命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
女は音楽会、男は美術館
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     昨日、「ラジオ人生相談」を聞いておりますと、夫の浮気癖に離婚を考えている妻に、回答者が、男性理解を願ってこんな言葉で諭しました。

    「女は音楽会、男は美術館

     女性にとって、異性関係は、音楽会のようなものです。一つの音楽会で楽しめるのは、通常一ジャンルの音楽だけです。クラッシクとジャズとロックの三つアーチストを一回で楽しめません。しかし、男性にとっての女性関係は、、美術館のように、多様なアーチスト、絵画、彫刻など様々なタイプの作品を楽しめるというのです。つまり、女性は一人の男性にのみ関心と愛情を向けますが、男性は多数の女性に関心と愛情が分散してしまうのです。

     よく言われることですが、「女は、一人の男に真実に愛されることを願い、男性は、多くの女性に愛されることを願う」というのと同様の趣旨でしょう。

     実際に正常な人格の女性であれば、夫から真実に愛されていたら、まず、浮気をすることはありません。しかし、正常の男性の多くは、妻から真実に愛されていても、なお、他の女性に気を惹かれたり浮気心が芽生えたりです。これが現実なのです。

     女性は「あんな素敵な奥さんがいるのに、浮気するなんて」と驚いたり、ショックを受けたりします。きっと真面目な独身男性は、「あんな素敵な奥さんがいたら、自分は絶対に浮気なんかしない」と思うでしょう。私も独身時代はそう思いました。しかし、既婚者男性の多くは、自分の立場に置き換えて、「きっと、あんな素敵な奥さんでも、浮気心は芽生えるかもなー」と想像することでしょう。そう、男性は最高の音楽会でも、満足しきれず、美術館に移動したがる罪深さを持っているものです。

     これは、コロサイ3:5によれば、性の世界における「むさぼり」であり、「そのまんま偶像礼拝」なのであります。偶像礼拝の本質は、刻んだ像を神様の代理として拝むことではありません。それは、本質の具現化に過ぎません。偶像礼拝の本質は、人間の欲望の無限肯定です。真の神とその言葉を退けてまで、その実現を目指すなら、その欲望対象が、偶像なのです。

     その意味で、男性は、恵まれた結婚の中にあってもなお、性を偶像としやすい罪深さがあるように思います。逆に、妻は、結婚関係の中で、夫を偶像としやすいのでは?創世記3章にあるように、本来、神との関係で得るべき究極のアイデンティティーを夫との関係に求めるあまり、夫に依存したり、現代では、逆に意に沿うように夫を支配したりすることが、妻の側の偶像礼拝のように思います。

     「結婚関係の外に偶像を持ちやすい男」と「結婚関係の内に偶像を持ちやすい女」という傾向はあると思うのですがどうでしょう?こうした男女それぞれの罪深さが、結婚生活の困難さの奥底に潜んでいることも少なくないように感じています。

     ラジオでは、その相談者女性が、離婚前にすべき努力をしておらず、離婚する覚悟もできていないため、「男性の浮気はある程度仕方ない、一定、寛容であるべき」と回答者は相談女性に伝えていました。この言葉はおよそ同意できませんが、「音楽会と美術館」の喩えは、異性理解のために有効な言葉だと思いました。

     女性読者におかれましては、浮気に寛容である必要はありませんが、男性のこうした残念な現実どうしようもない弱さについては、ご理解をいただき寛容であっていただきたいとは願うのです。少なくとも、自己感覚という「物差し」で男性を計測して、浮気心を垣間見せた男性に「信じられない」とダメ出しをしたり、「ありえない」と断罪しないで欲しいなとは、願うわけです。同時に、自分の側にあるかもしれぬ「結婚内偶像礼拝傾向」についても、一度考えてみてはどうでしょう?

    | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 12:19 | - | - | - |
    今どき男子を考える(4)〜イメージ系男子
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       「今どき男子」について教えていただいた25歳男性の見解によれば、今どき男子は二極化しているそうです。一方は、将来に危機感をもって、悩んだり準備したり努力している「今どき男子」です。もう、一方は将来のことなど考えず、当面のことだけで日々を過ごしている「今どき男子」とのこと。

