命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
説教者として貴重な体験〜普遍的真理と特定の会衆をつなぐ
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     説教者として、普遍的真理と特定の会衆をつなぐというテーマを実感。月に一度お邪魔する教会で、ローマ12章以下の連続講解説教をしていたら、選挙一週間前の主日礼拝説教の箇所が、ローマ13章1−7節に。以下に、一部加筆した説教原稿を転載します。

     

    ローマ13章1−7節「救いのめぐみの歩き方〜国家と世俗の権威」

     

     最初から私事で恐縮なのですが、ここ数年、急に多くの質問を受けるようになったことが二つあります。一つは、同性愛など性的マイノリティーについてです。それについての見解をあちらこちらの教会尋ねられるようになりました。そして、もう一つ、ここ数年、頻繁に尋ねられるようになったのは政治についての見解です。

     戦争の是非について聖書はどう語っているか?という普遍的な問いかけ、テロや移民などの問題はどう考えればよいのか?というグローバルな疑問、憲法改正、安保法案、共謀罪など国内政治についての質問などを受けるようになりました。これは、国内外の政治的状況が近年、大きく変化してきたことを反映しているのでしょう。 

     日本のキリスト教会全体も、従来になく、政治についての議論が活発化しており、一週間後には、衆院選の投票日を迎えようとしています。そうしたタイミングで、まさに、聖書が政治について言及している箇所を通じて、この朝は、神様の語り掛けをいただきたいと願うのです。

     

     私が担当するメッセージでは「救いの恵みの歩き方」と題して、ローマ12章以降から、救われたクリスチャンはどのように歩むべきか?あるいは、どのように成熟していくのかをお取次ぎしています。まず、1,2節にあるように神様に体をささげ、心を一新していただきます。その上で3節から8節にあるように、正しい自己認識を持ちます。次には、教会の中において9節から16節を示す兄弟愛に生きるのです。そして、17節以降は教会の外との関係、とりわけ、迫害者、敵対者との関係を扱っています。

     

     実はそのことの関連で語られているのが、この13章の1節から7節です。神様は、今日もクリスチャンたちが、国家や世俗の権威に対して、正しい理解をするようにと願っておられます。その理解の上で、政治や権力関係という実に現実的な分野においても、神の民、キリスト者市民として主を証しする歩みをすることを期待しておられるのです。そこで、この朝は「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」と題して、ローマ人への手紙13章の1節から7節までを三つのポイントでお取次ぎしたいと願います。

     

     今日は先に三つのポイントをお伝えしておきます。一つ目は、「この御言葉が持つ背景」です。この聖書個所を正しく理解するためには、当時の政治的背景を理解することが不可欠です。続く二つ目は、「この御言葉が示す原則」です。これは、前回のメッセージでお伝えしたことですが、確認を兼ねながら、さらに理解を深めたいと願っています。そして、三つ目が、「このみ言葉の守備範囲」です。この聖書箇所は、国家や権威についてのすべてを語っているわけではありません。一定の守備範囲があるのです(前回のメッセージは「権威」についての主題説教でローマ13:1、ルカ22:26、汽撻謄蹌機В海ら、それぞれ仝威の本質:悪ではなく善であり、神からの一般恩寵、権威行使の動機:欲でなく、愛、8威が委託されている目的:支配するためでなく模範を示すためという三点を語った)

     

     それでは、今からの時、「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」と題しまして、このみ言葉が持つ「背景」、それが示す「原則」、そして「守備範囲」という三つのポイントでみ言葉をお取次ぎいたします。

     

    〜本論A〜

     

     さっそく一つ目です。「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」、一つ目はこのみ言葉が持つ「背景」です。パウロにはローマ教会に集うクリスチャンに対して、国家や世俗の権威に対して理解や取るべき姿勢や判断を語る必要がありました。その背景をまず共に見てゆきましょう。

     

     先ほど詩篇72篇を司会者がお読みくださいました。これは「王の詩篇」と呼ばれる詩篇です。ここに記されている王の姿こそ、理想なのです。詩篇72篇が描く理想の王は、王の王である神様から権威を委託された神様の代理者です。王はそのような自覚を持つゆえに私利私欲ではなく、正義と公正をもって民を治めます。社会的弱者に目をとめ、保護します。そして、地に平和をもたらします。今風に言えば「公正、平和、福祉」の三点セットです。そのような王であるがゆえに民は代々、王を恐れる、つまり尊敬信頼するのです。

