2007.06.28 Thursday
ここにも差別?沖縄編(3)
つい先ほど、帰宅です。同室者には沖縄の方も。よいお交わりに感謝でした。今日はJECA全国総会最終日、感謝なことに出席者の皆さんの前で数分間のご挨拶と守る会のアピールをさせていただきました。
沖縄を訪ねる中で信徒の方からお聴きした言葉。「沖縄で元気なのは音楽だけです」。音楽だけなのは残念ですが、ようやく沖縄の音楽が正当に評価される日本社会となりました。
1970年代には南佐織というアイドル歌手がいました。フィリピン系の日本人でカトリックのクリスチャンらしく、洗礼名は「シンシア」。彼女はデビュー当時、出身地を尋ねられ、本当は沖縄出身であるのに、公には鹿児島県の南部と答えていたそうです。
なぜでしょうか?やはりそこには沖縄出身者への差別があったからでしょう。今も在日の芸能人が出自を公にしないように、当時は沖縄出身者も出自を明らかにすることは許されなかったようです。1970年代においては、あれほど魅力的なアイドルであっても、沖縄出身者だと分れば、日本の多くの男性たちは彼女のファンにはならなかったでしょう。
安室奈美恵の母親が本土でデビューを願う娘に「沖縄出身者がアイドルとして成功するはずがない、沖縄出身で人気者になった歌手は南佐織だけ。」とデビューに反対したのは結構、有名な話。
激辛ブームでようやく韓国の料理が評価されたように、健康ブームに乗ってようやく長寿日本一の沖縄料理の評価も上昇し、ゴーヤチャンプルもは今や家庭料理。
韓流ブームに乗ってようやく韓国の芸能文化も日本で正当に評価されました。同じように、沖縄出身の歌手やアイドルたち、そして沖縄の音楽もようやく本土で評価。
韓国の食文化や芸能が正当に評価されてこなかったのも、沖縄のそれらが評価されなかったのも、その原因は日本社会を潜在的に支配する差別心。それは実際には社会にあるのではなく、社会の構成員である日本人ひとりひとりの心の奥底に存在することは間違いないでしょう。
こうした沖縄ブームを機に本当の沖縄、すなわち沖縄が持っている栄光の歴史と共に被支配や侵略、差別などの歴史の負の部分を学んでいただけたらと願うのです。悲惨な差別と抑圧なくして優れた黒人音楽が生まれ得なかったように、同様の闇の部分なくして優れた沖縄文化もありえないように思うのです。
沖縄を訪ねる中で信徒の方からお聴きした言葉。「沖縄で元気なのは音楽だけです」。音楽だけなのは残念ですが、ようやく沖縄の音楽が正当に評価される日本社会となりました。
1970年代には南佐織というアイドル歌手がいました。フィリピン系の日本人でカトリックのクリスチャンらしく、洗礼名は「シンシア」。彼女はデビュー当時、出身地を尋ねられ、本当は沖縄出身であるのに、公には鹿児島県の南部と答えていたそうです。
なぜでしょうか?やはりそこには沖縄出身者への差別があったからでしょう。今も在日の芸能人が出自を公にしないように、当時は沖縄出身者も出自を明らかにすることは許されなかったようです。1970年代においては、あれほど魅力的なアイドルであっても、沖縄出身者だと分れば、日本の多くの男性たちは彼女のファンにはならなかったでしょう。
安室奈美恵の母親が本土でデビューを願う娘に「沖縄出身者がアイドルとして成功するはずがない、沖縄出身で人気者になった歌手は南佐織だけ。」とデビューに反対したのは結構、有名な話。
激辛ブームでようやく韓国の料理が評価されたように、健康ブームに乗ってようやく長寿日本一の沖縄料理の評価も上昇し、ゴーヤチャンプルもは今や家庭料理。
韓流ブームに乗ってようやく韓国の芸能文化も日本で正当に評価されました。同じように、沖縄出身の歌手やアイドルたち、そして沖縄の音楽もようやく本土で評価。
韓国の食文化や芸能が正当に評価されてこなかったのも、沖縄のそれらが評価されなかったのも、その原因は日本社会を潜在的に支配する差別心。それは実際には社会にあるのではなく、社会の構成員である日本人ひとりひとりの心の奥底に存在することは間違いないでしょう。
こうした沖縄ブームを機に本当の沖縄、すなわち沖縄が持っている栄光の歴史と共に被支配や侵略、差別などの歴史の負の部分を学んでいただけたらと願うのです。悲惨な差別と抑圧なくして優れた黒人音楽が生まれ得なかったように、同様の闇の部分なくして優れた沖縄文化もありえないように思うのです。