命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
性犯罪被害者クリスチャン女性によるブログのご紹介
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     「痴漢や性犯罪被害にあいやすいタイプの女性」というのはあるようです。多くのクリスチャン女性から、こうした相談を受けたり、悩みを聴かせていいただきました。その経験から、間違いなく言えることは、当人に責任はないということです。しかし、性犯罪は不条理なことに被害者女性が責められることも少なくありません。また、被害者女性自身が自分を責める傾向が強いのです。

     以前に相談を受けていたクリスチャン女性が、最近、ブログを始められました。正直に自分の被害、葛藤と苦しみ、支援を受ける中で教えられたことなどを記しています。生々しくはありませんが、被害体験談もありますので、トラウマを持つ方などは、ご注意ください。読まれる場合は自己責任でお願いします。

    「生きると言うこと。人間って、いいな?!」
     http://blog.livedoor.jp/jardinera/


     専門家でも、支援者でもなく、今もトラウマに悩まされながら信仰を持って歩もうとしている等身大のクリスチャン女性が、真実な思いで記している記事は、きっと読む者の心に慰めと希望、そして、正しい知識を与えてくれるでしょう。性犯罪被害者として苦しみを持つ方が、身近にそうした方々がいるという読者にって、役立てばと願い、紹介しました。


     本ブログの関連記事としては以下の過去記事があります。参考になさってください。

           
    | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 14:41 | - | - | - |
    袋かぶり遺体事件に思う〜カニバリズムの奥に潜む性的歪み
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       幼児期から児童期にかけての親との関係が男児の健やかな性的発育を妨げるというテーマが続いています。今日は、昨日の続きの記事をアップする予定でしたが、明日以降に先送りすることとしました。ちょうど、同様のテーマに関連したタイムリーな事件が報じられているからです。それは、東京の福生で起こった「袋かぶり遺体事件」です。今、世間を戦慄させているこの事件をとりあげます。

       この事件については、当初から、養子縁組をした同性愛カップルであることは報じられていました。同性婚ができない日本では、家族となるために養子縁組をするカップルもいます。古くは衝撃的な自死を遂げた売れっ子二枚目俳優、沖雅也と養父である東大大学院で個性的なキャラで注目された日景忠男のカップルが有名です。私自身もこの事件が報じられて、同性婚の代理としての養子縁組というもの初めてを知りました。関心のある方は、wikipediaをご参照ください。

      wikipedia「沖雅也」、wikipedia「日景忠男
       
       今回の事件、その猟奇性が話題となっておりましたが、不明な点が多かったのも事実。しかし、今日になり、こんな報道がありました。yahooヘッドラインで私も知って驚きました。

      男性転換した元女性と男性「嫁」のカップル 「事実は小説より奇」だった「顔の皮剥ぎ事件」の家庭
      http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151113-00000004-jct-soci


       ポイントは二つあります。このカップルは同性愛者カップルではなく、性同一性障害者カップルだったような報道です。養父であった被害者男性は女性から身体も戸籍も男性に転換しています。逆に、養子である通報者は、男性ですが、女性への転換を願っていました。

       では、二人共が性同一性障害と言い切れるかといえば、そうでもなさそうです。もしかすると、養父のみが性同一性障害であって、養子の方は自分を男性と認識し、男性を愛する同性愛者である可能性も、私は考えてしまいます。つまり、養子は性同一性障害ではないのに、愛する男性からの愛を受けたいがために女性になりたがっていたという可能性も捨てきれないように思うのです。もし、そうだとすると、養父は「本物の女性がよい」として、男性ではなく、女性と関係があり、それが大きなトラブルとなっていたという想像もできます。


       (注意:ここから先はカニバリズム(人間を食べる行為)について書いているので、一定配慮はしていますが、閲覧注意です。自己責任でお読みください。)

       もう一つのポイントは、はがされた顔の皮がないのは、加害者が食べてしまった可能性があることです。この記事にあるように犯罪心理学者もその可能性を指摘し「同一化したかった」「真実の顔を知りたかった」との動機を予想しているようです。愛する相手の身体の一部を食べることは「カニバリズム」と言われます。これは元来は野蛮な宗教的行為として知られてきましたが、同時に、歪んだ性愛行為の一つでもあります。近年日本で起こったカニバリズムとして有名なものは以下の二つの事件でしょう。

       1981年のこと、パリの大学の博士課程にんでいた日本人男性留学生が、交際していたオランダ人人女性を殺害し、遺体の一部を食べるという事件がありました。彼は不起訴となり日本に帰国します。この事件は「パリ食人事件」と呼ばれ、後に「霧の中」というタイトルで実名小説可され、ベストセラーとなりました。

       また、1989年におこった埼玉連続幼女殺人事件では、犯人の宮崎勤(既に死刑執行)が殺害した幼女の遺体の一部を焼いて食べ、血を飲んでいたことが知られています。その異常な性的傾向は、不幸な親子関係、成育歴から生み出されたことも、定説となっています。

       これらのカニバリズムは、性愛対象者の肉体の一部を、自らの内に取り込むことよって、相手との一体化をはかろうとする性愛行為と理解されています。男性にとって、性的結合は、対象者とのつながりだけではなく、支配や所有を意味します。そして、通常は支配と所有によって性的満足を獲得します。しかし、いくつかの特殊な要因が重なり強く働くと、支配と所有を超えて、相手と一体化するところまで至ってしまうようです。

       上に紹介した二つの事件の場合は、「孤独と劣等感」であろうと説明されます。パリの日本人留学生は、日本人としても小柄で、ヨーロッパの女性に強い肉体的コンプレックスを抱き続けていました。また、異国生活の孤独感に共に暮らしていたオランダ人女性との不仲が拍車をかけて、より孤独を深めていたようです。

       宮崎勤も、手に軽い障碍があることなどから、強い劣等感を持っていました。支配と甘やかしの両極端が混在する家庭環境の中で、人格的に成熟に向かわないことで、人間関係もうまくいかず、さらに彼は強い劣等感をいだき、孤独を深めていったようです。ついに引きこもり生活に至った彼にとって、溺愛してくれていた祖父の死は、決定的な孤独に彼を陥れたようです。劣等感の強い彼は、現実世界では、幼児しか性的対象にできず、その性的征服欲を満たすためカニバリズムに至ったと理解されています。


       あくまで、今回の事件がカニバリズムだと仮定しての話ですが、今回の事件の犯人も、「自分が被害者から愛されなくなるのでは?」との劣等感や元来の孤独感に「相手が自分を離れかけている」という孤独が重なったのかもしれません。性器ではなく顔の皮や肉を食べたことは肉体的一致より人格的一致を切実に求めていたのかもしれません。深い劣等感と孤独感の中で、テレビのコメンテーターである犯罪心理学者の予想のように、きっと、愛する者との一体化を求め、移り気に見えた相手の「本当の顔」を知りたかったのでしょう。今回の事件にこれまでのカニバリズムとは異なる要素があるとしたら、食した部分が、顔の皮のみであったことでしょう。