     このことからわかるように旧約時代の神の民は、宗教と政治が一体化していました。神の民は、イスラエル民族という特定民族であり、それは創造者である神を礼拝する宗教的共同体であり、神の代理である王が、その神を礼拝する民を治める国家という形態をもっていました。つまり、宗教と民族と国家がほぼ一致していたのです。

     

     ところが、この手紙が書かれた当時は、状況は一変しています。まず、神の民は、国家を失い、大国ローマの属国となります。さらに、異邦人にも救いのめぐみは開かれて、神の民は一民族を超えて多民族化します。ローマ教会には、散らされたユダヤ人クリスチャンもいれば、ローマ人など異邦人のクリスチャンもいたのです。

     ですから、とりわけユダヤ系クリスチャンにとって、自らの国を失い、こともあろうに、偶像礼拝者である王に治められている現実は、受け止めがたい屈辱であったと想像できます。そうした背景があるので、福音書が記しているように、イスラエルの民は、イエス様を政治的な救い主と考えたのです。そして、イエス様に、武力によってローマから独立を勝ち取りイスラエル国家を再建する理想の王を期待したわけです。

     

     ローマ社会において、ユダヤ人のクリスチャンは民族的も宗教的にもマイノリティーでしたから、差別や迫害は一定あったでしょう。何よりイエス様はローマへの反逆罪によって死刑とされたのですから、その人物を救い主と信じる宗教団体は、今なら、公安の監視対象だったでしょう。

     

     ところが、ローマの支配は寛容なものでした。同化が困難で、抑圧しすぎると反乱がおこるので、寛容な支配をした方が利口だと判断したのでしょう。、ローマ国家は彼らに、かなり寛容な信教の自由を認めていたようです。そして、大国ローマに守られたクリスチャンたちは、それなりに平和に暮らすことができました。

     迫害は比較的軽く、平和で宗教的自由が認められる中で、最もローマの支配を実感し、屈辱であったのは、納税でした。ですから、この13章でも福音書でもローマに税金を支払うことが問題になるのです。福音書には、税金を払うことに猛烈に反対するある政治団体が登場します。それは、12弟子の一人シモンも以前に所属していた「熱心党」です。

     それは今で言えば、ずばりテロリスト集団です。いわばユダヤ民族主義に立つ過激派反政府組織です。彼らは殺人や暗殺の訓練を受け、ローマの権力者や兵士、あるいはローマの手先である取税人を殺すことを願っていました。さらに驚くべきことには、彼らはローマに税金を払う同族ユダヤ人さえ虐殺していたそうです。

     

     こうした過激派団体が起こるほど、信仰の問題と政治の問題は、ユダヤ人クリスチャンにとっては分離することのできない切実な問題であったわけです。王は神の代理者であるべきなのに、偶像礼拝者に支配されている屈辱的な現実の中、ローマ政府をどう理解し、税金を払うべきかどうかは、クリスチャンにとって極めて現実的で、深刻な問題であったわけです。

     

     約2000年前の葛藤は、程度の差こそあれ、今の私たちにも共通することでしょう。なぜ、この政府の下で生活しなくてはならないのか?自分の意に反する政治的な政策に生活を左右され、納得のいかない法律にも従わなければならないのか?と思うこともあるかもしれません。国家以外の権威も同じです。尊敬できない親や夫や姑に苦労し、聖書とは正反対の価値観で指導する上司、教師、先輩から理不尽な苦しみを受ける現実もあるでしょう。

     ですから、この朝、2000年前のローマ教会に集うクリスチャンたちが抱いていた切実な思いを深く理解し、それを現在の私たちの葛藤や問題意識と重ね合わせたいと願うのです。ローマ教会の苦しみを理解することによって、2000年前にローマ教会に送られた手紙を、今の私たちへの生きた神の言葉として、神の語り掛けとして、受け止めていただければと願うのです。

     

     「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」、一つ目はこのみ言葉が持つ「背景」です。パウロにはローマ教会に対して国家や世俗の権威に対しての理解や取るべき姿勢と判断を語る必要がありました。その背景にあったローマ教会の葛藤をまず、深く理解しましょう。そして、それを今の自分と重ね合わせて、神様からの語り掛けを受け止めましょう。

     

    〜本論B〜

     

