命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
向き合える関係へと「愛せない自分」からのスタート
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     昨日の記事は、多くの既婚者クリスチャン男性にとっては、キツイもの、心刺されるものだったかもしれません。私にとってクリスチャン夫婦が向き合えないでいるのは、大きな痛みです。日本の夫婦の場合、どちらかと言えば、原因が夫の側にあることが多いです。

     アダムが農業仕様で創造されたせいでしょうか?男性たちは、基本的に目的達成的で、結実を願うばかりで、そこまでの過程を楽しむことができません。すべてが、パフォーマンスやご仕事になりがちで、最も身近な家族との交わりさえも、こなすべき仕事や果たすべき使命となりかねません。

     多くの既婚者男性は、具体的には、クリスチャンでありながら、以下のような非聖書的な家族としての意識、あり方へと逸脱しがちなのでは?


     家庭は、「あるがままで愛しあう共同体」ではなく、「役割を果たして運営する組織

     つまり、「人格的共同体」ではなく、「機能集団

     家族は「交わりの対象」でなく、「管理・指導・対処の対象

     つまり、「愛の交わり」でなく「一つの仕事

     妻は「共に歩むパートナー」でなく、「従わせるべき部下」、あるいは、「やっかいな上司

     子どもは、「愛し仕え育てるべき一人格」でなく、「管理してクリスチャンにすべき未熟者


     「クリスチャンとしてしっかりやろう」と真面目で使命感の強いクリスチャン男性ほど、こうした落とし穴にはまって、結婚や家庭の本質を失うことも。イメージ通りにきちんと家庭礼拝をしたり、家族で祈ったり形を作り上げるのですが、「人格的交わり」「心の通い合い」が決定的に欠損します。自分が目指す理想のクリスチャンホームの「外形」を作り上げながら、魂、心という「中身」については、空っぽ状態なのです。

     それどころか、自分のこうした「男性独自の土俵の外」に出ることを恐れて、妻や子どもと正面から向き合うことから逃避します。夫婦や親子の真実な交わりは、時に場外乱闘なのですが、どこまでもリング上で自分の競技のルールを順守しようとするのです。それは、ファンにとっては正当派の格闘家ですが、家族にとっては、敵前逃亡する卑怯な格闘家に過ぎません。

     こうして、私も含めたクリスチャン既婚者男性は、職場や教会では真面目に働き、好ましい対人関係を構築しながら、家庭内でも、奉仕や仕事のように真面目に役割を果たし好ましい対人関係を構築しようと努めます。それは適切に距離をとり、上手に関わり、好ましい関係を作るだけで、一人格として真実に真正面から心と心で向き合うことではありません。こういう男性たちにとって、妻と向き合うなどは、プロレスの悪役レスラーにリング外に引きずり出され、場外乱闘に持ち込まれるような恐怖ですらあるでしょう。


     偉そうなことを言っている私も、妻との関係で、強いられて向き合わざるを得ない状況に追い込まれる中で、何とか、向き合える関係を作ってきたに過ぎません。つまり、自分から努力して作ってきたのではありません。妻から、強いられてきただけです。妻が諦めずに忍耐強くアプローチしてくれたらです。自分のリングから場外へと引きずりだされたに過ぎないのです。

     人それぞれでしょうが、一般的に男性は、最も身近な家族と心で向き合うことが苦手なようで、それができるようになるきっかけは自発的決断ではなく、妻や子どもからのアプローチによる場合が多いように観察しています。


     ちょうど、最近、尊敬しますG先生がそのような内容をブログで記しておられます。

     ブログ「どこかで泉が湧くように」
    愛せない悲しみは愛する力:息子とのこと(2015.2.22.主日礼拝説教より) (02/23)



    お父さんに何をして欲しい?

     息子さんに対して、たったそれだけの言葉を発するまで、どれだけ長い道のりであったかが記されています。そこにまで至ることができたのも、先生ご自身の自発的決断というよりは、妻と子どもからのアプローチによるものだったようです。

     既婚者クリスチャン男性の多くは、愛せないことを認め、その悲しみからスタートすることによってしか、家族と心から向き合えないないのではないか?自らの愛の乏しさを隠し、愛の豊かさを演じて、家族と接している限りは、本物になれないのではないか?そんなことを思っています。

     家族への愛については特に、愛せない現実とその現実の自分への悲しみこそが、愛する力を生み出すのだと、私は実感を持って断言できます。そして、その悲しみは「御心にそった悲しみ」であり、正面から家族と向き合えるという「悔い改めの実」を結ばせるのだと確信しています。


     そうです。向き合える関係に向かって「愛せない自分」から「その悲しみ」からスタートしましょう。

     今日のこの記事がきっかけとなり、向き合えないクリスチャン夫婦、向き合えないクリスチャン親子が、一組でも向き合える関係へと転じるなら、それは至上の喜びです。
    | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 12:38 | - | - | - |
    自分本位で関係破壊的なのに、その自覚もない夫の愛
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       今日は久しぶりに夫婦のお話し。本題に移る前に少しだけ前置きです。読者から、「夫婦の記事が一番面白い、痛い、ためになっている」との声を時々お聞きします。ありがたいことに、ただ、記事を読んで教えられるだけでなく、それを実際の夫婦関係に活かしておられる方もいらっしゃいます。まずは、そんな一人、既婚者クリスチャン女性からの声をご紹介。

