命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
クリスチャン女子が経験する「い〜じゃないの〜?」「ダメよ〜、ダメ、ダメ」(上)
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     「日本エレキテル連合会」という名前からしてシュールなお笑いユニットが、人気のようです。その代表的なコントで、異様なメイクの二人が発する「い〜じゃないの〜?」「ダメよ、ダメ、ダメ」のやり取りは、子どもの間でも流行語になっているのだとか。

     ご存知ない方はこちらのウィキペディアをどうぞ。

    ウィキペディア「日本エレキテル連合会」


     9月7日の夜は、宮城県内のホテルに宿泊。牧師先生との会食と幸いな交わりを終えてホテルに帰ると、「行列のできる法律相談所」にあの二人が出演しておりました。そして、ブレイクのきっかけとなったあのネタができたきっかけを語っておりました。それによれば、約2年前、深夜のファミレスで、ネタを考えていた二人の横の席に、熟年のカップルがいて、宮史郎似の70代男性50代の女性を口説いていたとのこと。

    「草津温泉 行かない〜?」「う〜ん…」「い〜いじゃないの〜?」「ダメよ〜」。こんなやり取りが4時間も続いたのですが、連合会の二人はそれをずっと観察していたのだそうです。そして、出来上がったのが、あの大人気のネタであります。


     そこで、クリスチャン読者の皆様にお伝えです。「い〜じゃないの〜?」「ダメよ〜、ダメ、ダメ」は、教会の外の深夜のファミレスの熟年男女や、居酒屋の中年男女や、デート中の青年・学生男女のやりとりだと思ったら、大間違いですぞ!まさに、これは、教会に集うクリスチャン女子たちが、たびたび経験しているやりとりなのです。教会に集っている多くの青年女子、女子大生クリスチャンは当然のこと、予想外に多くの女子高生クリスチャンがこのやり取りを経験済みなのです。青年や学生のキャンプや集会では、しょっちゅうこの手のお話しをお聞きしています。

     もてるクリスチャン女子は特に大変です。ノンクリスチャンの男性(時にはクリスチャン男性の場合も)と交際をしていると、最終的には、「い〜じゃないの〜?」「ダメよ、ダメ、ダメ」のやりとりが起こります。まあ、下品な表現をお許しいただければ「やらせろ」「やらせない」の議論であります。本当に生々しく、リアルな世界です。

     今まで、何人かの未信者男性と交際してきたけど、最後は、すべて、これで別れたと泣いて報告するクリスチャン女子をこれまで何人も見てきました。こうなることが予想できてしまうから、未信者男性とは付きあわないと決めているクリスチャン女子もいます。あるいは、最初から性関係を持たないことを承諾してもらってから、交際をスタートするクリスチャン女子もいます。


     今年になってからも、このやり取りの相談や報告は、多くのクリスチャン女子からいただきました。未信者の彼氏から「それ(セックス)ができないなら付きあう意味がない」と言われ「こちらから、別れた」と報告するクリスチャン女子大生がいました。これには、「大正解!アッパレ、そんな男こちらから捨ててやれ!」と大絶賛。「聖霊の宮」であるクリスチャン女子の体を、「一時的な欲望の餌食」にしてはなりません。

     逆に結婚を願っている未信者男性からの求めに負けてしまい、過ちを犯し、結局、結婚もできず別れたというクリスチャン青年女子もいました。これは、結構よく見聞きするパターンです。彼女は、自分の罪に真摯に向き合い、真実な悔い改めをして、その実を結ぼうとしています。きっと、回復の道をたどってくれることでしょう。

     一番、当人にとって不幸なのは、求めに応じてしまいながら、悔い改めることなく赦しの確認を得ることなく、ごまかして、教会生活を続けたり、結婚をするクリスチャン女性たちです。そのことが当人の罪悪感を深め、夫や神様との関係にまで問題をもたらし、結婚生活や信仰生活に支障や破たんをきたす事例もいくつか見てきました。


     クリスチャン男性が少なく、結婚に不安を覚えてしまうクリスチャン女子にとって、「い〜じゃないの〜?」「ダメよ、ダメ、ダメ」は、もはや、ギャグの世界のやりとりではないのです。まさに彼女たちが、リアルに体験して、傷ついたり、過ちを犯して苦しんでいる世界なのです。

     中高生時代に恋愛や性について聖書から教え、聖書的な恋愛観や結婚観を持たせなければ、こうしたリアルな現場に放り込まれたクリスチャン女子たちは、拒否できるだけの価値転換、聖書的根拠、信仰的確信を持ちえず、妥協しかねないのです。実際に、教会がはっきり語らないために、ぼんやりとした理解のままで、妥協してしまった学生や青年は、本当に多いのです。

     このパターン(彼氏も神様も失う事例)については類似の事例について以前記していますので、ご参照ください。

    性的傷に苦しむ女性たち(3)
    http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=218


     中には教会生活を離れていった者も少なくありません。そして、教会離れの原因を親も牧師夫妻も知らないのです。「そんなことはうちの教会にはないし、これからもない」と思っているクリスチャンの親や先輩、CS教師や教職者は、失礼ながら、おめでたすぎると思います。


     「い〜じゃないの〜?」「ダメよ〜、ダメ、ダメ

     
     あのコントを見たら、どうか、思いだして欲しいのです。こうした現場にいるクリスチャン女子たちのことを。やがて、こうした現場に送り出されていく教会の中高生女子たちのことを!