       相手を殺害し、相手の肉体の一部を自らの内に取りれることによって、永遠に相手と一つとなれるし、相手は他の人のところへは行かないのです。そして、苦しんできた劣等感と孤独は癒され、克服されるのです。これがカニバリズムの発想なのでしょう。しかし、これは事実ではありません。歪んだ性愛がもたらす間違った妄想に過ぎません。


       猟奇的な要素に嫌悪感を持つのは当然の感性でしょう。また、商業主義的なマスコミはこの猟奇性の故に、興味本位でこのことを報道するでしょう。しかし、読者の皆様におかれましては、この事件の奥底にある性的歪みの深さ、さらに、それを生み出す私たち人間の罪深さの「両方の深さ」に向き合っていただきたいのです。不幸な親子関係や成育歴、そこに由来する劣等感や孤独が、どんなにか男児や少年たちの性を歪めてしまうかを知っていただきたいのです。

       その上で、身近な男児や少年たちの健やかな性の成長を見守り、助けていただければと願うばかりです。あくまでカニバリズムとの仮定に立った上での記事に過ぎませんが、辛すぎる真相が見えかけてきたこの事件の最新報道に接して、そんなことを考えています。
      | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 15:10 | - | - | - |
      男児の健やかな性の成長を、阻害し歪める母親たち
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          一昨日の記事に対して一つの応答がありました。母親との不幸な関係のために、性が健やかに成長しなかった一人のクリスチャン男性がご自分のことを記してくださいました。当人の希望にそって仮名で「川崎マイケル」としておきましょう。興味深いことに、女性性を著しく欠き、支配的な母親が息子の性を歪めるという昨日の記事ではなく、そのことを暗示した一昨日の記事をお読みになっただけで、性の成長における母と男児との重大な関係をご自身のこととして書いておられることです。以下に、当人の許可をいただき転載します。(太字は私の編集)


         男性にとって最初の恋人は「お母さん」であると聞いたことがあります。もしここで何らかの「つまずき」があると、将来正しい恋愛ができなくなることもあるといわれました。実は私がそうです。私の母はいろいろと干渉し、口うるさく、自分の価値観を押し付ける人でした。

         他にもいろいろ問題があったのですが幼少期の私はそんな母が好きでなく、避けるようになっていきました。成長しても母との衝突はそのまま続き、ついには女性全体にまで距離を置くようになってしまいました。思春期を迎え体は性的にも大人になり、他の同級生たちは異性に興味を持ち始めているのに、私だけそんなの別世界のことと距離を置いて過ごしていました。

         今年50歳になった私は未だ「恋愛」がわかりません。恋愛がわからないので当然同性愛でもありません。そして「性的な事」が大嫌いです。女性の肌の露出の多い服装なども不快です。電車内の吊り広告によくみられるグラビア写真も不快です。ポルノなんか「目が腐る」と思っています。人間の汗臭い肌なんか見て何が面白いのか、ましてや股間なんか汚いじゃないか。性犯罪のニュースを見て私が感じることです。

         私にとって「性愛」は汚らわしく、気色悪いものでしかありません。当然私は結婚していません。しようがありませんよね、恋がわからないんだから。でも人に迷惑をかける変態性欲者にならなくてよかったと思っています。生まれ育った家庭環境は残念でしたが、これも主なる神様の守りがあったのでしょう。


         以上です。川崎マイケルさんは、神様の祝福であり、聖なる美しいものとして与えられている性に対して本来の受け止め方ができなくなってしまわれたようです。親の罪の残酷さを思います。

         恋愛感情や性的欲求のない方を英語では”asexual”と呼びます。発音は「アセクシャル」または「エイ・セクシャル」です。日本語では「無性愛」と呼ぶそうです。「ホモセクシャル」が「同性愛」なら、「ヘテロセクシャル」が「異性愛」、そして否定の接頭語である”a”がつくからでしょう。「アセクシャル」は「無性愛」です。マイケルさんのセクシャリティーはまさにこのアセクシャルです。

         たしかに、男児にとって、母親は最初の恋人のようなものです。いわば男の子の本当の初恋の相手は母親です。口うるさく細々と注意をし、支配的で、自分の価値観を押し付け、否定的な言葉ばかり投げかけ、拒絶的に接して、男の子を優しく受け止めることのない母親は、スカートをまったくはなかいのとは、比べ物にならない程、男児にとっては女性性を欠くのでしょう。そうなると初恋の対象となりえません。

         幼児期の親との関係その後の人間関係をかなり決定すると言われます。この痛ましい証言は、母親に恋することができず、本当の初恋ができない男児が、永遠に恋することができなくなった悲劇を語っているのです。マイケルさんの場合はアセクシャルという形で歪みが現れたのですが、この証しにあるように、それ以上に、未発達(異常)性欲に苦しんだり、性犯罪に至ってしまうことが多いのです。

         今日の記事のタイトルは「男児の健やかな性の成長を、阻害し歪める母親たち」と付けました。残念ながら、キリスト教会の中でも、時にそのような母親の存在を見聞きします。川崎マイケルさんは、「何かのお役に立てば」との思いで掲載を許可してくださいました。どうか、読者の皆さん、マイケルさんの思いを無駄になさらないでください。男の子をお育ての母親の皆さんにはお読みいただき、男児における母親の存在の大きさとその影響の決定性を知っていただければと幸いです。

         また、該当者と思われる母親やそのもとで苦しんでいる息子さんたちの周囲におられる教職者や伴侶、ご家族の皆さんが、この証しを賢く活用されるようにと願ってます。

         この件については、あと二回ほど関連の記事を書きたいと考えているところです。
        | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 21:18 | - | - | - |
        過去の下着泥棒は現在の職業適性を問う根拠となりうるか?
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           最近は、第3次安倍改造内閣で入閣を果たした高木復興相が「パンツ大臣」「下着泥合」などの汚名を着せられております。どうも事実無根ではなさそうなだけに、どうしたものか?と思案しております。それは「過去の下着泥棒は現在の大臣職の資質を問う根拠となりうるか?」という下世話なのか高尚なのかわからないようなテーマであります。

           そもそも下着泥棒とはどういうことなのでしょう?私が愛用している書物に精神科医の森省二先生著「逸脱するエロス」があります。これは性非行や性的逸脱の深層にメスを入れて、健やかな愛と性を導く内容です。多くの事例の一つに典型的な下着泥棒の事例が出てきます。要約するとこんな事例です。

