命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
「妻が境界性パーソナリティー障害を持つのではないかと思い至っています。私はその夫でクリスチャンです」というタイトルのブログの紹介
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     個人的な感触では、数十年前までは、クリスチャン夫婦の深刻な問題とがある場合、その多くは夫側の問題であったように感じていました。代表的なものとしては、夫の浮気やDV,アルコールやギャンブル等の依存症などでした。そうした信徒夫妻を牧する教職者と周囲の痛みや戸惑いに触れたことをいくつも思い出します。
     
     以前、結婚についての記事をお読みくださった一牧師読者より、メールにて一つのサイトをご紹介いただきました。それは、妻が人格障害であると思われるクリスチャンの夫が書いておられるブログです。ここ10年程度は、人格障害(あるいは何らかの病的性格)と思われる妻を持ち、困惑するクリスチャン夫に何人も、お会いしてきました。多くは苦痛に満ちた結婚生活を送りつつも、妻を愛する努力をしているクリスチャン男性です。中には妻が治療を受け、家庭がよい方向に向かっている事例もあり、励まされています。一方で結婚が破綻してしまったクリスチャン夫婦もいます。

     私が遭遇してきた10程の事例に限ってのことですが、興味深いことに、全員が教会生活や奉仕については熱心でよいクリスチャンだと思われる女性ばかりでした。美人か才女タイプかのどちらかで、むしろ平均的な女性より結婚相手として好ましく思える女性が多かったです。自分自身も人格障害者の女性と結婚する可能性があったことを、まざまざと実感させられてきました。結婚後に妻の深刻な課題に向き合い苦闘する男性たちを見ながら、また、祈りながら、具体的な支援ができない自分の無力さを覚えたこともありました。

     同様の課題の中におられるクリスチャン夫妻やその家族と親しいクリスチャン、そして二人を牧する教職者の方々にとって、このサイトは非常に有益ではないかと思われますので、ご紹介申し上げます。ブログの主宰者には、ご許可をいただいての紹介です。

    「妻が境界性パーソナリティー障害を持つのではないかと思い至っています。私はその夫でクリスチャンです」

    http://blog.goo.ne.jp/true-vine

     ブログの主宰者の方は、用語としては「人格障害」でなく「パーソナリティー障害」を使用しておられます。前者が人格否定的なニュアンスや誤解を与えるからでしょう。また、主宰者とのやり取りの中で、私自身が人格障害(その疑いのある)方を、「トラブルメーカー候補」や「潜在的問題人物」のように、思ってしまう傾向のあることを教えられ、悔い改めをさせられました。この主宰者自身が、妻を人格として尊重し、真摯に愛し続ける努力を怠らないことには、既婚クリスチャン男性として最高の敬意を覚えています。

     個人的に特別に有益であったのは、(13)の「高機能型の境界性パーソナリティー障害」でした。
    http://blog.goo.ne.jp/true-vine/e/ef2300555fcd1eca1795ff7a78459c54

    これはサイトの記事にもあるように、日本ではまだ認識不足の状態のようです。近年増加してきたように書いてありますが、これが事実なら、私は納得です。私自身も従来型の低機能型人格障害しか辞書になかったので、社会生活や教会の人間関係で問題のない人物が、人格障害者であることが理解できなかったのです。そして、この記事を読んで、私が接してきた事例が全部、近年増加中の高機能型人格障害であると思い当たったのです。さらには、「洗脳作用で苦しみ家族」の記述も、ほとんどの事例に合致しており、納得がいきました。あのダイアナ妃も高機能型人格障害だったの見解もあるようです。

    (20)から(23)は、現実の生活とそれについての考えや思いが記されています。
     ここに記されていることで、出会ってきた妻たちのクリスチャンとしては受け入れがたい言動が、かなり理解できました。生育歴も類似の方が目立ちます。逆に言えば、自分自身の理解不足と愛の不足が示され、自分が変えられて、そうした言動を受け入れる気持ちが深まったのです。「自分がこの夫の教会の牧師であったら」と考えさせられます。人格障害を持つ当人だけでなく、子どもも含めた家族に対しての支援の必要性と困難な現状も理解できます。こうしたクリスチャンご夫妻の支援を願う教職や信徒の方には、最高の内容かと思います。

    (20)妻の育った環境
    http://blog.goo.ne.jp/true-vine/e/0378cd71caa95051d8960cd35e75e308

    (21)妻との生活ー1
    http://blog.goo.ne.jp/true-vine/e/4a97bba0a662fd325d5aa2ce55aa4fb8

    (22)妻との生活ー2
    http://blog.goo.ne.jp/true-vine/e/71bc426d09bba0a56b120b9e57579f09

