょうか。


       二つ目は再度、明石先生のブログです。この件について、まとめをした上であるアピールをしておられます。


      続「日本を愛するキリスト者の会」について

       この記事の中で最も教えられた箇所を以下に転載します。「日本を愛するキリスト者の会」については、「ナチスを支持し、妥協していったドイツの教会に似ている」との指摘もあります。その指摘の是非とは別に、昨今の社会と政治の流れを考えますと、この八つのことを教会、すなわち私たちは、真剣に自問しなければならないでしょう。既に振り分けが始まっているように感じているからです。その自問をすることなしに、他者批判のように今回の件を論じている場合ではないだろうと思いました。以下にその箇所のみ転載します。



      妥協する教会と、告白する教会

      一つ記事を紹介したいと思います。

      8 Clear Signs of Compromising Church
      (妥協する教会の八つの明らかな徴)

       かつてナチス・ドイツでの教会は、その国家社会主義の方針に信条を合わせた教会の流れに抗う、「告白教会」がありました。ボンヘッファーがその中で著名です。記事では、今のアメリカにおいても次第に宗教の自由がなくなっている中で、その圧迫が強くなると、「妥協する教会」と「告白する教会」に振り分けられると話しています。妥協する教会の八つの徴を挙げています。ヨハネ12:42−43には、イエスを信じても神からの栄誉ではなく、人からの栄誉を愛したので、告白しなかったと書いてあります。

      1.告白する教会では、キリストは文化より上にあります。
        妥協する教会では、キリストを文化に適応させています。

      2.告白する教会は、反対があっても神の言葉をしっかり保ちます。
        妥協する教会は、反対があるので御言葉を改定します。

      3.告白する教会では、神の御国を文化と民族性より上に置きます。
        妥協する教会では、御国よりも民族性を前面に置きます。

      4.告白する教会では、宣教の手段は変えます。
        妥協する教会では、宣教の内容を変えます。

      5.告白する教会は、教会と国家の中では少数派の残された者たちです。
        妥協する教会は、教会と国家の両方の主流派となります。

      6.告白する教会は、国家政府から刑罰を受けます。
        妥協する教会は、国家政府から称賛を受けます。

      7.告白する教会は、権力に対して預言します。
        妥協する教会は、権力に調子を合わせます。

      8.告白する教会は、神の栄誉を求めます。
        妥協する教会は、人の栄誉を求めます。

      これからの日本の教会にとっても、見えてくる振り分けになるでしょう。


       というわけで、「とりあえずのまとめ」に代えて、二つの記事を転載、紹介しました。ネット上では、様々な評価の声を読めますが、「レッテル貼って、叩いて、後はガン無視」というのは、クリスチャンとしてはどうか?と思っています。「レッテル貼らず、声は聞いて、とりなし祈る」が、クリスチャンの標準装備でしょう。こうしたことで、判断や対話はしても、不必要な対立や不毛な議論は避けられるまでに、日本のキリスト教会は既に成熟していると、私は感じています。

       とりなし祈りながら、進展や変化があったり、必要が生じたら、また、記事として取り上げます。
       
      | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 15:24 | - | - | - |
      「日本を愛するキリスト者の会」について、小平牧生牧師のコメントを紹介します。
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         兄弟団の小平牧生牧師が同会について、FB上でコメントをしておられます。小平先生がコメントされることは、特別大きな意味があります。それは、先生が福音派のリーダー的存在だからではありません。コメントがとりわけ重い意味を持つ理由、それは、先生が、キリスト兄弟団の教職であることにあります。昨日の記事で紹介した中田重治師を創始者とする「きよめ教会」は、現在のキリスト兄弟団につながっているからです。

         ここには、中田重治先生をはじめ先輩方の過ちを自らのこととして悔い改め、贖罪的な思いで、悔い改めの実を結んでこられたことが記されています。真摯な悔い改めは、自虐などではなく、いかに神様の目に尊く、希望に満ちたものであるかを教えらえます。

         文面からは、同じ過ちを繰り返さないことを願う思いが痛いほど伝わります。所属教団の過去の過ちを自らの過ちとしておられるからこそ、同会を裁くことなく、伝道熱心であった団体の先輩方に対してと同様の尊敬の念をもって記しておられます。そうです。愛と尊敬の故に、あたかも自らの過ちであるかのように、真理を外れようとする方々に、その逸脱を示し本来の歩みに立ち返るように切望しておられるように私には読めました。