           A君は14歳の大人しく目立たぬ少年。ある時期から女性の下着に性的執着を覚えて、最初は母や姉の下着を持ち出していた。とこごが、母に見つかり厳しく注意をされる。いったんは治まったようい見えたが、今後は夜中に近所の物干しや洗濯場から女性の下着を盗むようになり、やがて、警察に補導されます。

           森先生は思春期に数回程度で、家庭内で治まれば、発達段階における過渡的なもので、正常の範囲だと判断します。しかし、家族以外に迷惑をかけながら、それが繰り返されて、成人以降も続くなら、異常のレベルとして位置づけます。

           彼の両親は自営業で、無口で真面目、仕事一筋の父。父と共に働くは母について、彼は母のスカート姿を見たことがないとのこと。彼に口うるさく威圧的に接する母親。大学生の姉は、活発で恋愛にも積極的。彼はあらゆる面で、姉に劣等感を持っていたとのこと。また、彼は心身両面で性的成熟が遅かったようです。中二で、射精能力もなく、ようやく異性愛に目覚めた頃だった。
           
           森先生の解説によれば、仕事一辺倒で心通いあわぬ父女性性を欠き威圧的な母の下で、A君は男性として健全な性を育むことができなかったわけです。男性としての性同一性を十分獲得できず、また、性的成熟も遅れていました。そのために姉に対して劣等感を持ってしまったということ。その結果、同年代の女子に年齢相応の方法で接近することもできず、その代償として異性の性的付属物である下着を性的対象としたという解説です。


           一昨日まで、復興相の件については、報道の詳細を知りませんでした。きっと地元の大物政治家の父と政治家の妻である母という特殊な両親のもとで育ち、A君同様の不幸な親子関係や成育歴をたどり、その結果、中高生の時に下着泥棒を何度か繰り返してしまったのだろうと勝手に思っていました。

           ですから、私は、「少年時代のことなんだから、世間も、マスコミも、もう少し寛容であってもいいのでは?当人は、正直に認めて謝って大臣を続ければいいのでは?」と思っていました。つまり、少年時代の下着泥棒は発達段階における一過性のものであるから、現在の大臣としての資質を問う要素とはならないだろうと考えていたのです。

           ところが昨日、考えが逆転しました。先週末に風邪をひいてしまい、一向に回復しないので昨日の午前は、医者へ。待合室にある「週刊新潮」を読むと、まさにこの事件を独占スクープのように連載しておりました。その記事によれば、復興相が下着泥棒をしたのは、約30年前とのこと。ということは、少年時代ではなく、29歳の時のこととなります。犯行の内容も、ベランダに干してあった下着を盗んだのではなく、意中の女性を狙い、家にまで入りタンスの中の下着を盗んだというのですから、かなり悪質です。当時市長であった父親が火消しに走り、示談で済ませたため、事件化せずに済んだとのこと。


           記事の内容もかなり信ぴょう性が高いように感じました。これを読んで、私の判断は逆転しました。事件時に、19歳であれば、発達期の過渡的な段階でありますから、寛容に見てあげればよいでしょう。しかし、29歳であれば、立派な性犯罪であり、寛容に見ることはできない事件です。たとえ、復興相の親子関係を含む不幸な成育歴があったとしても、29歳なら、当人の責任というのは社会的通念でしょう。だとしたら、現時点での大臣としての適性を問う声は必然です。

           話を分かりやすくするために極論するなら、こうなります。

           下着泥棒が、19歳の時の行為なら、これは「下着泥棒の少年が大臣になった」という美談とも言えるでしょう。

           しかし、それが29歳の時の行為なら、これは「性犯罪者が大臣になってしまった」という怪談でしょう。


           もちろん、一連の報道が事実であったとしても、29歳の時の犯行を心から悔いて、人格の成熟に向かい、性的にも問題のない政治家になっていれば、それはそれでOKでしょう。しかし、週刊新潮は、復興相が遊びに行く地元飲食店の女性たちからのそれと正反対の証言を掲載しています。女性に対する執着心が極めて強いことを証言とともに記事は訴えています。


           不幸な親子関係など成育歴に起因する多くの性的逸脱は思春期に表面化します。不幸にも、それが犯罪行為という形で現れたとしても、その後、人格的成熟や心身の性的成熟に向かい、成人以降に逸脱状態を卒業し、犯罪行為に至ることがなければ、健やかで幸せな愛と性の世界を歩むことができるでしょう。そして、それはその人物に対する社会的信頼にもつながります。

           週刊新潮など一連の報道が事実であるとすれば、この事件は、政治的問題であるとともに、少年の性非行、性的逸脱、さらに家庭病理の問題ではないかと思っています。ある分野の学者にとっては、格好の研究事例にさえなるのではないでしょうか?


           同じ下着泥棒でも、19歳と29歳では大違い。思春期と成人後では大違い。犯行が意味することも、社会からの評価も、現在の立場を問う材料となるかどうかも、大違い。今回の件については、私なりの見解としてそのことを記しておきます。
          | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 16:47 | - | - | - |
          「生まれ変わったら道になりたい」は未発達性欲の文学表現
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             昨日のこと、神戸で道路脇の側溝に隠れて、通行中の女性のスカート内をのぞこうとした28歳会社員の男が逮捕されたとか。報道によれば、人気のない朝の3時に側溝に潜り込み5時間わたって狭いスペースの中できつい姿勢を保っていたようです。

             この男性、二年前にも同様の容疑で逮捕されており、その際、警察にこう供述したそうです。

            「生まれ変わったら道になりたい」

             
            その記事がこちら。

            下着見たくて真夏の側溝で5時間のぞき見 28歳男「生まれ変わったら道になりたい」
            http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151109-00000211-sph-soci


             女性は嫌悪感を持つ方や呆れる方が多いでしょうが、きっと男性の多くは不謹慎にも笑いたくなることでしょう。女性は「まったくわからんわー」「きもい」と感じるでしょうが、男性は「気持ちはわからんでもないけど、そこまでするか?」と笑えてしまうでしょう。被害者女性の立場を考えれば、笑ってはいけないのですが、笑えてしまうのです。

             最近は反安保法案でも注目されているフェミニストの上野千鶴子先生にはその昔「女性のスカートは発情装置である」との主張をされた名著があります。私はフェミニズムには賛同しませんが、この見解は当たっていると考えています。西洋の男性社会が、女性にスカートをはかせてきた理由の一つは、女性を性的対象として、自らの性欲への刺激を得るためだろうと思うのです。男性の願う女性性やエロスを女性に押し付けてきた面はあるのでしょう。特に女性のスカートがひざ丈やそれより短くなってきた現代は、その要素はさらに高くなっているだろうと考えています。

