橋本聖子議員が、オリンピックの打ち上げ時に、高橋大輔選手に
唇どうしのキスを強要したセクハラ行為をしたのでは?と問題になっております。ちょうど、先日購入した週刊文春には、その
証拠写真が大きく掲載され、
権力関係の中でのセクハラ行為として批判記事が書かれていました。もしかすると、
ライバルの自民党女性議員かその仲間が、目撃者を説得して、週刊誌に出させた可能性もあるのかも?と邪推しています。
私は、「橋本議員は
既婚者だし、
外形的事実は明らかだし、事後に口止めしているし、どんなに理由をつけても、
これは完全にアウトでしょ」と思うのです。
頬へのキスであれば、まだ、「海外文化だから」「ノリで」「誤解を招いた」で済むかもしれません。
しかし、唇を重ねることは、
粘膜接触であり、これは海外でも男女間では愛情表現ではなく「
親密な男女間の行為」や「
性行為に準ずる行為」かと思うのです。 特に高橋選手は女性に大人気の魅力的な男性ですから、橋本議員に
性的意図があったと予想するのが、当然だと判断しています。「がんばった
息子と母の関係」とか釈明していますが、母が息子の唇にキスするわけないでしょう。それなら、ハグか頬へのキスまでのはずです。
高橋選手は、「セクハラと思っていない」、「国際スケート界の文化だから」と橋本議員をかばっていますが、それはそうでしょう。本気で嫌でも、セクハラと思っていても、そう
言えるわけがありません。橋本議員は、スケート界では
絶対的権威者なのですから。二人の間には、
決して逆らえない権力関係が明確にあるのです。スケート界全体で、隠ぺいや合理化するに決まっています。高橋選手は嫌がっていたと語った目撃者もきっと発言を変えるでしょう。
明白なセクハラ行為に及びながら、
政治的権力によって、相手にも、周囲にもなかったことにさせる・・・。そんな
男性セクハラ議員みたいなことを
女性議員がしているように思えてなりません。
男性の国会議員やスケート連盟理事が、
浅田真央選手に同じことをしたと想像して下さい。そうすると、頬へのキスと唇どうしのキスは
全く意味が違うことがわかるでしょう。そして、その男性は、
辞任や停職などの処分は免れないでしょう。
どうも、
女性が加害者で男性が被害者だとスキャンダルにはされても、世間の声は甘いように思います。日本社会は、男性の女性に対するセクハラ行為に比して、
女性の男性に対するセクハラ行為に対する意識が低すぎないですか?きっと、身近に事例がないからでしょう。あるいは被害者男性も、訴えるのは男らしくないからと泣き寝入りをしているからです。男性だって、
性的自由を侵害されたり、
性的に不快な言動や行為を受ければ、深く傷つくのです。
まだまだ、
男性主義的な日本の社会では、性犯罪においては「
加害者=男性、被害者=女性」という
固定観念に縛られており、「加害者=女性、被害者=男性」という「
逆セクハラ」や「加害者=男性、被害者=男性」という「
ホモセクハラ」にまで、想像力が及ばないのでしょう。
実際に文春の取材を受けた
スケート連盟の副会長(男性71歳)は、「(セクハラには)当たらない。(被害者は)
男だから」と返答しています。これには「
被害者が男ならセクハラにならないのかよ!」と読者の内なる突っ込みが全国的に多発したことでしょう。まさに、
男性主義的な発想に縛られています。これでは、男性加害者に比して女性加害者が甘い対処となるのもうなずけます。
もちろん、性の世界においては、
男性が強者で女性が弱者である場合がほとんどでしょう。男性が体力に勝り、男性の性欲は攻撃的だからです。しかし、女性上司が増加している社会では、少数でも
逆転事例はあるのです。女性の方が
社会的権力が上であれば、それは起こるのです。
聖書も
ポティファルの妻がセクハラ加害者であったことを明記しています。彼女も橋本議員も
相手男性は部下で、自分が
権力者であり、しかも
既婚者でした。そうです。
古代エジプト時代でさえ、年長女性が権力を持っていれば、権力下にある年下イケメンに性的嫌がらせをしていたのです。ましてや、
男女行動参画社会では、女性上司が部下の男性に対して権力を持つのですから、女性の男性に対するセクハラは、少数とはいえ当然、ありうるのです。
セクハラはまさに
政界で問題になったばかりです。
某都男性議会議員の女性議員に対しての「
