命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
ここにも差別?沖縄編(3)
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     つい先ほど、帰宅です。同室者には沖縄の方も。よいお交わりに感謝でした。今日はJECA全国総会最終日、感謝なことに出席者の皆さんの前で数分間のご挨拶と守る会のアピールをさせていただきました。

     沖縄を訪ねる中で信徒の方からお聴きした言葉。「沖縄で元気なのは音楽だけです」。音楽だけなのは残念ですが、ようやく沖縄の音楽が正当に評価される日本社会となりました。

     1970年代には南佐織というアイドル歌手がいました。フィリピン系の日本人でカトリックのクリスチャンらしく、洗礼名は「シンシア」。彼女はデビュー当時、出身地を尋ねられ、本当は沖縄出身であるのに、公には鹿児島県の南部と答えていたそうです。

     なぜでしょうか?やはりそこには沖縄出身者への差別があったからでしょう。今も在日の芸能人が出自を公にしないように、当時は沖縄出身者も出自を明らかにすることは許されなかったようです。1970年代においては、あれほど魅力的なアイドルであっても、沖縄出身者だと分れば、日本の多くの男性たちは彼女のファンにはならなかったでしょう。

     安室奈美恵の母親が本土でデビューを願う娘に「沖縄出身者がアイドルとして成功するはずがない、沖縄出身で人気者になった歌手は南佐織だけ。」とデビューに反対したのは結構、有名な話。

     激辛ブームでようやく韓国の料理が評価されたように、健康ブームに乗ってようやく長寿日本一の沖縄料理の評価も上昇し、ゴーヤチャンプルもは今や家庭料理。
     韓流ブームに乗ってようやく韓国の芸能文化も日本で正当に評価されました。同じように、沖縄出身の歌手やアイドルたち、そして沖縄の音楽もようやく本土で評価。

     韓国の食文化や芸能が正当に評価されてこなかったのも、沖縄のそれらが評価されなかったのも、その原因は日本社会を潜在的に支配する差別心。それは実際には社会にあるのではなく、社会の構成員である日本人ひとりひとりの心の奥底に存在することは間違いないでしょう。

     こうした沖縄ブームを機に本当の沖縄、すなわち沖縄が持っている栄光の歴史と共に被支配や侵略、差別などの歴史の負の部分を学んでいただけたらと願うのです。悲惨な差別と抑圧なくして優れた黒人音楽が生まれ得なかったように、同様の闇の部分なくして優れた沖縄文化もありえないように思うのです。

    | | 「ここにも差別?」シリーズ | 18:18 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
    ここにも差別?沖縄編(2)
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       宿泊先から更新ができず、29日から24時間さかのぼっての、日時偽装更新です。
      10程前のこと、日本基督教団の右派(教会派)を代表するある牧師先生にお会いする機会がありました。その先生は「沖縄の基地問題は政治問題ではないと思う。あれは民族問題だと思う」とのお考えを公に話されました。

       私も最近いよいよそう思っています。そう、民族問題、まさに民族差別問題でしょう。なぜ、多くの日本人たちは沖縄にばかり基地などの安全上の負担を押し付けて、同じ日本人としての痛みを覚えてないのでしょう?

       沖縄は長寿日本一、出生率日本一といういのちに関して素晴らしい日本一をもっています。同時に離婚率日本一、完全失業率日本一、人口あたりの風俗営業所数、深夜酒類提供飲食店数が日本一でレイプ犯罪発生率日本一、言うまでもなく米軍基地の面積は日本一で平均年間所得は日本最低

       日本本土に生きる者に自覚的な差別心はなくても、歴史を通じて差別構造が築き上げられてきたのは間違いないでしょう。それは在日や被差別部落の人々に、日本文化の中では忌み嫌われる職業を押し付けながら、その生産物やサービスだけを受け止めている構造と酷似しています。構造的に差別が固定化されているわけです。

       沖縄戦の犠牲者は20数万人で、その6割以上が沖縄県民、しかも約10万人は一般住民つまり非戦闘員。昭和19年の沖縄の人口が59万人であることを考えると、本土はありえないような数の一般市民の戦死者を出していることが分りますね。

       敗戦時は沖縄を犠牲にしては時間稼ぎと自己保身を図り、その後も沖縄に様々なワーストワンを押し付けながら、日本は安全と平和、経済発展と物質的豊かさを享受して来ました。戦後の本土での安全、平和、経済繁栄などは沖縄の犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。にもかかわらずその自覚がどれ程の日本人にあるでしょうか?

