命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
「夫に従いたい」と思えるようになれたら・・・
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     今日は別の面から、妻が夫に従うことについて記してみます。

     先日、数年前に結婚されたクリスチャン女性から、意義深いお話をお聞きしました。その方は、クリスチャンとの結婚を願っていましたが、自分の中でどうしても聖書の結婚観にひっかかることがありました。それは、「妻は夫に従うべき」との聖書の教えです。「なぜ、従わなくてはならないのか?」とどうしても受け入れられなかったようです。

     ところが、ある環境の変化を機にクリスチャンとして成長したのでしょう。「従いたい」と思えるようになったのです。そうしたら、すぐに現在の夫との結婚に導かれたのです。

     どうも、神様が彼女を待たせていたのではなく、彼女の方が、神様をお待たせしていたようです。

     既婚者のクリスチャン女性からも、夫に従う決断と実行をしたら、夫が成長して、やがて、喜んで従える夫になり、結婚本来の祝福を実感できたとの証しは、時々お聞きします。

     聖書の教えですから、「騙されたと思って実行してごらんなさい」とは申しません。「騙されませんから、実行してごらんなさい」とお勧めします。昨日の記事で言うなら「ため息、舌打ち、沈黙」を繰り返す妻になる前に、実行していただきたいと願うのです。さらに「実行もしないで文句を言っててもなー。それって、病院にも行かず、薬も飲まずに病気がよくならないと文句言っているようなことなんだけどなー」という牧師にありがちなボヤキを付け加えておきます。


     一人子さえ惜しまず与えられた愛の神様は、ご自分の民を祝福したくてたまらないはずです。その祝福にあずかるかどうかを決めるのは、私たちが聖書の言葉に従う祝福体質のクリスチャン」か、従わずに文句ばかりを言う「祝福妨害体質のクリスチャン」かなのでしょう。

     今日の記事は、結婚を願うクリスチャン女性と既婚者女性へのチャレンジとして受け止めていただければ、幸いです。
    | ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 23:38 | - | - | - |
    妻のため息、舌打ち、沈黙を考える
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       昨日の午後、運転中に、北野誠さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組を聞いておりました。テーマは「プレッシャー」で、リスナーから寄せられた「プレッシャー」の経験談やそれについての意見が読まれていました。その中で既婚者男性から寄せられた一つのお便りがすごかったです。

       「私にとってのプレッシャーは、

        嫁のため息

        嫁の舌打ち

        嫁の沈黙です。」


       いやー、これはプレッシャーですね。恐怖や極度のストレス、耐え難い嫌悪という男性もおられるのでは?

       夫の前でのこれ見よがしのため息

       夫の聞こえるようにする舌打ち

       夫が話しかけても無反応の沈黙・・・。


       これは、夫の上に君臨してしまった妻によく見られる現象であります。こうした行為に走る妻の事情と心情はごもっともでしょう。男性である夫の女々しさ愚かさ幼稚さ、課題に向き合わない不誠実さ、ごまかそうとする卑劣さ・・・。「女々しくて、女々しくて、女々しくて、つらいよー」と叫びたいのは、男性当人だけでなく、そんな男と結婚した妻の方です。さらに妻が怒りを伝え、改善を要求しても、同じことの繰り返しなら、こうなってしまうのはごもっとも。何も、妻の側だけが悪いは申しません。大いに同情もしますし、理解もします。

       でも、こうした夫婦関係になってしまったら、神様が望まれる本来の祝福された結婚ではないだけではなく、祝福に向けて回復することができなくなってしまいます。

       夫はプレッシャーを覚えて委縮するばかり。改善努力より、妻のご機嫌伺いにエネルギーを費やします。妻に向き合うことがいよいよ苦痛やストレスになります。夫は家庭にいたがらず、仕事や趣味に逃げてしまい、ますます夫婦関係は希薄になります。さらには、妻からの拒絶感や疎外感は、夫の不倫願望を芽生えさせ、それに拍車をかけてしまうことも。

       妻の夫へのため息、舌打ち、沈黙は、祝福されない結婚関係を示す現象であるとともに、夫婦関係を再起不能にしかねない行為だと私は思います。こんなことをするなら、諦めずに、はっきりと怒りや不満を伝え続けることかと思います。あるいは、専門家や第三者に相談して、夫婦関係の改善のために、具体的努力をすべきでしょう。

       結婚においては、どちらかが100%悪いということは、まずありません。「夫が悪いから」という理由は、妻が繰り返す「ため息、舌打ち、沈黙」という神様が喜ばれない行為正当化するものではありません。夫はどうであれ、妻は聖書の教えに従う選択は可能です。多くの夫婦において、より悪くない方が、自分の責任として、聖書に従うことが、夫婦関係回復のきっかけになるものです。