     教会に集う大人の皆さん、特に親や教職など、指導的な立場にある皆さんにお願いです。どうか、この不都合でやっかいな現実から目を背けないでください。そして、遅くとも中学生の間までには、聖書からはっきりと真理を伝えて下さい。

     教会は、クリスチャン女子という「羊」を「い〜じゃないの〜?」と迫る「オオカミ」の中に遣わしているのです。だとしたら、「ダメよ〜、ダメ、ダメ」と聖書的根拠と信仰的確信をもって言い切れるまでに、彼女たちを教え導く責任が、教会にはあるのではないでしょうか?

     明日はこのやり取りの具体例を紹介して、共に考えたいと願っています。
    | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 15:48 | - | - | - |
    異性理解、男子校出身者はハンデ、女兄弟がいればアドバンテージ?
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       先日、あるクリスチャン男性からお聞きしたお話。大学生の時のこと、学生伝道団体で男性ばかりの集会で、彼はクリスチャン男子学生たちに「スケベ度チェック」を実施。その結果、興味深い傾向が判明しました。それは「男子校出身者はスケベ度が高い」との明確な傾向。

       思春期を共学で過ごせば、女性の現実も多少は分りますから、過剰な期待や妄想は起こりにくいが、男子校で過ごし、同年代の女性と接触がないと姿勢に対しての妄想が激しくなるというのが彼の仮説であります。これには、私も納得でした。

       別の日に、妻とコーヒー店に入ると隣に座った女子大生風二人が、恋愛について、話しておりました。かなり大きな声ですので、聞きたくなくても耳に入ってきたのです。中には、教えられる内容もありました。その一つがこれです。

       「やっぱり、女の兄弟がいる人がいいよね」
       「女性の現実を知っているから、間違った期待をされずに済むからね」

       これにも、また、納得でした。


       あくまで一般的傾向としてですが、異性理解については、男子校出身はハンデで、女兄弟がいればアドバンテージと言えるのでしょうか?

      | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 20:12 | - | - | - |
      恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(5)
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         このシリーズも今回で最終回と致しましょう。

         クリスチャン女性たちの中には、父からの十分な愛を受けることなく育ちながら、それを一定克服している方々が多くおられます。そうなれば、恋愛や結婚に大きな悪影響はなくなります。成長する中で、特にクリスチャンとしての成熟過程で、親の立場に身を置き、寛容になれたり、親を客観視して、自分も同じ弱さや罪を覚えるものです。

         「真面目な父親は家族のため働き超多忙で、娘に愛を示す余裕もなかった。」との理解
         「教会の奉仕、神様のためだから、自分は寂しかったけど、仕方なかった」との寛容
         「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった」という事実認識
         「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなもの」との達観

         感情の深い部分で、「まあ、いいや」「しかたない」「父も辛かったろう」「大人になれば、自分も同じ」と思えているなら、一定克服でしょう。

         しかし、そうではない場合もあります。キリスト教会独自の「親子関係未清算」というものがあるように思うのです。

         「真面目な父親は家族のため働き超多忙で、娘に愛を示す余裕もなかった。」との理解。
         「教会の奉仕、神様のためだから、自分は寂しかったけど、仕方なかった」との寛容。
         「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった」という事実認識。
         「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなもの」との達観。

         ・・・と自分に言い聞かせています。意識上では、そのように自分を納得させています。でも、心の底での思いは異なります。

         「どんなに忙しかったとしても、自分は父にもっと愛されたかった」との強い不満
         「教会の奉仕、神様のためだからと言っても、、寂しいものは寂しい」との本音
         「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった。その事実を納得できない」という怒り
         「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなものだろうが、それでも赦せない」との憎しみ。
         
         理性と感情意識と無意識が乖離しています。皮肉なことにこうした乖離は、キリスト教会だからこそ、起こるように観察しています。では、どうして、こんな乖離が起こるのでしょう。それは、教会がこう教えるからです。そして、それは原則としては、聖書的で正しいことだからです。

        「父と母を敬いなさい
        赦しなさい
        憎んではいけません」

         こうした聖書の言葉、聖書の教えに応答して、最初のように、克服できればよいのです。しかし、それが簡単には、できないような場合も多々あるようです。そこで、起こる事は、偽の解決であります。言い換えれば「自己欺瞞」と「抑圧」です。

         現実にある、父から愛されなかった強い不満、寂しかったという本音、残念な父への怒り赦せない思いや憎しみ・・・・。それらは、心の奥底に現にあるのに、信仰という名目で「ないこと」にしてしまいます。あるいは、表面上の意識に出てこないように心の奥底に押さえつけます。神様が喜ばれないから、罪の思いなので、捨てるのです。いいえ、捨てられない自分なのに、捨てたことにするのです。
         
         これは、克服でも、解放でも、聖化でもありません。「自己欺瞞」か「抑圧」です。そして、このままですと、親子関係未清算状態となるのです。そして、不幸恋愛の泥沼にはまっていくのです。このように、信仰の名目での自己欺瞞や抑圧を、克服、解放、聖化と自分に思い込ませてしまうことは、珍しくないことでしょう。


         このことを分かりやすくたとえてみましょう。親から、こう教えられて育ってきた娘がいるとします。

        「世界中には、飢餓で苦しむ人が多くいる。冷蔵庫の食べ物を腐らせるなど、とんでもないこと」

         ところが、ある時、冷蔵庫の奥にしまって、見えなくなっていたプリンを腐らせてしまいました。しかし、彼女はその事実を認めません。親からの教えに反するからです。親を悲しませるからです。飢餓で苦しむ人々に申し訳ないからです。それを認めることは罪悪感を生み出すからです。

         事実を認めることも、プリンを捨てることもせず、自分に「冷蔵庫内に腐った食品はない」と言い聞かせて、過ごします。遂に、プラスティックケースから、腐敗したプリンが流れ出てきて、悪臭を放ち始めます。冷蔵庫を開けるたびに、その悪臭を嗅いでも、事実を認めません。冷蔵庫の食品がつぎつぎと腐敗していくのは容易に予想できるというのにです。