       読者の 水谷先生おげんきですか?お疲れ様です!いつも先生のブログ楽しみに拝見させていただいております。とてもわかりやすい解説、身近な話題とても親近感がわきます。今回の夫の不倫(下)には、面白くて、面白くて、妻は結婚すると恐妻になるんですよね〜(笑)私も最近男性の考え方の本を読んで、勉強すると男の人はこんな風に思っているんだ、男性の考え方と女性の考え方はこんなに違うんだ!!と目から鱗でした。

       本に書かれてあること、先生がおっしゃる事、例えば、自分が悪いと思ったら、自分から素直にごめんなさい、何かをしてもらったら、ありがとう!夫の話に耳を傾ける、話をさえぎらないようにするなどを主人に実践してみると、 あれよ!あれよ!と、

       私に信頼を前よりも増して、寄せてくれるのには、正直驚いています。先生がおすすめしてくださった本も大変興味深いので、是非読んでみたいです!いつも色んな事をありがとうございます!

      参考までに、文中に出てきた「夫の不倫」についての記事はこちらです。
      妻には意外? 夫の不倫理由(下)
      妻には意外? 夫の不倫理由(上)
       

       このように本ブログ記事や書物を通じて、男性の考え方が女性と大きく異なることを知って、学んだことを実践に移したら、夫が変わったのです。この例では、夫が妻により大きな信頼を置くようになったのです。結婚をよいものにしたいと願う真面目な夫婦が、うまくいかない主な原因の一つは、ずばり、異性理解です。

       「自分が考えたり感じたりするように、異性も考えたり感じ考える」という間違った前提で、相手を愛し、大切にしてしまい、相手を失望させたり、怒らせたり、愛情実感をさせられなかったりです。つまり、真摯な努力が裏目に出てしまうわけです。「相手に伝わらない独りよがりの愛」となってしまいます。これはほとんどの結婚で起こっていることだと思うのです。


       

       長い前置きで恐縮ですが、今回のテーマは、夫側の問題です。昨日は、いつものように「さんまのホンマでっか?!TV」を視聴。その中で、妻たちからの離婚問題を多く扱ってきた女性弁護士が、恋愛期間に男性が行う「サプライズ」について、興味深い見解を述べておられました。

       結婚前に彼氏が自分のために、一生懸命サプライズ演出をしてくれます。それを受けた女性は感激してしまい、「こんなにも自分を大切にしてくれる男性なら」と判断して、結婚します。しかし、この女性弁護士によれば、離婚を願う依頼者の中には、サプライズを受けてそう判断して結婚したが、離婚を願わざるを得ないという方も多いそうです。

       この女性たちの言い分は「夫は自分の価値観を押し付けてばかりで、私の意見を聞いてくれない、もう、やっていけない」というものです。女性弁護士によれば、サプライズは愛情表現ではあるが、往々にして、男性側の独りよがりである場合が多いto
      のこと。つまり、「自分が愛したいように愛する」「自分はこんなに愛しているんだと思えるように愛する」「愛している自分が大好きな愛」ということらしいです。


       愛とは本来、「相手のための愛」なのですが、どうも、サプライズ演出好きな男性の愛は、相手への愛であるのに、「自分のための愛」「自己本位の愛」「自己満足のための愛」となりがちなようです。当然、そういう男性は、「妻のための愛」が注げないのですから、結婚後に、様々な問題が生じます。

       その最大のものは、弁護士に依頼をしてくる妻たちの言い分の通り「妻の意見を聞かない」ことだと思います。愛とは本来、「相手との交わり、関係性」のはずです。しかし、このタイプの夫は、妻への愛ですら自己本位ですから、夫婦にとっての重要な決定に際しても妻の声を聞き、妻を尊重して決めようとしません。まさに自分の価値観を押し付けるのです。特に、「自分は真面目で正しく責任感を果たしている」との自負がある男性ですと、それが極端になるように観察しています。

       言うまでもなく、現実の夫婦関係は「向き合えない夫婦」「心通じ合えない夫婦」となっているのですが、その認識があるのは、妻の側だけなのです。恐ろしいことですが、夫の側は「妻を愛しているつもり」でいるのです。自分は真面目に正しく責任ある結婚生活を送ってきたと信じているのです。実際は「痛すぎる独りよがり」なのにです。多分、こういうタイプの夫が、妻から離婚を切り出されて、「晴天の霹靂」、「寝耳に水」などとおっしゃるのでしょう。
       

       これを表現したのが、タイトルです。「自分本位で関係破壊的なのに、その自覚もない夫の愛?」であります。夫は、自分の本位の愛し方をして、妻の声を聞こうともせず、そのあり方は夫婦関係を破壊し続けているのです。そのことを痛み、悲しみ、を訴える妻の警告の声さえも受け止めようとしません。ですから、夫婦の危機について無自覚のままで、過ごしてしまいます。

       あいかわらず、自分の価値観を押し付けて、妻を苦しませたり、追い詰めたりが続きます。夫は、妻に向き合わず、いつまでも「自分は妻を愛し、家族への責任を果たし、正しい結婚生活を送っている」との独りよがり状態ですから、妻は遂に離婚を切り出さざるを得ません。そして、夫はそれを「晴天の霹靂」「寝耳に水」などと言うのです。