         先生ご本人のご許可をいただいた上で以下に転載します。小平先生の責任ある姿勢と勇気あるご決断に心からの敬意を表します。



         見てしまった以上、無視することは自分のおかれた立場を考えると誠実ではないと思うので自分の意見を書きたい。
        「日本を愛するキリスト者の会」という団体のことだ。

         かつて私の属する教団の前身であるきよめ教会は、日ユ同祖論の影響による「日本民族の使命」に立った。そして国粋主義的民族主義思想を信仰の教理に組み入れ、結果的に侵略戦争の一翼を担った。...
        当時の教団の綱領には次のように記されている。


         「われらはきよめ教会員なり。きよめ教会は中田監督が福音によりて創始せる基督教にして、日本精神に立脚し、各自職分を尽くし、国策に順応、国運の進展を期す。」

         「われらはきよめ教会員なり。監督の指導に奉じ、一致団結、福音の宣伝に当たり、我が日本の国是たる八紘一宇の達成、すなわち神国の実現を祈る。」

         私たちの先輩たちは祈りにも伝道にも熱心だった。イエスキリストを愛しており、純粋な方々であったと思う。すばらしい土台を築いてくださった。尊敬と感謝の思いである。

         しかし、聖書から逸脱した。

         だから、それを自らのこととして認め、悔い改めて、正しい道に歩むことが、神様の前にも、先輩たちに対しても私たち後輩のはたすべき務めだ。そう信じて私たちは今日まで来た。

         自らの過去の闇の部分を隠すことはない。むしろ分かち合い共有しなければならない。罪を認めることは自虐でも何でもない。赦しがあるからだ。

         「日本を愛するキリスト者の会」の理事のある方が、この会の発足に寄せたコメントで次のように書いておられる。

        「私自身は、キリスト者であると同時に、日本国民として、国歌である「君が代」を会社の行事では出席者全員で歌い、国旗である「日の丸」を会社では毎日掲げ、自宅に於いても祝日には欠かさず掲げています。また、皇居での一般参賀にも行き、靖国神社に英霊の慰霊の為に参拝もしています。…何故なら、日本が大好きだから…」(1)

         この方を存じ上げないが、きっと私たちの先輩たちと同じように、伝道に熱心で、純粋な方々であると思う。
        しかし、まちがっている。過去の私たちと同じ道を歩んでいる。

         付け加えるが、個人的にはこの会の理事の中には親しくお交わりをいただいている方もおられる。その方は宣教のために献身的に労しておられ、多くのことを教えていただいている。

         今も尊敬していることは変わらない。だからこそ、書かなければならないと思った。



        追記(1)の文章は現在は、変更されております。
         
        | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 14:02 | - | - | - |
        「日本を愛するキリスト者の会」についての過去類似事例
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           「日本を愛するキリスト者の会」については、「過去に繰り返されてきた逸脱や失敗の再現」との評価がネット上で多く見られます。確かに過去において類似かな?と思われる事例は多いようなので、私なりに、日本において代表的なものを三つほどあげてみます。

           一つ目は、中田重治師の残念な晩年です。以下のWikipdiaの「分裂」と「晩年」の項目には、そのことが記されています。

          wikipedia「中田重治

          日ユ同祖論→神道的信仰理解→国家主義→戦争協力」という流れが見て取れます。分裂後に中田師を創始者とした「きよめ教会」は、国家主義に賛同し、戦争に積極的協力をしてしまいました。国家による宗教団体の統制にも賛同を示し、神道の教義であり、当時の軍国主義国家の理想であった「八紘一宇」(道義的に国家を一家族のようにすること)の実現を目的としていたことがわかります。「きよめ教会」の流れにある現在の教団や団体は、真摯な悔い改めに立ち、歩んでおられることは付け加えておきます。


          二つ目は、キリストの幕屋です。

          Wikipedia 「キリストの幕屋
           
           無教会から分裂し、異端視されている団体です。創始者の手島郁郎は、やはり「日ユ同祖論者」代表の一人です。機関誌は「生命の光」で、手にしたことのある方も多いのでは?靖国神社を参拝し、「新しい教科書をつくる会」をリードするなど、宗教的には聖書からの逸脱で、政治的には右派です。 日本人の精神に合致するキリスト教を目指し、伝統的な聖書の教理を破棄したことが、異端と判断される決定的根拠なのでしょう。