             スカートの女性を見ると世の男性がすべて即時、発情しているわけではありません。ただ、スカートには、脚が見え、下着が見える可能性があり、それが男性の性的関心を引き付けるのは事実です。ご存知のように社会的地位も教養もある立派な男性たちがスカート内の盗撮でたびたび逮捕されます。それは一般的に男性が、スカートの中の世界に対して女性には理解不可能なまでの性的執着心を持っていることの証明と言えるでしょう。


             つまり、女性のスカートはある意味において、男性にとっての発情装置であり、スカートの中を見たいと男性が願うことは、女性にとっては不快でしょうが、通常の性的欲求なのです。では、この容疑者が通常の性欲の持ち主かと言えば、そうではありません。ここまでの執着心があることは異常と言えるでしょう。つまり、質において異常なのではなく、程度において異常なのです。

             近所のおばさまたちの証言によれば、この容疑者は穏やかで礼儀正しい青年だそうです。ただ、彼の幼少期を知る人からは、小学生の時からよく側溝に入っており叱られることがあったとの証言があります。どうも、推測するに彼は、小学生の時にいたずらで側溝に入ったら、偶然、女性のスカートの中を見てしまったのかもしれません。あるいは、そのために、意図的に側溝に潜り込んだかのいずれかでしょう。

             射精能力もない児童期の性欲を、そのことによって満たし続けてきたと思われます。彼にとってそれは生きる中で最高の快感となってしまったのでしょう。類似の経験があったとしても、通常は、思春期以降に射精能力を備えれば、もっとリアルに女性を求めるようになり、恋愛や性の世界に入っていくものです。

             ところが彼はこの刺激が忘れられず、卒業できなくなったと思われます。たとえ彼に恋愛経験や性体験があったとしても、児童期の性的刺激を繰り返し体験せざるを得なかったと私は予想します。だから、ありがちな盗撮やのぞき行為ではなく、側溝に身をおいたのでしょう。まさに、児童期の性体験の再現なのです。

             彼にとっては、女性との恋愛や性行為のあるなしにかからず、それよりもこのことが彼に最高の性的快感を与えていたに違いありません。精神的にも肉体的にも社会的にも、正常な大人に達しながら、その性欲形態だけは、児童期のあり方を温存してきたわけです。背景には、愛情実感できない親子関係など、性の健やかな発育を妨げる成育歴上の要因があったとも予想できます。「生まれ変わったら、道になりたい」とは、その思いを的確に表わした文学的表現だと私は思います。

             
             私はこの事件については「異常性欲」や「変態」という言葉はあまり適切ではないと思っています。ある種の異常性欲は、むしろ「未発達性欲」と表現すべきだと考えているからです。つまり、医学や社会通念が決めた「正常」に対する「異常」ではなく、本来大人になったら、卒業すべき過渡的な段階を不幸にも卒業できずに大人となった後もその過渡的性欲形態を温存してしまったのだと理解しているからです。言い換えるなら、「卒業しそこなった性欲」「留年中の性欲」ととらえているわけです。


            生まれ変わったら、道になりたい

             世の中は、このフレーズを「究極の変態性欲表現」として笑いのネタにするでしょう。しかし、私は、彼の不幸な性欲形態を表わした切実なる文学的表現として受け止めたく願っています。もちろん、犯罪行為として罰せられ、二度と繰り返されぬよう矯正されるべきです。しかし、一般に思われている程、簡単なことではないでしょう。女性の立場からは、その卑劣な行為に対しての憤りを覚えると共に、一方、男性の立場からは、背後にあるであろう不幸な親子関係や成育歴を思えば、悲しさを覚えてしまいます。

             この事件、興味本位でなく、容疑者の性的成熟に注目して真面目に考えてみると、深いことを教えられるように思えてなりません。
            | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 15:08 | - | - | - |
            性犯罪被害のカミングアウトが意味するもの(3)
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               知っていただきたいことの一つに、性犯罪被害者はクリスチャン女性にも多いということです。そして、一般に考えられているよりレイプ被害にあっている女性は多くて、結構、身近にいるということです。

               私自身は、今まで、10名以上のクリスチャン女性から、レイプ被害のカミングアウトをしていただいてきました。性に関する働きを使命として歩んできたので、信頼をしていただけたのでしょう。ほとんどが、顔を合わせてですが、メールでお聞きした方も数名います。当然、泣きながら話す女性が多いですが、中には感情的になることなく立話しのようにさりげなく話す方もおられました。

               何を願って、お話し下さるのかは、人それぞれでしょう。いいえ、むしろ、ご本人も何を目的に私に話しているかを明確に自覚しているとは限りません。ですから、直接、お伺いする際は、有益なアドバイスをすることは、わきに置いて、ひたすら傾聴し、共に悲しむことにしています。

               何一つできなくても、真摯に受け止めることが、心の傷の癒しにつながれば、「最低限の愛の業」にはなると考えているからです。もう、一人で悩まくてよい状況にしてさし上げられたら、それだけでも大きな一歩前進になると信じているからです。

               
               よくあることですが、自分が悪かったと自分の側の落ち度を指摘して、自分を責める女性がいます。それは、間違った責任感で、誤った罪悪感だから、自分を責めないようにと伝えます。

               被害者となったことで、神様に対して罪を犯したように感じてしまう女性もいます。そうした女性には、罪を犯したのは加害者だけで、愛する子が傷つけられたのだから、神様も被害者であり、共に痛んでおられることをお話しします。

               また、クリスチャンだから、自分は加害者を赦さなくてはいけないと考えるクリスチャン女性もいます。まずは、自分が癒され、回復することが優先だと話し、少なくとも今は無理して赦そうとしなくてよいのでは?赦せないことで自分を責め、葛藤することで、回復が遅れることは、神様もお喜びにならないのでは?と問いかけます。


               将来、夫となる男性には結婚する前に被害経験を話すべきかと問われることもありました。きっと、話さないで結婚することは、不誠実、不正直だと考えるのでしょう。多様な判断があるでしょうが、私自身は、原則として話す必要はないし、話すことで夫が受け止められず苦しむこと、それによって結婚の質が低下することが、神様の御心だろうか?と思います。

               話したい気持ちは誠実ですし、理解しますが、結婚はある意味、お互いの過去を不問として契約して共に生きることだと思うのです。結婚は神と人との前での厳粛な契約ですから、結婚前に相手に話しておくべき過去の境遇や出来事はあるでしょう。しかし、レイプ被害がそこに含まれるとは私は思いません。


               三回にわたって、レイプ被害を受けた女性がその体験をカミングアウトすることの意味や、それに関しての考察を記してきました。読者の皆さんがそうした告白を受けた際に、また、カミングアウトを必要とする被害者である読者の方にとって一連のシリーズが参考になればと願っています。。