       夫婦においては、より悪い方が自覚がなかったり、責任回避をするものです。ですから、より悪くない方が、責任を果たし、み言葉に従うかどうかが、カギとなるのです。夫婦は神が一心同体とした男女です。二人で一人なのです。ですから、夫婦は「二人の個人責任者」であると共に、「一人の共同責任者」であることを忘れてはなりません。

       相手の責任放棄を理由に自らの責任を放棄する姿、改善努力に努めず、かといって諦め切ることも、別れることもない「熱くも冷たくもない態度」の現われこそが、ため息、舌打ち、沈黙の三つなのでしょう。そして、この三つは、現代日本の夫婦の残念な一面を、如実に表しているように思えてなりません。
       
       この三つ、身に覚えのある方も、ない方も一度考えてみてはどうでしょう?
      | ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 10:52 | - | - | - |
      以前のジェンダー論についての記事を再度アップ
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         本ブログのここ三か月のリンク元を調べてみたら、ある特定の記事を紹介してくださった(多分)ツイッターが、大量のリンク元となっていることが判明しました。そのリンク先は、2013年12月17日の記事で、タイトルは、「人生いろいろ、聖書解釈もいろいろ、ジェンダー論もいろいろ?」。

         ジェンダーとは、日本語に置き換えると「性役割」のこと。「家庭や社会において男女それぞれの役割をどう考えるか?」「聖書は何と言っているか?」は、教会と信仰生活にとって極めて重大な問題ですが、同時に、決着もつかず、責任ある見解が発信されることも少ないまま、非聖書的な男性主義がまかり通っているのが、日本の教会の現状ではないかと個人的には、危惧しています。

         今回、この記事を、自ら改めて読んでみて、それなりに有意義かなと思えたので、改めてアップして、お読みいただくことにしました。少しだけ、編集と加筆をしていますので、ご了承を。では、ご一読を。

         
        人生いろいろ、聖書解釈もいろいろ、ジェンダー論もいろいろ?

         Ministry最新号の牧師夫人特集で、考えさせられたことの一つは、ジェンダー論であります。牧師夫人という立場や地位の問題以前に(ほとんどの牧師の伴侶は女性なので)聖書的女性観が問われる面もあるわけです。この特集に寄せられた「信徒の声」がいくつか掲載されていたのですが、私にとっては、ちょっと驚きを覚えるような声がありました。以下のようなものです。

         「牧師の配偶者という表現そのものがおかしい。牧師夫人でいい。女性は助け手補助者従属的存在として、創造され、女性の犯した罪によってその役割はさらに強化された。女性の役割は服従と子どもを産むことである。牧師夫人が徹底して牧師である夫に服従することによって、クリスチャンホームの模範となり、よい証しになる。」(30代信徒)

         多分、信徒からの多様な声の一つとして、少し極端な意見を紹介するという意味で、掲載されてたのでしょう。ちょっと驚いたのは、この声の主が(多分)30代の男性だということ。男尊女卑傾向が色濃く残る世代で、教会からもそうした傾向の信仰理解を聞いてきた世代なら、理解できますが、30代とは驚きです。これは、個人的な信仰理解ではなく、多分、この方の所属教会や団体では、こうした女性観が聖書的なものとして、語られ、教えられているのでしょう。

         ここまで極端でなくても、これに準ずる女性観をクリスチャンから、お聞きすることがあります。これは私の見解ですが、どうもこうした女性観は、聖書の字義通りの文言だけで、教理を打ち立てているところに由来するように思います。聖書全体との整合性、その聖句が語られている文脈原語からの語義の確定、文化的歴史的背景などの考慮がないために、字義通りに受け止めることが、かえって、聖書が本来伝えようとするところから逸脱させているのでは?と考えるのです。

         確かに女性は男性の「助け手」として創造されましたが、それは、補助的存在を意味しないでしょう。「助け手」と訳される「エゼル」は「エリエゼル(神は助け手)」と神様に使用されることからも分かるように、補助的存在を意味する言葉ではりません。むしろ、その存在がなければ、自分が成り立たないほどの本質的存在を意味するようです。「助け手」としての創造は、補助的存在どころか、むしろ本質的存在であることを聖書は示しているのでは?