          三つ目は、「みくに運動」です。実は、朝岡勝先生がFBで、以下の論文を紹介しておられて、私も初めて「みくに運動」を知りました。

          小室尚子師の論文〜「みくに運動」におけるキリスト教土着化の問題

          http://ci.nii.ac.jp/naid/110000188488

           これは小室先生の東神大大学院の修士論文。小室先生は現在、金城学院大学の宗教主事で、以前、同大学の非常勤講師であった頃は、個人的にも随分お世話になりました。この論文によれば、1930年代スタートし、やはり神道的な信仰理解をして、皇国において神の国の実現を目指していたようです。

           この論文は、「みくに運動」を通じて福音の土着化を困難とする日本人の精神構造を明らかにすることを目的としています。結語の中で、みくに運動の逸脱と失敗の原因に言及したこの言葉は、特に、本質を示しているのでは?

          「絶対者なる神を相対なる位置に引きおろし、彼らの潜在意識の中に見出したものをそれに代えた」

           では、その潜在意識の中に見出したものは何かと言えば、小室先生は、「日本人の潜在意識の中には古代神道から育まれた意識がある」と指摘しています。何らかの状況などがきっかけとなり、それは、無自覚に現れるようですが、みくに運動の場合はファシズムの波であったようです。

           もしかすると、「内なる救霊の熱心」と「外なる右傾化状況」のセットは、日本人の潜在意識下に潜む古代神道的意識を浮上させるのかもしれません。



           三つの過去の事例に共通することを五つにまとめてみます。

           まずは、「日ユ同祖→皇国史観、国家主義→伝統的教理からの逸脱」というある意味、必然的な流れです。私が日ユ同祖論有害論者なのは、日ユ同祖論自体が、既にこうした可能性を内包しているからです。

           二つ目には聖書観の問題です。日ユ同祖論者は、聖書から「暗号」や「隠された奥義」を読み取ります。そうした聖書の読み方自体が問題視されます。さらに、そこから得られた真理や奥義には、誤りの可能性もあれば、客観的検証も困難です。ですから、聖書に明記されている普遍的な教理と同列に、いいえ、それに優先するものとして、確実性の低い真理や奥義が位置づけられることは、正統的な聖書観ではないと思います。

           三つ目には、創始者が、熱烈な宣教の思い優れた知性を併せ持っていることです。一見、理想的な信仰リーダーのように思えます。しかし、反面、こうしたリーダーこそ、カリスマ性を有し、交わりに生きる必要を覚えずに、他者の声に耳を傾けず、教会論的なあり方を失い、逸脱しやすい傾向があるのではないでしょうか?

           四つ目には、外的状況です。三つの事例は、いずれも戦前・戦中のことです。宣教面では困難であったり閉塞感が強い状況でした。社会的には、民族主義、軍国主義で、極端に右傾化していく状況でした。その中で宣教の突破口を、「日本人の精神に合ったキリスト教」、とりわけ「日ユ同祖論」に求めていったのかもしれません。

           五つ目には、その結果です。その結果や現在における評価はどうでしょう。晩年の中田重治師は、分裂とリバイバルの停滞を招いたとして、一般的には失敗・逸脱と評価されているようです。キリストの幕屋は異端視され、みくに運動は最終的には消滅したようです。三者共通の聖書から逸脱した教理に立つ宣教は、健全な実を結ぶことはできませんでした。


          私なりに乱暴なまとめ方をするとこうなるでしょうか?

           「内なる救霊の熱い思いと優れた知性」+「外なる宣教停滞と右傾化」→「日ユ同祖を根拠とする国家主義的な宣教」→「宣教の失敗分裂または異端化


           
           はてさて、過去の三つの事例、そして、五つの共通項を見る時、今回、設立された「日本を愛するキリスト者の会」は、「どこが同じ」で「何が違う」のでしょう?今回私が提示した事例や共通項自体が誤りなのでしょうか?「自虐史観」が定着したこの時代にあっては、類似事例であっても、従来の事例とは本質において違うのでしょうか?