       後者の中に含まれるあるタイプの男性たちは、月収が15,16万円にもかかわらず、ファッションや持ち物に大金を投じます。根本にあるのは自分をよく見せようという思いです。しかし、自分成長や内面を磨くためには投資しません。あくまで、「外見だけ」なのです。彼はこのタイプの男子を「イメージ系男子」と命名しておりました。

       女性にもてたくて、見栄をはる気持ちは分かります。そのために無理をして、ファッションや車に投資したのは、昔からのことです。昔から「もてたがり見栄張り系男子」は存在したのです。では、従来の「もてたがり見栄張り系男子」と昨今の「イメージ系男子」は、どこがどう違うのでしょう?

       従来の「もてたがり見栄張り系男子」は、一定の経済的裏づけと金銭管理能力がありました。正社員で終身雇用で安定収入なので、多少無理をしても経済的な見通しはつきました。その中で、背伸びをしてちょっと分不相応な衣服と車を購入していたと思うのです。

       しかし、昨今の「イメージ系男子」は、一定の経済的裏づけと金銭管理能力に欠けているようです。非正規採用で不安定な雇用状態の中、経済的な見通しがつきません。将来のために貯蓄や、次のステージのための資金も必要です。しかし、そうした金銭管理をせずに、目新しいもの、かっこいいものを次々と購入します。「収入に応じての支出」という観念自体がないかのようです。

       ここが、従来の「もてたがり見栄張り系男子」との違いでしょう。金銭管理能力があり、「収入に応じての支出」も分かっている上で無理をしているのと、それらがなく分不相応の支出をするのは、大違いだと思うのです。前者は「もてたくて無理している大人」ですが、後者は「大人になりきれず、消費社会で溺れているお子ちゃま」と言えそうです。

       なぜなら、一定、自分の欲望をコトロールし、金銭管理ができ、収入が示す分をわきまえているのが大人だからです。それを十分訓練され身に着けないままで、不安定雇用で低収入、消費の誘惑にあふれているこの消費社会に出れば、どうなるかは明らかです。

       外側だけで中身の乏しい「イメージ系男子」には、賢い女性は近づいてきません。恋愛対象にはしてもらえても、本気で共に生きる対象としては見てもらえません。経済的裏づけも金銭管理能力もない男性は、真面目な女性にとって結婚対象にはならないでしょう。結局、当面ことだけで生きている男には、同じような女しか寄って来ません。そうなれば、どうしても展望も責任感もない男女関係の「作っては壊しの繰り返し」となりがちです。願わくは、純粋無垢な子どもを未熟な両親の犠牲にする結婚だけは避けていただきたいものです。

       「人格的成長」「心理的親離れ」「自立」「自己責任」「自己管理」などの言葉を聞いても、自分のこととして実感できない、イメージできない男性たちが、うすっぺらな「イメージ系男子」になりやすいのだろうと予想します。これらは、10代に家庭の中で、主に親から指導され、実生活の中で訓練され、一定身に着けた後に、社会参加すべきなのです。親や大人は、子どもに対してそうした責任があるはずです。
       
       そう考えますと、問題なのは「イメージ系男子」自身ではないのかもしれません。むしろ、彼らを生み出すような日本の親たちのあり方、家庭の機能喪失、勉強はさせても学力(市民社会に参加する力)を高めない学校教育、社会教育の方に、問題があるのかもしれません。キリスト者たるもの、自らの痛みとして、この「イメージ系男子」を生み出すことの問題を受け止めたいものです。
       

      | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 20:10 | - | - | - |
      今どき男子を考える(3)〜さそり系男子
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         前回は、傷つくことを何より恐れ、傷つかないようにと立ち回る自己防衛的な「専守防衛系男子」について考えました。今回はその「バージョンアップ版」を考えてみましょう。