         また、「女性の犯した罪によってその役割はさらに強化」というのは、創世記3章の記述を差しているのでしょう。妻が夫に「従属」(あるいは依存)せざるを得ないのは、創世記3章が描く「呪われた結婚関係」ではないでしょうか?「支配と依存」という結婚関係は、神を離れ、祝福を失った結婚の典型であり、聖書はそこからの回復を私たちに命じているはずです。ならば、この呪いからの回復こそが、クリスチャン夫婦の本分で、証しであるはず。「夫は妻のかしら」というのも、神の秩序を定めているのであって、「夫が支配し、妻が服従する」という役割を定めたわけではないでしょう。

         そもそも妻が夫に「従う」とは「従属」や「言いなりになること」とは異なるでしょう。妻は夫との人格的交わりに生きるものとして、創造されています。権力関係の故に妻が夫に従属する呪われた結婚関係を、福音と信仰によって克服し人格的愛の関係において、夫を尊敬し、その意図や言葉を尊重することが、従うことだと私は理解しています。「従属」「服従」というよりは、「愛従」「敬従」と表現するのが聖書的かと私は考えます。


         「女性の役割は子どもを産むこと」との主張は、汽謄皀藤押В隠気痢屬靴し、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。」が根拠かと思います。この箇所は、女性の本分の一つとしての出産を示しているのであって、役割としての出産を示しているようには私は読めません。

         さらには、パウロ書簡に記されている女性の役割や立場は、当時のギリシャ・ローマ世界やユダヤ人文化の背景故の一時的な限定されたもので、普遍的な女性の性役割を示しているのではないとの見解もあります。もちろん、その判別は困難ですし、議論の的になります。しかし、少なくとも時代文化的背景を無視して、字義通りに解釈するなら、女性は、かぶりものをして、教会では黙っていることなります。

         こうなると、明らかに普遍的な真理として示されている「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」とのガラ3:28の言葉との整合性がなくなるでしょう。

          どうも、全体的な発想として、結婚関係を人格関係でなく、機能的関係として、愛情関係でなく権力関係としてとらえているように感じます。前者を示す聖句は顧みず後者を支持すると受け止められる聖書箇所のみから、教理を打ち立てているように思えるのですがどうでしょう?また、時代や文化や文脈を無視して、女性についての記述を取り出して、字義通りに解釈して、より普遍的な真理との整合性を失っているようにも思えるのです。

         「牧師夫人が徹底して牧師である夫に服従することによって、クリスチャンホームの模範となり、よい証しになる。」というのも、私は正反対だと思います。もちろん、夫である牧師を愛し尊敬して、その意向を最大限に尊重して従う姿は、模範でしょう。しかし、この信徒さんがイメージするような夫婦関係は、むしろ非聖書的な呪われた結婚関係を子どもや信徒に示すこととなるのではと危惧してしまいます。また、私の経験では、カルト牧師や逸脱行為に走る牧師の伴侶は、主体性がなく夫に従属するタイプの女性であるケースが多いように観察しています。

         聖書的ジェンダー論は、多様であらざるを得ないでしょうし、聖書観や聖書解釈によって、かなりの幅があるのは、避けられないでしょう。しかし、明らかに間違った聖書解釈によるものや男性主義を聖書に読み込むような女性論だけは、なんとか、キリスト教会で間違いが指摘され、訂正・克服されるべきと考えている私です。

         時にそうした聖書的かどうかと思える女性観故に間違った苦しみの中にある女性呪われた結婚関係に生きるクリスチャン夫婦を、お見かけしてきた一人として、痛切にその必要を感じています。30代の信徒の声から、こんなことを考えさせられました。
        | ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 15:39 | - | - | - |
        「女の一生」が「活動依存症」でいいのかよ?
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           モーパッサンは名作「女の一生」を記しましたが、今回は現代日本における「女の一生」を考えてみました。「就活」同様、今や「婚活」は標準語。近年は「妊活」なる言葉も登場したのだとか。ならばと、昨日の記事では「育活」を考えた次第であります。

           さらに、今後、予想されるのは、介護活動を略しての「介活」。介護制度を学び、理解し、介護に備えるのです。中には、夫婦の親のためだけに介護士の免許を取得する女性も。そして、介護が必要になれば、学びと訓練の成果を発揮するのです。

           そして、最後は、「死活」であります。遺書を書き、遺品を整理し、生命保険にも加入します。何より安心して死ねるように、死を学びます。今後、日本においては、死ぬことすら一つの活動として位置づけられかねません。

           こう考えると、日本社会においては、成人後の「女の一生」は活動に終始します。まず、社会参加するに際しては、「就活」です。その後、結婚を願うなら「婚活」をし、妊娠出産を願って「妊活」に励みます。妊活成功のあかつきには、育活がスタート。子どもの自立が見えてくる育活末期になれば、次は、自分か夫の親に対しての「介活」であります。介活もし終われば、次は「死活」で終了。

           就活、婚活、妊活、育活、介活、死活・・・・・。かくして、女の一生は全部、「」となります。現代の日本では、ほとんどの女性が社会参加します。非婚女性が増えたとは言え、80%以上の女性は結婚し、そのうち90%弱の女性は、妊娠出産を経験するようです。さらには、女性の90%以上は、自分か夫の親の介護をすると言われています。そして、100%の女性が例外なく、死亡します。ですから、日本の女性の多くは、「就活、婚活、妊活、育活、介活、死活」というこの活動の連続のレールの上を歩くのが「女の一生」となっているわけです。

