命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
ポップ・ミュージックが描く性の世界(17) 成長過渡期における恋愛の超主観主義傾向の言語化成功者としての西野カナ
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     うたまっぷの人気歌詞ランキングを見るとトップは西野カナの「君って」であります。

    http://www.utamap.com/accessranking/weekly_ranking.html

     西野カナは、現役大学生なのだとか。どうも、私も年に一度は特別講義でお邪魔している某ミッション系女子大の学生らしいです。もしかすると、私の講義も聞いているかも。

     同世代の女性たちの強い共感と支持を得ているそうですが、詩を読むと、世代間ギャップありすぎの私でもなんとなく理解はできます。携帯で作詞していると聞きましたが、携帯のような短いフレーズに瞬間瞬間の心情が凝縮されるように言語化されているのでは?

     私なりに驚いたのは、詩の内容が「超主観主義」であることです。恋愛当事者の二人を描く映画のようではありません。自分の心情を他者の視点から観察して描写しているのではありません。二人の間で起こった出来事をどこまでも自分の受け止めた心情で伝えています。恋愛者であるのに、相手の立場に立った相手の心情を想像することのない詩であります。

     通常、歌詞の多くはAメロで、ストーリーや情景描写、あるいは出来事など、映画の画面を見るような一定の客観性を持つものです。そして、Bメロ、いわゆるサビで、曲のテーマとなる主張、心情、思想などが歌われます。これはある程度主観性のあるものです。

     その点で、西野カナの詩は、ユニークに感じました。ストーリーや情景描写、あるいは出来事なども、自分カメラ、自分目線自分の解釈とそれに伴う心情と込みで描かれているのです。

     これは展望、他者理解、論理性、客観性などより、「その場の自分の心情」が優先されたり、絶対視される当世恋愛者女性のあり方を見事に描いているのかも?などと考えてしまいました。

     「愛の他者中心性」を主張する"I wish for you"が「君の幸せを願うことこそ愛」と成熟した大人の愛を歌うのと対照的に「私の感情こそが最大の問題」と「恋愛感情の自己中心性」を示すかのような西野カナの詩であります。それを悪いと評価しているのではありません。成長過渡期の恋愛者女性は、昔も今もそのような「超主観主義」を経由して、大人の恋愛者になるものです。ある特定の年代の女性の共感と支持を勝ち取る事は、大成功であり、優れた歌詞と評価されるべきでしょう。

     しかし、あくまで過渡期であることを忘れてはなりません。今後、西野カナがさらに恋愛者としても人間としても成長し、歌詞も成熟に向かっていくと思われます。それに連れて支持者も年齢を重ね、共に恋愛者として成熟していくことと期待しております。それは、歌い手と聴き手が共に年齢を重ねて成長し、ずっとファンであり続けられたら、一時期のヒットよりもはるかに価値のあることではないでしょうか?西野カナは、一時的なブームで終わらないだけの才能の持ち主と期待している私です。

     どうでしょう? I wish と 西野カナの詩を比較検討することから見えてくるものは結構本質的なのではないでしょうか?
     
    | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
    ポップ・ミュージックが描く性の世界(16) 愛の本道、他者中心性を訴えるExile
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       昨年の年末はレコ大だの紅白だのかなりしっかり視聴してしまいました。その中で、感心したのが、EXILEのI wish for you であります。これは「愛の本質である他者中心性」を描いているのだと思います。歌詞は以下の通り。

      http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=kt0845

       どうも”I wish for you”という英語表現は間違いらしいです。英語を母国語にする方には意味不明のフレーズだと聞いております。ただ予想するに、作詞者は歌詞の内容からして、「私は君の幸せを願う」とか「君のためを思っている」という意味でしょう。

       この歌詞、男性が女性に向かって語っているのか?男性から男性への歌詞なのか、どうも不明です。「夢を見れば」「恋をすれば」とありますから、夢に向かって頑張る人々、恋の世界で頑張っている人たちへの応援歌のようなものなのでしょう。つまり「夢や恋を頑張る誰かに対してその人の幸せを願う人が応援をするという歌詞内容だろうと解釈します。ですから、恋愛でも友情でもOKの歌詞、割と普遍的な愛の歌かなーと思ったりします。