       ライフスタイルや食文化、音楽や芸能などで沖縄が評価されブームとなってしますが、日本本土に生きるものはそんな安易なレベルで終始してはならないと思います。沖縄の痛みを知り、理解し、共有することなく、沖縄の優れた文化を享受することは、決して赦されない「おしいとこどり」のような気がします。
      | | 「ここにも差別?」シリーズ | 18:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      ここにも差別?沖縄編(1)
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        この更新はPBAの事務所からしています。昨日は午後三時に収録完了。ほぼワンテイクでOK。お祈りに感謝するばかり。今朝は番組収録したCDをいただきに、朝からここへ。午後からはJECAの総会出席。
        それから一般読者より一足先に、クリスチャン新聞最新号を入手。中野師との対談は最大の扱いで、二面抜き。扱いの大きな割には対して中身のない自分の発言に思わず赤面。おはずかし限りですが、御一読を。

        先週は沖縄におりました。ちょうど、集団自決が軍の強制であったとの記述を削除するよう検定があり、沖縄の多くの地域で抗議の声が上がっていたところでした。

        若い読者の皆さんはそもそも1972年まで沖縄が外国だったと知っていますか?アメリカの統治下にあったのですよ。内地(日本本土)に行くにはパスポートが必要で、道路は車が右側通行、通貨はドル、沖縄代表の甲子園球児も、甲子園の土を持ち帰ることを赦されず海に涙して流していたのです。

         私も小学生の頃、沖縄返還の報道を見て、単純に感激していたものです。やがて、大人になり沖縄の切望であった「基地も核もない本土復帰」には程遠い復帰であったことを思い、心痛めた一人です。
         
         正直、沖縄出身者の差別といわれても私は全く実感がありません。しかし、年配の方は沖縄出身者であることを隠して生きてこられた方も多いとか。昔は関西の方では社員募集や工員募集の際も会社や工場に張られた募集チラシには「朝鮮人、沖縄出身者お断り」とあったとか。在日の方々のように、沖縄出身者も沖縄独自の名前とは別に苗字を名乗ったそうです。サンシンを押入れに隠れて演奏していたというお話もあります。

         芸能界、スポーツ、食文化やライフスタイルなど、沖縄が正当に評価されているのは、年配の沖縄の方にとってはきっと複雑な心境だろうと私などは察しております。なぜなら、そこに至るまでの様々な差別や偏見を実体験してこられたのですから。
         

        | | 「ここにも差別?」シリーズ | 09:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        ここにも差別?社会生活編(2)
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          沖縄のホテルからの投稿。こちらでは昨日から雨続きです。
          前回は「差別問題は当事者にわが身を置いて」と書きましたが、その通りの体験談を以前、一人の牧師からお聞きしました。

           その牧師はある事情から、教会の近くに同和地区があることは承知した上で別の教会への転任を希望。教会の近くに好条件で安い住宅を見つけて、そこに住むこととなりました。

           しかし、すぐに、ある事実を知り愕然としたそうです。新しい住居は同和地区内だったのです。「差別をしてはいけないとの信仰を持ちながらも、自分は言いようのない恐れに支配されました」とその先輩牧師は正直に話して下さいました。

           やがて恐れの中にあっても「差別は罪」との信仰に立って、ご自分からご近所を訪ねて心を込めて転居の挨拶をなさったそうです。その結果は、拍子抜けするほどの暖かな歓迎であったとのこと。「もし、こちらに差別心があったら、そうならなかったかも」とその牧師は振り返っておられました。割と高齢者が多く、助け合い支えあう人情味のある地域で、むしろ暮らしやすいと分ったのです。