           何でもかんでも、活動としてしまう現代日本社会の発想には怖さを覚えます。就職を除いた結婚、妊娠、育児、介護、死は、すべて、活動というより関係です。一つ一つは、達成すべき行為というより、向き合うべき人格の問題です。結婚は夫、妊娠育児は子ども、介護は老いた親、死は自らの存在に向かい合う人格の問題に他なりません。

           それを、まるで達成目標のように、就職、結婚、妊娠、育児、介護、死を扱いかねない現代の思想的流れを個人的には残念に思っています。その達成を目指して、女性たちが、焦り競いながら、活動に終始する一生を終えていくなら、それは何と乏しい生き方でしょう。まるで、就職、結婚、妊娠、育児、介護、それらすべてを達成して、死を迎えたら、立派な女性の生涯と言わんばかりです。

           それは、あまりに画一的な評価基準です。それは「世間の目」の評価基準でしょうか?それとも、周囲にあふれる声によって女性たちが信じさせられている「刷り込み」でしょうか?そして、人や世間からどう評価されるかを気にしながら、すべての活動を成し遂ることによって、安心を得たり、アイデンティティーを獲得し、自己価値確認をしていくのでしょうか?

           そうした世間が決めたりマスコミが刷り込む「諸活動」によって、自分を保ち、自己価値を確認する歩みは、女性の主体的な生き方とは正反対のものでしょう。さらに申し上げれば、神との関係でアイデンティティーを確立し、神の愛による自己価値確認に生きるはずのクリスチャン女性には、最もふさわしくない歩みと言わざるを得ません。

           なぜなら、そうした「活動依存症」とでも言うべきあり方は、神を持たないことから由来していると考えるからです。私たちに揺ぎ無いアイデンティティーと自己価値を与えるのは神です。現代女性の「活動依存症」は、神の代理機能に由来するものだからです。

           さらに申し上げるなら、すべてが機械的となり、人格性を失ってきた社会に生きながら、夫、子ども、老いた両親、死すべき自らと人格的に向き合うことがイメージできなくなった現代人の悲劇もあると思うのです。人格と向き合えず、そこに喜びや安心を感じられなくなってきた現代人が、人格行為である結婚、妊娠、育児、介護、さらには、死までもを達成すべきステータスに置き換えたのでしょう。

           世間の目、マスコミの刷り込みに動かされ、活動依存となり、「諸活動」をなぞり、ベルトコンベアの上に乗せられるような生涯で終わっていくのでしょうか?それとも、常に神との関係で自らを見つめ、日々出会う人格との交わりを大切にし、就職、結婚、妊娠出産、育児、介護などをするしないも含めて、主にある主体性をもって、選び取り、主の栄光を現す「女の一生」を送るのでしょうか?

           今後、女性の生きていくステージを何でも「活動」にしてしまい、「その達成を果たす女性が勝ち組」との安易で画一的な価値観が日本社会に普及してしまうかもしれません。そうした社会と時代だからこそ、クリスチャン女性の生き方が問われ、証しともなっていくと期待しています。

           どうしても、男性以上に、人生のステージが大きく変化し、様々な生理的、社会的制限に縛られがちな女性の皆様にとって、今回の記事が参考になれば感謝。
          | ヤンキー牧師 | 妻の課題と成長 | 18:22 | - | - | - |
          夫を責めるなら、腹八分目で
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             賢明な既婚者女性や人間的にもと成熟した妻たちから、よくお聞きする言葉にこんなのがあります。

            「また、夫を責めてしまった。」
            「夫を追い詰めてしまうのが自分の課題」
            「いけないと思っていても夫をどうしても責めてしまう」

             そうおっしゃって、嘆いたり、反省したり、自己嫌悪に陥ったり、というわけです。こういう発言をお聞きするのは賢明、あるいは成熟した既婚者女性ばかりです。賢明で、成熟しており、男性理解と自己客観視能力があるから、そうなるのです。夫を責めたり、追い詰めたりすることで、自分が問題解決を妨げているという自覚があるのです。あるいはそれによって、夫婦関係が良くならないのを分かっていながら、してしまう自分の問題に向き合っているのです。夫の方が悪くても、自分の側の問題を自覚している点で、ある意味レベルの高い悩みというわけです。

             大変なのが、「夫が悪いのだから責めて当然」「追い詰めないと気がすまない」「それが悪いとは思わない」という妻たちであります。夫が同じ問題を繰り返し、改善しないことの一因が自分にあることを自覚したり、認めたりしないのですから、いよいよ問題は深刻化しかねません。