      「いつでも君の為にI wish 幸せを願うことこそが愛」

       この歌詞でつかみはOKでしょう。愛のスケールが大きいですから、他の曲との差別化に見事に成功しています。そのスケールの大きさとは愛の他者中心性です。このI wish for you が I want you や I need you ならこの曲の魅力も歌としてのスケールも半減でしょうね。

       そう、I wish for youは、他者中心。I want you や I need youは自分中心
      I wish for youは相手のための自分発想。I want you や I need youは自分のための相手発想
      I wish for youは自分が相手に仕えます。I want you や I need youは相手を自分に仕えさせます。
      I wish for youは、相手の幸せを願います。I want you や I need youは自分の幸せを願います。

       そして多分、I wish for youこそが「愛」 I want you や I need youは「恋」あるいは「欲」愛であっても「自己愛」

       ラブソングの定番歌詞 I want you や I need you は確かに恋愛者の心からの叫び、リアリティーがあり、共感も得るでしょう。しかし、本当に人に深い感動を与えるのは、I wish you の愛であるはず。

       歌のブリッジに入ると歌詞も「起承転結」の「」となります。

      「今がすべてじゃないことなど既に知っているだろう?」と現状の延長線上で将来を決め付けないようにと励まします。
      「移ろいゆくState of Mind」と誰もが経験する心の揺れ動きを現実のものとして認めながらも、「それじゃ見えないたどり着けない」と目標達成に向けて心を整えさせます。そこでアドバイスは「まずは君が願いをかけて」となるわけでしょう。

       これはクリスチャンなら「ボクも君の為に祈るけど」「君自身も自分の為に祈れよ」ということになるのかな?

       「愛の他者中心性」や「願いをかける」など、人間的な愛や願いを超越した要素を感じさせるところが差別化成功であり、この曲のスケールを飛躍的に大きくしています。それができるのも黒人音楽がルーツとしての福音につながっているからなのかもしれません。

       「愛しているなら体で確かめ合うのが当然だろう?」
      「愛し合っているならいいじゃない」
      「オレのこと愛しているなら、自分をさしだせよ」

       などと彼女に迫る男性には是非ともこの歌詞を味わっていただきたいもの。そして「本当の愛ってなんだろう」と考える教材にして欲しいです。よく言われることですが、恋愛は「恋」と「愛」の混合物。「恋」という文字は下に心がある(下心)が、「」は真ん中に心があり(まごころ)ます。恋はI want you や I need you ですが「愛」はI wish for you

       この歌詞が世の男女にとってより成熟した恋愛を考えるきっかけになればうれしいもの。それと共に恋愛者に限らず、友情や家族愛、教会の兄弟愛についても、参考になる歌詞なのでは?「君の幸せを願い祈ることが愛」という歌詞に書き換えて歌いたいですね。
      | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      「恋愛>信仰」の「エサウ系俗悪ソング」にツッコミ(2)
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         大きな声では言えないが、本当は小さない声でも言いたくないのだが、オフコースが好きだ。その魅力は「恋愛系男子、軟弱の美学」だと思うわけです。クラッシックは現代音楽、ロックならプログレという硬派前衛指向の私がなぜかオフコースが好きなのは、きっと自分が「恋愛者として軟弱男」だからだと思います。

        そこで今回取り上げるのが「愛の歌」。好きだなー、軟弱で。恋愛系男子の独りよがりの心情に共感させる名曲であります。しかし、「そこまで言うかよ!」と突っ込みたいのは、間奏後の歌い出しのこの部分。 