         これが、親に対しての本心を、認めず、抑圧して、「信仰的」を装ってしまうクリスチャンが、陥る「親子関係未清算」の姿でしょう。

         「信仰的偽装」をしている限りは、一歩たりとも本物の信仰には、近づきません。神様の前に正直な思いを認めることからしか、親子関係の清算は、始まらないと私は思います。

         神様の前に「もっと父に愛して欲しかった!」と泣くのです。
        「教会に父親をとられたようで、寂しかった」と本音を訴えるのです。
        「どうして、あんな父なのですか?」と神様に正直な怒りを伝えるのです。
        「父の体罰で傷つき、父を憎んでいます」と憎しみをも神様の前に認めるのです。

         できれば、信頼できる導き手となるクリスチャンに聞いていただき、受け止めていただいてもよいでしょう。

         そんな神様の喜ばれないものを、神の前に出すのは、不敬虔だとの反論もあるでしょう。神に聞いていただくのでなく、神に聴くのが人間の本分だとのご意見もあるでしょう。しかし、私は、最も神と人との親密な関係の代表とされるダビデと神の関係、ヨブと神の関係は、こうした正直なものだったと考えます。神の前に自らを偽らず醜い思いや不信仰の言葉さえ、語る親密さは聖書が模範として示していることではないでしょうか?暴論かもしれませんが、これが、私なりの親子関係清算の第一歩です。

         不幸恋愛者の皆さん、冷蔵庫内の腐ったプリンを認めましょう。心の冷蔵庫の一番奥に隠れている愛してくれなかった親への不満、深い寂しさ、怒り、憎しみなどを認めましょう。そこからしか、悪臭と腐敗進行を止めることはできませんから。父の本質を持つ男性にしか、魅力を感じず、不幸恋愛を繰返す「不幸連鎖」から、脱するためには、親子関係に向き合い、それを清算するしかないのでしょう。

        聖書は命じます。

        「父と母を敬いなさい
        赦しなさい
        憎んではいけません」

        他方で聖書は親子関係の清算と、正直な交わりを示しています。

        「それゆえ男はその父母を離れ・・・・」
        「主よ、いつまでですか?」
        黙っていないでください」

         片方の言葉の故の自己欺瞞や抑圧はもうやめましょう。それは聖書の言葉に従っている振りに過ぎませんから。他方の真理は、その信仰的偽装から、私たちを解放し、健全で幸せな恋愛や結婚へと導きます。

         当事者かもしれないと思われたら、記事を参照し、愛をもって本当の事を言ってくださる成熟したクリスチャンや指導者にご相談されるようお勧めします。そして、とりあえず、親子関係未清算のままで、恋愛をされないことを切に願います。また、このシリーズが不幸恋愛者の女性の近くで、祈り支えておられる方々の一助になれば幸いです。
        | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 21:08 | - | - | - |
        恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(4)
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          「実際は違うのに軽い女に見られる」
          遊んでいると誤解される」
          「よく男性から声をかけられる」
          「よくナンパされる」

           そんな相談を、クリスチャン女性から受けることがあります。昔は、「そんな誤解を受けないように自分の側できる努力をしましょう」とアドバイスをしていました。具体的には、男性の心理を理解して、無用な誤解をされるような服装やメイク、しぐさは避けて、「しっかりした女性」に本質面で成長して、それが、外にも現われるようになりましょうね。そんな、アドバイスをしていました。

           それでOKの女性も多いのでしょうが、一部、問題の本質がそうではないケースもあることを近年は学びました。何冊かの書物に、それが、父親の愛を実感できなかったことに由来するという見解があったからです。つまり、こうした現象は、「父性愛欠損→不幸恋愛」パターンの一つの現われだと言うのです。

           そうした相談者を思い浮かべると、確かに、一部には、父親からの愛を実感できなかった女性、父親に甘えた記憶のない女性、父親から暴力、あるいは、行き過ぎた体罰を受けて育った女性、中には、父親から性暴力を受けた女性もいます。いくつかの書物での見解によれば、そうした女性たちは、与えられなかった父性愛を求めて、比喩的な意味でのフェロモンやオーラを発するのだそうです。

           当人は男性を誘う意識などないのです。異性関係では真面目なつもりの女性です。しかし、心の奥底には、そうした思いがあるので、何らかの形で、それが表出されるのだとか。無意識のうちに男性を誘うような装いやメイク、しぐさや表情をしてしまい、そうした雰囲気をただよわせてしまうのだとか。それを感じて、軽い男性がアプローチするわけです。あるいは、そうした女性を直感的にあるいは経験的に見抜く悪質な男性の犠牲になるのです。

           こうした女性に好意を持つのは、やはり残念な男性たちになりがちです。真剣に相手を大切にしたり、結婚して二人で協力して人生を歩もうと願う健全で誠実な男性でないことが多いようです。ですから、好意を寄せられて、交際しても幸せな恋愛とはなりません。あくまで仮説として主張されている理論ですが、私の感覚と経験では、けっこう当たっていると思います。

           こうした不幸な女性として日本で一番有名なのは、作家で漫画家の内田春菊さんでしょう。作家としてのデビュー作であり、直木賞候補ともなった「ファザーファッカー」の冒頭は衝撃的です。内田さんは自分の最も不幸な経験を告白します。自分はよく「娼婦の顔をしている」と言われるが、そんな経験はない。しかし、考えてみたら、自分は、売春をしていた。宿のおかみは母で、唯一の客は父であったと。家庭にいて生きるためにはそうせざるを得なかったのでしょう。彼女は、悲惨な家庭環境に育ち、高校時代には義父からの性暴力に耐えかねて家出をして、後に優れた作家、漫画家となります。