       こうしたタイプの夫に悩むクリスチャン女性は、少なくありません。個人的に接したきた事例ですと、職業としては、「教師で管理職」「警察官」などに、かなり多いとの印象をもっています。もちろん、傾向に過ぎません。しかし、こうした職業人にあちがちな真面目さ、責任感、自信の強さなどの長所が、結婚生活において落とし穴になりやすいのも、また、事実かと思うのです。


       私は、自分も含めてほとんどの男性は、クリスチャンであるなしに関係なく、こうした傾向を持ち、結婚を悪化させる危険性をはらんでいるのだと思っています。だから聖書は、「キリストが教会を愛し、教会のために、ご自身をささげられたように、あなたがたも自分の妻を愛しなさい」(エペソ5:25)と命じているのでしょう。自己本位な愛で妻を愛していながら、それさえ自覚できない夫たちが、本当の意味で妻を愛するために必要な模範はイエス・キリストです。

       キリストが教会を愛し、命を捨てたような献身的な愛で妻を愛するのです。それによって、自己本位な愛を卒業するのです。キリストの献身の愛を模範とする時、夫の愛は、妻のための愛に移行するのです。イエス様が「自分のための教会」でなく「教会のための自分」として、ご自身の命を捨てられた愛を倣おうとするとき、「自分のための妻」から「妻のための自分」に転換するのです。

       きっと恋愛中のサプライズ好きは、「自分のための妻」からの転換が困難な男性であることを示す一つの指標なのでしょう。ですから、独身女性の皆さんは気を付けましょう。サプライズ演出に舞い上がって「こんなに自分のことを思って大切にしてくれるなら・・・」と判断するなら、やがて「自分の価値を押し付けてばかりで、私の意見を聞かない夫」に苦しめられることになるかもしれませんぞ。

       また、サプライズ演出好きの男性は、ちょっと自己チェックが必要なのかも。サプライズをする愛情はOKです。でも、その愛情に自己本位が潜んでいるかどうかはチャックして、自覚しておくことが、結婚への備えになるのでは?

       そして、サプライズ好きでなくても、既婚者男性は、いつもこのことは、問われるべきことでしょう。エペソ5:25の言葉を知っているのと、その言葉に生きようとしているのとでは、結婚は雲泥の差です。結婚を破壊するクリスチャンの夫の多くは、このみ言葉に従う気もなく結婚していたり、結婚してから、従わないことに決めてしまっているように観察しています。


      「キリストが教会を愛し、教会のために、ご自身をささげられたように、あなたがたも自分の妻を愛しなさい」(エペソ5:25)

       既婚者クリスチャン男性こそ、常にこのみ言葉に問われ、このみ言葉の前に自らの課題を認め、このみ言葉の実践にチャンレンジし続けていくことでしょう。

       クリスチャンの夫たる者、み言葉の光を受けて、「自分本位で関係破壊的なのに、その自覚もない」自らを見出し、そのことを認め、悔い改め、「自覚的で、妻本位で、関係構築的な愛」で愛しうる夫への成長を願い、祈り求めつつ、具体的な努力をしたいものです。

       恋愛中の男性のサプライズ演出を見聞きしたら、どうか、今日のこの記事を思い出して下さい。

      | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 11:31 | - | - | - |
      日本は夫が妻を母親のように呼ぶ唯一の国?
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         先週水曜の「さんまのホンマでっかTV」に教えられたことです。外国人が、理解不能な日本の家庭文化の一つは、夫が妻を母のように呼ぶことです。つまり、夫婦に子どもがいる場合、夫が妻を「ママ」とか「お母さん」とに呼ぶこと。日本の家制度同様の文化を持つ国や母系的社会ではあるだろうと、思っていたので、これは日本だけと聞いて改めて考えさせられました。

         植木先生によれば、「おかあさん」、「ママ」と家族全員から呼ばれるのは、母親にとってかなりのストレスなのだそうです。確かにそうでしょう。これは家庭で自分が「課長」、「部長」と呼ばれているようなものですから。人格より役割を期待されに疎外感もあれば、機能を果たさなくてはならいとのプレッシャーを受ける面もあるのでしょう。

         もちろん、「お父さん」、「お兄ちゃん」、「お姉ちゃん」も同様の面はあるでしょうが、日本の家庭では、母親が受けるストレスはケタ違いでしょう。母親だって家庭の中で甘えたいし、安らぎたいし、母でも主婦でもない一人の女性として家庭で過ごしたいだろうと想像するのです。

         別の子育てカウンセラーの先生は、「下の名前で呼んでもらえるのがうれしくて、カウンセリングに来る母親も多い」と発言。これには「なるほど、そうなんだ!」と深くうなずきました。カウンセラーが母親を下の名前で呼ぶだけで、人格扱いされ、心が解放されたり癒されたりするからでしょうか。きっと、「母」という機能役割でなく、「一人の人間」や「一女性」として受け止めてもらえて、自分の存在が受容されること自体に人格性の回復や癒しがあるのでしょう。

         そして、他の先生方も、夫は妻を名前で呼んだ方がよいとの声ばかりでした。

         もちろん、即実行が難しい事情もおありでしょうが、母親のストレスを減らし夫婦円満と健やかな子育てを願うなら、夫が妻を下の名前で呼ぶことは、かなりの効果があるようですよ。きっとアダムはエバを「嫁」とか「ママ」とか呼ばなかったと思います。私も、結婚する方には、子どもが与えられても、お互いを下の名前や愛称で呼ぶことを勧めています。