         ♪永遠の命も 名誉もいらない あなたに会えたこと それだけでいい♪

         こら小田和正!聞いてるか?(きっと聞いてないだろうなー)。いくら恋愛至上主義でも、永遠のいのちまで引き合いに出すなよ。冒涜的過ぎるぞ。

         「一時の恋愛>永遠の命」なんてのは、究極の俗悪ソングだろうが!一杯の煮物と引き換えに長子の権利を売り渡したり、神を信じない異邦人と妻と平気で結婚するなど、目の前の楽しみを神にある祝福より当然のごとく優先するエサウを彷彿させる「俗悪ソング」であります。

         こういう神なき極度の恋愛至上主義を讃美するごとく歌うもんだから、恋愛の瞬間最大風速だけに青春をかけてしまう若者たち、瞬間風速の勢いだけで結婚に踏み出す無謀なカップルが出てくるのであります。冷静な展望や相手の観察もせず、頭を使わないおバカな恋愛者やその延長線上の無責任結婚がどれだけ当人や周囲に不幸を招いていることか?

         挙句の果ては、「永遠のいのち」さえ、恋愛と差し替えにするトホホなクリスチャンたち」まで。
        「神様の愛もすてきだけど、やっぱり近くにいてくれて実感できる彼氏の方がいい」と教会生活を離れていく恋愛系クリスチャン女子たちも。これは、「女エサウ」あるいは「エサウ系クリスチャン女子」と呼ぶべきでしょう。

         何?それは小田和正よりも周囲のクリスチャンの責任だろうって。その通りだ。言い過ぎた、小田和正、ごめん。ここは素直に謝ろう。こういう「神なき恋愛至上主義」、「思索なき恋愛至上主義」が支配的な社会だからこそ、それに流されやすい若い世代に、聖書的恋愛観を伝えて植えつけるのが、周囲のクリスチャンたちの責任でありましょう。小田和正に八つ当たりしている場合ではありませんな。

         しかし、もし、この「愛の歌」をカラオケで歌う機会があったら、歌詞を差し替えてやるぞ。

        ♪ 永遠の命は是非とも欲しいイエス様に会えこと、それだけでいい。♪

         「神なき永遠放棄の俗悪ソング」を、「恋愛超越系信仰応援歌」に変えてやったぞ。
        | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        「恋愛>信仰」の「エサウ系俗悪ソング」にツッコミ(1)
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           世の中、恋愛の歌だらけであります。恋愛を讃美するのは表現の自由でしょうが、誇張しすぎるのはどうかと思うのです。極端な恋愛至上主義ソングの中には、クリスチャンとして許容し難いものもちらほら。もう「恋愛>信仰」を主張しているような歌詞であります。それは聖書的に言えば、「エサウ系俗悪ソング」と呼ぶべきでしょう。

           そこで、そうした歌詞にツッコミを入れてしまおうというのがこのシリーズ。第一曲目は、西城秀樹の「情熱の嵐」!この曲はは冒頭から冒涜的なまでの恋愛至上主義ぶり。冒頭の歌詞はこの通り。


          ♪君が望むなら、いのちをあげてもいい
           恋のためなら悪魔に心渡しても悔やまない♪

           恋愛感情一発の展望性なき永遠の放棄であります。

           恋のために悪魔に心渡すなんて、絶対悔やむからやめときなさいって。恋愛における「恋の嵐」は、一時的なもの。それに対して悪魔に心を渡したら、永遠の滅び決定だよ。数年したら冷めてしまうような恋を永遠の優先させてどうすんのー?

           そんな情熱を傾けるなら、男女の愛でなく、神様の愛でしょう!「あるがままで」「いのちを捨ててまで」「変わることのない」という三拍子。この愛を知って、受け止めて、応えて生きるなら、秀樹感激だぞ。ハウスバーモントカレーなど比べ物にならない程の秀樹感激なんだよ。