           ある意味、成功者なのでしょうが、その恋愛と結婚を見るなら、失礼ながら、完全な破綻者といわざるを得ません。人の顔が与える印象は顔の作り以上に表情です。そして、その表情は、時にその人の深い内面の現われであることも。内田さんの責任ではないのですが、そうした顔だと言われるに至ったのには、父との関係が要因だったと推測されます。

           父性愛の欠損、父への甘えの欠如、父からの暴力などは、女性の恋愛、特に彼氏・伴侶選びに決定的な悪影響を及ぼすとの見解に、よく触れます。最初にあげた、当人は意識しないが誤解され、被害を受けるようなことも、時に、父親との関係に由来するようです。

           そう、誤解を受け、被害を受ける女性に責任はありません。彼女は父親の被害者だからです。責任のない娘が、罪の報いを受ける、それが、親の罪、独自の罪深さ、残酷さなのです。

           それでも、娘である女性は幸せになるために、自らの深い問題に向き合い、親との関係を清算していただきたいのです。そのために本日の記事が一助になれば幸いです。

          | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 09:49 | - | - | - |
          恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(3)
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             なぜ、不幸な親子関係が、不幸な恋愛につながるのか?であります。言うまでもなく、本質が父親そっくりの男性を選ぶからです。では、なぜ、わざわざ選んでしまうのでしょう?いろいろな説明がなされているようですが、大枠は類似しているように思います。

             よく言われるのが共依存です。DVやアルコール依存の父の下で育った女性が、父と同様の問題を持つ男性を好きになるというパターンです。弱さを持つ男性が受容的で支えてくれる女性に依存しているのは、よく分かります。分からないのは女性側の心理です。そんな男性を「私がいなくてはこのひとはダメになる」と思い、お世話をすることで「自己価値確認」をするという依存に陥っているのです。女性も男性を実は依存対象としているわけです。
              DVやアルコール中毒でのこうした事例はよく知られていますが、機能不全家庭の原因となるような父親の大きな欠損が娘に同様の恋愛行動を取らせるとの見解はよくお聞きします。共依存関係のの二人が結婚する事は、御心とは私は思いません。なぜなら「父母を離れ」と聖書は自立した者どうしの結婚を定めているからです。共依存関係や同情心での結婚は、結婚らしい形は維持できても、結婚本来の目的を果たしえないでしょう。

             「父性愛の欠如の取り返し」などの説明もよく書物に出て来ます。幼児期から児童期にかけて、父親からの愛情実感が著しく欠けていて、その大きな不足分を、恋愛対象に求めてしまうというのです。私はそうした面を持つ女性は少なくないと思います。でも、多くは正常の範囲で、健全な男性を選ぶものです。しかし、それが、著しく欠けてしまい、他の何かで、心が満たされないと、猛烈に恋愛に走ります。恋愛体質や惚れっぽい女性は大抵そうなのだとか。
             これは父性愛のリベンジですから、選ぶ相手は、父に似た男性となります。恋愛自体が、リベンジ目的ですから、父と違う男性ではいけないのです。それで、わざわざ、優しそうでも、実は愛してくれそうもない男性に惹かれてしまうです。中には、父と同じような年齢の男性、しかも独身者では物足りないので、既婚者男性に惹かる女性も。若き不倫女性の中には、父性愛欠如者も多いのだとか。

             「抑圧された甘え願望の現われ」という解釈も読んだことがあります。子どもは自立に向けて育てられるべきです。しかし、自立のためには、幼児期や児童期に愛情実感をすることが大切。愛情が満たされれば、満足して、思春期からは、親から求めず親を離れて自立します。そこで、子どもらしい甘えの欲求を満たすことが必須となります。ルールや秩序を教える事は大切ですが、大人同様の自由と責任の主体者であることを子どもに求めてはなりません。それは、間違った子どもの大人扱い。子どもは正しく子どもをさせて、わがままではなく、子どもらしい甘えの欲求を満たしてやることです。

             たとえば、幼児期から習い事をさせられ、教育熱心な親の要求を満たしながら、他方で父親に甘えた経験なく育ったとします。これは、子どもをしていない子どもです。そのように育つと、甘えの欲求や依存心を持ったまま、大人になります。一定の年齢となれば、学校、社会、友人関係で、露骨にその甘えの要求をするわけにはいきません。甘える相手は言うまでもなく、恋愛対象です。そして、選ぶのは甘えさせてくれる愛情の器の大きな男性ではありません。甘えさせてくれなかった父親と本質が同じ男性です。なぜなら、甘えさせてくれなかったのは、父だからです。甘えさせてくれなかった父親を憎みながらも、愛しているような矛盾した心理なのかもしれません。甘えの欲求を残しているので、父に執着し、父との関係が未清算で、「父母を離れて」いないのです。

             以上のようなものが、「不幸な親子関係=不幸恋愛者」の因果関係、あるいは「親子関係未清算→不幸恋愛」のメカニズムとして、よく主張されている内容です。父親から一定の愛情実感を得ている女性は、過剰に恋愛に期待しないそうです。いい人がいれば付き合いますし、そこそこ健全で責任感ある男性を選んで結婚します。自分の幸せを願っいて、それなりにふさわしい人を選んだり、選ばれたりするものです。
             しかし、父との関係が未清算ですと、そのリベンジ、謝金返済が、恋愛と結婚の目的となります。ですから、結果として、幸せな恋愛と結婚を願わない選択をしてしまいますし、幸せにしてくれそうもない男性の標的とされ、犠牲者となっていくようです。