    (23)まとめ
    http://blog.goo.ne.jp/true-vine/e/98cb32df817b9df432620f9ba1041381

     人格障害やそれ以外の病的性格と思われるクリスチャンのことで相談を受けたり、苦悩の声をお聞きすることが増えてきたように感じています。もし、このサイトにあるようにこの「高機能型の境界性パーソナリティー障害」が、近年増加中であるなら、今後いよいよこうしたクリスチャン夫妻の事例は増加するのかもしません。とりわけ指導的な立場にある者は、理解不足から、罪や不信仰や悪霊で片付けてはならないしょうし、病的に思える性格や言動を安易に決め付けて責めるのも良くないでしょう。むしろ、日本ではまだ知られていないこうした知識を持ち、いざという時に、十分なことはできなくても、正しく理解し、受け止め、愛し支援できる準備は可能だと思うのです。

     まずは、知ること理解することでしょう。このブログはそのための発信であるのでしょうし、私も紹介することで、多少なりとも、役立てるのでしょう。こうした課題に向き合っている方々はもちろんのこと、一人でも多くのクリスチャンに知っていただきたい内容だと思っています。

    | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 08:57 | - | - | - |
    結婚関係は、「戦友」?それとも「戦場」?
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       昨日の午後は、東海地方で人気のラジオ番組「北野誠のズバッと」を聴いておりました。理由は、リスナーから募集するメールやファックスでの投書のテーマが「結婚とは?」だったからです。

       今回紹介したのは、結婚を「戦場」に喩えた対称的な二つの投書。どちらも男性からの投書ですが、内容はまさに正反対。

       ある投書は、「夫婦は戦友。共に人生の戦いを戦い、相手に命を預けられる信頼の関係」という内容のもの。

       それに続いて読まれた投書は、妻を怒らせたり、キツイ言葉で責められてばかりの夫のからのもの。その内容は、「結婚は戦場いつ弾丸が飛んでくるか、どこに地雷が埋められているか分からない」というもの。

       同じ戦争に喩えられていても、内容は正反対。共に戦う戦友にもなれば、攻撃を受けるにもなるわけですから。

       ある夫婦は、共に戦うかけがえのない戦友になってゆき、絆を強めます。また、ある夫婦は、夫婦関係自体が戦場になってしまい、かなりの頻度で弾丸が飛び交ったり、地雷が爆発します。

       つくづく結婚とは、ハイリスクハイリターンなシステム、「地上天国」にもなれば、「生き地獄」にもなりうるものだと思います。

       ありがたいことに聖書には、低リスクにできる努力、地上天国にするための努力が命じられています。伴侶が人生という戦場における戦友になるか?家庭内戦場におけるになるか?それを分けるのは、最大の分岐点は、それに従うかどうかでしょう。

       昔ある既婚者クリスチャン女性が私におっしゃいました。「何で神様は結婚なんか造られたんでしょうね?こんな大変なもの」。なるほど、人間の側からしたら、そう思えるのもわかります。でも、神様の視点から見るならこうなるでしょう。「何で人間たちは、結婚を壊してしまうんでしょうね?こんな素晴らしいものを・・・。」

       「夫婦は戦友」、「結婚は戦場」という対称的な投書を聞きながら、結婚のありえない大きな恵みと、それを呪いにさえ変えうる人間の罪深さの両者を痛感させられました。
      | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 15:27 | - | - | - |
      冬彦の母親より冬彦の妻への「冬彦取り扱い説明書」
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         昨日はロンブー敦さんの結婚に際して花嫁の父が敦さんに送った「取り扱い説明書」を絶賛。これを利用しない手はありません。調子に乗って、母子密着バージョンを考えてしまいました。題して「冬彦の母親より冬彦の妻への冬彦取り扱い説明書


         冬彦取扱説明書(保証書付)

        ●この取扱説明書は、冬彦を安全に使用していただくため、必要な注意事項、使用方法が記載されています。必ずよくお読みいただき、正しくご使用いただきますようお願い致します。



        「ご使用上の注意」


         1.生まれつき優秀で、母親の指導に素直に従い、学生時代も成績抜群、会社においても出世が約束されておりますが、貴女様がそれを妨害する恐れがあります。何卒、細心の注意と配慮をもって、取り扱いをお願いします。


         2.そのためにも、週末の実家でのオーバーホールを強く推奨致します。母の手料理を食べ、貴女様抜きで実家で安らぐことは、厳しい競争社会で戦っていく英気を養うものと確信しております。



        「保証に関してのご注意」


         1.結婚式終了後も、貴女様に対してのクーリングオフ無期限で有効ですので、冬彦を大切にお取り扱い下さい。

         2.品質につきましては、母親の深い愛情により、維持することが出来ますので、貴女様には補助的役割をお願い申し上げます。


         3.万が一、お二人の間が故障し、冬彦より苦情があった場合には、母親が一方的に介入し、冬彦の利益を最優先として、無料修理にお伺いします。



         保証書


         冬彦は、製造元である母親が、愛情いっぱいを降り注ぎ、頭脳明晰で有能な息子に育成致しました。貴女様が妻として適切な対処をする限りにおいて、最高の経済的豊かさと社会的評価を与えてくれることを保証致します。



         以上です。昨日の保証書とは正反対ですね。息子さんを育てておられる母親の皆さん!そんなにまで、時間をかけ、お金をかけ、手間をかけ、心配をかけられ、可愛がり、育てて、最後はどうなるのでしょう?約80%の確率で、他の女に盗られるのです。