     続いて二つ目です。「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」、二つ目はこのみ言葉が示す原則です。パウロにはローマ教会に対して国家や世俗の権威に対して理解や取るべき姿勢や判断について、明白な原則をここで示しています。

     それは、1節と2節を読めば明らかです。この部分では国家権力や世俗の権威の正当性が3回も繰り返し示されています。しかもそれは大変、理路整然としております。繰り返しになりますが、もう一度、1節と2節をお読みします。

     

    「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」

     

     この御言葉は三つのことを教えます。すべての人は上に立つ権威に従うべきであること、神なき世俗の権威を含めてすべての権威は神によって立てられたものであること、だから、権威に逆らう者は、神に逆らっているのであり、わが身に裁きを招くことになるということです。パウロがこのところで示している原則は単純明快、「権威と服従」です。

     

     この手紙を読んだローマのクリスチャンたちはどう思ったでしょうか?ある者は「ローマに政府に従ってもいいのだ、税金を納めてもよいのだ」と安心したでしょう。また、ユダヤ人クリスチャンの中には手紙を読んで、わが目を疑った者もいたことでしょう。「イエス様を十字架につけたローマ政府をこともあろうにパウロ先生が認めるのですか!パウロ先生本気ですか?」と。

     

     しかし、前回のメッセージでお取次ぎした通り、権威というものは本来、恵みなのです。そのことが3節記されています。3節をお読みします。

     

     「支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。」

     

     もうお分かりかと思います。3節によれば、善を行わせ、悪を防止できるのは、国家権力があってのことです。国家権力の下に、法律や警察や司法という権威があり、それによって、民は平和で安全に暮らせるのです。権威とは、本来、そのように神様が私たちのために与えられた恵みなのです。それはクリスチャンであるなしに関係なく、注がれる神様からの恵み、神学的用語では、「一般恩寵」と言われるものです。

     実際にローマという国家は、当時としては最も成熟しており、一定、自由で平和な社会であったようです。とは言え、先ほど、お伝えしたように、ローマ教会に集うクリスチャンたちの多くは、時に自分たちを迫害する兵士には敵対心を抱くし、ローマに税金を払うことは屈辱であったわけです。

     

     ですから、4節以降でパウロは権威という「抽象論」で終わらせずに、「具体論」を展開します。それが、クリスチャンたちが葛藤していた兵士と税金のことなのです。パウロは権威という「理念」を説いた上で、兵士と税金という「現実」について教えます。まずは、4節と5節は当時の兵士のことについてパウロが語っています。4節と5節をお読みします。

     

     「それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。」

     

     4節の途中に「彼は無意味に剣を帯びてはいないからです」とあります。「剣」をどう解釈するかは、様々な見解があります。剣を「死刑制度」を意味するという解釈もありますが、私は「字義通りの剣」、兵士が所持している剣という解釈をとります。私たちは兵士というと「軍隊」というイメージを持ちますが、平和であったローマ社会にあっては、兵士はどちらかというと現在の「警察」に相当します。ですから、今風に訳すなら、「警察官は無意味に拳銃を所持してはいないからです」となるでしょう。

     警察官が拳銃を所持していることは犯罪の抑制につながりますし、いざという時は、市民を犯罪者から守るたことができます。そのために拳銃は必要です。聖書がこのところで記している兵士と剣の関係はそういうことです。そのように、パウロはそのように警察権力の意味を示し、むしろ、神のしもべと考えて、怖いからでなく、良心の故に、従うようにと勧めています。

     

     税金についても同様です。6節をお読みします。

     「同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。」

     兵士同様、税を徴収する人たちも神のしもべです。平和で安全に暮らせて、社会正義が実現され、弱者が守られるような社会は、税金によって支えられています。だから支払うべき税金はちゃんの納税しましょうとパウロは勧めています。

     このように原則は「権威と服従」です。原則的には、すべての権威は神様によるものであるがゆえに、従うようにパウロは勧めていますが、彼は葛藤し苦しむローマのクリスチャンたちの現実と心情を、理解せずにこのような正論を語っているわけではないのです。むしろ、パウロは、その切実さを知っているからこそ、それに応答して手紙を書いたと思われます

     

     そして、今日の聖書読者である私たちが知るべき大切なことがあります。それは、そのためにパウロが書いた箇所はローマの13章1節から7節ではないということです。パウロが葛藤するローマ教会の信徒に書いた箇所は12章の17節からなのです。