           その牧師一家にはもう一つ試練がありました。それはご自分のお子さんをその学区の公立中学に通わせなくてはならないという葛藤でした。恐れや不安をもっての学校生活スタートでしたが、特別荒れていたり、問題のある学校ではありませんでした。同じ中学に通う障害を持つ子どもは、地域の暖かな愛に支えられているのを見て、その地域の人権意識の高さに感銘を受けたことも。

           結局、その牧師自身が実情を全く知らないままで、偏見によって必要のない恐れをいだいていたことが分り、悔い改めをされたというのです。長い人生の中、初めて差別の現実に触れ、差別の現場に身を置く中で、神様から頂いた恵みだと受け取っておられるようです。

           正直にご自分の葛藤を語り、その中でいただいた神様からの恵みを証しする姿にただただ感銘を受けました。
           私たちもその牧師一家の立場に身を置いて「自分ならどうするか?」を想像してみてはどうでしょうか?


          | | 「ここにも差別?」シリーズ | 09:08 | comments(1) | trackbacks(0) | - |
          ここにも差別?社会生活編(1)
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             久々の人権ネタですが、今回取り上げるのは越境入学

             私はおめでたいことに長い間、越境入学というのは高学力の学校へわが子を入れるために親がすることだと思っていました。しかし、どうも、そればかりではないらしいことに近年気がつきました。

             名古屋やその周辺では、役所に行くと「なくそう、越境入学」などの看板が設置されているのを見かけます。以前は「公立の小中学校なら住んでいる学区の学校へ行くのが当然でしょう。越境させる親はわがまま、それなら引っ越ししろよ」くらいに思っていました。

             数年前のことです。私の友人一家が引っ越しました。引っ越した先は学力が高いことで有名な公立中学の学区。転居は仕事の関係で、越境入学目的ではありません。転入のため役所に行くと、そこにはでかでかと「なくそう、越境入学」の看板。この中学はよく越境先として選ばれる中学。お子さんはその中学に入学したのですが、当然、越境と疑われ、何でも、本当にその住所に住んでいるか調べに来たそうです。そのお話をきいて、私は「もしやして」と思いました。

             そこでさらに別の友人のクリスチャンにお会いした際に、その件について尋ねてみました。実はその方はその中学の隣の学区の中学に勤務したことのある中学校教員。やはり、その学区も近くのある学区からの越境が多いとのこと。私が予想した通りでした。特定のある学区から、近隣の学区への越境入学が多いのです。

             実はその特定の学区には同和地区が含まれているのです。同和地区を含む学区の中学校にわが子を通わせたくないという理由からの越境としか思えません。つまり役所の「なくそう越境入学」は同和問題、部落差別問題上の行政側からの訴えなのでしょう。

             あの橋下弁護士は、同和地区を含む学区の中学に通っていたことを明言しています。彼の親は越境をさせなかったようです。(その割に、この弁護士は人権意識が低いように思うのは私だけでしょうか?)

             越境入学、そんな身近なところにもその背後には差別問題が潜んでいるのです。読者の皆さん、もし、皆さんが引越しをされ、その地域の学区に同和地区が含まれていたとして、皆さんはわが子を、その学区の学校に通わせますか?それとも越境入学させますか?差別問題はそのように当事者にわが身を置いて考えたいものです。
            | | 「ここにも差別?」シリーズ | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
            ここにも差別?宣教編(3)
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               非常に日常的な宣教活動の中で差別問題にぶつかることがありますね。以前、教会学校の教師として子どもたちに聖書アニメビデオを見せたことがあります。ディズニーに劣らぬ一線級の技術と聖書に忠実な描写、きちんとしたメッセージ性すべてが最高でした。しかし、ある一点の故に「こんなビデオ、本当は子どもたちに見せたない!」と思いました。
               それは、そこに描かれているイエス・キリストは肌が白く、しかも目が青いのです。そう、そこに描かれているのは白人クリスチャンのためのイエス・キリストなのです。