         どうせ、くれてやるんですから、息子さんがお嫁さんから「マザコン」と言われたり、息子さんが、お嫁さんに迷惑をかけないように、母親から心理的分離を遂げて、自立した男性に、育てましょう。母親の勲章は、冬彦さんのような付加価値の高い男に育てることではありません。それによって、自己実現の代理や社会的賞賛を得ることではありません。
         
         自立度という本体価値を高めることこそ、母親の勲章。お嫁さんに「立派に自立した男性に育ててくださってありがとうございました」と心からのお礼を、言ってもらえることが、母親として最高の勲章に違いありません。

         このネガティブな取り扱い説明書が、そのための反面教師になれば感謝なことです。

        | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 22:22 | - | - | - |
        花嫁の父からのロンブー敦への「取り扱い説明書」にアッパレ!
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           今日は、遅ればせながら敬老の日で両親宅を訪問。車中で聞いたラジオによれば、昨夜はロンブー敦がテレビでの結婚発表だったのだとか。何でも、花嫁の父が、敦さんに娘の「取り扱い説明書」を送ったとのこと。

           帰宅して、検索してみると、既にyoutubeにアップされており、これが、感動物でアッパレ。まずは、ご一読を。

          「ロンブー敦結婚!奥様の『取り扱い説明書』が感動」
          http://www.youtube.com/watch?v=YAcg3qSVTqU&feature=youtube_gdata

           全文を掲載したブログも見つかりました。
          「敦結婚・取り扱い説明書・・・・」
          http://hibineta.hatenablog.com/entry/2013/09/17/220537


           「製造元」、「製品」、「顧客」の関係が「親」、「娘」、「婿」の関係に喩えられています。「ご使用上の注意」は父として、娘を理解してもらい、よい結婚生活のために伝えておくべきことが記されています。

           教えられたのが「保証に関してのご注意」。

           峽觝Ъ宛紊蓮取替え返品不可

          品質維持は愛情次第で一任」

          「故障に際しての無料修理受付

          最後の保証書は、製造元として自信をもって送り出せることを保証しています。

           これは、一読に値する「取り扱い説明書」であります。特に「保証に関してのご注意」は結婚の本質を示しています。三つの項目それぞれには教えられることだらけ。

          [愛は取替え返品可能です。しかし、結婚では不可なのです。この違いが結婚の本質。恋愛は契約関係ではありませんが、結婚の本質は契約です。契約締結以後は、原則として、後戻りができません。結婚にクーリングオフはないのです。だから、衝動買いならぬ衝動婚恋愛感情一発婚盛り上がり婚成り行き婚などは、無謀かつ無責任になりがちなもの。

          品質保持は愛情次第結婚後の愛情面での努力が結婚の品質を決めます。妻の品質?相当する機嫌、表情、優しさ、容姿なども、かなり夫の愛情努力に依存するのです。この保証に関しての注意点は結婚が「ゴール」でなく「スタート」であること、「するもの」でなく、「築き上げていくもの」であることを見事に伝えております。

          8両禹における親による無料修理受付は、親と結婚した子どもとの適切な距離感を教えてくれます。結婚の問題は、まず、当事者同士で解決努力をすべきです。原則として、よほどのことがない限り、親は子ども夫婦に干渉すべきではありません。創世記2:24が示すように「父母を離れ、結び合った」のですから、離れたところで見守りつつ祈るのが親の基本姿勢でしょう。

           そうです。親は尻拭いをしてはならないのです。しかし、頼まれて支援をすることは、正しいこと。結婚の先輩として、依頼を受けて、知恵や指針を与えることは、結婚後の子どもに親ができる素晴らしい支援でありましょう。

           同棲が一般化し、恋愛と結婚の区別が不明確となり、結婚が契約であることの認識が失われています。結婚を嫌になったら止めてもよい関係と考えている方も少なくない昨今です。

           また、婚活ブームの中、結婚すること自体が目的化し、結婚後の努力の大切さが見失われがちな時代でもあります。

           さらには、母子密着がいよいよ進み、結婚後も母子密着関係が継続し、結婚を劣化・破綻させがちな今どきの親子関係です。

           そうした中にあって、契約という結婚の本質、結婚後の努力の大切さ、結婚後の正しい親子関係をさりげなくユーモアを示すこの「取り扱い説明書」は、まさにアッパレをさしあげるべきではないでしょうか?
          | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 17:52 | - | - | - |
          リベンジ婚、しない、させない、したらフォロー(3)
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             このシリーズも今日で最終回。今回は「したらフォロー」であります。リベンジ婚は結婚本来の目的から逸脱したものです。だからこそ、回復されることが、神様の御心なのです。リベンジ婚とは言え、成立した結婚を、リセットすることも御心ではないでしょう。ですから、周囲のクリスチャンたちがすべきは、リベンジ婚した女性が、どこかの時点で、自分の過ちを認めて、本当の問題である父との関係に向き合い、少しでも結婚を回復に向けることかと思うのです。