         世界で唯一の日本の家庭文化は、日本の母親独自のストレスと共に、日本の父親ができる大切な改革と努力をも指し示しているように思えてなりません。

        〈追記〉
         F.B.で朝鮮語関係を専門とするクリスチャン男性より、情報をいただきました。朝鮮語においても、同様のことがあるそうです。韓国では夫が妻を「オンマ(ママ)」とは呼ぶことはあまりないのですが、「○○オンマ(○○ちゃんママ)」のように子どもの名前を付けてママと呼ぶそうです。また、第三者が母である女性を「○○オンマ(○○ちゃんママ)」と呼ぶのだとか。これも、幼稚園のママ友なら、日本にも時々ありますね。さらに興味深いことは、子どもの名前だけで、妻を呼ぶこともあるのだとか。これは逆にビックリ。

         というわけで、「子どもの母」という立場を妻への呼称とするという本質においては、「同様」と言えるかな?と思います。文字通り「ママ」と呼ぶのは日本は唯一かもしれませんが、同様のことは他国にもあるということでしょう。
         
        | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 22:44 | - | - | - |
        夫≠妻(3)愛情効率主義の夫、効率無視の妻
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           このシリーズも今日で最終回であります。昨日の記事の続きです。ポイント制の話を妻から聞いた私は、冗談でこうボケました。

          雨の日は愛情ポイント2倍とか、5のつく日ポイント5倍とかないの?」

           そうボケておいて、自分でこうツッコミました。

          スギ薬局イオンとちゃうわー!」


           これは、東海地域でしか、通じないギャグかもしれません。

           夫とは困ったものです。どこまでもゲゼルシャフト発想です。妻への愛情ポイントさえ一次会発想で考えてしまうのです。「ポイントが効率よく溜まる日やシステムがあればいいのに」と思ってしまう自分が情けないです。

           愛情でさえ「効率」で考える夫に妻たちは、愛を疑ってしまいます。なぜなら、妻にとって「愛は惜しみなく与えるもの」だからです。愛に関して「効率」という発想はありえないようです。効率を考えないことが愛だからです。結婚愛には効率も、そろばん感情もありません。夫が妻に注ぐべき愛は、仕事ではなく、全人格的なものだからです。


           聖書は夫たちにこう命じています。
          「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」(エペソ5:25) 

           
           キリストが教会のためにいのちを捨てられたように、夫は妻を愛すべきなのです。これは夫の妻への献身であります。まさに、効率とか損得を遥か超越した愛で愛するのです。

           時に「最小限の労力最大効果になるように妻を愛そう」と考えてしまう夫たちであります。それが夫の肉であり、聖書の祝福をもたらす命令に反するものであり、結婚生活の祝福を乏しいものとすることを覚えましょう。

          「愛情効率主義の夫、効率無視の妻」

           夫である読者の皆様、この恐ろしいまでの夫婦間の違いを自覚し、効率発想を捨てて、効率無視の献身的愛で、妻を愛そうではありませんか!神様の栄光を現す結婚生活と家庭形成のために。
          | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 21:22 | - | - | - |
          夫≠妻(2)ポイント蓄積制の夫、ポイントその日限りの妻
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             私の妻は、「結婚生活は日常が大切」とよく力説しております。「女は日常が大切、日常が幸せでなければ、人生は幸せでない」と考えているようです。「日常が多少不幸でも、非日常での幸せで埋め合わせ可能」と考えがちな男性とは大違いであります。

             妻たちの不倫は、多くの場合、日常で愛情実感が得られないことから起こります。逆に、夫の中には、日常は鬼嫁に苦悩しても、愛人と過ごす非日常で埋め合わせをするような不倫をするケースがあります。

             妻たちにとっては、日常は「交換不可能なかけがえのないもの」です。他方、夫にとっては、日常は「非日常によって代替可能なもの」なのです。


             妻がテレビ番組で学んだ「ポイント制」を教えてくれました。

            一日に一度の優しさも、10年に一度のダイヤモンドも、妻にとっては、同じ1ポイント

             どうも、私も含めて、夫たちは、これが理解できません。実感できません。ですから、日常は仕事に埋没し、妻には無関心で愛情をあまり示さずにいて、「月に「一度のごちそうデート」、「誕生日のお祝い」、「10年に一度のダイヤモンドの指輪」などで、その埋め合わせをするのです。

              しかし、妻にとっては、豪華なごちそうも、盛大な誕生祝いも100万円のダイヤモンドも、1ポイントに過ぎません。溜まったマイナス100ポイントゼロにはできません。マイナス99ポイントにするだけです。

             ですから、熟年夫婦向けの「なんとか旅行」とか「なんとかダイヤモンド」に騙されてはいけません。
             
             「そんなもんで、長年にわたって溜まりに溜まったマイナスポイントをゼロになんかできへんわー!」

             
            これが、事実なのです。そうです。夫は、「ポイント蓄積制」で妻に愛を注ぎますが、妻の愛情実感は、「その日限りポイント制」ですから!愛の飢餓状態を、金で解決しようというその夫たちの発想が、妻には赦しがたく思えることも。