           まあ、情熱の嵐とはいかないまでも、そよ風程度でもよいから、この神の愛に応えつづけていくことかと思うわけです。

           この歌の最後の歌詞はこちら。

           ♪君が望むなら、たとえ火の中も 恋のためなら恐れはいない 情熱の嵐よ♪

           この歌詞の「君」を「神」に「恋」を「愛」に変えたら、パウロ的情熱の嵐でありましょう。

           一杯の煮物のために長子の権利を売ってはなりません。
           一杯のバーモントカレーの秀樹感激のために永遠を失っちゃいけません。
           ステキな恋愛の故に永遠の救いを失ってはなりません。
           エサウのような俗悪なものであってはなりません。

          | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
          ポップミュージックが描く性の世界(15)
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            ユニコーン「時には服のない子のように
            がんばる女、力になる男〜高尚な理由のこじつけによるやましい行為の正当化。

             昨日に続いて、また、ユニコーン。ネット上に歌詞がないのが残念!題名は明らかにカルメン・マキによる大ヒット曲「時には母のない子のように」のパロディー。この曲は「服のない子」つまり、風俗譲と彼女に足しげく通うリピーターという男女双方の思いがつづられていて、これがなかなか深いのです。

             いかにもというロックのリフに乗って曲は開始。まずは風俗嬢の思い。

            ♪金が欲しいからがんばるー 体を使ってかんばるー
             とてもいやだけど、がんばるー ・・・・・・愛する彼のためにする

             風俗嬢はがんばっています。なぜならがんばるための崇高な理由があるからです。それは「愛する彼のため」。

             その風俗嬢の気持ちにリピーターの男性客が応答
            ♪オレにはあなたの気持ちがよく分かる
             力になるから、灯りを消して・・・・
             ランデブー、 がんばるー♪

             彼にも彼女のもとに通うための高尚な理由があります。それは「そんながんばっている彼女の力になるため」なのです。

             さらに2コーラス目には彼は風俗嬢の社会貢献さえ、高らかに歌いあげ、リピーターであり続けることを決意します。

             ♪♪オレにはあなたの気持ちがよく分かる
               輝くみんなの明日のために、明日のために、明日のために・・・・
               ランデブー、 がんばるー、また来るー

             このリピーター男は風俗産業の存在意義を「みんなの明日のため」と崇高な社会貢献にまで強引に高めてしまって、「また来る」と言ってしまうわけです。

             何と見事、そして強引な正当化でしょう。通常の感性の持ち主なら、風俗産業で働くこ女性にも、そこに通い詰める男性にも、一定の「やましさ」はあるもの。そして、人間はその行為自体が持つ「やましさ」をなくすために「高尚な理由」をこじつけます

             これが今回のテーマ。「高尚な理由のこじつけによるやましい行為の正当化」。この曲の場合、「愛する彼のために」「がんばる彼女の力になる」「輝くみんなの明日のため」という三つの高尚な理由が風俗産業を正当化しています。「愛」、「援助」、「社会貢献」など本来、風俗産業と結びつきにくいものが結びつくところがまさに「こじつけ」。「愛」、「援助」、「社会貢献」ならボランティアや社会奉仕、福祉活動をすればいいのです。何も風俗関連である必要はありません。

             しかし、「高尚な理由のこじつけによるやましい行為の正当化」は性の世界では常套手段。「援助交際」などはまさに、その言葉自体が「不当な正当化」だと思えます。貧しい母子家庭を助けるための愛人、女性が自立できない社会での一夫多妻などもそうかもしれません。日本人男性が貧しいアジアの国の女性を買うのを「国際援助のひとつ」と発言し大ヒンシュクをかった人もいましたっけ。

             もう一つ思い出しました。「一日一善」「世界は一家、人類は兄弟」などと日本船舶振興会が頻繁にテレビCMを流していたころ。ある競艇ファンのおじさんはこう言っていたとか。

            「競艇はええで!勝てば儲かるし、負けたらそのお金は笹川さんが世のため人のために使ってくれはるから・・」

             人間とはどうもやましい行為から、やましさを取り除くためには、かなり強引な理由付けを平気でできてしまうようですね。私たち人間はあきれるほどの罪人。罪を犯すためなら、自分の欲望を果たすためなら、どんな高尚ものさえ、その理由にしてしまいます。「愛しているから・・・・」とやましい欲望を愛に見せかけ、「助けてあげたいんだ・・・」と下心を親切心で隠し、「それも世のために人のため・・・」と不正行為を社会貢献に置き換えてしまいかねない私たち。