             クリスチャン達に反対や疑問視をされて、リベンジ婚した女性は、どうしても、教会生活を離れがちです。どうしても、当人と教会員たちの間に心情的な溝や距離はできてしまうもの。「御心も認めず、兄弟姉妹の声も聞かず、勝手に不健全な結婚をしたのだから、好きなようにしたらよい」との思いがあったとしても、クリスチャン達は、彼女と結婚の回復を祈り願い労するべきでしょう。私はそれが成熟したキリスト者の態度だと考えます。

             リベンジ婚は、1年から2年経てば、既に失望や疑問の状態に入っていることでしょう。リベンジ婚の悲劇は、「リベンジできないこと」です。父の代理は得られても、得られなかった父の愛は、結婚によっては取り返せないからです。このまま、放置しておくと、クリスチャンである彼女は、永遠に果たせない仇討ちで一生を終えます。場合によっては、子どもや再婚相手までその空しい仇討ちに利用します。

             結婚して半年か一年で、希望に陰りが見えてきた頃からチャンスが始まります。もし、教会生活から離れていたら、絶えず祈り、教会以外の場所でよいので、交わりを持ち続けることかと思います。そうすれば、結婚生活が完全に行き詰まったり、事実上の破綻をした時に、彼女は、ようやく自分の非を認め、本来の問題に向き合う気持ちが起こる可能性も出てくるのでしょう。どうか、その時に、非を責めるのでなく、愛を得られずにいき続け、結婚でもそれが得られぬ悲しみを共にしながら、愛をもって、自分で本当の問題に向き合うよう導くことでしょう。

             罪によって長年にわたって形成された体質は、そうそう簡単に改善するものではありません。かなり困難なプロセスを通過しながら、時間をかけて、彼女とその結婚生活は回復し、正常化していくのでしょう。私などは、一生を台無しにするかどうかのことなので、お金を惜しまず、結婚か家族カウセンリングを受けることをお勧めします。


            「避けてはならないものを避けること=被支配の人生」

            http://blog.chiisana.org/?eid=1408280

             以前、この記事に多くの「いいね!」をいただきました。避けてはならぬ問題を避けて、それに支配され続ける典型の一つは、「リベンジ婚」です。リベンジ婚の自覚のある方はどうか、その避けてはならないものに向き合って下さい。勇気と信仰をもって、向き合って下さい、その支配から解放され、本来の結婚生活を送ることが、間違いなく神様の御心でしょうから。また、周囲にリベンジ婚で苦しんでいるクリスチャンがおられたら、避けてはならぬものに向き合うためにこそ、信仰を用いるように、愛をもって励まし、助け導いてみてはどうでしょう。
            | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 16:59 | - | - | - |
            リベンジ婚、しない、させない、したらフォロー(2)
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               今回は「しない」「させない」「したらフォロー」と二番目、「させない」であります。親子関係未清算の女性が、リベンジ目的で結婚するのを、防止できるか?というお話しです。
               
               教会に集う女性の中にも、父親の愛が受けられず、あるいは受けていても、実感できず、リベンジ目的で、恋愛と結婚に走る女性は時々見かけます。残念なことに、リベンジ目的にピッタリな男性と出会ってしまうと、相手がクリスチャンであろうが、なかろうが、健全に見える男性であろうが、見るからに不健全な男性であろうが、関係なく魅せられてしまいます。また、不思議なように相手の男性も、リベンジ婚を目指す女性に惹かれてしまうので、これが大変なわけです。結構、簡単に、「不健全な相思相愛状態」に入ったりします。

               心の深い部分まで神様の介入を願い、真理の光が届いていれば、リベンジ婚に至る前に、考え直してくれるでしょう。しかし、そうでない場合は、神が人となりいのちを捨てられた究極の愛より、獲得できなかった父の愛の代理を優先してしまいます。その男性が、神様以上に心の深い必要を満たす自分にはなくてはならない存在となってしまうようです。

               結婚に対して、周囲は心配したり、疑問視したり、はっきり反対表明したりです。でも、当人は聞く耳を持ちません。音声は聞きますが、心はシャッターが降りています。

               「読んでみて、あなた、この通りでしょう。」と家族病理や不幸恋愛の書物を渡しても、読んだ後に「自分たちは全く違う」と確信に満ちて返答します。

               「結婚には反対、神様喜ばれないと思う。信仰か結婚かどちらか選べ」と過激に迫ると、どっちつかずの返事をしながら、心で神様を信じているという名目で教会生活を離れて、結婚生活に埋没したりします。

               「結婚するなら、親を捨ててしろ」とまで、親が反対しても、無駄です。この結婚は親のからの借金返済目的だからです。仇役の夫婦に反対されて、仇討ちを止めるはずがありません。

               どうしたらいいのでしょうね。私も30代までは、悲惨な結婚生活が予想できるのですから、相手に嫌われてでも、こうした結婚に反対し、止めるように努力しました。何度かそういう経験がありますが、一件も止められませんでした。今、思うと、恥ずかしいほど未熟であったと猛反省です。恋愛や結婚は反対されるほど、燃え上がるのですから。特に不健全な恋愛程そうなのですから。トホホな程の人間理解不足でしょう。