         以前、ある大学教員とお話しをしました。クリスチャンであるその先生は、退学する学生たちについて、心を痛めておりました。それは退学理由のトップが、昔と違い、学力や意欲、針路変更や経済問題ではないからです。実質的な退学原因はほとんどが、「人間関係」だからです。仲間の学生とうまく行かない、指導を受ける先生との関係がきついので、最終的に大学を辞める学生が多いというのです。とにかく傷つきやすく、一旦、傷ついてしまうと人間関係を改善する努力ができないのだとか。

         しかし、その先生はおっしゃいました。「でも、傷つきやすく学生の中には、随分、人を傷つける言動をしている学生も多いのです」と。これは「傷つけられた被害者の自分は見えても、傷つけている加害者の自分は見えてない」というタイプです。これは、支援や指導をする側としては、大変やっかいなタイプです。

         「傷つけられるのを過剰に恐れ、自己防衛をしながら、他者に対しては傷つける言動を平気でしている」。このタイプの男子を、私は「さそり系男子」と呼びたいです。

         新約聖書ルカ11章においてイエス様は会衆に「を下さいという子どもに、さそりを与える父親はいないでしょう」とおっしゃいました。註解書によれば、パレスチナ地方のさそりは背中が青白く、砂に埋もれて背中だけを出していると卵のように見えたのだとか。実際に卵と思って拾った子どもが刺されることもあったそうです。

         さそり系男子は、まさに卵の殻に閉じこもるように、ひたすら傷つかぬことを最優先として、自己防衛に生きます。そうした男子を無害と判断し、可愛そうに思って近づくと、大変!さそりのように、毒針で刺されてしまいます。

         「傷つきやすい人ほど、実は無意識に人を傷つけている」という見解は、ある程度真実だと私は思います。傷つきやすい人は、傷つかぬように、先に相手を傷つける先制攻撃をすることがあります。卵の殻の中にある触れられたくない要素は、彼の中に、他者への怒りや社会への憎しみを作り出すことがあるようです。その蓄積・凝縮された毒が、彼に触れる人を攻撃することも。あるいは、単なる人格的未成熟さからの自己中心性が、「傷つく自分が世界で一番大切で、自分が傷つけてしまった他者については無関心な人物」に彼をしているのかもしれません。

         こうしたさそり系男子は、教会に時々お見かけします。ただ、このタイプは男子だけでなく、年配者男性にも、また、年齢に関係なく女性にもおられ、その支援を願い実行する愛情深い教会の方々傷つけられながら、労苦しておられるのをよく見聞きします。ただ、従来になく、若い男性にこのタイプが急速に増殖しているようなので、今回、記事として取り上げました。「さそり系男子」との表現も、レッテル貼りに使うのでなく、彼を正しく理解し、賢く関わり、その成長を助けるために用いていただければ幸いです。

         
         
         
        | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 12:45 | - | - | - |
        今どき男子を考える(2)〜専守防衛系男子
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           先週は25歳男子から「いまどき男子」の生態を教えていただきました。彼自身は「今どき男子」とは、かなり別種のタイプで、客観的に「いまどき男子」を観察・評価している人物。彼によれば、最近は「男子三名で『めし、どこに行く?』がいつまでも決められないタイプ」が増殖中のとのこと。あるタイプが集まると、誰も「〇〇へ行こう」と切り出したり、「〇〇食いたいなー」と提案ができず、お互いがけん制し合うので、いつまでも決まらないのです。

           このことを聞いて、彼との質疑応答が開始。

          「やっぱり、誰かに否定されて、傷つくのが怖いの?」

          「そう、『えっ?そこ行くの?』とか、言われるのが嫌だから、誰も言い出せないんです。」

          「『オレは、そこがいいんだから、付き合えよ』とか言えないの?」

          「そんなこと言えないんです」

          その程度の言いたいことも言えなくて、それって、友だち?」

          「そういう友だち関係を作るんです」

           うーん、考えてしまいました。「自分なら、こういうタイプの奴とは友だちになりたくないなー」と正直に思いました。自分は何言わず、他者の発言を批判するだけのタイプは、個人的には最もムカつく、嫌いなタイプです。「おまえ、そんなんだと友達なくすよ」と説教してやりたいです。

