2008.11.26 Wednesday
続・ツチノコ婚レポート
昨日は、この度、ツチノコ婚をされたhatokoさんからも、結婚の証しをいただきました。個人史をたどる中に現実の神様の摂理や二人の出会いの必然性を思わざるを得ません。ToshiさんもHatokoさんも、神様と周囲の交わりに育てられ、ツチノコ婚に至った事が良く分かります。読者の皆さんが現状がどうであれ、よき模範として参考にしていただければと願います。
鳩子‘sストーリー
家族と神様との出会い
父母、妹の4人家族の家庭に生まれました。「鳩のようにすなおでありなさい」との聖書の言葉から、神様に素直に生きるように「鳩子」と名づけられました。愛されていることを感じてのびのびと育ちました。また、幼い私にとって絶対的存在だった両親が信じている神様を自然に知るようになりました。
小学〜中学〜高校
小学校低学年のとき、夜の暗闇の中で死が恐いと感じたことがありました。「どうしたら地獄でなく天国にいけるの」という疑問から、自分の罪からの救い主として、この天地を造られた神様を信じました。洗礼を受けたのは高校1年のときでした。
家の周りが林だったので、毎日のように林を駆け回って基地を作ったり、木に登ったりして遊んでいました。擦り傷の耐えない子どもでした。一方で読書も大好きで、校内で一番図書室の本を借りて読んだ人に与えられる「年間多読者賞」を受賞しました。
小学校の頃から走るのが好きで、運動会ではリレーの選手、持久走大会でも好成績を収めていました。
中学に入り、陸上部に入部しました。専門は800mで、高校では県大会で決勝に出て入賞したこともありました。毎日部活をしに高校に通っていたと言えるほどでした。勉強は中の上くらいだった思います。要領が良く、一夜漬けが得意でした。
結婚願望と看護師志望
中学1年生のキャンプの時に「結婚のために祈り始めて早すぎることはない」とスタッフに言われ漠然と祈り始めました。中・高時代…、片想いはしました。けれど高校生とき、恋愛の領域も自分のものではなく神様の御手の中にあることを教えられ、付き合うなら結婚を考えられる人、と心に決めました。
小学3,4年生の頃から、神様の伝える人になりたい、人に役に立つことがしたいと思っていました。
活発で人が好きな私をみて母に「看護師がいいんじゃない」と言われたのがきっかけで、看護師になりたいと思うようになりました。その思いは変わることなく、まっすぐ看護の道を目指しました。しかし、志望大学には落ち、残された選択肢は看護学校だけでした。高校を卒業し、看護学校に入学し、○○会に集うようになりました。
私が○○に来たのと同じ2002年春、俊も進学のために浦和にやってきました。教会の学生会の中で共に過ごす時間もありましたが、俊はかなり苦手なタイプだったので意識的に距離を置いていました。俊が私を苦手なのも知っていました。
独身時代こそ自分を磨くチャンス!