               やはり、こうした場合は、反対したり、対立するのでなく、落ち着いて考えされることでしょう。本当の問題である親子関係に向き合わせて、当人が問題を自覚して、結婚を延期したり、疑問視したりするように導くことかと今は、思っています。

               というわけで、周囲が「させない」ことは、大変、難しいのが現実だと個人的には判断しています。リベンジ婚に至る男女が出会ってしまうと、どんな困難や妨害を乗り越えてまでも、結婚しようとします。それは、普段のその女性からは、考えられないほど、強烈だったり、忍耐深かったり、狡猾だったりします。

               ただ、できる知恵ある努力として、反対を表明せず、本当の親子問題に向き合わせることは、チャレンジすべきだろうと、現時点では考えております。
              | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 17:03 | - | - | - |
              リベンジ婚、しない、させない、したらフォロー(1)
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                 今日から何回かで、「不幸恋愛」の続編です。今回はリベンジ婚を「しない」というお話しです。親子関係の未清算が、人を不幸恋愛の泥沼に陥れます。特に父親から愛情実感を得ずに、潜在的に父に対する憎しみや怒りを持ったままでいると、父と同じ本質の男性に魅力を感じて、わざわざ不幸な恋愛をしてしまいます。そして、未清算のままですと、次こそはと幸福な恋愛と願いながら、何度でも同じ不幸恋愛を繰返します。

                 そのことは5回にわたり記しましたので、未読の方、復習される方は、こちらをどうぞ。

                恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(1)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3380

                恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(2)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3381

                恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(3)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3382

                恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(4)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3383

                恋愛・結婚より先に、親子関係の清算かもよ?(5)
                http://blog.kiyoshimizutani.com/?eid=3384


                 そこで、自分の恋人選びに問題があることに気がついて、立ち止まり考えればいいのです。やがて、それが父親との関係に起因することに思い及んで、本当の問題に向き合えば、幸せな恋愛と結婚の道は開けます。

                 しかし、現実にはそうでないことが多いようです。「どうして自分は不幸な恋愛ばかり」と悩み、不幸な結婚生活を予想して、結婚を待てばいいのですが、中には、「結婚したら、今度こそ、うまくいく」と考えてしまう方も。また、生涯、結婚しない選択はありえないと考えるので、問題に向き合わぬままで、不安を抱えながら、結婚してしまうのです。

                 私はこれを「リベンジ婚」と呼びたいと思います。なぜなら、このような結婚の目的はリベンジだからです。無意識に、子どもの頃に、得られなかった愛のリベンジを目的として、彼女は父親と本質が似た男性、真に女性を愛し得ない男性から愛の復讐を目指すのです。


                 教会、真面目、熱心で、「クリスチャン男性としか結婚しない」と宣言していた女性クリスチャンが、一転、未信者男性と結婚。中には、同棲してしまったり、でき婚となるケースも。親や、牧師夫妻、周囲のクリスチャンはビックリです。しかも、相手男性は、女性の魅了しそうなイケメン、高学歴、高収入、人格者などではないのです。マザコン、A.C、病的性格、結婚不適応者を予想させるような男性。時には父親のような年齢の男性です。

                 でも、彼女の生育歴を知る賢明な先輩は、心配的中です。親との関係を知る親しい女友だちは、直感的に予想していたことなのです。教会の指導者や周囲のクリスチャンばかりが、教会で見せる彼女とのギャップに大ショックを受けています。こんなパターンは、時に見聞きします。

                 また、こうした場合、同棲やでき婚、自体は過ちとして、対処されるべきでしょう。罪の悔改めに導き、その結実を援助するのが聖書的正論に違いありません。しかし、それだけでは、表面的な対処となり本当の問題は未解決のままとなりかねません。当然、結婚後も別の形で、親子関係の未清算は、重大な問題となって何度も現われてくるのです。残念ながら、こうした経緯での性的罪の悔改めはそ自体がどんなに真実であっても、本当の意味での悔改めの実を結ぶ事はないでしょう。あくまで私見ですが、指導的立場にある方には参考意見としていただきたいのです。

                 親子関係が未清算のままですと、結婚しても、「不幸恋愛」の延長線上の「不幸結婚」となります。心満たされず、失敗と判断した彼女が次に考えるのは、出産・育児です。「子どもを産んで育てたら、今度こそ、自分は幸せになれる」と思うのです。不幸の原因が不明であることは、ここまで、人を愚かにし、残酷な行為をさせるのです。

                 しかし、彼女は本当の意味で子どもを愛する事はできません。子どもはリベンジの手段だからです。自分を幸せにするための存在だからです。「子どものための自分」でなく「自分のための子ども」では、永久に愛の世界には到達しません。

                 こうして、本当の問題を自覚せず、それに向き合わなければ、どこまでも不幸が続きかねません。親子関係未清算で歩み続けるなら、恋愛も結婚も、彼氏も夫も、子どもまでも、リベンジの手段として利用しながら、利用者の自分はリベンジを果たせないという悲劇はいつまでも終わりません。それが、その女性の人生のほとんどすべてとなってしまいます。クリスチャンなのに、何て空しい生涯なのでしょう。