             一方的に責められたり、追い詰められたりすると、誠実な夫であっても、愛情や妻のため努力する意欲を失います。自分や事態を改善する気持ちが萎えるものです。女性から見れば、勝手な言い分でしょうが、これが多くの男性の現実です。なぜか、そうなるのです。

             不誠実な男性になってきますと、追い詰められると手負いの熊状態になりかねません。一発逆転勝利を狙って肉体的暴力に訴えたり、言ってはならぬ欠点の指摘、結婚を壊しかねない発言などの暴言を吐きます。こうなると夫婦喧嘩は破滅的方向へ。

             もっと困った男性はこうした妻に嫌気が差し、癒し系女性や自分を理解し受け止めてくれる女性対して、浮気心をいだいていくそうですよ。これを実行すれば結婚は事実上の破綻でしょう。

             ですから既婚者女性へのおすすめは、「夫を責めるなら腹八分目」ということ。

             夫を責める始めると、多くの妻たちは、夫や結婚関係の改善など、本来の目的を強い感情の故に忘れてしまいます。その結果、夫を責める言動は、「目的達成型」から「感情発散型」へと変質。感情発散が目的となれば、自分がスッキリするまで、あるいは相手がペシャンコになるまで、責め続けてしまいます。そして、追い詰めてしまう結果に。

             満腹になるまで責め続ければ、妻は一時的満腹感。しかし、夫の側は、改善するエネルギーを奪われてしまいます。それどころが逆に、逸脱行為への誘惑を産んでしまうことも。

             というわけで、賢明な妻の皆様は、どうか、夫を責める時には、腹八分目で、夫に改善の余力を残してやって下さい。感情に支配される前に、深呼吸でもされて、本来の目的を確認されてはどうでしょう?

             何?男の身勝手だって?その通りでしょうが、動かしがたい現実として受け止めていただければ幸いです。
            | | 妻の課題と成長 | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
            女性が結婚について信じている嘘
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               最近「女性が信じる40の嘘」(いのちのことば社、2000円+税)を購読。大変、教えられました。そして、「これ、あるある!」「聖書と正反対のこの嘘、信じてるクリスチャン女性いるいる!」そんな心の声が連発。同時に「この嘘、男性クリスチャンも信じてる」という内容も。エデンの園で蛇の嘘を信じてしまったエバ以来、女性は嘘の言葉に騙されやすいという主張を前提にした書物。(私はアダムも五十歩百歩だと思いますが・・・)

               これはクリスチャン女性にはお勧めですね。めちゃめちゃ分かりやすくて読みやすいです。しかも、一つ一つの嘘の反論にがしっかりと記されています。

               女性が「神」「自分」「罪」「優先順位」「結婚」「子ども」「感情」「境遇」について信じている嘘を列挙し聖書の真理とそれを実証する証しで反論するという至ってシンプルにして力強いアプローチとコンセプト。

               本ブログ的に面白いのは「女性が結婚について信じている嘘」。その嘘の内容は以下の通り。
              「幸せになるため夫が必要だ」
              伴侶を変えることは私の責任だ」
              「夫が私に仕えるのは当然だ」
              「夫に従えば、私はみじめになる」
              「夫が消極的なら、私が主導権を取らなければならない。そうしなければ何もできない」

               アメリカ的だなーと思う項目もありますが、どうでしょう?これらの嘘の幾つかを信じてませんか?既に嘘に騙されて、それを実行に移して結婚生活を継続してきた、これまでの女性としての人生を歩んできたなどということはないでしょうか?そうした方は、今からでも遅くありません。是非とも、嘘に騙されていたことに気がついて、聖書の真理を選び取り、本来の人生や祝福された結婚生活への軌道修正をしていただければと願います。

              「夫に従えば、私はみじめになる」の項目にはさらに下位に次のような「服従についての嘘」が四つ記されており、聖書によって嘘であることが暴露されています。

              「妻は夫より劣っている
              「夫は妻のかしらとして、妻に厳しくしたり、独裁的にふるまうことをゆるされている」
              「妻は夫にアドバイスしたり、意見を言ったりしてはならない」
              「夫はいつも正しい

               どうも日本のクリスチャンの結婚理解の中には、封建的な男尊女卑を福音で接木したような要素があるのではないか?と常々危惧をしております。クリスチャン妻たちの結婚に対する満足度の低さの一因もそこにあるのではないかと時々思ってしまいます。 

               残念ながら、日本のクリスチャン妻の中にはこうした嘘を信じてしまっている方も少なくないのでは?男性にとっては都合のよいこうした嘘を巧みに利用している悪質なクリスチャン夫もいるとかいないとか・・・。この嘘の四つともを信じているクリスチャン夫婦がいたら、それは「クリスチャン夫婦のカルト化」と表現してよい程、反聖書的で不健全ではないか?とすら私は思います。