               金城大文学部チャプレンの藤井創さんによればラニーラッカーさんに「イエス様の肌の色は?」と尋ねると当然のように「黒」と答えるそうです。同じく藤井先生から御見せいただいた映画「マルコムX」のあるシーンでは、刑務所に来て宣教する白人牧師にマルコムが「キリストの肌の色は?」と尋ねるシーンがあります。マルコムはイエス様が有色人種で目が黒かったはずでは?と問いかけ、刑務所内に描かれている金髪で目の青いイエス様の絵が明らかな過ちであることを指摘します。

               イスラエル人の肌を白く描き、異邦人の肌を浅黒く描くような紙芝居やアニメにもよく出会います。必ずしも間違いではないでしょうが、あのペリシテ人などは現在のアングロサクソンの先祖で、それこそ金髪碧眼なのです。神に敵対する民族の中にも金髪碧眼はいるのです。皆さんは聖書ペリシテ軍を紙芝居で描くとき金髪碧眼ですか?もし、浅黒い肌に描いていたなら、マルコムXに断罪されますぞ。

               私たちはとてつもない罪人だからか?白人文化を通じてキリスト教に触れてきたからか?白が清く正しく美しく、黒が邪悪で罪深いという間違った観念にどこか支配されているのかも?私たちは聖書が示す事実をまず確認すべきでしょう。
               それは神が人となり、少数民族の貧困層の母子家庭(ヨセフは義父)にお生まれになった事実です。イエス様がはマイノリティーの惨めさ、貧困層の苦しみ、母子家庭の痛みを身をもって味わって下さったのです。そして同じ立場にいる者の痛みと苦しみを100%受け止めて下さる救い主なのです。
              | | 「ここにも差別?」シリーズ | 09:03 | comments(4) | trackbacks(0) | - |
              ここにも差別?宣教編(2)
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                 ある宣教師からお聞きしたお話。
                インディアンの宣教ついて。「インディアン」という呼称は差別助長の恐れがあるので別称が用いられるようになってしますが、インディアン自身がOKなようで、一応、インディアンと呼びます。

                 「白人嘘つくインディアン嘘つかない」という言葉の通り、インディアンの歴史は、白人(キリスト教徒)の側に様々の約束を破され、土地を略奪され、抑圧されてきた歴史。
                 1960年代からは人権運動の盛り上がりの中で、インディアンの人権も向上。保護政策や社会保障などあるものの、民族的アイデンティティーの喪失や差別抑圧のためか、アルコール、ギャンブル、家庭崩壊などの問題は根深いようです。

                 カナダのインディアンが住む地域は特に悲惨で「この子、誰の子?」状態。母は分かるが父が不明。家庭や社会秩序が根本から崩壊しているそうです。歴史的に形成されたあまりに根深い問題です。

                 そこに宣教のため、遣わされて行くのは韓国系のアメリカ人。「白人クリスチャン=嘘つき、差別者、抑圧者」との公式が歴史の中で形成されていますから。差別した側は宣教機会を失っているわけです。

                 クリスチャンが誰かを差別するということは、その相手に福音を伝えられないという最大の損失を意味するのでしょう。まさに、差別をすることは、自らの信仰を否定することに他なりません。
                | | 「ここにも差別?」シリーズ | 09:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                ここにも差別?宣教編(1)
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                   宣教の中で差別問題に出会うことはしばしば。今回のタイトルは「君は外国人登録証を見たことがあるか?」偉そうに言う私も一度しか見た事がありません。在日のクリスチャンの知り合いは山ほどいるのですが、そうした方から見せていただいたことは皆無。一度だけ、頼みもしないのに見せていただいた時のお話を紹介。