             不幸恋愛者でこうした自覚のある方々は、どうか、問題の本質が、自分の恋愛観ではなく、親子関係にあることを認めて、その問題に向き合うことをお勧めします。それを認めるところから、大きな一歩は始まるのでしょう。どうか周囲の祈りと助け、霊的指導者の援助や時には専門家のアドバイスを受けて、不幸な恋愛に向かうのでなく、その前に親子関係の問題に向き合っていただきたいと願います。いつの日か、健全な男性に魅力を感じる幸せ恋愛者となり、幸いな結婚に向かわれるよう願ってやみません。

             
            | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 20:02 | - | - | - |
            恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(2)
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               「父母を離れ」という聖書の原則は、「妻と結び合い」との結婚はもちろんのこと、その準備段階である恋愛においても、大切な前提であろうと思います。恋愛の段階であっても、幼児期からの不幸な親子関係はそのまま、不幸な恋愛へとつながるのでしょう。

               親子関係の精算ができていない恋愛の悲惨さを教えていただいたのは、、現実にそうした女性たちと出会い、悲惨な体験をいくつも御聞きしてきたからです。彼氏からの暴力やモラハラを受けてきた女性もいれば、妊娠して彼氏に逃げられたりした多くの女性もいます。

               思い返してみると、ほとんどの女性は、自分からそうした男性に魅力を感じて、交際するのです。まるで選んだかのように、自分を傷つけたり、妊娠した彼女を捨てたりと、本当の意味で女性を愛せない男性無責任、不誠実な男性を好きになってしまうのです。

               改めて、それらの女性たちを思い浮かべると、これまたほとんどが、不幸であったと思われる親子関係の中で育っているのです。まず、両親夫婦が不仲です。あるいは片親家庭です。そして、家庭を放棄した父親、DVを振るう父親、自立できていない幼児性が明らかな父親ばかりです。

               「選んだかのように」と記しましたが、当人を責めるつもりはありません。多分、無意識に選んでいるのでいるのでしょうから。また、そうした男性たちにも好かれて選ばれるのです。そうした男性は、直感的に彼女たちを見抜いて近づくと多くの専門家は指摘します。

               ある女性たちは彼氏は父親とは似ていないと言います。父親とは違う優しくて、カッコいい彼氏です。しかし、中身は父親そっくりです。表現上の意識では、「父親とは正反対の男性だから」と選んでいても、心の奥底では、「本質が父親と同じだから」選ぶのです。そうした男性に理屈ぬきで魅力を感じてしまうようです。そういう男性は、大抵、優しさの裏に、弱さを秘め、自分を愛せません。それが、愛と正反対の暴力性責任感と決断力の欠損として現われるようです。

               不思議なように、こうした女性と、不健全男性はまるで、磁石のS極とN極のように、惹き合ってしまいます。直感的としかいいようのない臭覚で互いを判別しているようです。

               あちらこちらの集会や教会で、時々、こうしたクリスチャン女性にお会いします。好きになる男性は、いつも心の歪みや人格上の問題をもった人ばかり。「クリスチャン男性なら、大丈夫」と思って交際したら、実はそういうタイプだと発覚というパターンもあります。この女性はわざわざ、数少ないクリスチャン男性の中から、直感的に深い心の闇を持つ男性を選んで、交際をするのです。

               恋愛体質や惚れっぽさが心配な自分、ダメンズウォーカーの自分、交際男性が続いて不健全であった自分・・・多くの女性は、ある程度気がついています。原因が生育歴、とりわけ父親との関係にあるだろうと。

               私は相談を受けた場合、対処療法として、四つのことをおすすめします。

              自分が魅力を感じる男性とは交際しないこと。
               男性からアプローチされても、好きなタイプはやめておくこと。おかしなアドバイスですが、これは、わざわざ最悪の男性を選んで、不幸な恋愛をするのを、阻止するためのアドバイスです。こうした女性は自由に恋愛をさせると、最悪の男性に魅了されてしまうのです。

              交際を決める前に必ず、第三者に相談すること。
               当事者、二人だけで決めるのは極めて危険です。マイナスどうしで惹き合う不健全恋愛と予想されるからです。同年代の同性ではなく、教会の指導者や先輩の既婚者夫婦などが、相談相手としては安心でしょう。必ずしも相手男性の不健全性も見抜けるかどうかはわかりませんが、かなりの確率で不幸恋愛を阻止できます。

              どうしても交際をしたいなら、あまり好きでないタイプのクリスチャン男性に。
               彼女が魅力を感じないクリスチャン男性は大抵、健全で誠実です。交際しても彼女は楽しくなく、愛を実感できません。父親によって愛情回路が、歪まされているからです。それでも、この交際が、健全な男性からの正常な愛を体験させるでしょうから、プラスとなることを期待するのです。実際は、幸せになるはずの恋愛なのに、彼女は満足ができず、最終的には、男性の方がサジを投げることになることが多いようです。彼女が恋愛に求めているものが、歪んでいるからです。

              ぐ貳屬里すすめは、「カウンセラーにお世話になりましょう」です。
               これは、対処療法でなく、根本的治療です。最も、確実で、効率のよい解決法はこれだと私は思っています。彼女の病んでいるのは「恋愛」ではありません。病みきった親子関係が、恋愛に表出しているに過ぎません。そこにメスを入れるのはプロにお任せすべきだと私は考えています。
               もちろん、「天におられる健全な父」である神様との関係を深めれば、癒しも期待できるでしょう。祈りとみことばが、心の深みに届き、根深い歪みを正常に変える可能性もあるでしょう。しかし、優れた霊的洞察力や導く力をお持ちの指導者も、なかなか恋愛の心理という面での人間理解には、詳しくなく、一般的な牧会では、解決が困難かと思うのです。