           ところが、どうも最近はこういうタイプが増殖中で、なおかつ「類は友を呼ぶ」で、同様のタイプで友だち関係を形成するようです。「自分の言動の否定=自分に対する人格否定」と受け止めてしまうので、深く傷つくのです。食事場所の提案でさえ、否定されるのが、恐ろしいことなのでしょう。

           このタイプの最大の特徴は、傷つくことを極度に恐れてそれを避けることです。傷つけられるリスクを負ってまで、何かにチャレンジしようとは思いません。

           これは「飛び出せ!青春」でなく「絶対に飛び出さない、青春」であります。

          「当たって砕けろ」ではなく「砕けたくないので、当たらない」であります。

          「石橋を叩いて渡る」どころではなく「石橋を叩く自分を見られたくない」のであります。
           
           涙も汗もない青春です。本気モードで向き合うこともない友情です。これは「自己保身共同体」であります。私はこのタイプの今どき男子を「専守防衛系男子」と呼びたいです。

           傷つけられないことが最優先なので、専守防衛なのです。傷を恐れるあまり、積極的な言動をしないので、専守防衛なのです。専守防衛男子は、自己保身をしながら、自分を傷つけそうにない他者との関係を形成します。そうなると自分の同じタイプの専守防衛系男子が集まります。こうして自分が傷つく可能性が最も低い友だち関係を形成するのでしょう。

           この友だち関係は、本気で向き合うことがないので、相手のことを思って厳しいことは言いません。ですから、安心してそのままの自分でいられますが、別の自分に成長することはありえない関係です。友情によって高めあうことはないのです。向き合うことがなければ、傷つけあうことも少ないでしょうが、成長することも、自分の殻を破る可能性もなくなります。

           こうした「専守防衛系男子」のメンタリティーは、信仰姿勢にも、多大な影響を及ぼすものと予想されます。どうしても、教会内で、本気で向き合う真実な交わりを形成すること、罪を指摘され悔改めることは、かなり困難になるかと思うのです。傷つかない程度の距離を取る交わりに終始し、罪を指摘されることを人格否定として受け取ってしまい、それ以上傷つかぬよう、自己防衛から、「愛がない」「赦すのが愛」と悔い改めを拒否するのもある意味、理解できないこともありません。

           なかなか、こうしたタイプのいまどき男子を理解し、受け止めるのは、簡単なことではないでしょう。しかし、こうした男子が教会や家庭の存在するのは、事実なのですから、この事実を事実として受け止めるところからしか始まらないでしょう。呆れたり、責めたりしたところで、こちらのストレス解消にはなっても、肝心の専守防衛系男子の中には、何も始まりません。

           誰一人この日本社会の強烈な文化や精神性から逃れる事はできません。若い世代の信仰上の諸問題の根底にある今どき男子特有のメンタリティーを理解するすることなくして、対処は困難だろうと思わされました。上の世代にとっては、失望やさばき心がおきやすいのでしょうが、まずは、「専守防衛系男子」への暖かい愛ある理解からスタートするしかないかなと考えているところです。

          | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 10:04 | - | - | - |
          今どき男子を考える(1)〜青年宣教は今や異文化宣教?それともリカバリー?
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             「若者への宣教は異文化宣教海外宣教と考えた方がよいのでは?」。そんな見解を時々お聞きします。いつの時代も、世代間ギャップはあるもの。先輩世代が新しい世代を理解するのは、困難なもの。

             それに輪をかけたのが、1960年代以降の若者文化の隆盛でありましょう。それまで全世界は、世代を超えて共通の民謡や流行歌を歌い、同じ書物を読んで感動していたのです。それが、ロックだの、ヒッピーだの、サイケだの、ラブ&ピースだの、伝統的文化や価値観に反抗する若者文化が出て来ます。こうなると単に世代間格差や理解困難だけではなく、次世代への宣教や信仰継承に「異文化」の要素が加わってきます。