               最後に一つの書物を紹介します。実際に米国でレイプ被害を受けながら、そこから立ち上がり、同様の被害を受けた女性たちを支援するようになっていく日本人女性写真家による書物です。筆者の大藪順子さんは、牧師の娘さんであり、彼女が立ちあがれたその背後にあったのは、信仰であり、神の力だったのです。

              大藪順子著「STAND 立ちあがる選択 レイプで人生は終わらない」(いのちのことば社)
              http://www.gospelshop.jp/catalog/product_info.php/cPath/4/products_id/52666


               大藪順子さんが、月間「いのちのことば」に特集記事を書いておられます。

              「聖書は力ある生きた言葉」
              http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/db/kiji_t.cgi?keys10

               性をタブー視する教会の体質、「赦しなさい」と教え被害者をさらに苦しめることの問題を指摘しています。このことがもたらしている様々な悪については、特に男性牧師の皆様には知っていただきたく願います。また、この記事において大藪さんは、加害者男性の本質を、レイプ犯罪の意味を見事に言い当てています。これは、男性クリスチャンに是非とも知っていただきたいです。そして、何より神様に回復の希望はあり、聖書はその力を持つ「生きたことば」であることを、体験者として語って下さっています。

              大藪さん自身のプロジェクトのサイトはこちらです。引用されているエズラ記10:4の言葉が、新たな意味をもって迫ります。
              http://nobukoonline.com/jp/stand/index.html


               このブログ読者の中には、レイプ被害を受けたクリスチャン女性たちが何名かいらっしゃいます。もし、その方々以外に、読者の中にレイプ被害者がおられましたら、是非、この記事と著書を読まれ、一人で抱えて苦しみ続けるところから、一歩を踏み出す勇気が与えられるようにと切望しています。
              | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 15:46 | - | - | - |
              性犯罪被害のカミングアウトが意味するもの(2)
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                 レディー・ガガだけでなく、マドンナやシンディー・ローパーなど、日本に馴染みの深い大物女性アーチストが、いずれも下積み時代にレイプ被害を受けていることが、報じられ、アメリカ同様にショックを受けている日本のファンも少なくないことでしょう。


                 日本にもレイプ被害をカミングアウトしている女性たちは何名かいます。今日はその中から、三名について記します。三人の共通点は、大変不幸なことに、初体験がレイプ被害によるものだったことです。そして、その人生が、どうも、健全で幸福とは言えないことです。


                 一人目は石原真理さん(旧芸名は石原真理子)です。彼女は清純派美人女優としてデビュー。やがて、不思議で時に非社会的な言動が知られるようになり「ぷっつん女優」と呼ばれることに。多分、40歳を過ぎた頃だったと思います。結婚の破たん後、ヌードグラビアを発表し、さらにその後に出版されたいわゆる暴露本が話題となります。自叙伝の中で、自分が性的関係を持った多くの有名男性タレントらを、その多くを実名をあげて記しました。

                 その石原真理さんは、話題となった暴露本の後で、週刊誌のインタビューに応えて、初体験時のことを話すのです。17歳の時、演技指導を口実に、有名俳優からレイプされたのです。その有名俳優は名指しで報道されました。もちろん、事実かどうかはわかりませんが、その俳優は他にも同様の非道が指摘されており、世間は事実だろうと受け止めています。

                wikipedia「石原真理」
                http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E7%9C%9F%E7%90%86



                 二人目は、日本を代表する女性スノボー選手であった今井メロさんです。

                wikipedia「今井メロ」
                http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E3%83%A1%E3%83%AD

                 自伝によれば、17歳の時に、男性三人組からレイプを受けます。当時の家庭は、父子家庭状態で、練習に厳しく暴力を振るう父に打ち明けられず、苦しんだとのこと。そして、何年も会っていなかった母を尋ねます。その後は、様々な苦悩と葛藤を経験し、逸脱行為を続けます。

                 その後は、ひきこもりを経験し、風俗嬢として働いたこともあり、中絶を体験し、二度にわたって結婚は破たんしました。近年はヌードグラビアの発表し話題になりますが、薬物疑惑や金銭トラブルまで報じられ、いわゆる「お騒がせタレント」となっているようです。



                 三人目は、鳥居みゆきさんです。狂気をはらむシュールな芸風は、どうも芸のためのキャラではなく、当人の不健全な人格を一定反映しているのでは?と心配されてきたお笑タレントです。

                 wikipedia「鳥居みゆき」
                http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D

                 wikipediaによれば、どうも幼少期から、奇異な言動が目立ったようです。初体験については、あるテレビ番組で「初体験は中学生の時、コンビニ裏で知らない男性にレイプされた」と語っています。「事実でなくネタでは?」とも思われたのですが、後に出版された自伝には、それが事実であることを示唆する内容があり、信憑性は高いようです。

                 タレントとして成功後も、情緒不安は強いと報じられています。近年は、一般男性(元芸能人)と結婚されました。結婚生活を通じて、健全で安定した精神状態へと回復し、芸風はどうであれ、一人間として幸せに過ごしてほしいと願うばかりです。


                 三人に共通していることは、中高生という人格が未成熟な時期に、レイプという最悪の形で性的初体験を持ったことです。このことが、通常のレイプ被害より、はるかに深く癒しがたい傷を、被害者女性たちに与えたことは、誰もが予想することでしょう。

                 昨日、記したように、レイプ被害を受けた女性の中には、様々な心理的、性的、社会的障害を持つことがあります。特に自尊感情を失い、自分を傷つけるような性的行為を繰り返すことは、よく知られています。石原真理さんの極端な男性遍歴や今井メロさんの破滅的な性のあり方などは、レイプ被害の影響ではないかと危惧をします。

                 特に、今井メロさんの場合は、レイプ被害の前から、愛情実感できない家庭環境のため、健全な恋愛が困難な傾向があったのでしょうが、それに加えて、レイプ被害とそれを受け止めてもらえなかったことが、著しい破滅傾向や自罰傾向となって現れたのでは?と心配します。そして、三人ともが、健全とは言い難い歩みをしており、幸せな人間関係を築くことが困難であることは、決して偶然ではないだろうと推測するのです。


                 では、三人がそれぞれのタイミングで、中高生時代のレイプ体験(兼初体験)を公にした理由や動機は何でしょう。もしかしたら、人によっては、加害者への復讐心や注目を集めたいとの功名心も混入していたのかもしれません。しかし、私は、その中心的な理由は、ガガと同様、自らの癒しのためであったのだろうと考えています。