               不幸にも、親子関係で莫大な借金を負わされてしまった恋愛者は、それを精算しないままですと、いつまでもその借金に恋愛の脚を引っ張られます。

              「不幸な親子関係未清算者=不幸恋愛者」なのです。

               幸せな恋愛を願っても、借金の分だけ、不幸恋愛に向かいます。それを防ぐには、借金を清算することです。本格的な恋愛をする前に、親子関係の清算を済ませておくことです。

               
               この記事示すような内容は、恋愛の真面目な本に、あるいは、機能不全家庭、共依存など家庭病理を記した書物には、よく書かれていることです。図書館で数冊お借りになるだけで、「不幸恋愛者」が理解できると思います。

               拙い記事ですが、該当者当人と周囲の方々にとって、この課題についてのより深い理解につながればと願います。次は、「親子関係」と「不幸恋愛」の因果関係、「親子関係不精算→不幸恋愛」のメカニズムを記そうと思っています。

              | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 15:54 | - | - | - |
              恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(1)
              0

                 学生や青年のキャンプ、教会での集会では、学生、青年たちから、恋愛についての相談を受けることもしばしば。

                 女性からの質問で、よくあるのが、こういうパターンです。

                「私、恋愛体質で惚れっぽいんですどけ、これって、どうなんでしょうか?」
                「うーん、もしかして、お父さんとの関係に問題ない?」
                「・・・・・・・」(なみだ目で固まる
                「ごめんね、当たっちゃったかな?」

                 私の最初の問い掛けに、一瞬で涙目になったり、表情を失い固まる女性も少なくありません。

                 幸せな結婚ができないと自覚している。
                 恋愛体質である。惚れっぽい
                 ダメンズウォーカーである。
                 悪い男、無責任な男性、人格欠損者に魅力を感じてしまう
                 自分を不幸にしそうな恋愛相手を選んでしまう。


                 これらは、多分、一つの問題にまとめられるだろうと思われます。父親との関係、両親夫婦の夫婦仲を尋ねると、90%以上の確率で、予想どうりです。ズバリ言い当てられてか、単刀直入に問題の本質に触れられてか、深い感情が湧き出すようです。

                 ラジオ人生相談のパーソナリティーで、社会学者の加藤諦三氏はその著書の中で、ズバリこう記しています。

                 「親子関係が清算されていないと、恋愛はうまくいかない・・・」

                 本ブログでは、創世記2:24の「父母を離れ、妻と結び合い」の言葉を根拠に結婚前の「自立」「親離れ」を繰り返し主張してきました。しかし、「親子関係の清算」という言葉に触れて、「このフレーズは使えると!」と思ったのです。
                 
                 そうです。結婚は一定の自立と、心理的親離れが、必須条件で大前提です。しかし、恋愛は、多くの場合、そこまで到達する前からスタートしています。ですから、結婚に至る前に、しなくてもよい悲惨な恋愛を経験する女性は、クリスチャンやクリスチャンホーム育ちに、少なくありません。そして、不幸な親子関係に生きて、それが「精算済み」でないと、繰り返し、ひどい相手男性を選んだり、そうした男性から選ばれます。散々な目にあっても、学習せず、今度こそはと選んだ男性も同様なのです。

                 「クリスチャンなら、神様に導かれているのだから、そうした恋愛傾向にならないはず」というのは、全くの迷信です。不幸な親子関係の精算ができていない恋愛者の心には、神様の介入も、み言葉の光も届かないような闇や壁ができているのだと私は思います。親の罪は、子どもをそのように犠牲にするのです。神様やみことばが無力なのではありません。親の罪がそこまで、強く、残酷なのです。

                 「本格的恋愛前の親子関係の清算」、そのことを、何度かにわたって記してみます。 

                〈参考〉
                 結婚前の自立については、昨年11月には具体論として四回記事にしています。よろしければどうぞ。
                婚活系クリスチャンのための自己決定、自己管理、自己責任セミナー(1)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3211

                婚活系クリスチャンのための自己決定、自己管理、自己責任セミナー(2)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3212

                婚活系クリスチャンのための自己決定、自己管理、自己責任セミナー(3)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3268

                婚活系クリスチャンのための自己決定、自己管理、自己責任セミナー(4)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3275

                | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 11:08 | - | - | - |
                教会男子の「萌え」と教会女子の「ときめき」
                0
                   教会男子の萌えについては、すでに今年の5月8日に記しており、旧ブログでは大量の「いいね!」をいただきました。

                  「教会内萌え注意報」
                  http://blog.kiyoshimizutani.com/?day=20120508

                   今日は補足として「教会女子のときめき」について記しましょう。娘の通う公立高校は夏休みの課題として、大学のオープンキャンパスに行きレポートを書くというのがあります。一年生から、進路意識を高めるためでしょう。娘と共に非常勤講師としてお世話になっている金城学院大学のオープンキャンパスに行きました。模擬講義がいくつもあり、心理学の講義に娘と共に出席。45分で、恋愛を中心とした人間関係についての心理学講義でしたが、これが面白くてたまりませんでした。若い先生が、学生に親しく講義、「さんまのほんまでっかTV」に推薦したいような名講義。

                   その中で触れたのが、有名な「つり橋の理論」。つり橋を渡る時のどきどきが、異性に転化されるというアレです。つまり、ときめきはつり橋のスリルなのに、それを一緒にいる、あるいは向こうで待つ異性への恋愛感情と思い違いをしてしまうのです。

                   ここまでは知っていましたが、講義で教えられたのは、スポーツマンがもてる理由もそれだとの説であります。女性が、競技や試合でドキドキしながら、応援していると、そのドキドキとときめきが応援している男子選手への恋愛感情に転化するわけです。講義をされた先生は、中高生時代に、運動ができる男子が女子から圧倒的にもてる理由はそこにあるとの持論を展開されました。スポーツマンにぞっこんの女子が、「冷静に考えてみると何が好きなのか、分からない」というのはありがちなことだそうです。

                   ここからは私の推論ですが、きっと、音楽でも同じことがあるのでは、ドキドキしながら、スリリングな演奏を聴いていると、そのときめきが、演奏者への恋愛感情に転化されることはないでしょうか?