             さらに21世紀になれば、テクノロジーの急激な発達も手伝い、若者文化は、いよいよ先輩世代から乖離して行きます。感性や価値観どころか、言語自体が、伝わらないこともあります。そのようにして、異文化性はさらに強まってきました。

             ですから、同じ日本社会に生きていても、若者は異なる文化の中で生きています。同じ日本語を話していても、異なる言語であるかのように通じません。先輩世代が当然としている価値観が、受け入れられないのは当然です。ですから、若者たちは同じ日本社会と文化の中に生きていても他国に生きているようなものです。

             つまり、ある意味とある面において、若者たちを外国人と思った方が、理解し、受け止めることができるのでは?同じ日本人だと思うから、理解不能で受け入れがたいのです。外国人だと思えば、受け入れられるし、理解する努力もする気になるし、自分の価値観を押し付けてはならないと思えるのです。

             このことを男女に分けて考えるなら、どうでしょう?まずは女性から。若者文化は一定フェミニズムとも関係するのでしょうか?男女平等や女性の自立・解放を進めました。ですから、先輩世代にとって、次世代の女性は理解しがたい面はあるとは言え、「男女平等・自立・解放・社会参加」などのキーワードである程度は理解可能です。

             ところが、男性はどうでしょう?「自立しない・働かない・社会参加しない・結婚しない・人と向き合えない・人間関係構築ができない、強いストレスを受ければ心を病みやすい」などの傾向は単なる若者文化の問題ではないのかもしれません。現実の女性を恐れ、恋愛や性にさえ、積極的関心がない男子も増えているとすれば、今どき男子に起こっている現象は、異文化ではなく、本質の喪失や本質からの逸脱かもしれません。なぜなら、労働、結婚、社会参加、親からの自立などは、創世記1・2章で、創造主が定めた人間の本質として記されtれいるからです。

             そうなると、今どき男子への宣教は異文化宣教であるだけでなく、リカバリー宣教とでも呼ぶべき一面を持っているのでは?言い換えれば、「回復伝道」です。神を離れ幼い頃からゲーム上のバーチャル空間で、非現実的な社会性を身につけ、相手の見えないコミュニケーションで人間関係を営みながら、生身の人格と向き合えなくなっている今どき男子が、神に立ち返り、神との交わりに生きるのです。そこから他者との交わりに生き、自立と社会参加に歩み出せる「主にある健全な人間」に育てていることが、宣教の中に組み込まれる時代になっているのかもしれません。

             「そんなの家庭や学校のすること、教会や宣教団体のすべきことではないでしょう?」と思うのは、ごもっとも。でも、思うのです。かつて教育が平等に受けられない時代に、教会が勉強を教えたのが、今日の教会学校の原点です。だとしたら、自立と社会参加に歩めない時代と社会にあって、その回復を教会が担い、それが、「リカバリーセンター」、「回復宣教団体」になっていくのもありかな?と考えたりもします。現実の「いまどき男子」を目の当たりにしながら、不安を覚え、そうした必要を覚えている方々も少なくないのでは?

             青年宣教は、今や、次世代への宣教ではなく、「異文化宣教」としてとらえるべきなのか?それどころではなく、失われ壊れた魂への「回復宣教」として、とらえるべきかもしれないところまで来ているのか?教会や伝道団体から聞こえてくる「今どき男子」についての困惑や危機感を受け止めながら、そんなことを考えさせられます。

             明日からはそんな深刻なレベルではなく、最近、一青年から教えていただいた「今どき男子」について軽いのりで記してみます。

            | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 10:03 | - | - | - |
            「男の女々しさカミングアウト」は社会的に受容されている?
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               先日、お会いした牧師が、「女々しくて」と男が歌える時代になったと指摘しておられました。なるほどと思います。現代は、遂に男性が自ら「女々しくて、つらいよー」と自らの女々しさをカミングアウトしてしまう時代なのです。