                 ですから、「親子関係未清算による不幸恋愛者」との自覚のある方は、どうか、「リベンジ婚」をされませんようにと切に願います。決して、愛する男性や将来授かる子どもを、リベンジの手段としてはならないからです。大切な家族までも残念な親子関係の犠牲者にしないためです。そして、ご自分の人生を果たせないリベンジで終わらせないためです。

                 一度、立ち止まり、ご自分の親子関係を見直して下さい。自分を欺いていたことや、心の奥底にある感情をしまいこんでいたことを認めましょう。認めたくない、親への壮絶な憎悪や激しい怒り、とてつもない寂しさを言葉にして、神様に伝えましょう。できれば、信頼できる成熟したクリスチャンにも伝えましょう。神の前にも人の前にも、自己欺瞞や抑圧はやめて、本当の自分を生きる決断をしましょう。きっと、それが、スタートラインとなることでしょう。

                | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 13:53 | - | - | - |
                外れてはいないけど、乱暴だなー、wikipedia「異宗婚とキリスト教」
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                   先日、必要があり、クリスチャンと未信者との結婚について、各教派の見解や指導をネット上で調べておりましたら、こんなページが出てきました。wikipediaの「異宗婚とキリスト教」であります。

                   一読して思いました。「未信者の方々にアバウトな情報を伝えるなら、許容範囲かも?でも、あまりにも乱暴だよなー」と。

                   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E5%AE%97%E5%A9%9A%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99


                   乱暴さを多少なりとも軽減するために、四つのポイントで記してみます。

                  ,泙此▲トリックについては、私の知る限り(実はよく知らない)ですが、ほぼこの通りだろうな?と思いました。妻の友人(福音派で受洗したが、教会を離れた女性)が、未信者男性と結婚することに。カトリック系の大学を卒業しているので、学生時代にお世話になった神父に司式を依頼。そこで、出てきたのが、このページにある「婚姻障害免除書」であります。私もその時、その存在を初めて知りました。つまり、その神父は、カトリックではないクリスチャン彼女を、信者として認め、未信者との結婚に障害があるとした上で、「障害免除書」を出してくださったのです。このことは、少し、このページとは異なりますね。ただ、カトリックが基本的に、信者と未信者の結婚には、障害があるとの前提を持っているのは明らかなようですね。

                  ◆.廛蹈謄好織鵐箸砲弔い討任垢、「ウエストミンスター信仰告白」は、かなり厳しく未信者との結婚を禁じております。根拠となっている聖句や実際の教会の指導について、幾つか疑問が湧いてきたので、知り合いの改革派系の教職にお尋ねしたのですが、これが、「スッキリ」でありました。

                   まずは、記されている聖句は後付けとのこと。私は、正直、「この聖句を根拠に、この教理というのは精密さに欠けるだろう!」と思ったのです。つまり「その聖句から未信者との結婚禁止を断言するのはちょっと無理があるのでは?」と思える聖句もあったわけです。後付けということは、すべてが「根拠となる聖句」というわけではなく、いくつかは「参考聖句」ということなのですから、納得であります。

                   また、この信仰告白に立ちながら、字義通りに教会で指導がされているとは限らないのは、どうしてか?という疑問です。これについては「信仰告白」は「教理的普遍性」を持つと共に「歴史性」を持つとの説明で納得。350年前の非キリスト者が社会にほとんど存在しないヨーロッパ社会という歴史性があるからでしょう。そのまま現代日本の教会に杓子定規に当てはめるわけにはいきません。実際に改革派系の諸教会では、この信仰告白を尊重しながらも、牧会レベルで多様で弾力的な対応がなされているようです。

                   こちらのサイトの3節の解説は、改革派教会がどう受け止めているかの指針となるでしょう。
                  「ウエストミンスター信仰告白解説 第24章結婚と離婚について」
                  http://homepage3.nifty.com/msasaki/kokuhakukaisetu24.html

                  リベラル派に対しての記述は、乱暴きわまりないですね。これはちょっと失礼でしょう。この記述は、根拠としている聖句について解釈違いとしてダメ出ししているのですから。未信者との結婚に許容的、あるいは全く不問とするには、それなりの聖書的根拠があるわけです。信者、未信者という区別を超えた、普遍的な一般恩寵として結婚をとらえようとするからだろうな?と不勉強ながら、思っています。(違っていたらごめんなさい)

                  な歇蘿匹梁緝修里茲Δ亀有教会の鈴木靖尋先生の発信が、引用されております。きっと、wikipediaの記者が、ネットで検索したら、上位にヒットしたからでしょう。3割否定的で7割不介入という見解は一定正しいと思います。ただ、より正確に言えば、「立ち入らない」のではなく、聖書的根拠や牧会的配慮から、許容あるいは不問としていると私は観察しています。

                   未信者との結婚によって教会生活を離れる事例が多いとの鈴木先生の見解は、多くの教会での現実でもありましょう。そして、結婚生活を通じて、未信者の伴侶が救われる事例の少なさも悲しい現実でありましょう。クリスチャン同士の結婚を推奨する理由は、聖書的根拠だけでなく、むしろこうした現実的な理由が強いのだろうと思います。