…というサブタイトルの本と出会ったのは二十歳が目前に迫った2004年の春でした。結婚を願う以前に独身の今という時を、神様を知るため、神様と周りの人たちにお仕えするため、自分自身を成長させるために使いたい!と本気で思いました。忙しい看護の学びの傍ら、教会で小学生のスタッフをし、休みには奥多摩のキャンプでの奉仕に喜びを感じていました。看護学校時代の友達には「鳩子はいつも教会って言ってるよね」と言われるほどでした。
求めなさい、そうすれば与えられます
楽しく、充実していましたが、結婚のために祈ることはしなくなり、むしろ結婚しなくてもいいと思うようになっていました。男性のクリスチャンの良い友だちもいましたが、彼らとはある程度の距離を取るべきであることもいろいろな出来事を通して学んでいきました。
そんな私に神様は、弱さや欠けをたくさん示されました。その弱さを隠すための強がりが人を傷つけていたことにも気付きました。こんな私が神様にお仕えしていくためには、私にもふさわしい助け手が必要なのではないかと真剣に思い始めました。こうしてもう一度、結婚を願い、祈り始めました。
探しなさい、そうすれば見つかります
俊と出会って3年目頃から、彼が少しずつ変えられて成長している様子を見聞きするようになりました。神様にお仕えすることを喜び、主にあって成長しようとしている俊が、私が祈っていた結婚相手への条件と重なってきていることに気付きました。実際にその頃には俊とはいろんなことを話すようになっていました。この人と一緒に肩を並べて、神様を見上げて歩めたらいいなぁ」、「きっとこの人じゃないかな、とこっそり思っていました。神様に「この人ですか?」と祈りつつ、「この想いが神様からのものでないのなら去らせてください」とも祈る苦しい時期でした。俊が祈っている人がいるのも知っていたからです。
叩きなさい、そうすれば開かれます
看護師として働き始める少し前から、回りの人たちにも「ふたりは息が合うね」とか「仲がいいね」と言われることが出てきました。祈祷会の帰りに一緒にご飯を食べて帰ることも数回ありました。友としてよい距離はどのくらいか悩み、神様の前に誠実に歩みたいと思い、俊と距離を取ろうと決心しました。2006年6月のある日、勇気を出してこの決心を伝えました。
どうしたらよい友達としていられるか話したのに、俊からお付き合いすることを提案されました。俊にそんな思いがあったことが信じられず、驚きました。お付き合いを始めていいのか、それぞれで神様の前に祈って考えることにしました。
この数ヶ月の期間に気付かされたことは、神様が私の思いを遥かに超えたところで働き、これまでの私の小さな祈りにも一つずつ答えてくださっていることでした。そして、その結果として今目の前に道が開かれていることでした。神様が赦してくださるのなら、俊と一緒に結婚のために祈っていきたいと思いました。神様が前に進むことを赦してくださっていることを確信し、2006年10月、お付き合いが始まりました。
少しずつ性格が丸くなる
看護師という不規則勤務の私なので、ふたりの都合がつく時に夕飯を食べて数時間お喋りするのが定番のデートコースです。育った環境やそこから受けている影響、ものの感じ方、考え方など、たくさん話しました。俊はよく話を聞いてくれて、私の弱さもまるごと受け止めてくれました。他にも俊の素敵な部分をたくさん知りました。逆に自分の弱さやプライドの高さをたくさん見えるようになりました。強がって生きていた私がだんだん自由に、楽に生きることができるようになっていきました。そのうち周りの人から「丸くなったね」とか、母からは「俊くんと付き合い始めてから表情がよくなったね」と言われたりもしました。
結婚の確信と平安
お付き合いを始めて数ヶ月したとき、創世記で眠っているアダムのところにエバを神様が連れてきた箇所を読みました。私たちも神様によって出会わされたことを思い、このお付き合いが神様によって導かれていることを確信していました。しかしいざ結婚となると「まだ若いのでは?」と躊躇していました。
2007年9月、神様が与えてくださっているものを感謝して受け取れてい ないのは、十字架の救いを受け入れていないことと同じであることを示されました。まさに受け取れていないのが俊のことでした。しばらく決断できずにいましたが、神様のみことばに従えていない私の罪であることに気付き、俊を神様が与えてくれた結婚相手として、感謝して受け取る決心をしました。けれどこのことを俊に伝えるかどうか迷いました。祈っている段階の俊の心を焦らせたくないと思ったからです。