               うーん、これまで男がひたすら隠し続けて、強がってきたというのに、その「女々しさ」をカミングアウトすることは、確かに画期的な歌であります。もしかすると金爆の斬新さは、エアーバンドであること以上に、新しい男性像を提示したことかもしれません。

               「男は男らしくなければ」「男は辛くても泣いてはいけない」「女々しい男は最低」・・・・。

               そんな従来から続き男性たちを縛りもし、支えもしてきたこの男性自己像を、一瞬にして、崩壊させたのが、「女々しくて」なのでしょう。何と言っても曲の最初から「女々しくて、女々しくて、女々しくて」と三度繰り返しが後に「辛いよー」と素直すぎる感情吐露なのですから。

               私が意外だったのは、この曲があまり非難を受けなかったことです。既に時代は、男の女々しさを受容する時代に突入していたのでしょうか?自らの女々しさをカミングアウトし、素直に辛いよと叫び、泣いたとしても、そんな男性を社会は、いいえ、女性たちは、受け止めてくれるということでしょうか?それとも歌っている当人だけが、そうしたカミングアウトを許容される「お得なキャラ」に過ぎないのでしょうか?

               よく言えば、草食系男子というのは、ある意味、自らの女々しさを隠さずに、正直に表現し、なおかつ社会的に容認される自由で楽な男性像を生きていると言えそうです。いずれにせよ、男の女々しさが以前ほどには、もはや隠すべきもの、社会的に非難されるものではなくなってきたのだけは間違いないでしょう。

               これって、聖書的にはどうなんでしょう?ヨシュアは「雄々しくあれ、強くあれ」と命じましたから、男女とも信仰者は、ある意味、雄々しく強くあることがみこころなのでしょう。一方、ダビデは、神様に「辛いよー」正直に、自らの心情を訴えています。これは「雄々しいけど辛いよー」なのでしょうか?それとも「女々しくて辛いよー」なのでしょうか?聖書的な男らしさとは「雄々しいけど辛いよー」と神に訴えることなのでしょうか?それとも「女々しくて辛いよー」と女々しさカミングアウトで訴えても、神様は受容して下さるのでしょうか?

               当世の男性観を伝えるヒット曲をきっかけにしょーもない聖書的ジェンダー論を考えてみました。
              | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 17:24 | - | - | - |
              男は幻想と妄想と空想で生きている?(2)自分の置かれた状況への認識不能
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                  北野誠さんの名言、「男は常に幻想と妄想と空想で生きているんです」が、発せられたのは、ラジオでの一リスナーからのハガキを読んだときでした。それは、こんなお話し。

                 一リスナーの友人(男性)が、離婚して、子ども二人は、奥さんについてゆき、奥さんは別の男性と再婚。離婚した男性は、一人で3LDKのマンション住まい。リスナーが友人に、「もったいないから、マンションを売るか、誰に貸しては?」と提案。それに対してのこの男性の返答は、信じがたいものでした。

                 「そんなことしてしまったら、嫁さんと子どもが帰ってきた時、住むとこがないやろ?」

                 この離婚男性は、妻と子どもが帰ってくる可能性を信じていいるのです。実は、離婚原因は妻の浮気、しかも、その浮気相手の男性と妻は子ども二人を連れて再婚。この状況の中でも、妻子との復縁を信じて待っているのです。

                 このハガキを読んだ北野誠さんが放ったのが、名言。「男は常に幻想と妄想と空想で生きているんです」であります。

                 このレベルの「幻想、妄想、空想系男子」は、特別でしょうが、これに準ずる男性は決して少なくありません。男女関係の中では、著しく自己客観視能力を喪失し、第三者から見れば、「幻想、妄想、空想」としか思えない世界に生きてしまうのであります。

                 くれぐれも女性の皆さんは、こうした男性の幻想、妄想、空想をご理解いただきながらも、損害を被られませんよう、賢明に歩んでいただきたいものです。
                | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 19:50 | - | - | - |
                男は幻想と妄想と空想で生きている?(1)拒否された現実が認識不能
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                   このタイトルは、先日、ラジオでタレントの北野誠さんが叫んでいた名言の引用であります。