                 しかし、もう一つの可能性を危惧しています。それはレイプ被害を不特定多数に公言することで、さらに自分を汚し、自分に罰を与え、世間から蔑まれることを願い、自ら自尊感情を低下させているのでは?という可能性です。つまり、カミングアウトが癒しに向かう一プロセスではなく、より傷を深めていくプロセスになっているという可能性です。自分で自分の傷をえぐるような行為かと思うとやりきれない思いがします。三人の中でも、ヌードグラビア(自己表現か?自罰行為か?)を発表している石原真理さんや今井メロさんには、そうした不幸な可能性もあるのでは?と心を痛めています。

                 また、性的傷を持つ女性が、多くの男性と安易に次々と性関係を持つのは、男性たちへの復讐行為であるとの見解もあります。つまり、できるだけ多くの男性と性関係を持ち、その度ごとに自分の体と性を求める男性を軽蔑し、憎むのです。心の根底にあるのは、性的傷から生じた男性全体への憎悪や軽蔑や不信なのでしょう。

                 今日、紹介した三人の女性が、回復に向かっているのか?それとも破たんや自罰に向かっているのか?は、マスコミを通じて知る情報だけでは、判断できませんし、判断すべきでもないでしょう。ただ、二つの方向に別れていくことは、間違いなさそうです。
                 
                 初体験がレイプ被害であったような場合は、できだけ早く信頼できる人にその事実と苦しみを伝えて、受け止められ、支援されることが、極めて重要だと思うのです。それができるかどうかが、その後、当人が、自ら回復に向かう努力ができるか、それとも自らの傷を深める行動に走ってしまうかの分岐点になるように観察しています。


                 牧会の中で牧師夫妻がこうした事例を扱うこと、あるいは教会の交わりの中で、信仰の友や後輩から、過去の性犯罪被害の報告を受けることがあると思います。その時がその女性の生涯を分ける分岐点になる場合もあるのです。ですから、どうか、今日の記事を役立てていただければと願うのです。

                 また、その不幸な経験が、ある程度過去のものであるなら、被害以来、当人が回復に向かっているか?自罰や破たんに向かっているか?を見極めた上で、愛と祈りをもって、適切な支援ができればとも願っています。
                | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 22:38 | - | - | - |
                性犯罪被害のカミングアウトが意味するもの(1)
                0
                   クリスマス等で数週間も書けないでいた記事があります。それはレディー・ガガが自らのレイプ被害をカミングアウトしたことです。カミングアウトに至る経緯や意味のある関連事項が書かれているので、この記事を紹介しておきます。

                  ラジオでレイプ被害を告白して「レディー・ガガ」に全米ファン騒然〈週刊新潮〉
                  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141220-00010000-shincho-ent

                   マドンナやシンディーローパーらも下積み時代に、同様の犯罪被害を経験していることを公にしています。どんな思いで何を願って公言したのでしょう。記事によれば、アメリカ人女性の5人に一人がレイプ被害の経験者だと言います。正確な数字でないとしても、異常な多さかと思います。

                   アメリカは女性の人権が尊重される社会である反面、根底には、その反動であるかのように根強い男性主義があるようです。また、性暴力に結びつくような深刻な社会背景や不幸な家庭環境もあるのだろうと予測します。

                   ガガは、その不幸すぎる経験以来、長期間にわたってPTSDに苦しめられたそうです。被害者女性の中には、自尊感情が著しく低下して、自傷行為に至ったり、自分を罰したり傷つけるような恋愛や性行動に走る方も、多く見られます。レイプなどの深刻な性犯罪被害が一人の女性の人格を決定的に傷つけ、その人生を悲惨なものに変えていくことは珍しくはないのです。

                   うちわ問題で辞職した法務大臣は性犯罪の厳罰化を目指しておられたそうです。厳罰化については賛否両論あるでしょうし、厳罰化が犯罪抑止につながるとの見解には異論もあるようです。ただ、身体的傷害罪などから考えると、罰が軽いという印象は受けます。

                   性犯罪は、法律的には「性的自由の侵害」と解釈されます。もちろん、性的自由は極めて重大な人権であって、そのことの侵害は、重大な犯罪でしょう。しかし、私自身は、強姦罪などは、もはや性的自由の侵害の範囲を超えた「人格的殺人」や「魂の殺害」に相当すると思うのです。厳罰化には安易に賛成はしませんが、本来、殺人罪に準ずる犯罪と位置づけらをれべきだろうと個人的には考えています。その意味で、男性一般の認識はまだまだ浅いだろうと感じています。


                   今回、ガガがカミングアウトに至ったのは、Swine(豚野郎)という曲とその演出でした。この楽曲は、まさにガガのレイプ被害を歌ったものだとのことで、ステージの演出もレイプを想像させるものだったようです。

                  参考までに"Swine"の英語の歌詞はこちらです。歌詞だけでは、レイプ被害を歌ったとまでは特定しかねます。
                  http://www.kget.jp/lyric/187698/Swine_Lady+Gaga

                   多くの方には、ここで疑問が生じます。なぜ、「深く傷ついたが故に思い出したくない辛すぎる経験を歌として表現するのか?」と。私なりの見解では、理由は単純です。「ガガには、それが必要だったから」です。


                   レイプなどの深刻な性犯罪被害による傷は「言語化」することで癒されることが知られています。親しい家族や友人やカウンセラーなど信頼できる誰かに話す行為だけで、傷は癒され始めます。真摯に受け止めてもらえて、共に悲しんでもらえて、適切な応答や支援をうけると、傷の癒しはさらに進展します。(逆に、被害者側が責められたりすると、傷は深まります)

                   ガガには、それを言葉で言語化できなくても、アーチストとして楽曲によって言語化する能力とチャンスがあったのでしょう。Swineなる楽曲を発信し、それをライブで歌い、踊りながら、彼女は、主観世界で癒しを受けてきたのだと思います。ストレートな言語でないので、他者に明確にしられることなく、自らの内部で癒しが進行してきたのでは?と考えるのです。ですから、まさに、ガガは癒されるために、傷の癒しの一プロセスとしてこの曲を作詞・作曲し、ライブパフォーマンスを行うことを必要としていたのだろうと私は推察します。

                   そして、今回、レイプ被害を公言できたのは、多分、ガガがそこまで癒されていたからだと思うのです。公に自らの悲惨な体験を認められるレベルまで、心の傷が癒されてきたのでしょう。ですから、彼女は今度は、自分が、レイプ被害を受けて苦しんでいる多くの女性たちを助けたいと願って公言したのだと私は推測しています。これは、被害者だからできる力あるサポート、勇気に満ちた決断と評価すべきでしょう。私はガガを、「性的分野における傷ついた癒し人」と呼びたいです。

