2016.03.14 Monday
豊田信行著「父となる旅路」は、父性、霊性、聖性が合流した大河の書である!
とにかく絶賛、絶賛、大絶賛!あくまで個人的評価なのですが、私にとっては数年に一度巡り合えるかどうかの名著となりそうです。私の中では、早くも、「ブック・オブ・ザ・イヤー2016」でほぼ決まりです。最近、出版された豊田信行師が著わされた「父となる旅路」を少しでも早くご紹介したかったのです。
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父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て (いのちのことば社)
いのちのことば社のサイトはこちら。
父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て
著者自身のブログでの紹介はこちら。
「父となる旅路」
同著は、タイトルにあるように「父性、霊性、聖性が合流した大河の書」だと私は受け止めています。同著をネタに、ブログ記事を書こうとすれば、私は余裕で100以上の記事を書くことができます。それ程、豊かで深い内容を持つ「大河」なのです。副題の「聖書の失敗例に学ぶ子育て」というのは、大海に見間違う大河のようなスケールの大きさの故に「何の本だか分からない」と思われないように、つけたのだろうと邪推しています。
「父性、霊性、聖性が合流した大河の書」とのタイトルに沿って、紹介、絶賛をします。
まず、同著は父性について記しています。聖書中の父親と息子の事例を取り上げて、父性を考察します。聖書が記す父と息子の物語りに対しての考察がとても深く、み言葉の取次ぎ自体が極めて秀逸で、目からうろこが連発です。フロムや河合隼雄らの発達神学的見解の援用も最適で、聖書の現場と読者の現場をつなげます。
また、同著は霊性の書であります。ですから、「聖書の失敗例に学ぶ子育て」という副題は、本著の三分の一しか示していません。著者は9歳で牧師であった父を失い、それ以前も父の献身生活などのため、父親との触れ合いが希薄でした。それ故に持つ自らの弱さや葛藤、そして失敗までも正直に記しています。同時に、それが克服されていった深い神様の取り扱いが書かれています。
ナウエンやウィラードの引用もあるのですが、まさにそうした霊性の書が示す歩み(いわばスピリチュアル・ジャーニー)をしてこられたのが分かります。正直な自己開示と深い霊的取り扱いの記録を読みながら思いました。「もし、カトリック司祭のナウエンが結婚して、父親になったら、このような書物を記すだろう」と。ここまでのレベルの霊性の書を、翻訳ではなく、日本人著者がいのちのことば社から出せたこと自体が、注目されるべき出来事でしょう。また、家庭に関するテーマは、聖書を源泉としても、民族や文化によって適用はどうしても、異ってきます。その意味でも「日本人による、日本人のための、日本人の霊性・家庭版」と言えそうです。
さらに、同著は聖性を示す書物だと思っています。聖書が記す父子物語と著者の父子物語と読者の父子物語、この三つの物語が、重なり合い、読者は著者の「父となる旅路」というスピリチュアルジャーニーを追体験します。その意味では、「聖書人物、著者、読者の父子物語が合流する大河の書」とも表現できる内容です。優れた信仰書を読めば、聖書的価値転換があり、自己変革もあるでしょう。しかし、同著はそれ以上に深い霊的刷新へと読者を導くように感じました。その先で出会うのは、罪深く愚かな父子といつも共にいてくださり生きて働かれる真実な神様。
本ブログでは、優れた信仰リーダーにして最悪の父親について何度も扱ってきました。イサク、祭司エリ、ダビデなどのゲス振りを紹介しながら、反面教師のように示してきました。その一方で「反面教師とするだけでは、何か物足りない!それだけのために聖書が正直に信仰リーダーのダメ父ぶりを記しているとは思えない!」と葛藤を覚えていました。自分では、反面教師を超える本来の意味・目的を見出せず、もどかしく思っていました。でも、今回、豊田先生がそれを記してくださっているを発見しました。
これだけ、絶賛しても、まだ、伝え切れない思いでいっぱいです。父や息子である男性読者はもちろんのこと、母や娘である立場の方々も男性とは異なる恵みをいただくことでしょう。スケールの大きさ、霊性の深さ、内容の豊かさ、まさに「大河」です!「父性、霊性、聖性が合流した大河の書」であり、「聖書人物、著者、読者の父子物語が合流する大河の書」でもある同著、自信をもってお勧めします!