             夫である読者の皆さん、この男女での「愛のポイント制の違い」を心得ておきませんと、退職後あるいは熟年になってから、妻から愛想をつかされたり、熟年離婚を切り出されかねませんよ。

             そういうわけですから、日々、妻に関心を持ち、その心情を思いやり、優しい言葉をかけ、愛情を注いでいきましょう。毎日ポイントを溜めていくのです。そうすれば、多くの妻は、「旅行連れてけ」とか「ダイヤモンド買え」とか言わないものです。愛情タンクが満たされたら、それでいいのです。

             さらに、愛情タンクが満たされ続けるなら、妻たちは、夫に優しくなり、夫婦関係はよくなっていきます。ですから、夫の側からできる夫婦円満の秘訣は、日々、愛情ポイントを溜めていくことなのです。


            「ポイント蓄積制の夫、ポイントその日限りの妻」

             この夫と妻の違いを理解し、夫婦円満に活かしていただければ感謝なことです。
            | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 22:35 | - | - | - |
            夫≠妻(1)一次会に励む夫、二次会好きの妻
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               三回ほど、、短い記事で夫と妻の違い、そこから生まれる行き違いを記してみたいと思っています。

               いつも聴いているラジオ人生相談でのお話し。一人の既婚者女性が、離婚を考えているとのこと。夫は真面目に働き、浮気やギャンブルをするわけでもありません。しかし、妻も真面目な人です。でも、離婚したいのです。

               離婚を考える理由は、夫との心の交流がないことです。「夫は自分はちゃんと役割を果たしているのに、おまえは、専業主婦として充分な役割を果たしていない」と妻を評価するのだそうです。そして、妻に対して役割以外についての評価はなく、心の通い合いも全くないのです。このように妻を機能としてしか見ないで、役割達成度でしか評価しない夫に、疲れ果て離婚を考えているのです。

               人間を人格として見ることができず、役割でしか見ることのできないこの欠損した男性について、ラジオの回答者がこんな表現で夫の本質を確認しました。


              「あなたのご主人は一次会はいいけど、二次会向きでないってことだよね?」

              「そうなんです」と妻は激しく同意

               回答者は、夫は、機能的非人格的関係でしか生きられない人、人格的関係で生きられない人と説明して、質問者がそれを理解した上で今後の結婚生活を考えた上で決断するように勧めていました。


               それを聞いて昔、高校の社会で勉強した「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」を思い出しました。ゲゼルシャフトは「利益社会」でありまして、「メンバーが各自の利益的関心に基づいて結合する社会」と定義され、具体例は、大都市、国家、社会など。

               片や、ゲマインシャフトは、「共同社会」であって、「メンバーが互いに感情的に融合全人格をもって結合する社会」と定義されるようです。具体例としては家族、地域の村落など。

               この二つについてラジオの回答者は前者を「一次会」、後者を「二次会」とたとえたのでしょう。この夫にとっては、全世界は、ゲゼルシャフトなのでしょう。自分も他者も、社会的機能を果たすべき機能的存在であり、役割を全うすることが存在意義なのです。感情の共有や人格的交流という「ゲマインシャフト」は、地球上のどこにもないわけです。

               時々、この相談者である妻と同様の苦悩を時々お聞きするのですが、大抵その夫は学校時代から優等生で真面目で、性格的にも遊びのない人です。日本社会で、受験一辺倒体制に染まってしまうと、こうした感情面・人格面での交流が欠損した男性に育ってしまう傾向は否めないと思うのです。これは偏見であったら申し訳ないのですが、近年は、オタク化していくなかで、こうした傾向を持つ成人男性も増えているように感じています。

               まあ、妻が離婚を本気で考える程ではなくても、多くの男性は、「一次会志向」なものです。なにせ、創世記二章にあるように男性は、農業仕様に創造されているのですから。交流仕様に創造され「二次会好き」の女性とは全く違います。多くの女性は結婚生活の中で、女性目線で、夫の感情欠損、人格欠損を心配するようですが、ほとんどの男性は「欠損者」ではございません。一次会志向でも、ある程度二次会に付き合えれば、正常なのです。

               確かに夫は、家庭生活までも、一次会モードで歩みがちです。日本の男性は欧米のように、「仕事は一次会、家庭は二次会」割り切れません。少なくとも日本の文化は、職場の付き合いというように、仕事にも二次会が侵食しており、形を変えて根強く残る家制度のように、家庭にも一次会が混入しています。ですから、日本の男性は、仕事と家庭の切り替えがあいまいで、家庭においても、自他ともに役割志向で歩みやすいのです。

              夫:農業志向、ゲゼルシャフト志向、一次会志向、機能・役割志向

              妻:交流志向、ゲマインシャフト志向、二次会志向、感情・人格志向


              こう考えますと、夫と妻は、同じ土俵に立つこと自体が、困難なのでしょう。

               「一次会に励む夫、二次会好きの妻


               相手が自分とは同じではないという意味においては、男女はかみ合わないものです。しかし、この男女の違いを嘆き、相手を責めるより、違いを認め、相手を理解した上で、結婚生活を考えるべきでしょう。なぜなら、神様は私たちの幸せを願って、この違いを相互補完のために定められたからです。違いをマイナスと考え、夫婦が一致できないなら、それは私たちが自己中心だからに他なりません。聖書的な異性理解の上で、をもって相手のために譲り合っていくことが、聖書的夫婦円満の秘訣かと思います。
              | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 21:49 | - | - | - |
              末広涼子報道に思う「使命に励む夫と夫の想像が及ばぬまでの孤独に苦悩する妻」という図式
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                「音楽会と美術館」の記事を書き終わって、トップページに戻ると、yahooヘッドラインにこんな記事を発見。