                   それは十数年前のこと。一度だけ森本春子師の牧する山谷の教会の伝道をお手伝いに行った事があります。車で現地到着、ドアを開けて教会の前で降りようとすると、いきなり日雇い派遣労働者と思われる60歳ほどのおじさんが話しかけてきました。

                   「おい、何しに来た?」「教会のお手伝いに来ました。」「そうか俺は吉村ってんだ、この教会の教会員だ。」

                   私は内心ホッとして「そうですか、お迎えありがとうございます。」と握手。握手をすると吉村さんは、突如、表情を変えて「オレたちゃー、この国でどうやって生きていけばいいんだよー!」と真剣な眼差しで私に訴え始めたのです。私の目の前に一枚のカードを差し出しつつ

                   そのカードは免許証のようでしたが、そこに記されていた名前は「吉村」ではなく、「朴」でした。私は彼の訴えの意味が分った時、何も答えられず立ち尽くしてしまいました。不信仰かも知れませんが、「イエス様信じて・・・・」と日本人の私が言うのはあまりに軽率に思えたのです。強制連行、差別、ホームレス、クリスチャン・・・そんな言葉が一瞬のうちに私の頭を駆け巡っていました。

                   黙ってしまった私に対して朴さんは正解発表「だからオレたちはイエス様信じるんだよー!」その言葉に「そうですね、そうですね」と私は敬服してうなづくだけでした。

                   ある神学校は特別講義として在日教会や在日社会の歴史や文化を学ぶそうです。ただ一度だけ見せていただいた外国人登録証。この日本社会で宣教するとき、本来、避けて通ることはできなはずの問題でしょう。 
                   
                  | | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                  ここにも差別?スポーツ編(4)
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                     昔サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」を聴きながら、曲解説を読みました。「アメリカ社会にあって黒人が成功する道は音楽とスポーツしかない」という前提でこの歌は歌われているのだと知りました。そして、日本は平等だからいいよなーとおめでたい誤解を続けていました。
                     
                    40歳を過ぎてようやく日本にも同様の現実があることを知ったのです。ここまで現実社会を知らずによく牧師がつとまったものだと自らに呆れます。日本社会においても、在日や被差別部落出身者が成功できるのは音楽とスポーツ、あとは裏社会、闇社会と呼ばれるような分野。差別によって、最初からスタートラインが違うわけで、そもそも平等な競争自体が成り立ちません。いいえ、たとえ努力して競争に勝っていても評価されません。その点、芸能やスポーツは目に見えて評価されやすいということでしょうか?

                     一人のスポーツヒーローがいました。私もしびれるほど彼が大好きでした。その彼が犯罪に手を染め、刑に服することに。この大スキャンダルにマスコミは大騒ぎ。やがて、刑期を終えて、しばらくすると週刊誌の評論やラジオ、テレビなどに登場。その犯罪行為に比してあまりに早いマスコミ界への復帰に当時の私は怒っていました。「横山やすしに対して以上に甘いぞ!!」と納得の行かない私でした。
                     
                     昨年、図書館で一冊の本を読みました。(「噂の真相」や「別冊宝島」ではありません)彼の名前は匿名としながらもその真相が書かれていました。そして私は知ったのです。犯罪に手を染めた経緯、そして常識はずれの速やかな復帰、その背後には部落差別問題があったことを。

                     彼の父親は被差別部落出身者。彼とは幼い日に離別。彼がスポーツヒーローとして活躍の中で事件が起こります。父の愛人がそのことをネタに恐喝まがいの行動に出るのです。マスコミに彼の父親が被差別部落出身であることを伝える、観客席で被差別部落を想起させる踊りを踊る、自宅の周囲を仲間たちと包囲して威嚇するなど。彼はそうした恐喝まがいの行為を受けるたびに、お金で解決をし続けていったようです。

                     現役引退の後、彼の家庭は崩壊、すさんだ生活の中で犯罪に手を染めてしまったのです。ある記者は彼にそうした背景を明らかにすることをすすめたそうですが、どうしても彼は出自を明らかにしたがらなかったとか。事件の背後には差別的で不当な行為があったのですが、彼は裁判の中でも一切そのことを証言せずに刑に服しました。