                   強く大胆で恐れを知らぬ表現者であるガガですが、その内側には、深い性的傷を持ちつつ苦しみ続けた普通の一女性がいたということでしょうか?この性的傷を受けた一女性アーチストの勇気あるカミングアウトが、同じ性的傷に苦しみ、自分を傷つけ、投げやりな人生に傾きかけている多くの女性たちが、癒され、回復していくための一助になればと願っています。

                   というわけで、今回のガガのレイプ被害カミングアウトは、その発言のショッキングさに目を止めるのではなく、公言したガガの思いや勇気に目を止め、さらに、自らの公言を通じて、実現を願ったそのことをじっくりと考えて欲しいのです。


                   明日は、ガガ同様、自らのレイプ被害をカミングアウトしている日本の女性表現者たちについて記します。
                  | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 08:35 | - | - | - |
                  橋本聖子議員は「21世紀日本版・ポティファルの妻」か?
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                     橋本聖子議員が、オリンピックの打ち上げ時に、高橋大輔選手に唇どうしのキスを強要したセクハラ行為をしたのでは?と問題になっております。ちょうど、先日購入した週刊文春には、その証拠写真が大きく掲載され、権力関係の中でのセクハラ行為として批判記事が書かれていました。もしかすると、ライバルの自民党女性議員かその仲間が、目撃者を説得して、週刊誌に出させた可能性もあるのかも?と邪推しています。

                     私は、「橋本議員は既婚者だし、外形的事実は明らかだし、事後に口止めしているし、どんなに理由をつけても、これは完全にアウトでしょ」と思うのです。頬へのキスであれば、まだ、「海外文化だから」「ノリで」「誤解を招いた」で済むかもしれません。

                     しかし、唇を重ねることは、粘膜接触であり、これは海外でも男女間では愛情表現ではなく「親密な男女間の行為」や「性行為に準ずる行為」かと思うのです。 特に高橋選手は女性に大人気の魅力的な男性ですから、橋本議員に性的意図があったと予想するのが、当然だと判断しています。「がんばった息子と母の関係」とか釈明していますが、母が息子の唇にキスするわけないでしょう。それなら、ハグか頬へのキスまでのはずです。

                     高橋選手は、「セクハラと思っていない」、「国際スケート界の文化だから」と橋本議員をかばっていますが、それはそうでしょう。本気で嫌でも、セクハラと思っていても、そう言えるわけがありません。橋本議員は、スケート界では絶対的権威者なのですから。二人の間には、決して逆らえない権力関係が明確にあるのです。スケート界全体で、隠ぺいや合理化するに決まっています。高橋選手は嫌がっていたと語った目撃者もきっと発言を変えるでしょう。

                     明白なセクハラ行為に及びながら、政治的権力によって、相手にも、周囲にもなかったことにさせる・・・。そんな男性セクハラ議員みたいなことを女性議員がしているように思えてなりません。男性の国会議員やスケート連盟理事が、浅田真央選手に同じことをしたと想像して下さい。そうすると、頬へのキスと唇どうしのキスは全く意味が違うことがわかるでしょう。そして、その男性は、辞任や停職などの処分は免れないでしょう。


                     どうも、女性が加害者で男性が被害者だとスキャンダルにはされても、世間の声は甘いように思います。日本社会は、男性の女性に対するセクハラ行為に比して、女性の男性に対するセクハラ行為に対する意識が低すぎないですか?きっと、身近に事例がないからでしょう。あるいは被害者男性も、訴えるのは男らしくないからと泣き寝入りをしているからです。男性だって、性的自由を侵害されたり、性的に不快な言動や行為を受ければ、深く傷つくのです。

                     まだまだ、男性主義的な日本の社会では、性犯罪においては「加害者=男性、被害者=女性」という固定観念に縛られており、「加害者=女性、被害者=男性」という「逆セクハラ」や「加害者=男性、被害者=男性」という「ホモセクハラ」にまで、想像力が及ばないのでしょう。

                     実際に文春の取材を受けたスケート連盟の副会長(男性71歳)は、「(セクハラには)当たらない。(被害者は)男だから」と返答しています。これには「被害者が男ならセクハラにならないのかよ!」と読者の内なる突っ込みが全国的に多発したことでしょう。まさに、男性主義的な発想に縛られています。これでは、男性加害者に比して女性加害者が甘い対処となるのもうなずけます。

                     もちろん、性の世界においては、男性が強者で女性が弱者である場合がほとんどでしょう。男性が体力に勝り、男性の性欲は攻撃的だからです。しかし、女性上司が増加している社会では、少数でも逆転事例はあるのです。女性の方が社会的権力が上であれば、それは起こるのです。

                     聖書もポティファルの妻がセクハラ加害者であったことを明記しています。彼女も橋本議員も相手男性は部下で、自分が権力者であり、しかも既婚者でした。そうです。古代エジプト時代でさえ、年長女性が権力を持っていれば、権力下にある年下イケメンに性的嫌がらせをしていたのです。ましてや、男女行動参画社会では、女性上司が部下の男性に対して権力を持つのですから、女性の男性に対するセクハラは、少数とはいえ当然、ありうるのです。


                     セクハラはまさに政界で問題になったばかりです。某都男性議会議員の女性議員に対しての「産めないのか?発言」は、女性の人権を否定するものとして問題視されるべきでしょう。しかし、今回の橋本議員の行為は、相手男性の性的自由を侵害し、性行為に準ずる肉体的行為を強要している可能性が極めて高いのですから、より悪質なのでは?あの男性都議会議員が一定の処分を受けたのに、同じ自民党の橋本議員が具体的な処分を受けないとしたら、私はまったく納得がいきません。

                     政界では、男性議員こそがもっと意識をもって、「男性の性的自由の侵害」「国会議員にあるまじき行為」として、厳しく責任追及して欲しいです。それによって、日本社会に、女性の男性に対してのセクハラの認知度を高め、犯罪防止に貢献していただければと願うのです。できれば、女性議員も、セクハラ男性議員に抗議するのと同じ熱意で考えていただきたいです。「日本を代表する女性議員がこれでは、国民の皆様に、国会にもっと女性議員を送り出して下さいとは言えない」と。


                     いまどきの若手男性社員は、草食傾向が強く、そもそも職場仲間と集団での飲酒を嫌います。下ネタ嫌いもいて、女性上司からエロトークや体を触られたりすることに強度の精神的苦痛を受ける男性も少なくありません。草食系は気が弱いので、嫌われたり人間関係を壊してまで、明確に拒否を示せません。つまり、女性が受けるセクハラ被害と同じようなことは、数は少なくても男性に起こっているのです。