                広末涼子 かつて共演した佐藤健のマンションにお泊まりをする
                http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140227-00000001-pseven-ent

                 どうも、末広さんが、人気若手俳優と不倫ということでしょう。キャンドル・ジュンとの再婚前から、あまり異性関係については評判のよくない女優さんでしたので、心配していた方も多いでしょう。実は、私もその一人です。キャンドル・ジュンさんがクリスチャンなので、より一層このニュースには心を痛めております。以前は、この記事で彼がクリスチャンであることを記し、いつかそのファッションやタトゥー、末広さんとの結婚に「小さなツッコミ、大きなお世話」をしようかと思ったまま、忘れていたようです。

                 「小林幸子、隣人愛としての米10トン」
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=2483


                 昨日の記事で、「女性は一人の男性からの愛を実感していれば、浮気はまずしない」と記しました。それが正しいとすれば、「末広さんは十分な愛情実感を得ていなかったのでは?」とも想像してしまいます。yahooニュースの記事でも、震災地で長期間滞在する夫を思いながら、寂しい思いを抱いていたかのように書かれています。

                キャンドル・ジュンさんがどこまでクリスチャンとしての使命感をもって、平和運動をしているかは私は知りません。しかし、彼の働きは、社会的に尊いものと評価されるでしょうし、彼も強い使命感をもってキャンドルを灯していたのでしょう。その尊い使命を果たし充実感を覚えているその時に、どれほど妻が孤独に苦しんでいたか想像ができなかったのかもしれません。彼は妻に頻繁にメールや電話で愛情を伝えていたのかもしれません。それでも、夫が伝えたつもりの愛情と妻が必要としている愛情の間には、想像を絶するギャップがあるものです。

                 職業であれ、教会奉仕であれ、「尊い使命に真剣に生きるクリスチャンの夫、その間に耐え難い孤独に追い込まれ、不倫に走ってしまう妻」という事例は、結構多く見聞きしてきました。残念ながら、妻がクリスチャンである場合も少なくありません。「聖なる使命や社会的責任に生きながら、妻の孤独の深さを想像もできずにいる夫」というのは、ほどんどの既婚者クリスチャン男性に、ありえることなのでは?最も身近な隣人である妻をスルーして、それ以外の隣人を愛し仕えてしまう愚行は、既婚者クリスチャン男性のある意味、典型的失敗であると思うのです。

                 三浦綾子さんは、ウリヤの妻は、ダビデ王に見えるように沐浴をしていたと想像します。「女性だから自分はわかる」とまで記しています。長期間、夫を戦争に送り出している妻の孤独の現実を垣間見る思いがします。また、ポティファルの妻は単なる好色淫乱女とは言い切れません。有力な説の一つは、ポティファルは「宦官」であったとします。つまり生殖機能を除去されたエリートだったのです。もし、この切が正しければ、ポティファルの妻の孤独は、想像を絶するものだったでしょう。

                 「使命に励む夫と夫の想像が及ばぬまでの孤独に苦悩している妻」という図式は、もしかすると聖書も提示しているのかもしれません。私が見聞きしてきた事例では、既婚者であるクリスチャン男性たちは、真面目で職業も教会奉仕も忠実に励むタイプが多かったです。それだけに、私はやりきれない思いがしました。逆に、妻の側がクリスチャンであったとしても、単純にその罪を責める気にはなれませんでした。どの夫婦にも起こりうるこの「夫と妻のギャップ」に心を痛めるばかりです。

                 確かに末広さんのしたことは、結婚を破壊し、お子さんにマイナスを与え、自らの評価も失わせかねない罪深く愚かな行為でありましょう。メディアや世間は、きっと「また、やった」との論調で末広さんをバッシングするのでしょうか?クリスチャンであり平和運動家であるキャンドル・ジュンさんは、「同情されるべき被害者」と評価されるのでしょうか?

                 だとしたら、あまりに表面的だと思うのです。「男女の差異に由来する結婚の困難さ」を自覚しているなら、決して夫婦を「加害者と被害者」に二分しないでしょう。どうでもいい芸能人の不倫スキャンダルと扱うこともできるでしょう。しかし、クリスチャンの夫が使命に生きている最中に孤独な妻が不倫に走るというのは、他の芸能人の不倫スキャンダルとは違う面もあるのでは?