しかし、私が神様からの確信をいただいた日と同じ日に、神様が俊にも語られたことがありました。それを聞いた時、神様が私たちの間にいてくださり、すべてを働かせて益としてくださることをもう一度知りました。少ししてから俊にも結婚の確信が与えられたことを伝えられました。
婚約から結婚へ
2008年2月9日。雪の降る寒い日に婚約しました。神様の導きと、周りの人たちの祈りを感じる時でしたが、数週間すると、本当にこの人と結婚していけるかな?という漠然とした不安が出てきました。けれど、性格が合うから結婚するのではなく、うまくいきそうな相手だから結婚するのではなく、神様が用意してくれた相手だから結婚するのだということにもう一度気付くことができました。
いったい私の何が俊を助けられるのかわかりませんが、これからは神様にお仕えするように、俊を喜んで愛していけたらいいと思っています。また、俊と一緒に神様を礼拝し、神様にお仕えできることが楽しみです。
『神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何一つありません。神のことばと祈りとによって聖められるからです。』
?テモテ4章4、5節
鳩子‘sストーリー
家族と神様との出会い
父母、妹の4人家族の家庭に生まれました。「鳩のようにすなおでありなさい」との聖書の言葉から、神様に素直に生きるように「鳩子」と名づけられました。愛されていることを感じてのびのびと育ちました。また、幼い私にとって絶対的存在だった両親が信じている神様を自然に知るようになりました。
小学〜中学〜高校
小学校低学年のとき、夜の暗闇の中で死が恐いと感じたことがありました。「どうしたら地獄でなく天国にいけるの」という疑問から、自分の罪からの救い主として、この天地を造られた神様を信じました。洗礼を受けたのは高校1年のときでした。
家の周りが林だったので、毎日のように林を駆け回って基地を作ったり、木に登ったりして遊んでいました。擦り傷の耐えない子どもでした。一方で読書も大好きで、校内で一番図書室の本を借りて読んだ人に与えられる「年間多読者賞」を受賞しました。
小学校の頃から走るのが好きで、運動会ではリレーの選手、持久走大会でも好成績を収めていました。
中学に入り、陸上部に入部しました。専門は800mで、高校では県大会で決勝に出て入賞したこともありました。毎日部活をしに高校に通っていたと言えるほどでした。勉強は中の上くらいだった思います。要領が良く、一夜漬けが得意でした。
結婚願望と看護師志望
中学1年生のキャンプの時に「結婚のために祈り始めて早すぎることはない」とスタッフに言われ漠然と祈り始めました。中・高時代…、片想いはしました。けれど高校生とき、恋愛の領域も自分のものではなく神様の御手の中にあることを教えられ、付き合うなら結婚を考えられる人、と心に決めました。
小学3,4年生の頃から、神様の伝える人になりたい、人に役に立つことがしたいと思っていました。
活発で人が好きな私をみて母に「看護師がいいんじゃない」と言われたのがきっかけで、看護師になりたいと思うようになりました。その思いは変わることなく、まっすぐ看護の道を目指しました。しかし、志望大学には落ち、残された選択肢は看護学校だけでした。高校を卒業し、看護学校に入学し、○○会に集うようになりました。
私が○○に来たのと同じ2002年春、俊も進学のために浦和にやってきました。教会の学生会の中で共に過ごす時間もありましたが、俊はかなり苦手なタイプだったので意識的に距離を置いていました。俊が私を苦手なのも知っていました。
独身時代こそ自分を磨くチャンス!
…というサブタイトルの本と出会ったのは二十歳が目前に迫った2004年の春でした。結婚を願う以前に独身の今という時を、神様を知るため、神様と周りの人たちにお仕えするため、自分自身を成長させるために使いたい!と本気で思いました。忙しい看護の学びの傍ら、教会で小学生のスタッフをし、休みには奥多摩のキャンプでの奉仕に喜びを感じていました。看護学校時代の友達には「鳩子はいつも教会って言ってるよね」と言われるほどでした。
求めなさい、そうすれば与えられます
楽しく、充実していましたが、結婚のために祈ることはしなくなり、むしろ結婚しなくてもいいと思うようになっていました。男性のクリスチャンの良い友だちもいましたが、彼らとはある程度の距離を取るべきであることもいろいろな出来事を通して学んでいきました。
そんな私に神様は、弱さや欠けをたくさん示されました。その弱さを隠すための強がりが人を傷つけていたことにも気付きました。こんな私が神様にお仕えしていくためには、私にもふさわしい助け手が必要なのではないかと真剣に思い始めました。こうしてもう一度、結婚を願い、祈り始めました。