           その検証が、この会に対しての正しい理解や評価につながると思うのです。多くの方が指摘するように同会が「過去に繰り返されてきた逸脱や失敗の再現」をされぬよう願っています。
          | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 13:44 | - | - | - |
          「日本を愛するキリスト者の会」の理事、9名中6名のコメントが掲載
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             今日だけで、三度目の更新です。本来はこれ一つの予定でしたが、二名のコメント掲載がありましたので。

             政治団体でも宗教団体でも、思想性のある集団には、常にもあれば、もあります。カトリックは、一つの団体なのでしょうが、実態はびっくりするほど、左右の幅が広いです。長年、名古屋在住であったので、カトリックと言えば、布池教会と南山教会、南山大学と聖霊病院というイメージだったのですが、ある時、それが極めて一面的であると知る経験をしました。知人の聖公会司祭のお話しでは、聖公会はさらに左右の幅が広いようです。お聞きした限りでは、プロテスタント教会全体の左右の幅を一教派で包括しているように感じました。

             (聖霊派を含む)広義の福音派の中にも右から左まで幅はありますし、さらに、その政治思想についても右から左まであっていいのでしょう。歴史観、皇室観なども、一定の多様性はあると思います。ただ、クリスチャンは、聖書からそうした価値観を導き出すべきであって、逆に、聖書にそうした価値観を読み込んだり、自らの主張を正当化するために間違った聖書の引用や適用をしてはならないと思うのです。それが聖書信仰に生きることであり、そうでなければ「なんちゃって聖書信仰」と言うべきでしょう。

             また、これまで信仰の先人が積み上げてきた歴史観や国家観についての神学的遺産を、まったく学ぶことなく、自分の興味関心や問題意識ばかりを先行させ、特定の社会的状況に縛られたの中で、歴史観や国家観を形成して、それを聖書的だとして公に主張するようなことも、軽率だろうと思うのです。


             さて、今日になり、「日本を愛するキリスト者の会」の理事、9名中6名のコメントがウェブ上に掲載されていることを知りました。まずは、じっくり読んでその主張を理解しましょう。

            「理事コメント」
            http://www.nihon-ai.com/comment.html#harima

             「日ユ同祖」についての言及は全くありません。理事全員がこれを共有し、この点で一致してるかどうかは、不明です。日ユ同祖にはこだわらず、別の根拠や動機によって、歴史観や皇室観を共有している可能性もありそうです。 

             私は同会を判断するポイントは文章上に現れてきた「歴史観」や「皇室観」ではなく、その論拠となる信仰理解や聖書観だと考えています。私なりの判断基準は「日ユ同祖論>聖書の普遍的教理」、「宣教上の効果>聖書的妥当性」の二点です。ですから、コメントに記されている歴史観と皇室観は、個人的には賛同いたしかねますが、それを主張されること自体については、否定・非難はいたしません。

             むしろ、その判断基準で気になるのは聖書の読み方、用い方です。何名かの理事のコメントにお見受けする疑問に思う聖書解釈み言葉の強引あるいは一面的な適用自己主張の後付けのような聖書の引用などに、危惧を覚えます。多くの信徒と教会教職の批判の目にもさらされるわけですから、かなりの神学的理論武装があると予想したのですが、そうでもないのでしょうか?神学教育を受けた方からすれば、つっこみどころ満載と思えるコメントもあるのでは?(まあ、本ブログも似たようなものなので、大きなことは言えませんが・・・)

             私なりに拙い判断基準を提案してみました。後は、関心と問題意識がおありなら、読者の皆さんご自身で、各理事のコメントをお読みになってご判断されますようお勧め申し上げます。
            | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 20:31 | - | - | - |
            瀬戸健一郎氏に続く明石清正牧師のコメントをご紹介
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               瀬戸健一郎氏に続いて、昨日の記事でブログを紹介しました明石先生が、コメントを下さいました。誤読をされないように、読者の皆様には二つのことをお願いします。一つは、山中牧師の見解→一読者のコメント→瀬戸氏のコメント→明石先生のコメントという経緯・文脈の中で、内容を把握して下さい。もう一つは、明石先生自身の同会についての見解は、昨日の記事で紹介した通りです。その二点を踏まえて、以下に転載するコメントをお読みください。

               クリスチャンが陥りがちな落とし穴を示して下さっていると思いますし、あるクリスチャンには耳の痛いコメントでありましょう。少なくとも、私たちが必ずしも公平で正確とは言い難い情報に触れながら、自らの価値観を形成し、判断を下しているという事実認識と、それ故に自らの省みる謙遜さは持ちたいと思わされました。

               また、いただいたコメントは応答ではありますが、議論でないことを感謝しています。ブログやFBを議論の場にすることを私は願いません。是非とも、キリスト教メディア等が、議論ではなくても、対話や意見交換の場を設定して下さることを切望しています。

               では、以下にコメントを掲載します。

               昨夜、本当はここに書こうと思っていたのですが、議論になってはいけないと思って躊躇しておりました。山中先生の努力は、私も日中韓のキリスト者の平和の働きに具体的に関わっている者として、痛いほど伝わってきました。