             それに騙されてはいけません。また、それで自分を騙してはなりません。
            | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 08:18 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
            ポップミュージックが描く性の世界(14)
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              ユニコーンの「ペケペケ」
              とりあえず愛している〜愛と尊敬心の強制分離


               日本のロックなど全く無関心な私も奥田民生くらいは知っています。しかし、最近まで知らなかったことがあります。奥田民生って、あの玄人好みのロックバンド「ユニコーン」のメンバーだったのですね。

               このバンド、洋楽ロックを見事に消化し、自らの表現方法として獲得しつくしています。なおかつ、ユニークでディープな世界観を持つ歌詞を伴う優れたバンド。TSUTAYAでレンタルしたベスト版の歌詞カードを一読しただけで受けまくり。現代人の性愛を描く歌詞が多いのですが、実に鋭く深い考察に満ちていて、しかも、それが笑えるやら怖いやら。

               今回取り上げるのは「ペケペケ」。作曲は奥田民生で作詞は川西幸一。登場するのは夫に愛想を尽かしながらも愛し合おうとしている?妻と独りよがりで何も分かっていない幼稚で愚かな夫という夫婦。一番リアルで怖い歌詞は妻のせりふに相当するこちら。サビで繰り返される歌詞です。

               好きなこと言ってなさい いつも
               あたいがいなけりゃ 何も
               出来やしない あんたはテディー・ベア
               とりあえず愛している
               お墓までいっしょに ペケペケ男



               昔は夫が妻を対等な人格として扱わず、見下げたり軽蔑しながら、結婚生活を送ることも多かったようです。しかし、最近は賢くしっかり者の女性が未熟で自立不足で依存的な男性に愛想を尽かしながら、交際や結婚生活を継続したり。

               ここに描かれているのは愛と尊敬心の分離状態。幸せな恋愛や結婚は、相手に対する愛に尊敬心が含まれていること。その意味でこの歌は典型的な不幸な結婚の姿を描いています。

               しかし、そこには矛盾が。尊敬できぬ夫を軽蔑しきって捨てるわけではなく、愛していく妻。「ペケペケ」と不正解だらけの夫に不満一杯の反面、生涯のパートナーとして生きるつもりではいる妻。出てくる言葉は「とりあえず愛している」

               「とりあえず愛している」ってどんな愛?それって中途半端すぎない?でも、そんな夫婦やカップルいるよねー、実際。

               これは、夫を生涯のキープ君にする形態の「夫キープ型結婚」か?はたまた、ダメ男に依存されることで自己価値確認をしてしまう「共依存型結婚」か?いずれにせよ、現代日本ではこうしたカップルは増加中なのでは。

               尊敬と愛の両立、あるいは一致!「愛と尊敬に値する相手」という発想に走るなら、とたんに関係悪化か、「いい人いない」の不満連発に。まずは「愛と尊敬に値する自分(夫、妻、男性、女性)」という発想からスタートすることかと思いますよ。「自己改善や自己成長なき、他者への要求」ほど、空しく効果のない態度はありませんから。
               
               愛と尊敬で結ばれたカップル。読者の皆さんには、そんな関係を目指したり、そんな関係であり続けていただきたいと願うばかり。
              | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 06:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
              ポップミュージックが描く性の世界(13)
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                 羞恥心の「羞恥心」
                知性なき愛こそ、純愛?〜愛と知性の強制分離


                 今回取り上げるのは「羞恥心」なる男性トリオが歌う「羞恥心」。ポップミュージックの世界は、音楽産業としての側面が強すぎる世界。ですから音楽表現としての優劣と売れる売れないが、ほとんど別になってしまうことも。