                  「男は、常に幻想と妄想と空想で生きているんです」

                   その通りだと、私も思います。特に男女間においては、そのことが、極端になります。そこで、三回ほど、そのことをシリーズで記してみます。

                   先週、クリスチャン男性三名で、男女間のギャップについて、話しておりました。一人がこう発言。

                  「『友だちでいたいから』と断られても、男は、まだ、脈があると期待してしまうから・・・」。

                   それに対してのリアクションは・・・。

                   「本当にそうだよなー」
                   「気を遣って傷つかない言い方してくれているのに」
                   「どうして、男は、断られた現実を認識でできないんだろう」

                   などでありました。次に「では、男性から告白された女性は、どうしたら、やんわりとでもはっきりと男性に分かるように断ることができるか?」というテーマに移ります。「ごめんなさい!これからもずっと友だちでいましょう」ならどうか?と提案。

                   「それなら、可能性ゼロが伝わる」という応答と、「それでもどうかな?」という応答がありました。

                   普段は極めて、現実的な男性が、恋愛界だけは、幻想と妄想と空想で生きていることは、珍しくありません。というよりは、それが、ほとんどです。明確に断りを伝えたつもりの女性と、まだ、脈があると受け止める男性・・・・。終わったつもりの女性とここから新たなスタートを切ろうとする男性・・・。女性はこうした男性理解は是非、知っていただきたいですし、男性自身もこの困った男のサガを自覚して、恋愛感情の中でも、自己を冷静に客観視できるようになりたいものです。
                   
                   「男は、常に幻想と妄想と空想で生きているんです」

                   まさに、男性の本質を言い当てた名言であります。
                  | ヤンキー牧師 | 男性(心理と性)理解のために | 17:45 | - | - | - |
                  異性間の師弟愛にもご配慮を?
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                     異性間の友情成立の困難さと異性間の兄弟愛については、既に論じました。今回扱うのは、異性間の師弟愛であります。

                     まずは、クイズです!「マラソン、レスリング、柔道、サッカー」。これらのスポーツの共通点は何でしょう?

                     正解は、ここ数十年で女性にも開かれたスポーツです。これらの女子スポーツは、歴史が浅いので、女性の指導者はまだ、育っていません。ですから、男子を指導していた監督やコーチが、女子の指導にあたるわけです。

                     男子も女子も、指導するスポーツは同じですから、基本や技術的などは大きく異ならないようです。しかし、指導する相手が男子と女子では、指導者の接し方が大きく異なります。男子への指導者が女子を対象としたとき、問題となることの一つは、実は、女子選手間の嫉妬だそうです。このことは多くの女子スポーツ指導者が経験するそうです。

                     長年男子の指導にあたり、初めてある女子スポーツの指導をした監督は、選手たちから、「監督は〇〇さんや××ちゃんなど、かわいい子にばかりに声をかける」との非難の声を聞きます。最初は全く実に覚えがないので、「とんでもない」と全面否定

                     しかし、落ち着いて冷静に自分がよく声をかけている選手を考えてみると、容姿のかわいい選手や自分が異性として好感度を持つ選手に偏っていることに気がついたのです。つまり、無意識にも選手を異性として見ており、関心のある選手に偏って接していたのが事実だったのです。

                     自分は監督であるのに、選手のチームワークを乱していたことを認めます。選手からの苦情や非難が正当だと分かったその指導者は、それ以来、意識的に関心のない選手に、優先的に声をかけるようになり、チームに一致がもたらされたそうです。

                     男性は無意識のうちにも、女性を異性として認識してしまうようです。純粋なはずの師弟愛であってもそうした要素が混入してしまうのです。恋愛や性の対象となど考えなくても、女性に平等に接することが困難なのが多くの男性たちの現実。だからこそ、教会の交わりの中では、異性をまず、兄弟姉妹として見るような意識的な価値転換の努力も必要かと思います。
                     