     私たちは、13章に入って、テーマが変わったと感じるのですが、実は12章の最後から13章の最初までは、同じテーマ、つまり「敵対者、迫害者に対しての完全勝利の道」を説いているのです。

     12章17節以降でパウロは、「自分で復讐してはいけません」「悪には善で報いなさい」と教えますが、パウロは誰を想定していたのでしょう。具体的には、誰が「敵対者で迫害者」だったのでしょう。それは、ローマ帝国であり、その権威の下にあり、時に教会の迫害に手を貸していた兵士、屈辱をもたらす取税人たちです。彼らは、家族や職場の上司のような身近な敵や迫害者とは別次元です。なぜなら、その背後にあるのは、当時の世界最強権威、ローマ帝国だからです。

     

     そのような背景を知るなら、この手紙の直接の読者であるローマ教会の信徒たちが、12章の21節をどう読んだか?ローマ13章をどう受け止めたか?が想像できます。ローマ12節21節は勧めます。「悪に負けてはいけません。かえって善をもって悪に打ち勝ちなさい」。それは、「ローマ政府や兵士たちが図る悪に負けてはいけません。かえって、権威に従うという善によってその悪に勝ちなさい」という意味となるでしょう。

     「権力側らの悪や迫害に、報復行為や暴力的な反抗などで応答してはならない。神が立てた権威として、従うことを通じて、悪に勝つのですよ。それが本当の勝利、完全勝利なのです。そして、このローマ社会に敵をも愛する愛を、神の愛を証しするのですよ。」とそんな思いでパウロは、12章の最後から13章のはじめを記したのだろうと想像するのです。

     

     12章の17節から始まったローマ政府を敵対者・迫害者と想定した教えは、13章の7節を結論として終わります。そこにはこう書かれています。7節をお読みします。

     「あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。」

     

     社会的義務を果たし、正しく納税し、恐れるべきを恐れ、敬うべきを敬うというのは、当たり前の教えでしょう。しかし、当時のローマ教会のユダヤ人クリスチャンにとっては、大きなチャレンジ、できれば、聞きたくない神の言葉であったかもしれません。今日、私たちはこの言葉をどう受け止めるのでしょう?

     

     聖書は言います。「人はみな上に立つ権威に従うべきです」。「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」、二つ目はこのみ言葉が示す原則です。2000年前のローマ教会の信徒同様、時に上に立つ権威に葛藤し、苦しむ私たちです。パウロが示した原則を受け止めて、日本社会に生きる者として、国家や世俗の権威に対して聖書的な理解を持ち、取るべき姿勢や判断を決めてゆきたいと願います。

     

    〜本論C〜

     

     最後に三つ目です。「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」、三つめは、このみ言葉の守備範囲です。このローマ13章1節から7節には、守備範囲があります。言い換えるなら、カバーしきれない範囲があるということです。つまり、この聖書個所は、国家や世俗の権威についての理解や判断を決める「原則」ではあるが、「すべてではない」ということです。この聖書箇所が示す原則だけではカバーしきれない例外があるということです。

     なんでもローマ13章の1,2節は、政治思想の分野では、歴史上最も引用されてきた聖句なのだそうです。ただ、それは時に権力側に都合よく利用されることもあったようです。皆さんもお聞きになったことのある「王権神授説」はこの聖句が根拠とされてきましたし、王権神授説は、愚民政治とセットで帝国主義を生み出したとの見解もよくお聞きします。その見解が正しいなら、それは聖書的な原則論が悪用され、世界の歴史が聖書の示すのとは逆方向に歩んでしまったことを意味しているのではないでしょうか?

     

     今日のメッセージを聞きながら、皆さんの多くはきっと素朴な疑問を持たれたことでしょう。「では、権力にとって都合の悪いいのちは、抹殺するような独裁国家にも、黙って従うのか?」「信教の自由を認めず、教会を迫害するような国家も神様がお立てになった権威だから、服従するのがみこころなのか?」という疑問です。

     それは当然の疑問です。残念ながら、神の代理として、正義と公正によって、民を治め、平和を実現し、弱者を保護すべき国家自身が不正を行い、民を抑圧し、弱者を切り捨てることがあります。国家が、領土的野心や資源の獲得を目的に、もっともらしい大儀を掲げて、他国に侵攻し、暴力によって平和を破壊すること、他国を支配し、民を抑圧搾取することもあります。さらには、神のしもべであるはずの国家や国家元首が神にとって代わることさえあります。