                   そう考えるとスポーツや音楽など、教会の集会やキャンプ等で、教会女子の「ドキドキ」や「ときめき」は起こるもの。教会の場合はさらに、霊的高揚感が伴うので、ある意味、危険も倍増?であります。その結果、スポーツと音楽に対してのドキドキやときめきを、教会男子競技者や賛美奉仕者に転化して、好きなってしまうこともなきにしもあらず。

                   「生理的ドキドキ霊的高揚感」→「恋愛観感情への勘違い転化」→「冷静になるとどこがいいのか分からない

                   というパターンに入らぬようにと願います。

                   入りそうになったら、一歩立ち止まって冷静になりよく祈ってから、交際等はお考えたほうが、無難かも。「このときめき、何に対して?」と自問されてはどうでしょう?恋愛ならまだいいのですが、こうした経緯の中、勢いで結婚までしてしまわぬようお願いします。

                   とりわけスポーツマンとミュージシャンに弱い婚活女子の皆様には、「ときめき」の冷静なる自己分析をお勧めしておきます。

                   教会男子には、「教会内萌え注意報」が常時発令中であるなら、女子にも「教会内ときめき注意報」を発令しておきましょう。
                  | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 22:13 | - | - | - |
                  ”time goes by”に学ぶ、「愛の未熟さ悔改め」
                  0
                     二回目はELTの”time goes bye”であります。徳永バージョンを聴いて、目からウロコであります。歌詞が抜群であることに気がつきました。不覚にもいまさらながらに気づいたのです。どうも持田のキュートな外見、不思議ちゃんキャラと不安定な音程が前面に出て、歌詞にまで関心が届かなかったのです。ビッグヒットが当然のリアリティーのある歌詞であります。多くの恋愛者が自らの経験と重ね合わせ、深い共感を抱いたことでしょう。

                    歌詞はこちら
                    http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=64816

                    歌詞表示付きのPVはこちら
                    http://www.youtube.com/watch?v=Zns9yL2Bizo


                     まずは歌いだしの歌詞からして、本質を突いております。
                    「きっときっと誰もが 何か足りないものを 無理に期待しすぎて 人を傷つけている

                     本来であれば神の愛、親からの愛など無条件一方通行の愛で、満たすべき心の隙間を、生身の異性に完全に埋めるようにとの不当な要求をしてしまうのが、未熟な恋愛者。そして、要求を満たせず、自分を満足させられたない相手を責めて傷つけるのです。こうした恋愛関係は、最初から破綻に向かっているわけです。そうです、愛における未成熟者同志の恋愛は、最初から破綻が決まっているのです。どこかの時点で自らの未成熟さを自覚し、相手に改善を求めるのでなく、自らを改善しなければ、破綻は避けられません。そのことは以下の歌詞からもわかるでしょう。

                     「都合悪い時には、いつも言い訳してた。そうね、そんなことろは 二人よく似ていたね」

                     相手には、誠実な愛し方を求めていながら、自分が求められるといい訳です。自分の愛における不誠実さ認めることも、それを詫びることも、改める約束と実行もしなかったのです。つまり相手には愛を要求し、満たされなければ責めるその一方で、自らは要求されると愛の実行ができない言い訳をして逃げるのです。

                     二人に共通するのは、「相手を愛する愛」は乏しく「相手に愛される愛」の要求ばかりということ。言い換えるなら、「他者愛の乏しさと自己愛の強さ」という「未熟さ丸出しのセットメニュー」であります。

                     この二人は、どこかの時点でこうしたあり方を認めて、悔改めて、愛において成長する方向への転換ができなかったのでしょう。長い時間をかけて、いつか、本当の愛で愛し合えるお互いに成長することを願って、別れるしかなかったのでしょう。

                     これは結婚生活でも同様のこと。多くの結婚生活ではこうした課題が問われると思うのです。結婚生活を破綻させる最大の要素は、自己中心でありましょう。それが夫婦関係で現われるのが、やはり「他者愛の乏しさと自己愛の強さ」という「未熟さ丸出しのセットメニュー」であります。自分の愛の乏しさを棚に上げて相手の愛の乏しさを責めて傷つけるのです。自らが与えるべき愛を怠りながら受けるべき愛については厳しく相手に要求するのです。伴侶は自分が愛をもって仕える対象ではなく、自分の愛情欲求を満たすために自分に仕える手段なのです。

                     自らのそうした愛における未熟さに、神、聖書、伴侶などから、気がつかされて、それを認めて、悔改め、悔改めの実を結び続けていくことで、結婚は、破綻や形骸化を免れ、夫婦の一致が強められていくのです。よい夫婦関係のほとんどはそうしたプロセスの積み上げによって、築き上げられているように観察しています。

                     恋愛は別れたらいいのです。これ以上の努力をしないで別れるという選択もアリの世界。しかし、結婚生活においては、こうした努力もせずに別れる選択は絶対あってはならないと思います。ところが、自分の問題も自己変革の必要も認められず、相手にばかり責任を問うケースもなきにしもあらず。

                     この歌は、悲しい歌であります。しかし、これは聖書的に言えば、御心に沿った悲しみの歌です。希望の光を垣間見せえる歌であると思うのです。ここには、自らの愛の未熟さに対する真実な悔改めがあります。別れる結果になっても、この恋愛からは学んだ事は貴重であったでしょう。