               けれども、それと同じように、瀬戸先生のように、平和のために関わっている者たちの中にも、(戦前の日本を正しいとする意味ではなく)普通に見ていって、今、語られているような杓子定規の歴史ではなかったでしょう、というのは、私も実感として伝わります。


               韓国内にも、保守と進歩がありまして、その二極化は深刻なものとなっております。保守は、反共という立場から、当時から反共政策を取っていた日本にやや親和的であり、進歩派が反日であり、北朝鮮に融和また親和的です。

               実は、日本を抜きにして今の韓国は語ることができません。生活や社会の細部にまで統治時代の名残があります。ですから、これまでの韓国の政治・経済などの指導者のほとんどは「親日」になってしまいます。しかし韓国は正統性が最優先の価値となっていますので、それは表に出てくることはありません。親日のレッテルを貼られないように、必死になって反日なのだと努力してしまうのです。

               けれども実際に付き合うと、彼らは意外に冷静で、客観的な意見を持っています。韓国は自由・民主主義国でありますが、それでも社会的にはこのような、言論空間の棲み分けを行っています。

               私はこのことを否定的に語っているのではなく、むしろ肯定的に話しています。というのは、韓国の人たちも、実際の生活ではいろいろな意見を持っているということです。

               だから生身の人たちにもっと触れてほしいと思っているのです。彼らはマスコミに登場するような、悪い人たちではないのです。保守系の人たちは、嫌韓感情を露わにしますが、それもまた日本のマスコミが作り上げた部分が非常に大きいです。これは韓国内の、日本の人たちの一部が全てだと思ってしまっているのと同じなのです。

               互いに、悪い感情を持った人々が表に出て来ていていて、その中間にいる人々はそれほど強く思っていないのに、影響を受けてしまっているというのが現状ではないかと思います。

               韓国の若者に触れていると、特にクリスチャンは意外に明治維新以降の日本を肯定的に見ています。というか、客観的に勉強しています。もともと歴史にこだわりをもった方々なので、そこに韓国と日本の間に大きな認識の違いができているように思われます。

               韓国のクリスチャンには、二つのタイプがいるように思われます。一つは、成熟した、良心的な人々です。前回の東アジアキリスト者青年大会でも、「意味もなく日本人を憎んでいた。これはキリスト者として恥ずべきもの。」というメッセージをされた韓国人牧師さんがおられました。真摯な悔い改めで、涙が出そうになりました。「もちろん日本は悪いことをした、けれども、それを今の時代に引きずり入れていいのか?」という訴えでした。日本のため、その霊の救いのための祈られる方々は、確かにキリストの愛を持っておられます。

               それに大抵、韓国社会が反日的なので、訪問する日本の兄弟姉妹が悪い経験をしないように、かえって気を使ってくださいます。その気遣いも伝わってきます。

               もう一つは、民族主義が入り込んでしまった教会です。これは、しばしば取り上げられている問題なので、ここでは省略いたします。

               私も瀬戸先生のご意見に賛成で、というのは、謝罪というのは、相手が語ってくれる昔の歴史やキリスト者であればそうした証しを聞いて、そこで相手が要求してくることに"反応して"謝罪するのではなく、聖霊が一人一人に語られる、その部分において神に悔い改め、そして必要ならその人にも言い表す、という順番なのではないかと思います。私はその意味で、山中先生の真摯な姿も伝わってきます。

               私が一連のブログで「左傾化した福音派」と言っているのは、韓国や中国との関係についていうならば、聖霊による自然な謝罪ではなく、相手の要求に反応している日本人、またプログラムのように機械的に謝罪している日本人信者の姿が多いので、憂いたからです。

               どうしても、この歴史論争が、正しかったか間違っていたかという正しさの議論になっています。「謝罪」という言葉さえも政争化してしまっています。そうではなく、相手の痛みを聖霊によって知らせていただくこと、だと思います。日本人に憎しみを持っていた牧師さんが、聖霊に示されて神に悔い改めたように、私たち日本人も、自然に、過去の歴史、特に日本だけでなく朝鮮や中国のキリスト教史も見つめて、そこで彼らの痛みを知って、導かれるままに悔い改めるということが必要な気がするのです。

               長文になりました、失礼しました。
              | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 16:55 | - | - | - |
              瀬戸健一郎氏からのコメントをご紹介
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                 「日本を愛するキリスト者の会」の理事のうち、二名の政治家とはF.B.での「お友だち」であります。以前にリクエストを頂戴し、承認させていただきました。お二人共が本ブログの発信に対して応答をして下さっています。