     

     実は聖書には、国家という権威に従わなかった事例、さらにそれが神様に祝福された記述があります。つまり、権威に対しての抵抗や不服従が、御心であった事例があります。聖書が記す典型的な例を三つほど挙げてみましょう。

     

     出エジプト記1章によれば、生まれてきたヘブル人の男子は殺すようにエジプトの王に命じられた助産師たちはそれを拒否しました。これは明らかな法律違反です。しかし、聖書は、神様がその助産師たちを祝福されたと記しています。そのことから、今日も不都合ないのちを抹殺するような権力者や政府への抵抗・不服従は聖書的に正しいのだろうと判断されます。

     また、ダニエル書6章において、ダニエルは、法律で王様以外の礼拝を禁じられていたにもかかわらず、主なる神を礼拝しライオンの穴に投げ込ます。しかし、神様はそのダニエルを救われます。ダニエルは王の命令には忠実に従っていましたが、礼拝に関しては従いませんでした。ですから、国家権力が偶像礼拝を強制したり、真の神様への礼拝自体を禁じたりした場合は、それに対しては、抵抗・不服従が神様の御心だと言えるでしょう。

     さらに使徒の4章で弟子たちは、サンヘドリンという議会から「イエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と命じられました。しかし、弟子たちは「人より神に従います。」と宣言し、宣教を続けました。このことから、法律で福音宣教自体が禁止されている場合に、知恵をもって宣教していくことは、神様の御心だろうと判断できます。

     エジプトの助産師もダニエルも弟子たちも皆、普段は権威を敬い、法律に従う人々でした。基本的には上に立つ権威に従っていました。特定の場合については、命令を拒否し、抵抗し、不服従の道を貫きました。神様はその判断と歩みを祝福しておられます。

     

     また、国家や王自身が神となり、自らを礼拝するよう強制することがあります。国家や王は、本来神様からの権威を委託された神の代行者です。しかし、その代行者が自らを神の座に置き、、国家や国家元首を礼拝するように命じるのです。それは、古代社会ではよくありましたし、この日本もほんの70年前までは、その通りのことを行っていたわけです。

     聖書の最後、黙示録13章には、そうした国家の姿が、「獣」という象徴で表現されています。一般的に、黙示録は未来の出来事を記しているとされますが、その多くの記述の根底にはヨハネが黙示録を記した1世紀後半の事実があるとよく言われます。

     ローマ人への手紙が書かれて、まもなく、ローマ政府は教会を激しく迫害し始めます。ローマ国王を神として、礼拝するように強制し、従わぬ者を罰するようになります。そのような歴史的事実に立って、ヨハネは象徴表現として、獣となった国家の姿を13章で記しているのだろうと多くの聖書学者たちは指摘します。

     

     「どんな権威でも従うのか?」その問いに対しての答えは、ローマ13章の守備範囲ではありません。そのことは聖書全体から考えるべきです。そうするなら、都合の悪い者、反対者を抹殺するような権威、信教の自由を奪う権威、獣となり自らへの礼拝を強要する権威は例外扱いすべきで、それに対しては、抵抗・不服従が、御心だとも言えるでしょう。

     

     そこで、問われるのは現代の私たちです。国家との関係において、ローマ教会の信徒と私たちとは大きな違いがあります。それは、間違った権威に抵抗するための様々な手段を神様から与えれているということです。その一つは、投票権です。選挙権を持つ者は、現政権を支持することも、反対票を投じて抵抗を示すこともできます。

     また、日本社会では、言論の自由が保障されています。そもそも言論の自由とは、王など権力者の不正を批判し報ずる自由が起源だそうです。ですから、権力の私物化、不当な権力行使があれば、言論によって抗議することが可能です。日本長老教会のホームページをご覧になれば、様々な声明文や公式見解、抗議文などを読むことができます。

     さらには、集会の自由もあります。信教の自由などをテーマに様々な集会が持たれ、時にはデモなどを通じて、抗議行動をなさっているクリスチャンたちがいらっしゃることは、皆さんご存知のことでしょう。

     