                 近年まれに見る音楽表現の乏しさと商業的大成功を両立したのがこの「羞恥心」なる楽曲。音楽的には完全に少年隊などのパロディー。特にAメロの三連符フレーズは見事ですが、仮面舞踏会のパクリそのもの。その他もすべて、男性アイドルグループのおいしいところを集めて固めたような曲作り。単調にならぬようおしいしいフレーズを有機的に組み合わせ一つの曲として成立させているという意味では抜群の作業をしています。高原兄、恐るべし。

                 辛口批評をすれば、人気番組とタイアップして、紳助さんの後押しで、人気キャラが歌えば、音楽表現とはほぼ無関係で売れてしまうという「音楽という名前のヒット商品」。

                 作詞は島田紳助さんだそうですが、クイズ番組で人気の三名のキャラそのもの歌詞。いわゆる「おバカ」キャラ丸出しで、知識はなくても、生き方ベタでも、プライドを平気で捨てれば、道が開けると信じ、一途に愛するというもの。名づけて「おバカ流、純愛ソング」。

                 プライドを捨て恥を恥とも思わず、ひたすらに一人の女性を愛する姿勢はご立派。打算や損得勘定がないという意味では、「おバカ」は「純愛」に通ずるのかもしれません。でも、「知性なき愛こそ、純愛」というのは行き過ぎでしょう。

                 この曲の結論は多分「人生、夢で生きてる」という歌詞に集約されているのでしょう。いかに純粋で夢にあふれていても、中高生ではなく、大人なのだから、そこには一定の「責任」もあるはず。夢だけで生涯貫徹できるほど愛の世界は甘くないのでは?学歴や知識は乏しくても大丈夫でしょうが、ただの「純粋一途なおバカ」では、愛する女性を幸福にすることも、幸せな恋愛をすることも難しいのでは?

                 愛とは相手を観察し、理解し、相手の最善を考え、願い、実現していくこと。そこには一定の知的な能力が要求され、知的な作業も必要です。決して「気持ち一発」ではないはず。

                 聖書は「知性を尽くして愛しなさい」と愛を命じています。一途に愛すること、全身全霊で誰かを愛することは、当然、知性を用いて愛することを含んでいるはず。

                 私が思うに「羞恥心」なる男性三名、いずれも低学歴・高学力。低知識で高生活力だと推察しています。本当の意味で「おバカ」なら、バラエティー番組であれだけ製作側の意図通りの回答やリアクションはできないでしょうから。クイズの珍回答は天然で本物でも、彼らは決して本物の「おバカ」ではなさそうです。おバカも演出、芸のうちなのでしょう。

                 ですから、賢明なリスナーや視聴者の皆さんが、本気で「おバカのままで、一途に女性を愛するのが純愛」「知性なき愛こそ純愛!」などと信じてしまわぬようにと願うばかり。むしろ、恋愛における知性の大切さをこの記事から知っていただけたら感謝。

                 相手の必要は何か?何が最善か?どうすればそれができるか?いかに実現するか?それを考える「知的な愛」の側面。大切な人を愛するためにも、知性を磨き活用するお互いでありたいですね。この曲の大ヒットの中で、「愛における知性の復権」を叫びたい私です。
                | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 08:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                ポップミュージックが描く性の世界(12)
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                  Bonnie PinkのLove is Bubble
                  「性と愛とのアパルタヘイト(強制隔離政策)」


                   一年以上のブランクを経ての復活企画です。はい。ご存じない方は2007年3月まで連載していたのでご参照を。

                   今回取り上げるのはBonnie PinkのLove is Bubble。ある方からご紹介をいただいたのですが、「誰それ?洋楽?日本人?」と思ってしまうほど、JーPOP音痴の自分が怖いです。

                  愛はbubble,愛はtrouble」と歌いだす歌詞。韻を踏んでキャッチーでよくできた歌詞。「おおっ、恋愛の空しさと面倒くささを実感させてくれる歌詞だろうな」と期待していると、「あなたを泡立てよう」「二時間だけお相手」「本気になるのはご法度、本気にさせるの」などの歌詞が登場。

                   「ええっ、これって!そんなのあり?放送禁止にならないの?」と思ってしまった私です。これは映画「嫌われ松子」の主題歌にもなり、Bonnie Pink自身がソープ嬢の役で映画初出演だったとか・・・・。