                     サビは、愛における成熟目標に主人公が目が開かれたことを示しているようです。

                    信じあえる喜びも傷つけあう悲しみも、いつかありのままに愛せるように・・・」

                     そう、喜びも悲しみも、ありのまま愛せる自分に、あるいはお互いに成長すること。そこにこそ、真実の愛の喜びと結実があるのです。

                     自己変革と自己成長なくして、本物の愛の喜びも結実もありえません。いいえ、双方に愛の成熟の決断と努力さえあれば、ほとんどの場合、両者に愛の関係は構築され、自足発展すると私は信じています。これこそ、真実の愛が持つ厳さであり、その厳しさこそ、罪深く自己中心で愛の乏しい私たちがチャンレジすべきものなのでしょう。
                    | ヤンキー牧師 | 聖書的恋愛論 | 17:55 | - | - | - |
                    イケメンクリスチャン男性に求められる?自覚と責任
                    0

                       塩谷瞬とかいうイケメン男性俳優が、二股交際で、えらくバッシングされております。他の芸能人たちも厳しい発言が多いので、「事務所弱すぎ」と思って調べたら。弱小事務所どころか、以前の事務所を独立して個人事務所のようです。これでは女性スキャンダルに手を打ってもらえません。せめて以前の事務所にいれば、マスコミの攻撃も写真週刊誌程度で済んだでしょうに。

                       しかも、単なる二股交際どろこか、相手女性は友人関係で、さらに両者に結婚を切り出していた模様。これは、結婚詐欺に近いのかも。単なる浮気者、遊び過ぎでは、許されず、人間性や犯罪性まで疑われてしまいます。これでは、当分バッシングは続き、仕事はなくなってしまうでしょう。

                       ある番組に登場したあの経済評論家、森永卓さんは、こうしたイケメンの逸脱行為に大変なお怒りでした。「こういう悪いイケメンがいるから、自分たち恋愛弱者はチャンスがなくなる。」と訴えておられました。どうも、森永さんは、普段から「イケメンには、課税すべきだ」と、経済評論家らしいというか、経済評論家にあるまじき暴論を主張しておられるようです。きっと、経済評論家の発想では、恋愛の世界は規制なき自由競争であってはならず、弱者救済のために、イケメンは、課税対象とされ、塩谷のような悪徳イケメンは厳しい制裁を受けるべきなのでしょう。

                       確かに、恋愛弱者から見れば、悪徳イケメンほど、腹立たしいものはありません。そいつのお陰で自分のチャンスがなくなるという私憤。さらには、多くの女性を傷つけるという義憤。まさに公私にわたるダブルの怒りが湧くのも当然のこと。

                       押尾学などは、典型的な悪徳イケメン・クリスチャンでありましょう。以前の新聞記事によれば、マリヤ様に懺悔していたとのこと。

                      http://blog.chiisana.org/?eid=1406922

                       彼もイケメンでなければ、もう少し謙虚で、何人もの女性を傷つけることなく、時にはカトリック教会に出席し、善良な一市民であったことでしょう。

                       以前、奉仕した中高生キャンプで、女性スタッフが、イケメン男子中高生に、「いい男は、神様にも女性たちに対しても責任あるのだよ」と諭しておられるのを目撃。これには、私も大賛成。恋愛弱者のひがみでしょうが、私も、イケメンクリスチャン男性には、くれぐれも自覚と責任をもっていただきたいと願います。

                       若きイケメンクリスチャン男性の言動は、周囲のクリスチャン女子たちを一喜一憂させます。誰かと個人交際しようものなら、教会生活に支障をきたす女性もいるでしょう。教会で婚約発表などしようものなら、何名の女性が涙を流すでしょう。そのようにイケメンクリスチャンは、独身姉妹たちへの責任があるのです。

                       また、イケメンは神様の創造によるものですから、そのイケメンを、自分の欲望のために用いてはなりません。何人もの女性を意のままにするようなことはないでしょうが、モテルからといって、次々と短期間の恋愛を重ねるようなことがあってはなりません。恋愛は結婚の準備体操ですから、そのような恋愛は結婚の準備にならないどころか、結婚後のマイナスを生み出し、何のためのイケメンかわかりません。

                       さらには、チャラチャラした恋愛を重ねていると、恋愛弱者系男性クリスチャンからのねたみもあり、主にある大切な友を失いかねませんぞ。それは女性にとっても同じこと、面食い女子や恋愛志向の女子は寄って来ますが、逆に、真面目で賢明かつ敬虔な結婚志向の女性には敬遠されてしまうもの。これはよい結婚のチャンスを遠ざけているようなものです。

                      また、女性との出会いのチャンスが多く、伴侶選択の選択肢も豊かなのですから、イケメンクリスチャンは、誰もが認める幸いな結婚生活を送る責任?があるのです。(おい!イケメンでなくてもあるだろー)

                       ほとんど恋愛弱者が因縁をつけているような記事内容になっておりますが、とにかくイケメンクリスチャンは、周囲の女性だけでなく男性にも影響が大きいのですから、そのことを自覚され、教会の交わりを壊すことなき恋愛、よき結婚につながる恋愛に励まれますよう願います。さらには、イケメンは神の恵みと自覚され、そのイケメンをよき結婚生活など、神の栄光のために用いる責任を果たしていただきますよう願ってやみません。

                       イケメンクリスチャンのご父兄、ならびに教職者、CS教師の皆様はこの記事を、参考に適切なご指導をよろしくお願いします。くれぐれも「イケメン税」なる「教会税」の発足、徴収などはされませんように。

                      | | 聖書的恋愛論 | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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