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父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て (いのちのことば社)
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「父となる旅路」
同著は、タイトルにあるように「父性、霊性、聖性が合流した大河の書」だと私は受け止めています。同著をネタに、ブログ記事を書こうとすれば、私は余裕で100以上の記事を書くことができます。それ程、豊かで深い内容を持つ「大河」なのです。副題の「聖書の失敗例に学ぶ子育て」というのは、大海に見間違う大河のようなスケールの大きさの故に「何の本だか分からない」と思われないように、つけたのだろうと邪推しています。
「父性、霊性、聖性が合流した大河の書」とのタイトルに沿って、紹介、絶賛をします。
まず、同著は父性について記しています。聖書中の父親と息子の事例を取り上げて、父性を考察します。聖書が記す父と息子の物語りに対しての考察がとても深く、み言葉の取次ぎ自体が極めて秀逸で、目からうろこが連発です。フロムや河合隼雄らの発達神学的見解の援用も最適で、聖書の現場と読者の現場をつなげます。
また、同著は霊性の書であります。ですから、「聖書の失敗例に学ぶ子育て」という副題は、本著の三分の一しか示していません。著者は9歳で牧師であった父を失い、それ以前も父の献身生活などのため、父親との触れ合いが希薄でした。それ故に持つ自らの弱さや葛藤、そして失敗までも正直に記しています。同時に、それが克服されていった深い神様の取り扱いが書かれています。
ナウエンやウィラードの引用もあるのですが、まさにそうした霊性の書が示す歩み(いわばスピリチュアル・ジャーニー)をしてこられたのが分かります。正直な自己開示と深い霊的取り扱いの記録を読みながら思いました。「もし、カトリック司祭のナウエンが結婚して、父親になったら、このような書物を記すだろう」と。ここまでのレベルの霊性の書を、翻訳ではなく、日本人著者がいのちのことば社から出せたこと自体が、注目されるべき出来事でしょう。また、家庭に関するテーマは、聖書を源泉としても、民族や文化によって適用はどうしても、異ってきます。その意味でも「日本人による、日本人のための、日本人の霊性・家庭版」と言えそうです。
さらに、同著は聖性を示す書物だと思っています。聖書が記す父子物語と著者の父子物語と読者の父子物語、この三つの物語が、重なり合い、読者は著者の「父となる旅路」というスピリチュアルジャーニーを追体験します。その意味では、「聖書人物、著者、読者の父子物語が合流する大河の書」とも表現できる内容です。優れた信仰書を読めば、聖書的価値転換があり、自己変革もあるでしょう。しかし、同著はそれ以上に深い霊的刷新へと読者を導くように感じました。その先で出会うのは、罪深く愚かな父子といつも共にいてくださり生きて働かれる真実な神様。
本ブログでは、優れた信仰リーダーにして最悪の父親について何度も扱ってきました。イサク、祭司エリ、ダビデなどのゲス振りを紹介しながら、反面教師のように示してきました。その一方で「反面教師とするだけでは、何か物足りない!それだけのために聖書が正直に信仰リーダーのダメ父ぶりを記しているとは思えない!」と葛藤を覚えていました。自分では、反面教師を超える本来の意味・目的を見出せず、もどかしく思っていました。でも、今回、豊田先生がそれを記してくださっているを発見しました。
これだけ、絶賛しても、まだ、伝え切れない思いでいっぱいです。父や息子である男性読者はもちろんのこと、母や娘である立場の方々も男性とは異なる恵みをいただくことでしょう。スケールの大きさ、霊性の深さ、内容の豊かさ、まさに「大河」です!「父性、霊性、聖性が合流した大河の書」であり、「聖書人物、著者、読者の父子物語が合流する大河の書」でもある同著、自信をもってお勧めします!