     聖書は「原則と例外」という一定の指針を示していますが、具体的個別的な判断は示してません。つまり、「ガイドライン」は与えていますが、「マニュアル」は与えていないのです。一つ一つの課題や事例についてどう判断するか?どこまでは権威による理不尽に耐えて従い主を証して、どこからは抵抗と不従順とするのがみこころなのか?そして、どのような方法で、どの程度の抵抗をすべきなのか?それは聖書に書かれていません。

     私たちが聖書のガイドラインに従って、具体的個別的事例について、どう判断し行動するかは、クリスチャン一人一人に委ねられているのだろうと個人的には考えています。これまた個人的な見解ですが、聖書はマニュアルを与えていないのだから、政治や社会事象についての見解は同じ信仰理解に立っていても、多様にならざるを得ないのはないでしょうか。

     同じ信仰理解であっても、教会と国家と関係が密接かつ友好的であったアメリカと、対立的で緊張関係をもってきた日本とは、異なります。また、兵役に就くことなく平和を論ずることのできる日本の教会と徴兵義務が課せられている韓国の教会とは見解が異なることでしょう。

     

     ローマ13章の守備範囲と言う面では、国家権力以外の権威についても同様でしょう。文字通り人を殺さなくても、著しい人格否定や人間の尊厳を根底から損なうような権威は、例外に準ずると判断すべきでしょう。

     カルト化し牧師が神のような絶対的権威となっている教会、子どもを虐待をする親、暴力で妻を支配する夫、生徒に対して恒常的に暴力を振るう教師、社員を過労死させるまでの違法就労が当然の企業、こうした場合も、神様が立てた権威だから、黙って従うべきでしょうか?

     実はローマ13章を根拠にそれでも黙って従うことが御心と考えるクリスチャンは少なくありません。また、稀に、そのように教える教会の指導者もいらしゃるようです。「ローマ13章にあるようにどんな権威にも黙って従えばいいのです。もし、その権威者が間違っていたら神様が退けるから」牧師からそのような指導を受けたという方も少なくないようです。

     それは、聖書の一か所だけから、すべてを判断をしてしまう間違った聖書の読み方と言わざるを得ません。ローマ13章の守備範囲を理解せず、聖書全体から神様の御心を考えようとしないなら、聖書的であることを願いながらも、間違った判断と行動をしますし、人にもさせかねません。

     原則は明白「権威と服従」です。確かに原則として、権威には従うべきですが、本質を失ってしまった権威については、抵抗や不服従、相手に改善を求めること、相手と距離をとること、とりあえず離れること、関係を断つこと、助けてくれそうな第三者への通報、専門家や専門機関への相談などは一つの選択肢だと私は考えています。それは決してた神様が立てた権威に従わないこと、神様への反逆には当てはまらないと思うのです。(もちろん、自分の罪深い反逆心の故に、従いたくないので、正当な権威を例外扱いするのは本末転倒です)

     

     「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」、三つめは、このみ言葉の守備範囲です。このみ言葉は大切な原則を語りますが、すべてを語っていません。守備範囲外となる例外があるのです。例外の可能性がある場合には聖書全体からのガイドラインを指針として、柔軟にみ言葉を当てはめて、多様性をもって判断していくべきでしょう。

     

    〜結論〜

     

     この朝は、「救いのめぐみの歩き方、国家と世俗の権威」と題しまして、背景、原則、守備範囲という三つのポイントでローマ13章の1節から7節までををお取次ぎしました。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。」ローマ教会が置かれていた社会的背景を自らの現状と重ね合わせながら、このみ言葉を受け止めましょう。このみ言葉が示す原則は明らかです。それは「権威と服従」です。しかし、現実の社会を歩む中で、この原則に立つと同時に、守備範囲も考慮しながら、国家と様々な権威を理解し、神様に喜ばれる関係に歩みたいと願います。お祈りします。

     

    〜祈り〜

     

     国家をはじめ様々な権威の下で生活をしながら、時に葛藤し、苦しみを味わう私たちです。理不尽さ故に、反抗したり、暴力的な報復を思い描くこともあるかもしれません。しかし、この朝、そうした現実的な面にまで届くみ言葉の語り掛けをいただきました。どうか、権威関係という分野においても、私たちが、神様の御心に歩めるようみ言葉をもってお導き下さい。一週間後には衆院選の投票日を迎えますが、どうか、有権者である者たちが、私利私欲を離れて、神様の前に責任ある一票を投じることができますように。そして、まさに今、礼拝をささげた後に遣わされていく場に待ち受ける権威関係の中にあって、み言葉が示す神様の御心に歩めるよう助けと導きを与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。

    | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 17:53 | - | - | - |
    新着情報の新設、完了しました!
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       予告しながら遅れておりました新着情報ができました。活動報告だけですが、よろしければご一読を。