                 もしかすると、この事例は、超多忙社会に生きる既婚者クリスチャン男性こそが、当事者感をもって事として受け止めるべき要素があるのかもしれません。もし、キャンドルジュンが、教会生活を送っているクリスチャンであるなら、まさに牧会で扱われるべき課題ですから。

                 私自身も思ったのです。これを機に向き合ってみてはどうだろうかと。「責任があるから、世のため人のため、家族のため、主のため」との名目で妻を「不倫せざるを得ないまでの孤独」に追い詰めながら、その事実に対して、時に無自覚となりがちなクリスチャン既婚男性の現実に。
                | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 17:19 | - | - | - |
                釣った魚にこそ餌をやれ!(4)
                0
                   このシリーズも今日で、最終回です。男性にとって、結婚の質は釣った後の魚への餌やりで決まるのであります。同じ状況で同じ女性と結婚しても、結婚後に、釣った魚に餌をやらないのか?それともやるのかで、数年後には夫婦関係は全くことなっているでしょう。10年も経てば、雲泥の差ができてしまっているはず。

                   それは、「試行錯誤や葛藤を繰返しつつも、聖書的努力をして相互成長を続ける祝福された結婚」と「聖書的努力をしないことに決めて、失望と傷つくことを避けるため、お互いには期待せず、共同生活をしながら、それぞれの人生を歩む結婚」という雲泥の差であります。

                   さんざん、「餌」と繰返してきましたが、夫が妻に与えるべきものとして聖書が命じているのは何でしょう?餌やその具現化としての時間、優先順位、関心、プレゼント、愛情表現どころではありません。聖書はこう記しています。

                  「夫たちよ。
                  キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」(エペソ5:25)

                   キリストは教会を愛し、ご自身のいのち、全存在をささげられました。それを模範として夫が妻を愛するということは、夫はすべてを妻に与えるということです。自分自身を妻に与え続けるのです。妻に与えるべきは、餌どころか夫自身、全存在、夫の命であります。

                   これをデーモン小暮風に言い換えれば、こうなるでしょうか?
                   
                   「オマエを、魚の餌にしてやろうか?

                   どうも、聖書的意図を込めたとはいえ、悪魔的でよくないですね。これでは夫は惨めな犠牲者に過ぎません。


                   やはり、ここは聖書的に山上の説教風に言い換えてみましょう。

                   「昔の人々に『釣った魚に餌をやってはならない』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。釣った魚に餌をやらないような夫は、燃えるゲヘナのような妻の怒りや悲惨な結婚生活に投げ込まれかねないと。夫たちよ。釣った魚にこそ、餌をやりなさい。いいえ、あなた方自身が餌なのです。自らを餌として魚に与え続けなさい。これがキリストイエスにあって、神が夫たちに望んでいることがらなのです。」

                   うーん、メチャメチャなまとめだなー。でも、聖書の結婚観は、夫は献身という形で、妻は従順という形で、自らを相手に与え続けることだろうなと思うのです。かく言う私も妻の優しい励ましや厳しいご指導によって、絶えず、悔改めと軌道修正をさせていただきながら、今日に至っているに過ぎません。実感として、自己中心を悔改めながら、妻に自らを与え続ける歩みにこそ、男性側からできる結婚向上のための最高の努力なのでは?と感じております。いずれにせよ、聖書の言葉に従って結婚生活を送るというのは、リアルにこういうことだと思うのですが、どうでしょう?
                  | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 16:50 | - | - | - |
                  釣った魚にこそ、餌をやれ!(3)
                  0

                     今回は具体論で行きましょう。「釣った魚に餌をやる」具体的な行為の一つはデートであります。「えっ?結婚してからデートとかするの?」とか思った男性は、「釣った魚には餌をやらないワールド」に片脚、入っています。即座に悔改めて福音の示す結婚関係に立ち返りましょう。

                     実は、デートは、結婚前より結婚後の方が、意味も効果も大きいのです。魚を釣った側にすれば、結婚してからデートをするなど、まさに「釣った魚に餌をやる」ような無意味なことに思えてしまうかもしれません。しかし、釣られた魚の方にしてみれば、「餌をもらえなければ死んでしまう」程の大問題であります。

                     これまで、論じてきましたように、釣られた魚状態の妻は、釣られてから餌を与えられないと、ある意味、死んでいきます。夫からの愛情実感を得られないなら、妻は女性として死んでいくのです。女性らしいつつましさを失い、美容や容姿に対して努力を放棄して、子どもや趣味などに過度にのめり込んだり、それに自己実現を試みます。

                     それを防いで、夫にとっても喜べる妻でいてもらうためにできることの一つが、結婚後のデートなのです。これは「妻のためだけに一定の時間を取る」ということです。これは夫や子どもや周囲と社会のためにばかりに生きている妻にとっては、最高に愛情実感できることの一つとなります。「夫が自分だけのために時間を使ってくれる」、それは、人にもよるのでしょうが、男性には理解できないほどの喜びのようです。ましてや、家から離れた非日常的空間であれば、幸せ実感も、倍増なのです。

                     ここからは更なる具体論にいきましょう。大切なのは、夫から提案をすることです。妻に言われて嫌々であっては効果半減。「今度の土曜日は、どう?子どもをあずけて、ランチとお茶しない?」とか、夫が提案するのです。愛というものはそれが、自発的であるほど、受けた方はうれしいものです。頼まなくても、求めなくても、命じなくても、自発的に相手が愛してくれるとき、大きな喜びを実感するものです。これは自発的で一方通行無条件の神様の愛と同様ですね。

                     次には、妻限定のデートをすることです。つまり、子どもなどを同伴せず、夫婦二人きりでなければなりません。そうでないと家族の時間を外で持っているに過ぎません。特に子どもがいる家庭では妻が、夫を独占できることが大切。

                     そこで、幼い子どもがいる場合は、誰かに子どもをあずけるのです。子育て夫婦のデートは、それをしてまで、託児代金を支払ってでも、する意味があると私は思います。お願いするのは、夫婦の親、教会の先輩夫婦や老夫妻、ベビーシッターしてくれる青年や学生、あるいは託児業者などです。場合によっては、夫のほうがその手はずを整えてしまうのも、いいかもしれません。お膳立てを全部してしまうと、妻は大感激かも。