                     刑期を終えた後は異例の速さでマスコミに復帰。その背後には真相を知るマスコミ、スポーツ、芸能界の暖かな支援があったに違いありません。復帰後の彼の充実した仕事ぶりはそうした方々への恩返しであるように私には思えます。かつては彼のことを憤慨していた私ですが、真相を知った今は、彼の大ファンに復帰、心から応援をしている一人です。

                     平等と言われ、格差社会化していると言われる日本社会。そもそも生まれながらにしてスタートラインが大きく違う社会なのです。

                    | | 「ここにも差別?」シリーズ | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                    ここにも差別?スポーツ編(3)
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                       大相撲を観戦していると今や、外国人力士が大活躍。今はモンゴル出身者が多く、以前はトンガ出身力士も注目されました。アメリカ(ハワイ州)出身やヨーロッパ出身の力士などを見ていると相撲なのに「欧米か?」と突っ込みたくなるほどですね。
                       大相撲の力士たちは必ず、日本出身の場合は出身都道府県がアナウンスされますが、外国人力士は国名などが呼ばれます。よく考えてみるととても不思議なことがあります。「韓国出身」という力士を聞いたことがないのです。あの力道山は韓国相撲出身。実際に韓国出身の力士や韓国籍の力士は多くいるのに?
                       もう数十年も前に私が大好きで応援していた横綱が最近、韓国籍であったと知り、驚きました。もちろんマスコミは「外国人横綱」とは報じないで、好成績がすんなり評価され、横綱に。
                       ところが曙だったでしょうか?ハワイ出身力士が初の横綱となる時には横審もかなり抵抗をしめしました。マスコミも「初の外国人横綱」と大騒ぎ。とっくの昔に外国人横綱はいたのに。なんだ?そりゃ?と思います。これは配慮か?差別か?相撲界では未だに韓国は日本の領土なのか?はたまた韓国人は見なし日本人なのか?

                       プロレスも同様。私は大木金太郎さんが、お亡くなりになって初めて韓国人だと知りました。あの頭突きはまさに「パッチギ」だったのでしょうか。大木さんは同郷の力道山にあこがれて、密入国した方。そういえば力道山もお亡くなりになって、かなり経過してから私は韓国出身と知りました。

                       そうです。バッハが音楽の父なら、力道山は日本におけるプロレスの父。彼はもともと韓国相撲での活躍を認められスカウトされて日本でデビュー。関脇まで昇進しながらの引退についても実は差別的ないじめが原因という説もよく聞きます。
                       
                       アメリカの白人レスラーたちを空手チョップで倒す姿に、日本人はアメリカへの劣等感をはらし、その日本人?ヒーローに力づけられ、経済成長を遂げてきました。ですから、日本のプロレスの父、日本のスポーツヒーローが実は韓国出身だと知れてはまずいわけです。力道山は百田という人物と養子縁組をして長崎県出身であると生涯、偽り通さざるを得ませんでした。どんなに激しく深い葛藤だったでしょう。
                       
                       誰もが知っている日本の大ヒーローは、その本当の姿を誰にも知られたくなかったのです。リング上では最強の男は、本当の自分を知られることを恐れ怯えていたのでしょう。どんな名声も富も地位も本当の意味で力道山を幸せにはしなかったでしょう。

                       本当の自分で生きられること、本当の自分として日本社会で愛され受け入れられることなくして、力道山は人生のチャンピオンではありえなかったのでしょう。彼の体にはチャンピオンベルトが輝いていても彼の心には被差別者としての暗いベルトが生涯巻きついていたはず。これほどの国民的スター、最強の男にさえ、出自を明かすことをさせない日本社会とは?日本人の心にはびこる差別という罪はきっと力道山の空手チョップよりも強力であるに違いありません。
                      | | 「ここにも差別?」シリーズ | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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