                 柴橋正直氏からは、昨日アップしたこちらの記事に対して「いいね!」をいただきました。

                「日本を愛するキリスト者の会」に言及したブログ記事の紹介



                 そして、瀬戸健一郎氏からは、この記事に呼応してのコメントをいただきました。

                一牧師による「自虐史観」についての見解をご紹介


                 以下に、ご本人の了解を得て、コメント全文を転載しますが、その前に、経緯と文脈をお伝えしておきます。私のF.B.では、上の記事に対して、 一読者より以下のようなコメントをいただきました。

                「民主党がこのような精神で中韓に対応した結果、日韓、日中関係は最悪な結果となりました。どうしましょう。」


                 この後に、瀬戸健一郎氏からコメントをいただきました。読者の皆様には、この経緯と文脈の上で瀬戸氏のコメントはお読みいただきたく願います。



                 はじめてこちらにコメントさせて頂きます。もし、お差支えがございましたら、削除をお願い致します。

                 私の曽祖父が某子爵家に仕えていたころ、当時はコピー機はありませんでしたから、大切な書簡類を手書きで写す仕事をしていたらしく、それらの手紙が我が家にも残っています。
                その中に、朝鮮半島に鉄道を敷設するので、出資して欲しいという渋沢栄一氏からの書簡の写しがあります。

                 
                欧米の植民地政策がただただ労働力搾取やアヘンの巣窟化による隷属を求めたのとは違い、日本がアジア地域に大きな社会資本を投入してきたことがその後のアジアの発展の礎になっているという側面を垣間見ることができる書簡だなと感じてきました。

                 私は決して自虐史観という言葉が心地よいと感じませんし、過去の戦争を正当化するつもりもありませんが、本当の悔い改めを受け止め、赦すことのできる権威は神様にしかないのだと信じています。罪を悔い改め、完全な赦しと祝福を神様から頂くことによってのみ、過去の過ちを挽回できる健全な日韓関係や日中関係を生みだすことが出来るのではないかと思います。

                 外交は人間が行うことです。御国が天にあるごとく、地にもなされるまでは、残念ながら、民族や国家の文化や価値観の違いを乗り越えていく具体的で実務的な仕事が残されていきます。多くの平和を愛するクリスチャンの皆様の気持ちを揺るがし、不快にさせることは私が個人的に本意とするところではありませんが、人間である以上、個々の違いを乗り越えていく為にはタブー視するのではなく、大いにみんなで話し合っていけたらと考えます。

                とりとめもない長いコメントで失礼を致しました。

                どうかお許し下さい。
                | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 12:56 | - | - | - |
                一牧師による「自虐史観」についての見解をご紹介
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                   京都オンヌリキリスト教会の山中知義牧師が、今日、FBにて、「自虐史観」についての文章をアップされました。これは、連日とりあげている会への語り掛けと思われます。真実な悔い改めをもって、日韓の架け橋として執り成し祈ってこられた方ならではの文章と言えるでしょう。しかも、稀に見る名文であります。

                   当人のご許可をいただいた上でここにご紹介申し上げます。実名での転載をご許可下さった勇気に、心からの敬意を表します。では、以下にFBの文章を転載します。


                   「自虐的歴史観」などという言葉は、聖書も神様も知らぬ、どこかの未信者の方が、真理から程遠い政治的価値観からお作りになったもの。キリスト者が、このような俗語によって、国のために涙してとりなすという聖務を妨げられることがないように切に祈ります。

                   自国の歴史を精査し、過ちを過ちと明確化し、悔い改めの姿勢を明示することは、決して自国蔑視や先祖蔑視の姿勢ではありません。むしろ最も純粋な愛国の姿勢の現れと信じます。この国に「隠蔽」は似合いません。悔い改めとは、潔さであると信じます。日本はこの潔さに耐えられる国です。私たちは、聖書から、神への罪は神に、人への罪は人に潔く謝罪し、徹底して悔い改めることを教えられています。

                   ではいつまで謝罪するのか?癒されるまでです。誠意が届き、和解が確立するまでです。キリスト者は、それを時には、不快さを押し殺してでも遂行せねばなりません。聖書は悔い改めが、心地良く、清々しい行為であるとは保証していません。それでもクリスチャンは、誰かの癒しのため、和解と平和のため、国家のリバイバルのために涙し悔い改め、謝罪し続けるのです。