                   さて、私自身、教団教派を超えて、お交わりを頂く中で、未信者との結婚についての見解や実際の指導について、よく牧師の方々とお話しします。未信者との結婚が即除名対象となる教会もあります。改革派系や福音派で厳格な場合、それは媒餐停止などの戒規対象となることも(戒規とは断罪して罰を与えることではなく、回復を願って為される愛の業に他なりません)。また、教会によっては、教会で司式をしない場合も。逆に、クリスチャン同士の結婚を推奨せず、まったく不問とされている教会もあります。

                   「えーっ、そんなのカルト的!」とか「そんなの福音に生きてないじゃん!」とかの感想も読者によっては、あるでしょうが、それ程、教会の見解と指導は、多様なのです。ただ、多様なようで実は、ほとんどの教会が、クリスチャン同士の結婚が聖書的に望ましいとしており、同時に、一定レベルで多様で柔軟な指導をしているように観察します。

                   補足ですが、少ないようで多いのが、ダチョウ倶楽部のごとき「エーッ、聞いてないよ!パターン」であります。「もう何年か教会生活してきたけど、未信者との結婚が望ましくないなんて聞いたことがありません。結婚対象が見つかってから、そんなこと言われても・・・」というパターンです。当人だけではなく何十年も教会生活を送っているベテランクリスチャンが、お子さんの結婚に際して「何十年もいるけど、そんなこと、聞いてないよ」となることも。心配になった信徒の方や指導者の方は、一度、確認の機会を持たれてはどうでしょう?この行き違いは、信仰生涯において、大きな躓きにもなりかねませんから。

                   ことの性質上、非常にデリケートになりやすいテーマですが、私がいつも願うのは二つの極端を避けて話し合われるべきということです。一つは、「キリスト教的社会での基準」をそのまま現代日本に適用したり、この件を律法的に扱ってしまう極端です。もう一つは、「聖書がどう言っているか?」を二の次にして人間側の感情や教会組織の利害を優先して主張するという極端です。両極端に走ると、どうしても不毛で傷つけあうだけの議論になりがちです。

                   今、特定の団体や教会に所属しているのは、神様の摂理によるものですから、その方針や指導の下で歩まれるようにと願います。その前提の上で、自らとは異なる見解を学び、自らを客観視することで、聖書に立って、より成熟した考え方をしていただければ感謝です。
                  | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 20:57 | - | - | - |
                  志茂田景樹に学ぶ不倫の本質
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                     何でも、あの志茂田景樹さんのツイッターが、人気で、若者を中心に13万人ものフォロアーがいるのだとか。志茂田さんは、直木賞作家、かつてはドハデな衣装でテレビに登場、沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌うのをよく見かけました。カラオケの十八番(おはこ)は「勝手にしやがれ」で、私生活は自分が「勝手にしていた」ようで、以前のクリスチャン新聞の記事によれば、クリスチャンの奥様は涙の祈りを捧げ続けてきたようです。

                    クリスチャン新聞に掲載された記事はこちら。教会関係の集会で奥様は証しをされ、景樹さんは、絵本の読み聞かせを披露されたとのこと。
                    http://jpnews.org/pc/modules/xfsection/article.php?articleid=1073

                     最近知ったのですが、不倫・二股についての質問への回答は実にアッパレ。マスコミの流す無責任な情報では、満足できない本物志向の若者たちに支持されるのも納得です。

                    質問「不倫や二股をどう思う?」

                    回答「そういう関係になる前は愚かに憧れ
                        なってからは無責任に耽溺し、
                        終わってからは本気だったと美化しながらも
                        傷の深さに悔みます」

                     きっとご経験から導き出された真理でありましょう。結婚を軽視したり、愛する異性への真実さを欠くなら、それは愚かで、無責任で、独りよがりで、自分自身をも傷つける行いなのでしょう。

                     某職業野球団体のリーダーも、きっと愚かに憧れ、無責任に沈溺し、美化していたら、今になって傷の深さを悔やんでおられるのでしょう。交流戦の勢いまで失い、故障者続出の我が軍より下位に甘んじているのも、これが一因でしょうか?
                     
                     はてさて、志茂田景樹さんですが、奥様の涙の祈りが結実し、本ブログの「この方もクリスチャン?」で志茂田さんを紹介する日が来ることを期待しています。
                    | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 12:10 | - | - | - |
                    結婚とはそもそもワイルドなんだぜー
                    0
                       昨日のスギちゃんネタを考えながら、思いました。それは、結婚とは、そもそもワイルドだということ。将来はこんなネタが成立するかもしれません。

                       「スギちゃん、つきあってきた彼女と同棲せずに、いきなり結婚したんだぜー。ワイルドだろー
                       
                       「同棲してから結婚」というあり方は、マイルドであります。このマイルド路線がこんご、圧倒的多数派になれば、「同棲を経ない結婚直行」は日本社会では、「ワイルド」との評価を受けることになるのでしょう。