                   うーん、日本では売春を歌うと放送禁止や発売禁止になるはずなのに、どうしてならないのか?日本の社会では「ソープランドでは売買春は行われていない」という建前があるからなのでしょう。日本は売買春については驚くほど建前社会です。

                   歌詞の詳細は「うたまっぷ」をご覧下さい。さて、この歌詞のすごいのは、ソープ嬢の「性と愛の分離発想」を見事に描いているところだと思うのです。私なりに表現するなら「性と愛とのアパルタヘイト(強制隔離政策)」女性にとっては、本来、性は人格的な愛と分離不可能なもののはず。しかし、「性と愛の分離」。それができなければ職業上不都合なわけです。あるいは、それを決意した上で就業しなくてはいけません。そのように愛をバブルと割り切らなければ、職業上、まさに愛はトラブル

                   主人公はバブルのような愛を売り、代価として金銭を得るわけです。こうした売買春の末に、彼女が手にするものを彼女自身がどう評価しているかと言えば、歌詞の最後にあるとおり。「お金という恋人を手にしよう、お手軽な幸せを手にしよう」。泡のような愛と交換に得たものはやはり泡のような金銭という幸せ。男女の愛もお金も時がたてば、あるいは使えばなくなる泡のような消費財。男性との恋愛に深く継続的な幸せを期待できなくなった主人公の過去を想起させる優れた歌詞です。

                   「売買春とは何なのか?」それが「愛と金銭の等価交換」でないことだけは明らかなようです。あえて言うなら、「愛という名前の泡とお金という名前の泡の等価交換」となるでしょうか?「男女がお互いのニーズの一致と合意の上で、性質の異なる泡を交換すること」それが売買春というシステムでしょう。

                   男女とも大きな犠牲を払ったとしても最終的に得るのは泡に過ぎません。ようは「泡でもいいから」と割り切る男女の契約関係とも表現できるのでは?(売春せざるを得ない貧しさなどがある場合を別とすれば)売買春に関わる男女は、やがては消える空しさ、深まりも発展も望み得ない空しさから逃げることはできないでしょう。

                   love is bubble というタイトルと歌詞は、性と愛の強制分離がもたらす底なしの空しさを表現しているように思うのです。「空しくたって、当人たちがよければいいじゃないか?」そんな反論が聞こえてきそうです。

                  あの河合隼雄は言いました。「援助交際は魂に悪い」と。売買春の当事者たちには、笑われあざけられる言葉に過ぎないかもしれません。それは自分の価値観を無理やり他者に当てははめる横暴な態度と批判されるかもしれません。

                   しかし、それは深い人間洞察をしてきた心理学者として「あなた自身もわかっていないかもしれないけれど、それはあなた自身も根底からゆがめ不幸にするのよ!それはあなたを本当の性と愛の喜びから、いよいよ遠ざけるものなのだよ!」という愛の言葉に違いないでしょう。

                   
                  | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                  阿久悠に学ぶ現代日本の恋愛観
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                     40歳になるまで、私は歌謡曲を馬鹿にしていました。しかし、大衆音楽に目覚め、音楽産業の構造を学び、歌謡曲が洋楽の大衆化であること、そして時代の精神を見抜きそのニーズを満たす世界であることを知ったとき、私はもはや歌謡曲を見下すことはなくなりました。むしろ、そこに評価すべきものや、その世界での音楽表現の豊かさを見つけられるようになったのです。

                     先日の夜は、阿久悠さんの追悼番組を少し観ておりました。阿久悠さん作詞の沢田研二の曲を聴きながら、見事なロックの歌謡曲化に感心し、演歌作品の数々には従来の美学を打ち破る前衛性すら感じてしまいました。

                     特に「津軽海峡冬景色」の完成度とクリエイティブさは恐るべきもので、中途半端なロックバンドなどは、この曲の前でロックスピリットの無さをお詫びしてほしいです。「俺たちのロックスピリットはあんたの演歌スピリットの足元にも及びません。ごめんなさい」と。