      サイト「水谷潔の新しき地に踏み出だす」の「新着情報」
      | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 21:41 | - | - | - |
      今後の発信について
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         久しぶりの更新となりました。突然になってしまい恐縮ですが、今後の発信は、以下のサイトに移行します。

        「水谷潔の新しき地に踏み出だす」
        http://kiyoshimizutani.com/

         5月上旬にこのサイトに「新着情報」を新設し、そこに働きについての情報や報告を掲載します。フェイス・ブックも基本、発信はせず、読むだけのお付き合いとなります。祈り、熟慮してのことですので、どうか、ご理解をお願いします。私の働きについては従来通りです。

        〈追記〉
         5月21日現在、まだ、「新着情報」のページを作成できていません。完成しましたら、この記事内でお知らせします。今しばらくお待ちください。
        | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 13:41 | - | - | - |
        キリスト教性教育研究会・会長就任のご報告
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           大切なことをお伝えしておりませんでした。4月1日付で「キリスト教性教育研究会」の会長に就任しました。同会は、2004年3月にOCCビルを会場に、富永國比呂先生(ロマンダ・クリニック院長)と稲葉裕先生(当時、日本衛生学会会長、順天堂大学教授)の呼びかけにより超教派のキリスト教信仰に立つ性教育の学術研究会として立ちあがりました。12年間もの長きにわたり、会をリードしてこられた富永國比呂先生に替わり、私が会長に就任した次第です。

           「キリスト教性教育研究会」は現在、40名弱の会員構成されており、性教育を担う団体の働き人、医療者、大学や中高の教師、牧師、牧師夫人、カウンセラーなどが主要な会員です。キリスト教会においては著名な方も少なくありません。文字通りの超教派で、カトリック、無教会派、聖公会、リベラル派、改革派、福音派のクリスチャンで構成されています。大きな理念としては、結婚制度と性の人格性を尊重する保守的な見解に立っています。

           研究会などを通じて、会員間の研鑽を図り、その成果を何らかの形で発信し、教会と一般社会に貢献することを願っています。恒常的な活動ではありませんし、私にとってメインの働きとなるわけではありませんが、その意義においては極めて重要であり、重い責任を感じています。また、学術的な面においては、決して長けているわけではありませんので、会員の皆さんに支えられつつ重責を果たせたらと願うばかりです。

           8月18日(木)には、東京(吉祥寺付近)で研究大会が予定されております。後日、改めてご案内申し上げます。

           というわけで、ご報告いたしますとともに、日々のお祈りの片隅に覚えていただければ幸いです。
          | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 12:24 | - | - | - |
          日本伝道会議に申し込んだぞ
          0
             9月27日(火)から30日(金)まで神戸で、第6回日本伝道会議。前回の札幌に続いて、分科会で発題をすることもあり、全日程参加します。3月までに申し込むと2000円割引と知って、大慌てで3月31日に申し込みました。8月末までの申し込みで、12000円6月までなら、1000円割引。この金額で全日程参加できて三回の食事代が含まれているのですから、ありがたくて泣けそうです。(あとは、宿泊費と交通費ですな)

            余計なお世話とは思いますが、同会議の概要はこちら。
            http://jcenet.org/index.shtml

            また、申し込みはこちら。
            http://jcenet.org/application.html

             申し込みはネットでの買い物や予約申し込みになれている方なら、15分程度でできてしまうのでは?むしろ、前もって参加するプロジェクトと分科会を決めておかないと時間がかかるかなと思いました。申し込みフォーマットの中にもリンクがあり、申し込みをしながら、プロジェクトと分科会は選べますが、申し込みより、先に決めておくとスムースかなというのが個人的実感。

            まずは、こちらで参加希望のブロジェクトを第二希望まで決めて、番号と名称をメモしておくといいのでは?
            http://jcenet.org/project.html#1

            次に、こちらで、二回の分科会も第二希望まで決めて番号と名称をメモ。
            http://jcenet.org/program/subcommittee.html

            さらに、有料のオープン集会に参加希望の方はこちらの「オープン集会」を参照。
            http://jcenet.org/program.html#4