               個人的にはアメリカ的、保守的傾向が強いかな?とは思いますが、トータルとしては、大いに評価したいです。聖書の真理は女性を解放します。真の女性解放は聖書にあるのでしょう。

               是非、ご一読を!これを読んで、世にも悪魔にも男性にも騙されない「曲げられない女」「まっすぐな女」になりましょう。嘘に騙されていたことに気がつき、真理を選択し、女性としての主にある解放を体験されますよう願っています。

               同著の検索はこちらから。
              http://www.wlpm.or.jp/pub/index.htm
              | | 妻の課題と成長 | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
              愛されない妻か?愛されるお妾さんか?
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                 今年、生誕100周年だとかで、注目を浴びたのが太宰治。先日、車内のラジオから太田治子さんという方が父親にあたる太宰を語るのを聞きました。太田治子さんは、既婚者であった太宰治とその愛人太田静子の間に生を受けた方。

                 没落貴族を描き最高傑作との評価を受ける「斜陽」は太田静子さんの日記を元にした作品。太田静子さんは、お金持ちのお嬢様で、クラッシク音楽と西洋の名画を見ながら育った方。

                 その太田静子さんが中学生の時に語ったのがタイトルの内容。「私は、愛されない妻よりも、愛されるお妾さんになりたい」と中学生にして友人に語っていたというのです。娘の治子さんは「母は世間知らずでそんなことを」とおっしゃっていました。確かにその通りでしょう。文学や芸術にかぶれて観念の世界での生意気な発言には違いありません。

                 しかし、どうでしょう?では、実社会に出たら、この見解は確実に変るのでしょうか?結婚したらこの選択は変ると言い切れるでしょうか?

                 そう考えますと、愛されない結婚の現実を、観念的な知識に過ぎなくても、中学生にして悟っていたのは、当時としては、ある意味周囲の女子中学生よりは世間を知っていたと言えるのではないでしょうか?

                 「愛されない妻たち」の中には、「愛されるお妾になりたい」という女性もいるのでは?どちらかを選ぶとしたら、後者を選ぶ妻たちも、圧倒的な少数派とは言い切れないでしょう。

                 逆に、「愛されているお妾さんたち」の中には、「愛されなくてもよいから妻の座」に尽きたい方も、かなり存在するに違いありません。

                 こんな問いをされたらどうでしょう?
                「究極の選択!女性であるあなたは、生涯を愛されない妻で過ごすか?愛されるお妾さんで過ごすか?二つに一つ、どちらをとりますか?」

                 これは私個人の推測に過ぎませんが、この問いについては、「クリスチャン女性でも、正直迷うのでは?」と思います。「クリスチャン女性なら愛されなくても妻の方だろ!不倫は罪だから」と断定的に考えるクリスチャン男性は、もしかしたら、女性理解が浅いのかもしれません。

                 この究極の選択が意味しているのは、大げさに言えば「愛」と「義」の二者択一と言えるでしょう。「愛なき義」と「義なき愛」のどちらを選択しますか?という問いに置き換えられるのでしょう。

                 結婚は神様の前に義なる関係ですが、そこにがなければ、残酷で乾き切った砂漠のような世界です。愛人関係の中で女性が愛情実感を得ることは可能でしょう。しかし、それは罪の関係であり、本物の喜びと幸福はありえません。

                 今の日本社会には、その意味で「愛なき義」としての冷め切って形骸化した結婚か、「義なき愛」としての不倫関係、婚前関係があふれています。イエス様の十字架が「愛と義」の二律背反の奇跡的統合であるように、結婚もまた、愛と義の二律背反の奇跡的統合ではないか?と思いました。

                 私たち罪人にとって、結婚がなぜ苦痛で重荷であるかは、ここに回答があるように思い至った次第。罪人が本当の幸福がそこにあることを認めず、そのための努力をせず、そこから逃避しようとするのが「結婚」。私たちどうしようもない罪人は、愛なき義か義なき愛、冷めた結婚か不倫・婚前関係に走りやすいのでしょう。

                 自信をもって言えることは「愛されている妻が最も幸せ」ということです。愛と義が両立してしますから。少なくとも既婚者男性は、「愛されない妻」をさせてはならないはず。妻の側も「愛される妻」になるための聖書に立った具体的努力(その一つは夫に従うこと、その言葉を重んずること)ができるはずです。 
                 
                 罪人にとっては苦痛を伴う努力を要する「愛と義の二律背反の奇跡的統合」である結婚。これに聖書の教えに立って、ご聖霊の助けによって日々チャレンジすることこそが、御心、そして既婚者にとっての幸福への王道に違いありません。
                | | 妻の課題と成長 | 08:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                「癒し系妻」or「威圧系妻」
                0
                   いつの間にかシリーズになっていた「妻」シリーズも今回が最終回。