                   その努力を、教会指導者たちが「自虐的」と表するなどということは決してあってはならないことです。謝罪は勇気と謙遜の要る行為です。続けることは更に大きな勇気と謙遜さが求められます。そして赦すことには、その何倍もの勇気と謙遜さが求められます。両者は過去の過ちと痛みから学習し、同じ過ちに決別し、み旨にかなった平和な未来に向けて、聖なる戦いを共に戦っているのです。ここに神様の御心と栄光があることを信じているのです。

                   もしこの使命に共感頂けず、ご同意頂けなかったとしても、どうかこの道へ進もうとする聖徒たちの心を挫くことはなさらず、なるだけ温かい心で見守って頂くという訳にはいかないものでしょうか。
                  | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 21:44 | - | - | - |
                  ユダヤ人の陰謀か?政治団体の言論弾圧か?これは冗談。昨日の記事アップ後に爆弾メール
                  0
                     昨日の記事をアップして、2時間後程にメールを開くと、受信メール数が異常なスピードでアップ。これはヤバイと思い、メーラーを閉じることに。こういうのを「爆弾メール」というらしいです。試しに放置してみたら、4万通のメールを受信中で、いつまでも終わりません。

                     これは昨日の記事をアップしたことに対しての攻撃かもしれないと思い、同様の記事をアップした方のFBをチェックすると、キリスト教メディア関係者のFBが見れません。乗っ取られて削除されてしまのでは?と心配されましたが、今日になって復活。管理運営先に大量の苦情などが来ると、一時的に閉鎖されるのだそうです。選挙前ということもあり、こうしたことは時々あるのだとか。でも、これは、言論の自由の侵害だけでなく、立派な犯罪です。

                     おお、これが、あの有名なユダヤ人陰謀説なのか?それとも政治団体構成員からの言論弾圧か?私が不審死を遂げたら、イルミナティの仕業、産経新聞元ソウル支局長の気分・・・・などと、冗談を言っている場合ではなく、昨日は激おこぷんぷん丸状態でありました。


                     プロバイダーかメーラーか分かりませんが、最近はよくできているようで、爆弾爆弾メールはカットして、必要なメールの送受信は可能で感謝感謝。また、友人牧師には対処方法を教えていただき、一安心。

                     とは言え、念のためにお願いです。もし、メールの返事が三日たってもない場合は携帯メールやFBを通じて連絡を下さい。また、私のアドレスで不審なメールが行った場合には真に受けないで、私に知らせて下さい。また、同じ件をブログやFBで扱った方や、私のFB記事をシェアするなどした方は一応、ご注意ください。

                     きっと悪意をもった第三者の妨害かと予想します。まあ、こうしたことで萎縮してはならないでしょう。昨日の件については、今後も必要に応じて、お伝えしようと願っています。昨日の件で、教会が混乱することないよう、各自が聖書的で健全な判断ができるように、また、私のためにも、妨害がなくなり、ネット環境が守られるようお祈り下さい。
                    | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 17:33 | - | - | - |
                    君は「日本を愛するキリスト者の会」を知っているか?
                    0
                       多分、今週から、日本のキリスト教会で話題は「日本を愛するキリスト者の会」となりそうです。まだ、同会をご存知ない方のために以下のサイトを紹介します。

                      日本を愛するキリスト者の会」トップページ 
                      http://www.nihon-ai.com/index.html

                       こちらの設立趣意書を読めば、同会の本質はお分かりいただけるでしょう。日本社会においてキリスト教が「反日左翼宗教」との誤解を受けかねない現状を憂えて、日本のクリスチャンたちが「自虐史観」から目覚めることを願っているようです。こうした趣旨での会の設立が、朝日新聞の「従軍慰安婦報道」問題後でかつ選挙公示前というタイミングであるのは偶然ではないでしょう。

                       (後記)訂正します。同会の設立は解散の発表前でした。「大規模に広告で告知するタイミング」として訂正します。



                      さらにこちらの「会長・理事の紹介」を見れば、背後にある信仰理解や特定の思想などが推察できます。
                      http://www.nihon-ai.com/member.html


                      理事の中には「日本民族総福音化運動協議会」の要職を兼ねている方も。同協議会のサイトはこちらです。

                      日本民族総福音化運動協議会」トップページ
                      http://www.nihonminzoku-soufukuinka.com/index.html

                      同協議会の趣旨はこちらですが、ここには、歴史観には直接言及がありません。
                      http://www.nihonminzoku-soufukuinka.com/pg1.html