探しなさい、そうすれば見つかります
俊と出会って3年目頃から、彼が少しずつ変えられて成長している様子を見聞きするようになりました。神様にお仕えすることを喜び、主にあって成長しようとしている俊が、私が祈っていた結婚相手への条件と重なってきていることに気付きました。実際にその頃には俊とはいろんなことを話すようになっていました。この人と一緒に肩を並べて、神様を見上げて歩めたらいいなぁ」、「きっとこの人じゃないかな、とこっそり思っていました。神様に「この人ですか?」と祈りつつ、「この想いが神様からのものでないのなら去らせてください」とも祈る苦しい時期でした。俊が祈っている人がいるのも知っていたからです。
叩きなさい、そうすれば開かれます
看護師として働き始める少し前から、回りの人たちにも「ふたりは息が合うね」とか「仲がいいね」と言われることが出てきました。祈祷会の帰りに一緒にご飯を食べて帰ることも数回ありました。友としてよい距離はどのくらいか悩み、神様の前に誠実に歩みたいと思い、俊と距離を取ろうと決心しました。2006年6月のある日、勇気を出してこの決心を伝えました。
どうしたらよい友達としていられるか話したのに、俊からお付き合いすることを提案されました。俊にそんな思いがあったことが信じられず、驚きました。お付き合いを始めていいのか、それぞれで神様の前に祈って考えることにしました。
この数ヶ月の期間に気付かされたことは、神様が私の思いを遥かに超えたところで働き、これまでの私の小さな祈りにも一つずつ答えてくださっていることでした。そして、その結果として今目の前に道が開かれていることでした。神様が赦してくださるのなら、俊と一緒に結婚のために祈っていきたいと思いました。神様が前に進むことを赦してくださっていることを確信し、2006年10月、お付き合いが始まりました。
少しずつ性格が丸くなる
看護師という不規則勤務の私なので、ふたりの都合がつく時に夕飯を食べて数時間お喋りするのが定番のデートコースです。育った環境やそこから受けている影響、ものの感じ方、考え方など、たくさん話しました。俊はよく話を聞いてくれて、私の弱さもまるごと受け止めてくれました。他にも俊の素敵な部分をたくさん知りました。逆に自分の弱さやプライドの高さをたくさん見えるようになりました。強がって生きていた私がだんだん自由に、楽に生きることができるようになっていきました。そのうち周りの人から「丸くなったね」とか、母からは「俊くんと付き合い始めてから表情がよくなったね」と言われたりもしました。
結婚の確信と平安
お付き合いを始めて数ヶ月したとき、創世記で眠っているアダムのところにエバを神様が連れてきた箇所を読みました。私たちも神様によって出会わされたことを思い、このお付き合いが神様によって導かれていることを確信していました。しかしいざ結婚となると「まだ若いのでは?」と躊躇していました。
2007年9月、神様が与えてくださっているものを感謝して受け取れてい ないのは、十字架の救いを受け入れていないことと同じであることを示されました。まさに受け取れていないのが俊のことでした。しばらく決断できずにいましたが、神様のみことばに従えていない私の罪であることに気付き、俊を神様が与えてくれた結婚相手として、感謝して受け取る決心をしました。けれどこのことを俊に伝えるかどうか迷いました。祈っている段階の俊の心を焦らせたくないと思ったからです。
しかし、私が神様からの確信をいただいた日と同じ日に、神様が俊にも語られたことがありました。それを聞いた時、神様が私たちの間にいてくださり、すべてを働かせて益としてくださることをもう一度知りました。少ししてから俊にも結婚の確信が与えられたことを伝えられました。
婚約から結婚へ
2008年2月9日。雪の降る寒い日に婚約しました。神様の導きと、周りの人たちの祈りを感じる時でしたが、数週間すると、本当にこの人と結婚していけるかな?という漠然とした不安が出てきました。けれど、性格が合うから結婚するのではなく、うまくいきそうな相手だから結婚するのではなく、神様が用意してくれた相手だから結婚するのだということにもう一度気付くことができました。
いったい私の何が俊を助けられるのかわかりませんが、これからは神様にお仕えするように、俊を喜んで愛していけたらいいと思っています。また、俊と一緒に神様を礼拝し、神様にお仕えできることが楽しみです。
『神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何一つありません。神のことばと祈りとによって聖められるからです。』
?テモテ4章4、5節