                     もし、橋本議員がお咎めなしで終わっていくなら、日本の社会には「悪しき前例」が残り、「恥ずかしい基準」が定着しかねないと危惧します。たとえば、「酒の席で、国際的文化の中に生きているなら、50前後の女性上司が、嫌がる20代の男性社員唇びるを奪ってもセクハラに該当しない」というガイドラインです。世のセクハラ女性上司は、「橋本さんがセーフだからいいのよー」とか、今後、お墨付きに使うのでしょうか?女性による男性へのセクハラの権威づけ。それは女性国会議員が最もしてはならないことの一つのはず。

                     安倍内閣が、女性議員の登用を積極的に進めるなら、同時に、女性議員の資質と意識も高めるべきでしょう。今回の件で、男性議員ならありえないような甘い対処をするなら、女性議員積極的登用は、いよいよ形だけの人気取りと評価せざるを得ません。安倍首相には、今後、活躍していく女性議員の資質と意識向上のためにも、厳しい対処をお願いしたいものです。


                     男性と女性の性は異なります。一般的には強者で攻撃性のある男性が加害者となり、弱者で攻撃性の乏しい女性が被害者となります。しかし、聖書が示すポティファルの妻の事例は、社会的権力関係がそれを逆転することを示しています。今日の男女共同参画社会においては、年長の女性が社会的権力を持つこともあり、女性による男性へのセクハラ関係が起こりうる土壌は既に存在しているのです。

                     まさに、年長であり、絶大な政治的権力を持つ橋本議員は、高橋選手に対して、そのような権力関係にあったのです。対等でないからこそ、してはならない行為だったのです。ヨセフは拒否をして、最悪のパワハラを受けました。高橋選手は最初は拒否を示していたようですが、執拗さに負けて、応じたようです。高橋選手には拒否権があります。恋人もいる可能性は高いし、女性ファンたちへの配慮もあるし、何より一男性として嫌なものは嫌なのです。性的自由は法律で保障されているのです。

                     「古代エジプト国家で起こった女性による男性へのセクハラが、何千年もの年の時を超えて21世紀の日本でも再現された。」

                     人間の罪深い本質は何も変わっていないようです。男性であれ、女性であれ、権力を所有すれば、それを不当に行使して、自己欲求を実現する誘惑に駆られます。それが性の分野に関することで、で権力支配下にある者を対象とするなら、パワハラであると同時にセクハラとなります。

                     外形的事実や証言、二人の間にある権力関係からして、セクハラと考えるのが自然かと思います。「軽率だった」「誤解を招いた」「反省しています」で終わらせてならないでしょう。橋本議員に対しては、どう考えても、「産めないのか」発言の男性議員よりも、厳しい処分が妥当かと思うのですが、どうでしょう?そして、何より議員個人のことでなく、女性が社会的権力の座に就くようになってきた社会において、一つの新たな課題を示すものとしてこの事例は考えたいものです。
                    | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 12:53 | - | - | - |
                    碓井先生の発信〜少女を犯罪から守る、犯罪被害者少女を守る
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                       yahoo!ニュースで、碓井真史先生岡山小学生誘拐事件に際して有益な発信をしておられます。碓井先生は、クリスチャンでアッセンブリー教団の信徒さんです。「さんまのホンマでっかTV」の初期にはレギュラーで出演しておられました。

                       二つあるのですが、一つは子どもを守るために大切な教えです。

                      変質者犯罪から子ども守ろう:少女誘拐監禁事件の犯罪心理学(岡山小6誘拐監禁事件から)
                      http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140721-00037583/


                      怪しい人についていってはダメ」「知らない人についていってはダメ」では、不十分とのこと。私自身も、児童期幼児期に性犯罪被害を受けたクリスチャン女性に何名もお会いしてきましたが、性犯罪加害者の多くは、子ども好きで優しく知り合いの大人であることが多いのが事実です。「大人を信用するな」ではなく、「大人の中には悪い人もいる」と教えるようにとの指針も、なるほど納得です。


                       本日、特にお伝えしたのはこちらの方です。

                      ネットと世間に流れる「少女はなぜ逃げなかったか」に答える:岡山小6少女誘拐監禁事件被害者保護のために
                      http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140721-00037585/

                       性犯罪にあった子どもを責めないことです。これは大人の女性たち(時に男性たち)も同様です。逃げられないという心理生き延びるためには加害者の指示に従わざるを得ない現実などを記しておられます。このことは、是非ともお読みいただき、とりわけ犯罪被害者少女や女性に、寄り添い助ける際に活かしていただきたい内容です。

                       一般的に性犯罪被害者となった女性たちは、間違った理由でしかも過剰に自分を責める傾向があります。「あの場所に行かなければ」「もっと慎重に行動していたら」「信用した自分が愚か」など、自分を責めて苦しみ続けるのです。周囲が、「あなたは悪くない、悪いのは加害者」と繰り返し、伝えていくことが大切なのです。

                       残念ながら、キリスト教会でも、こうした知識がないために、性犯罪被害にあった女性が周囲に責められて苦しむケースは少なくありません。先輩のクリスチャン女性が、「そんな服装」「そんな時間」「男女二人になるのは非常識」などと被害者女性側の非を指摘し、責めることがあります。加害者が牧師であったりすると、このパターンは残念ながら多いです。まるで被害者女性が誘惑して牧師に罪を犯させたかのように言われることがあるのです。これは、残酷極まりありません。断じてあってはならないことです。

                       さらに残念なことにキリスト教会では時に、「赦しなさい」と加害者に対しての赦しを強要されたり、赦さないことを責められるのですから、最悪です。これは聖書の赦しの教理の乱用、誤用であって、被害者の傷をさらに深め、その回復を著しく妨げるものです。

                       被害者から、相談を受けた牧師も、悪気はないのですが、被害者女性の非を指摘してしまい、傷つけることはあるように感じています。私自身も思うのですが、男性牧師にとっては、これを徹底するのは、意外と難しいのでは?相手の心に寄り添う共感性より物事の善悪の判断や因果関係を優先しがちな男性指導者は、くれぐれも気を付けたいと自戒しています。


                       どんなにみ言葉に精通しており、聖書の教理を正しく理解していても、人間理解において欠けているなら、み言葉と教理の誤用、乱用がおこり、相手を活かすのでなく、傷つけ殺してしまうことすらあるものです。それは、第一コリント13章2節が示しているとおりです。あらゆる奥義と知識に通じていても、山を動かす信仰さえも、「愛による他者理解」や「愛による想像力」がないなら、何の値打ちもないのです。

                       大切な子どもたちを、犯罪から守るために、また、とりわけ性犯罪被害者を守り支えていくために、その「愛」が「愛として働く」ために、碓井先生の記事が用いられたら感謝なことです。
                      | ヤンキー牧師 | ポルノ・アダルトサイト・性暴力 | 14:21 | - | - | - |
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