                       考えてみれば、恋愛であれ紹介であれ、一定の交際期間を経ての結婚というのは、この50年ほどで一般的になってきただけ。70代以上の方々の圧倒的多数は、お見合い結婚なわけです。女性たちの中には、一度のお見合いで、相手のことをよく知らぬまま、場合によっては顔さえ見ずに、結婚を決めて方も珍しくないようです。

                       これは、現代の婚活系クリスチャンからすれば、かなり無謀でありましょう。「ワイルドだろー」と高齢者から言われてもこれなら納得です。

                       このブログでは何度も記していること、そして「さんまのほんまでっかTV」でも池田先生が、紹介したアメリカのデータ。それによれば、同棲をしたカップルの離婚率は、同棲をせず結婚した場合を上回ると言うということ。

                       思うに、同棲をするという選択の背後には、以下のような要素があるのではないでしょうか?

                      ,Δ泙いかなければ、リセットできる保険をかけておきたい。
                      ■庁屐異常性癖、重大な欠落等、相手の隠された問題を恐れている。
                      A蠎蠅魎袷瓦砲信じて信頼しきることができない。結婚まで信頼関係を築く経験がなかった。
                      い修發修癲同居生活せずとも、相手を観察し、判断する能力がない。
                      イ修譴泙任領愛で、そうした努力や学習を積み上げてこなかった。
                      過保護な家庭や社会の中で、自分で決断し、その結果を刈り取る自己責任能力が養われてこなかった。だから、結婚という責任重大な決断をできない。
                      Х茲瓩秦蠎蠅髻生涯変わらず愛し続ける決断ができない。結婚愛のスタートは意志、決断なのに、結婚愛を感情だと思っている。

                       こう考えると、同棲を経ての結婚は、昨今の結婚者にとっては、大変、ストレスが低く心地よいわけです。まさに、低リスク・低リターンのマイルド路線

                       でも、考えてみましょう。 櫚Г瞭胆を持った方々が、結婚直行を避けて、同棲を経るとするなら、その結婚生活はどうなるでしょう。以下のように思います。


                       そもそも、うまくいかなければ、やめようと思っていたのだから、結婚決断後も、うまくいかなければ、やめたくなりやすい。
                       他者と信頼関係を築く経験や能力が乏しいままの結婚は、やはり、夫婦の絆が弱くなりやすい
                       自分で決断し、責任を取る責任感が弱いのだから、結婚という契約に対しての責任意識も低くなりがち。
                       結婚愛を感情の継続だと考えているなら、3年程度で実質的破綻をしやすい。結婚を意志と決断をもって継続、向上させていくような結婚観、結婚愛の観念がない。

                       私が思うに、「同棲をするから離婚率が高くなる」のではないのでは?正確に言えば、「そもそも同棲をする人物は、結婚適正が低い」のだと考えています。観察力、決断力、責任感、信頼関係構築力、成熟した結婚観などが、乏しいほど、自分の決断に自信はなく、相手も深く信頼できず、リスク回避のために同棲を選択するのではないでしょうか?

                       同棲するくらいなら、それまでの人生で、しっかりと自分を成長させて、結婚準備することかと思うのです。観察力、決断力、責任感、信頼関係構築力などを結婚までに養うこと、成熟した結婚観を身につけることです。

                       そう考えると、同棲というプロセスは、「結婚準備不足と人格成熟不足の代理機能を果たす一夜漬け」と表現できるのでは?


                       結婚とはある意味、ワイルドな決断です。ワイルドな決断ができるには、自分の側の結婚準備と自立度成熟度が問われます。同時に自分の未熟さを認めて、神様の導きや助けをいただく謙遜さも必要。

                       同棲はお試し婚にはなりません。ご自分が成長することが、最も安全な結婚準備でありましょう。結婚は、バンジージャンプ、あるいはスカイダイビングです。準備や心構えはできますが、リハーサル、お試しはできません。

                       スギちゃんのネタのようにペットボトルのコーラを飲む前にキャップを捨てるようなワイルドな選択。結婚とはそういうものです。結婚とは、ペットボトルのコーラを全部飲む決断をすること。同時に、途中でやめないと決断しキャップを捨てること。ペットボトルのコーラのキャップを捨てるように、一人の異性と一生生きると決断して、他の選択や可能性、嫌になったらやめる選択肢を捨てる!これが結婚でしょう?

                       その決断を神様の導きと自己責任でしっかりすることです。失礼ながら、それができない方は、もう少し結婚準備や信仰と人格の成長が必要なのでは?

                       信仰とは、結果を主に委ねて決断することですから、時にワイルドな美学に通ずるもの。その代表は結婚の決断でしょう。そこで、スギちゃんフレーズで締めくくりましょう。

                       「クリスチャンは、神様の導きと信じて、同棲などせずに、結婚の決断をするんだぜー。ワイルドだろー

                       クリスチャンの結婚が、神の栄光を現すワイルドな無言の証しであって欲しいと願ってやみません。
                      | ヤンキー牧師 | 聖書的結婚観と今どきの結婚観 | 09:45 | - | - | - |
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