                     そういえば、若き草食系?(たぶん)独身伝道者であったテモテに、パウロは勧めていています。「年とった婦人たちには母親に対するように、若い女には真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。」(テモテ5:2)

                     多分、独身であった先輩パウロは、自らも若い女性を異性として見てしまいがちな男性の弱さを、自覚して、弟子であるテモテを諭しているのでしょう。

                     特に男性の指導者とその指導の下にある女性の場合は、どんなに純粋、安全に思えても、どんなに強い信頼関係にあったとしても、一定の距離感をとり、通常の男女間のマナーは必要かと思うのです。「性別を超えた師弟愛などない」とは言いませんが、「そこに危険性が全くない」とも言えないでしょう。

                     中高生や青年などに、「男女だから・・・」と距離感の必要を説くと「そんな思いはないから・・・」「兄弟姉妹、師弟関係だから・・・」と言われたり、「そんなこと考えるのが方が不純」と逆切れされることも。でも、前回と今回の記事で考えてくださればうれしいです。

                    | | 男性(心理と性)理解のために | 17:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                    男女間の友情成立が困難である脳科学的根拠
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                       未婚のクリスチャン女性から時々、いただく質問の中に、「男女で友情は成立可能か?」というものがあります。また、クリスチャン女性からは「主にある兄弟として愛を示したのに、恋愛感情を持たれてしまった」との苦情や相談をいただくこともしばしば。逆に男性クリスチャンからは、「クリスチャン女性から、好意と勘違いするようなことをされて困る」とか「好意もないのに、あまりに親切にされるのは、辛い、残酷」などの声もお聞きします。

                       このことについては以前、ブログ記事に記しました。

                      女性は兄弟愛のつもり、男性は恋愛と勘違いという実例はこちら。

                      「女性側の善意がもたらす男性側の勘違い」
                      http://blog.chiisana.org/?eid=1108920

                       男性が勘違いしやすいこと、また、男女の友情のあり方の違い(女性は感情共有、男性は情報と使命共有)に男女の友情が成立困難な理由があるとの説はこちら。

                      「惚れてまうやろー」
                      http://blog.chiisana.org/?eid=1153076

                       まあ、こんなところで、自分としては納得していたのですが、先日「さんまのホンマでっか?TV」を視聴。某脳科学者の先生が、「男女の友情不成立の脳科学的根拠」を語っておられました。それによれば、友情と恋愛では司る脳の部分が異なるとのこと。どうも、そのために生殖年齢である異性と認識すると友情を司る部分が機能しないらしいのです。「脳が異性との認識」→「脳の友情機能停止」ということのようです。

                       私が思うにこうした傾向は、女性より、男性に圧倒的に強いのでしょう。どうも男性はハンターであって、瞬時に獲物としての女性を見分ける能力が備わっているように思えてならないのです。

                       私自身は脳がすべてだとする「唯脳論者」ではありません。愛するという世界には「霊」の領域が深く関わっていると考えています。しかし、愛の感情や行動、思索として現われたり意識されることについては、脳が大きな役割を担っているのだろうとも思っています。「兄弟愛」を司る部分が脳にあるとしたら、それは、やはり、友情担当と同じ部分なのでしょうか?

                       もちろん、聖書は男女間での兄弟愛を勧めています。しかし、男女間で深く感情を共有するような兄弟愛の実例や勧めが聖書にあるのか?と考えると、戸惑ってしまいます。試練や信仰的問題を兄弟姉妹として、相談し、感情を共有する中で、恋愛関係に発展するケースは時にあるもの。

                       それが神様の導きで、正しい恋愛関係ならいいのですが、性的罪になったり既婚者の場合に不倫に発展するのは困り者。距離が近すぎる男女の友情や兄弟愛が、そうした残念な結果を生み出す可能性もなきしもあらずなのは現実。

                      聖書的な根拠よりは、むしろ現実的、そして脳科学的根拠をもって、男女間の深い友情成立は困難で、異性間の兄弟愛は一定の距離感を保つことが好ましいのでは?と思っています。

                      | | 男性(心理と性)理解のために | 11:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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