                     最後にお勧めしたのは、時間であれ、費用であれ、負担は夫がすすんで払うことです。お茶代や一食分くらいは、可能ならですが、お小遣いの中から支出しましょう。託児の御礼や費用が必要なら、それも支払えるといいですね。あくまで限られたお小遣いの中で可能ならの話しです。その愛はきっと妻に通じると思いますよ。

                     さらには、職場で可能なら、有給を取って、半日を妻とのデートに費やすのも、お勧めす。えーっ!「それじゃあ、休みにならない」「職場休んで、残業かよー」だって?その気持ちは分かりますが、結婚後のデートが、そこまでの意味があるかどうか?妻に尋ねて、夫婦で共に考えて欲しいです。

                     残念ながら、ほとんどの男性に潜むのが「釣った魚に餌をやらない」罪と愚かさ。それ故に、結婚後のデートの大切さ、それが妻にとってどれだけ愛情実感を与えるかがわかりません。だからこそ、夫である皆様には、騙されたと思って?の実行をアピール申し上げます。

                     蛇足ながら妻である皆様にお願いです。夫がデートをしてくれたら、どうか、夫に感謝と賞賛を、過剰と思えるほどに与えてやって下さい。これがないと、夫はきついのです。なかなか夫は妻と同じようには愛情実感や幸福感を得られないものですから。逆に、顔に表さなくても、夫は妻からの感謝、賞賛、尊敬が最大のエネルギーです。きっと、次のデートもがんばろうと思うことでしょう。(どうしても夫にとっては妻とのデートは努力目標や残業になりがちなのです。)そんな男性心理をご理解いただいて、妻の側の配慮や努力もお願いしたいものです。

                    | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 12:40 | - | - | - |
                    釣った魚にこそ、餌をやれ!(2)
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                       「釣った魚に餌をやらない」という言葉の根底にあるのは、結婚自体をゴールと考えるおバカ発想であります。結婚とは結婚をすることではありません。聖書によれば、結婚とは結婚をした後の結婚生活のことであります。女性は男性より本質的ですから、結婚した後の結婚生活を問題にします。

                       狩猟本能一発で生きているトホホな男性は、自分が満足する結婚相手をゲットした時点で、ゲームオーバーなのです。しかし、聖書には、「誰とどう結婚するか?」についての記述は意外と少ないです。それに比して「結婚してからどう歩むか」についての指針は、しかもかなりリアルだったり具体的だったりします。

                       不適切な喩えでしょうが、聖書は「どう餌を与えて魚を釣るか?」ではなく「釣った魚に餌を与えてどう育てるか?」を記しているわけです。聖書的に大切なのは、「捕獲」でなく「飼育」の方なのであります。(もちろん、結婚は飼育ではなく、相互成長しつつ共に生きることですから、誤解のありませんように)。

                       以前の記事で記しましたように、妻は夫より本質志向です。夫の学歴、地位、業績より、妻への愛で夫を評価し、尊敬度が決まるもの。特にクリスチャン女性は本質的です。夫の成功や実績、出世、お金で妻の尊敬勝ち取ろうとしても無理です。それはになっていません。

                      以前の記事はこちら!「妻の本物志向が夫を本物に育てる」
                      http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3456

                       むしろ、聖書がズバリ記している「キリストが教会を愛しご自身をささげられたように夫は妻を愛せよ」との聖書の言葉に従おうと真摯に努力する夫を妻は尊敬するのです。そして、そのような夫であれば、クリスチャンの妻の多くは喜んで、従います

                       夫からの愛情実感は妻にとっての最高のアンチエイジング、いつまでも若く美しくいてくれて、情緒も比較的安定します。夫との関係が良好なら、子どもへの接し方も適度の愛情注入と距離感を保ってくれます。かくして夫婦円満で子どもは健全に育ちやすいわけです。もう、いいことづくめです。そう考えますと妻への餌やりは、最高の投資とも言えるのでは?

                       では、餌を与えるとは何か?まずは、妻の話をじっくりと傾聴することです。思いや感情をしっかり受け止めることです。正解や応答は二の次のようです。自分のことばかり考えやすい男性ですが、妻に関心を払い、優先順位を与えることです。プレゼントや肉体的接触によって深く愛情実感を得る妻もいるでしょう。女性が「餌」と認識するものは、人によって多少異なるようですから、それを知って、特定して、餌を与えることです。

                       妻に餌を与えれば、妻も夫に餌を惜しまぬものです。夫への尊敬、賞賛や従順、心強い応援や支え、優しい励まし、慰めを与えてくれるもの。妻に不満だらけの夫の皆さんは、一度、ご自身が「釣った魚に餌を与えてきたかどうか?」自己チェックされてみてはどうでしょう?

                       「釣った魚に餌をやる」のは聖書的な「夫の妻への愛」に通ずるもの、そして、最高の投資、最も確実で豊かな報いと見返りがあること。男性にとっての、結婚生活の豊かさは、「どれだけ釣った魚に餌を与えてきたか?」に比例するのではないでしょうか?
                      | ヤンキー牧師 | 夫の課題と成長 | 09:53 | - | - | - |
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