                     きっと阿久悠さんは、青島幸男さんと並んで、時代の精神を読み取り、半歩先にそれを示してきた超一流の表現者だったのだと思います。また、彼は常に従来の恋愛観や美学に縛られず、むしろ、それへのアンチテーゼを試みておられたようです。

                     具体的には「どうせ私は・・・」や「しょせん世間は・・・」という歌詞は書かないことに決め、従来の、あきらめと自虐性を詩の中から排除したそうです。さらに「女性が恋愛において結論を出すのもあり」という方針を打ち出し、従来の「決断できない女性」という観念を打ち破りました。

                     「あきらめと自虐性の排除」と「主体的に決断する女性」という面に限って言えば、信仰に通ずる面もあるかもしれませんね。

                     別の番組での報道によれば、生前の阿久悠さんは「最近のヒット曲は、『あなた』という歌詞がなくなり『わたし』や『ぼく』が増えたね。」と指摘しておられたとか。

                     私がブログで、「恋愛後出しジャンケン」やら「無痛恋愛」やらで指摘するとっくの昔に、「現代恋愛の自己中化」を音楽の世界で見抜いておられたのでしょう。

                     愛する「あなた」よりもそのあなたを愛する「わたし」にスポットを当てた方が、共感を得て、支持をされるとは、恐ろしい社会になってしまったようです。

                     恋愛という他者を愛する行為や関係においてさえ、それによって苦しむ自分、喜ぶ自分、切ない自分、ときめく自分、傷つく自分が、相手より大切なのでしょうか?恋愛の世界でさえ、自分が興味関心の中心は自分ということでしょうか?「自己愛を克服し得ない恋愛など、恋愛ですらないわ!」とおじさんは怒ってしまいます。

                     そういう自己中恋愛者には第一コリント13章を歌詞に転用して、歌って聞かせてやりたいですね。

                    ♪愛は自分の利益を求めません(13:5)♪と。
                    | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 07:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
                    演歌の女?ロックの女?(3)
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                       女性の性欲については多様性と個人差があるようで、私自身、確信を持って語れません。ちょっと逃げ腰なのですが、それでも何とかある程度責任もって書けることだけでも。

                       どうも、女性を天使や聖母のように思ってはならないようです。女性を自分の母親のように愛のためなら自己犠牲を惜しまぬように思うのは、美しすぎる誤解。そのことは男性を自分の父親のように命がけで愛して守る存在と信じている女性と同じこと。

                       女性も罪人であり、自己中心であり、性的欲求があるなら、男性を誘惑したり、男性の「愛し合っていたら」を引き出そうとする誘導したり、性を手段として利用することは大有り。性の世界における女性のずるさ、卑怯さは男性が知っておくべき現実なのでは?

                       聖書に登場するウリヤの妻について、三浦綾子さんはこうした見解を記していました。正確な引用ではありませんが、私の記憶で再現するとこうなります。
                       「私は女性だから分る。ウリヤの妻はきっとダビデが見ることを知っていて、わざわざお城から見える場所で行水をしていたに違いない。」
                       昔の私は「三浦先生、いくら何でもそれは独断的すぎるでしょう」「昔の信仰者の女性がそんなはしたないことをするはずないでしょう」と思ったものです。しかし、女性の性をある程度学び、見聞きしてきた今は、三浦さんの意見にかなり同意できます。一度性の喜びを知った後に夫を戦場に送った妻なら、そうした可能性は否めません。

                       しつこいようですが、女性は天使でも聖母でもありません。生身の人間です。質は違うでしょうが、男性同様、自己中心で性的欲求を持っていることを忘れてはなりません。演歌の女は性欲が眠っていて目覚めるのを待っています。一方、ロックの女は既に目覚めており、本人の内にも葛藤や戦いがあるのでしょう

                       
                      | | ポップと演歌が描く恋愛と性 | 08:41 | comments(2) | trackbacks(0) | - |
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