産めないのか?発言」は、女性の人権を否定するものとして問題視されるべきでしょう。しかし、今回の橋本議員の行為は、相手男性の
性的自由を侵害し、性行為に準ずる
肉体的行為を強要している可能性が極めて高いのですから、
より悪質なのでは?あの男性都議会議員が一定の処分を受けたのに、同じ
自民党の橋本議員が具体的な処分を受けないとしたら、私はまったく納得がいきません。
政界では、
男性議員こそがもっと意識をもって、「
男性の性的自由の侵害」「
国会議員にあるまじき行為」として、厳しく責任追及して欲しいです。それによって、日本社会に、女性の男性に対してのセクハラの
認知度を高め、犯罪防止に貢献していただければと願うのです。できれば、
女性議員も、セクハラ男性議員に抗議するのと同じ熱意で考えていただきたいです。「
日本を代表する女性議員がこれでは、国民の皆様に、国会にもっと女性議員を送り出して下さいとは言えない」と。
いまどきの若手男性社員は、
草食傾向が強く、そもそも職場仲間と集団での
飲酒を嫌います。
下ネタ嫌いもいて、女性上司からエロトークや体を触られたりすることに
強度の精神的苦痛を受ける男性も少なくありません。草食系は気が弱いので、嫌われたり人間関係を壊してまで、
明確に拒否を示せません。つまり、
女性が受けるセクハラ被害と同じようなことは、数は少なくても男性に起こっているのです。
もし、橋本議員がお咎めなしで終わっていくなら、日本の社会には「
悪しき前例」が残り、「
恥ずかしい基準」が定着しかねないと危惧します。たとえば、「
酒の席で、
国際的文化の中に生きているなら、50前後の
女性上司が、嫌がる20代の
男性社員の
唇びるを奪っても
セクハラに該当しない」という
ガイドラインです。世のセクハラ女性上司は、「
橋本さんがセーフだからいいのよー」とか、今後、
お墨付きに使うのでしょうか?女性による男性へのセクハラの権威づけ。それは女性国会議員が最もしてはならないことの一つのはず。
安倍内閣が、
女性議員の登用を積極的に進めるなら、同時に、女性議員の
資質と意識も高めるべきでしょう。今回の件で、
男性議員ならありえないような甘い対処をするなら、女性議員積極的登用は、いよいよ
形だけの人気取りと評価せざるを得ません。安倍首相には、今後、活躍していく女性議員の資質と意識向上のためにも、厳しい対処をお願いしたいものです。
男性と女性の性は異なります。一般的には
強者で攻撃性のある男性が加害者となり、
弱者で攻撃性の乏しい女性が被害者となります。しかし、聖書が示すポティファルの妻の事例は、
社会的権力関係がそれを逆転することを示しています。今日の男女共同参画社会においては、年長の
女性が社会的権力を持つこともあり、
女性による男性へのセクハラ関係が起こりうる土壌は既に存在しているのです。
まさに、年長であり、絶大な政治的権力を持つ橋本議員は、高橋選手に対して、そのような
権力関係にあったのです。対等でないからこそ、してはならない行為だったのです。
ヨセフは拒否をして、最悪のパワハラを受けました。高橋選手は最初は拒否を示していたようですが、執拗さに負けて、応じたようです。高橋選手には
拒否権があります。恋人もいる可能性は高いし、女性ファンたちへの配慮もあるし、何より一男性として嫌なものは嫌なのです。
性的自由は法律で保障されているのです。
「
古代エジプト国家で起こった
女性による男性へのセクハラが、何千年もの年の時を超えて
21世紀の日本でも再現された。」
人間の
罪深い本質は何も変わっていないようです。男性であれ、女性であれ、権力を所有すれば、それを
不当に行使して、
自己欲求を実現する誘惑に駆られます。それが性の分野に関することで、で権力支配下にある者を対象とするなら、パワハラであると同時にセクハラとなります。
外形的事実や証言、二人の間にある
権力関係からして、セクハラと考えるのが自然かと思います。「軽率だった」「誤解を招いた」「反省しています」で終わらせてならないでしょう。橋本議員に対しては、どう考えても、「産めないのか」発言の
男性議員よりも、
厳しい処分が妥当かと思うのですが、どうでしょう?そして、何より議員個人のことでなく、
女性が社会的権力の座に就くようになってきた社会において、一つの
新たな課題を示すものとしてこの事例は考えたいものです。