                      役員についてはこちらです。「日本を愛するキリスト者の会」の理事と半数が重なるのでは?
                      http://www.nihonminzoku-soufukuinka.com/pg2.html



                       今回の「日本を愛するキリスト者の会」の会長・理事のメンバーで注目すべきことが三点あると思います。一つは、二名がVIPクラブとCBMCの要職者であることです。もちろん、VIPクラブやCBMC自身とは無関係であり、個人的なことでしょう。ただ、私が存じ上げておりますVIPクラブとCBMCの要職者の中には、日ユ同祖論支持者が何名もいらっしゃるのは事実です。

                       二つ目は、クリスチャン政治家二名(民主党と維新)が理事に含まれていることです。このことは、「日本民族総福音化運動協議会」とは、異なる要素を、あるいは、より特化されたポリシーを同会が持っていることを予想させます。

                       三つ目には、私の知る限り従来から、日ユ同祖論を支持、あるいは提唱してこられた方が、多く含まれていることです。事実でないことを願いますが、理事の中には、靖国神社を参拝した方もおられるとの情報もネット上では確認しました。

                       読者の中には、日本を愛するクリスチャンは多くいらっしゃるでしょうが、どうも、「愛し方が違う」と、違和感を覚える方も少なくないことでしょう。



                       これだけでも、話題となるのですが、さらに同会が話題となる理由があります。それは「キリスト新聞」最新号(12/6)が、同会の全面広告を掲載したことです。賀川豊彦を創始者として、平和憲法を守ることをスローガンとしてきた「キリスト新聞」への広告掲載は、大きな議論を呼ぶことでしょう。いいえ、既に議論になっています。

                      松谷編集長のツイッターでは、香山リカさん(未受洗ですが礼拝出席者)まで、参加して議論が始まっています。
                      https://twitter.com/macchan1109

                       変節や広告料目当てとは思えないだけに、今後、読者から殺到するであろう苦情・抗議にどのような応答をするのか?には注目です。広告掲載の判断をした理由が、発信されなければ、同紙のポリシーに賛同してきた読者が納得しないでしょう。また、クリスチャン新聞にも同会の広告掲載依頼はあったと思われるのですが、やはり、掲載を断ったのでしょうか?

                      (後記1)いのちのことば社の上層部が、広告を掲載しない判断をしたとの情報を得ました。

                      (後記2)広告掲載についてのキリスト新聞社へのご意見は、以下の「読者の広場」から投稿してくださいとのこと。
                      http://www.kirishin.com/thisweek_content.html#readers01_header

                       

                       最後に個人的なコメントを少しだけ。クリスチャン個々の政治的見解も歴史観も多様であってよいと思います。ただ、その多様性にも、聖書の許容する範囲があるはずです。同会が健全であるかどうかの判断基準は、聖書より、日ユ同祖を優先的根拠として(時には日ユ同祖を聖書に読みこんで)、さらに宣教上の効果を聖書的妥当性より先行させて、特定の歴史観を形成し、政治的見解を主張しているか否かにあるかと思うのです。

                       つまり、「日ユ同祖論>聖書」、「宣教的効果>聖書的妥当性」の二点が判別ポイントだと私は見ているのです。ですから、同会の設立について考えるべき本質的基準は、政治思想や歴史観にではなく、信仰理解や聖書観にあると考えているのですが、どうでしょう?


                       これは私の推測に過ぎませんが、もし、以下のような論理があるとしたら、それは聖書からの逸脱なのでは?と心配します。

                      日ユ同祖→古代神道の神は聖書の神と同一→天皇家への宗教的敬意と皇国史観」

                       この論理の後に、実践として靖国参拝等の許容とナショナリズムによる宣教があるとしたら、なお心配ですが、私の推測が邪推であり、事実無根の誤解であることを願ってやみません。
                       

                       今年の6、7月には日ユ同祖論について、何度か記事を書きましたので、参考にして下さい。

                      日ユ同祖論についてのブログ記事を紹介 (07/22)

                      日ユ同祖論について知っておくべき歴史的事実 (07/23)

                      毎日新聞の連載「戦後70年に向けて:いま靖国から」に石井希尚師のバンドが (06/15)


                       というわけで、「日本を愛するキリスト者の会」のこのタイミングでの宣伝広告、その趣意書の内容、キリスト新聞への全面広告掲載の三つは、今週からキリスト教会の大きな話題となることでしょう。情報提供として、お役に立てば感謝なことです。
                      | ヤンキー牧師 | 日本を愛するキリスト者の会 | 12:48 | - | - | - |
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