                   最近の癒し系ブームを受けてある中学生男子が詠んだこんな川柳。

                  癒し系、うちのおふくろ 威圧系

                  これが親子バージョンだとすれば、夫婦バージョンはこなるでしょう。

                  癒し系、うちの嫁さん 威圧系

                   ストレスの多い日本社会、傷つけあいながらの競争社会、働く既婚者男性たちが求めるのは「癒し」。わがままと言われようが多くの男性が求めているのは事実として「癒し系妻」でありましょう。しかし、そんな妻はまず存在しないのであります。ある程度「癒し系」の要素はあっても「威圧系」の傾向が強いのが現代の日本の妻たちなのでは?

                   これは、あくまで私の仮説なのですが、以下のような悪循環があるかのように考えています。

                   (育児において父親の協力が得られないため)母親が男児を自立に向けて育てない
                  自立不足でリーダーシップの取れない成人男性となる
                  →結婚してもリーダーシップの取れない夫にいらだつ妻
                  →夫のリーダーシップを育てようとせず、自分が主導権を握る
                  威圧系妻として家庭内に君臨
                  →威圧系母親が男児を育て、自立不足にしてしまう・・・・・

                   高度経済成長期以来、男性の家庭での教育機能が失われ、こうした悪循環が世代を超えて継続しているのでは?と考えております。

                   また、威圧系妻は大きな問題や危険をもたらします。以前もブログで特集したように、また聖書が描いている男性像の通り「男はスケベで幼稚で弱っちい」ですから、威圧系妻に君臨されると逸脱行為に走りかねません。家庭の外に「癒し系妻の代理」を求めます。それは職場の女性部下や飲み屋のお姉さんかもしれません。中には妻の威圧振りを愚痴ったり、それで同情を引くどうしようもない夫たちも。

                   自分がリーダーシップを取れないから、妻に代わられて威圧系にしてしまったのに、威圧系になると逸脱する・・・・。本当にどうしようもないのですが、それが男性の現実なのも間違いなさそう。

                   まあ、賢明な妻たちが「威圧系」になり君臨する前に、忍耐をもって夫がリーダーシップを取れるよう励ましたり、育てたりするのが最善策。「夫育てもかい!」「子育てだけで十分じゃ!」との声もあるでしょうが、夫も妻育てをするのですから、ご理解を。何とも不条理、不平等、理不尽かとは思いますが、世代を超えた悪循環を作り出さないためにも、また、それを自分の世代でストップさせるためにも、そうした努力を心がけてみてはどうでしょう? 

                   「威圧系妻」の皆さん、「癒し系妻」にはなれなくても、夫を育てて活かす「活かし系妻」にはチャレンジなさってみては?
                  | | 妻の課題と成長 | 15:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                  サディスティック・妻・バンド
                  0
                     先日、お亡くなりになった加藤和彦さんがかつて結成していたのが、「サディスティック・ミカ・バンド」。どうもこのネーミングはあの「プラスティック・オノ・バンド」のパロディーらしいです。そして、さらなるパロディーがこの「サディスティック・妻・バンド」。

                    家族をバンドにたとえると妻がサディスティックなのです。家庭の中で夫と子どもから出てくるのは「ごめん」の言葉。子どもは母の、夫は妻の機嫌を見ながらの生活。このバンド、萎縮してしまい音楽表現が乏しいです。自由さもパワーもないバンドであります。


                     結婚問題の悩みでよくお聞きするのが、「夫婦に問題があるとすぐに主人を責めてしまうのです」「夫を追い込みたくなってしまいます」「責めると逃げると分かっているのにやってしまう」「主人が改めようとしているのに、応援しないで責めてしまう」「問題解決より主人を苦しめたい思いが強い」などなど。

                     いずれも、クリスチャンの妻たちからの訴えや嘆きです。どうも、日本の妻たちは、夫の非や欠点を責めたがる傾向があるようです。私がお聞きする結婚問題は圧倒的に夫の側に問題原因が多いケースです。では、そうした夫を持つ妻たちが夫の改善努力を認めて、応援するかと言えば、そうとは限りません。

                    夫が悔改めて早く帰宅すれば皮肉を言ってしまう。
                    夫が会話をする努力をするが、うまくいかずに妻が夫を責めて終わる。
                    夫が改善努力をしているのに「やっぱりだめ」「これからもだめ」と責める。

                     既に夫婦関係で傷を受け続けて、怒りを溜め込んでいるのか?
                    夫からの愛情実感を得られずにそれが、欲求不満となり愛してくれない夫への攻撃性に転じているのか?
                    今までの事を赦して、夫の努力に期待するのが、不条理で損に思えるので、無意識のうちにも夫に復讐行為をしているのか?
                    夫がどこまで責めても、自分を愛し改善努力をするのかを測るテスト行為なのか?
                    妻が望みどおり家庭で主導権をとりながら、リーダーシップをとれない夫への不満を深めているという自己矛盾があるのか?
                    自分の側の問題を隠すために相手を先制攻撃しているのか?
                    そもそも現代日本社会では既婚者女性は孤立しやすく、攻撃性を持ちやすいのか?

                     様々な仮説を考えるのですが、どうも一般化できず、夫婦それぞれのようです。いずれにせよ「夫を愛している、夫婦間の問題解決を望んでいる、でも夫を責めてしまう」という現象はクリスチャン夫妻にも時にお見受けするようです。

                     こうした場合は、夫婦問題の原因が夫に90%で妻に10%であり、夫が真剣に自分の問題を認めて改善努力しても、このように夫を責めると妻の10%が、夫の努力を台無しにしかねません。

                     私は結婚カウンセリングの専門家ではないので、そうした行為の原因を特定し、本当の問題に気がつかせ、むき合わせるだけの力量はありません。「問題を認めて、改善しようとする夫の味方をしてあげて下さい。それを自分の感情の処理より優先してみては?その努力が夫婦関係の改善になると思います。」程度の浅いお話しをしているレベルです。

                     働きでの必要も覚えながら、現在は名古屋でもたれる丸屋先生の家族カウンセリングのセミナーを受講中。いつか「サディスティック・妻・バンド」を自由で力強いバンドにするお手伝いができたらと願っています。
                    | | 妻の課題と成長 | 09:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                    マジカル・ヒステリー・妻
                    0
                       お分かりいただけないと面白さも半減なので、一応説明しておきましょう。タイトルはビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」のパロディー。世の夫たちにとって、妻が「マジカル」で「ヒステリー」で受け止めがたいものとしばしばなるとのお話し。

                       最近、ある方からお聞きしたお話し。アメリカ人夫婦はよく話し合い、アメリカ人男性は女性との会話に努力するというのはどうも本当らしいです。では、日本人女性と結婚したアメリカ人男性はどうなのでしょう?夫婦の会話のために努力する姿勢を持つ、アメリカ人男性も、会話をしたがらない傾向にあるとか。

                       日本人女性と結婚してそうなったしまったアメリカ人男性たちはその理由をこう語るのだとか。「あんなヒステリックな話し方は耐えられない」

                       日本の夫婦の会話の不毛や心が通じ合わない原因の多くは男性にあると常々思っています。男性が会話の大切さを理解せず、心通じ合うことなど求めず機能的な関係で充足していしまうことに、最大の原因があるように私は考えています。

                       しかし、こうした事例からは、妻の側の問題点も浮き彫りにされるのでは?特別、日本の女性が感情的でヒステリックだとは思えません。

                       日本の女性たちは、アメリカ女性ほど個が確立しておらず、自己主張がしずらい日本の社会の中でヒステリーにつながる感情抑圧が多いのでしょうか?それとも、アメリカ人の女性は、夫婦の会話については日本の妻より成熟しており、夫の心情や受容度や準備状況を考慮して、感情を伝えているのしょうか?
                       
                       いずれにせよ自分の感情解消だけのための会話、それは、自己中心であり、むしろ、夫婦の関係を破壊するもの。どうも、日本の女性の場合、感情の伝達が相手への感情転移や攻撃になりやすいように思うのですが、どうでしょう?

                      感情伝達」と「感情転移」は違います。
                      感情を伝える」のと「感情をぶつける」のは違います。
                      「夫に感情の受容を求める」のと、「夫をストレス発散のゴミ箱にする」のとは違います。

                       後者の現象が起こるとき、夫は心を閉ざします。夫にとって妻は「マジカル・ヒステリー・妻」となります。理解不能レベルで感情的状態になっており、もう対処不能。考えるのは嵐が過ぎ去るまでの忍耐か、逃避のみ。

                       それは夫婦の会話ではないからです。後者が続くと、夫は会話を避けたがり、帰宅が遅くなったり、帰宅しても個室にこもったり。

                       夫婦の会話や心の通い合いに課題を覚えておられる既婚者女性の皆さん、ご自分が「マジカル・ヒステリー・妻」になっていないか?まずは、自己チェックを。夫の側に責任が90%あったとしても妻の側の10%から手を付ける事をお勧めしますぞ。

                       それができていないために、夫の改善意欲をそいだり、改善努力を減退させているケースもしばしば。「相手は変えられないが、自分は変えられる!」これは夫婦関係にもっとも当てはまる原則でしょう。まずは、自己チェックを。それから夫の問題の改善を考えましょう。
                      | | 妻の課題と成長 | 14:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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