             これだけ決めておいて、申し込みをするとスムースかと思います。お支払いは、カードまたは、振り込みです。


             ホテルについては、外国からの宿泊者が多く、急がないとホテルが取れないかもと聞いたので、こちらも、さっそく予約してしまいました。会場へのアクセスを考えると、三ノ宮のホテルがよいのでは?二つのホテルチェーンのメンバーカードを持っているのですが、安いホテルから予約が満杯になりつつあるようです。私はあと2人というところで、最安値で予約ができました。3泊で15000円未満となり、感謝。大手チェーンのホテルの空室はまだまだあるようですが、安く泊りたいなら、そろそろ予約をしなければならないでしょう。

             今のところ、ブースを出す気もなく、ぶらぶらしながら、全日程、会場におりますので、携帯電話の番号をご存知の方はお気軽にスカイメール(ガラケーで普通のメールもしていませんので)をお送りください。この機会でなければお交わりのできない皆様とは、よき機会となるかと思います。では、参加予定の皆様、特別、関西の皆様、秋には神戸でお会いしましょう
            | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 15:53 | - | - | - |
            3月のご愛読を感謝します!
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               今日は4月1日でした。すっかり忘れておりました。予告していた「いまどきクリスチャン男子の父性愛拒否体質」についての記事は明日に延期させていただきます。月のはじめなので、恒例のご愛読感謝。3月の総アクセスは63775で、一日平均は2057と前月から大幅ダウンですが、これが通常のアクセス数でしょう。

               3月の人気の記事は以下の通り。読み返すことで新たな気づきがあればうれしいです。豊田信行先生の「父となる旅路」が個人内大ヒットでしたが、それを扱った記事がいつくか入りました。「キリスト教のリアル」関係も人気がありました。教会のありようを扱った記事が多く、恋愛・結婚・家庭ネタが少なかったのが3月の特徴でしょう。


              豊田信行著「父となる旅路」は、父性、霊性、聖性が合流した大河の書である! (141いいね!)

              カトリックの「万人祭司」と「会堂建築後神父交代」について補足 (103いいね!)

              「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(3)父性欠損・母性一辺倒型神観の問題 (74いいね!)

              非婚、離婚、不妊〜女性のあり方に求められる新しい革袋 (67いいね!)

              「若手を自分色に染めるより、自分が若手に染まった方が早いし効果的」って、けっこう聖書的かも (66いいね!)

              乙武氏不倫報道を受けて〜「障碍者への美談押し付け」という差別 (66いいね!)

              カトリックも「万人祭司」だったんだー!考えさせられる「会堂建築後神父交代」の知恵 (61いいね!)

              「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(1)神様の統合的愛 (60いいね!)

               というわけで、3月のご愛読を感謝申し上げますとともに、これからもご愛読いただければと願います。
              | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 16:40 | - | - | - |
              イースターメッセージ完成で一休み、明日は喜びのイースター礼拝
              0
                 毎年、クリスマスとイースターとペテコステは、とりわけメッセージで苦労しております。何年やっても、大変です。昨夜、ようやく完成して、今日は少しのんびりできます。夕方からは、中学時代の同窓会に初参加。何と40年ぶりにクラスメイト達に再会の予定。

                 今年のイースターメッセージの聖書箇所は第二コリント4章の7節から最後の18節まで。「土の器」で始まる個所ですが、そこは直接扱わず、14節以下を中心に取り次ぐことに。

                 「それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。」(14節)

                 復活が終末と直結しています。この「復活信仰」が土の器の中身である光を放つ福音の一部なのでしょう。この復活信仰の故に、パウロは艱難の中にあっても勇気を失わない歩みを宣言します。その歩みが具体的に16−18節に記されています。今年はこの箇所を取り次ぐことにしました。


                 タイトルは「復活信仰が決める地上の生きざま」。うーん、大げさでダサいかなー。取り次ぐのは、「復活の恵み」というより「復活の恵みを受けた者の具体的歩み」。「今、この時から復活の命で生きる」「復活の恵み故に永遠指向で地上を歩む」「勇気りんりん復活信仰の歩み」というような趣旨で、14節が宣言する復活の恵みを根拠に、終末的視点から、地上の歩みを励ます内容です。

                 中身は分かりやすさ一発の3ポイントメッセージであります。

                (1)外なる人より内なる人(完成へ向かう内側>死に向かう外側)
                   「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(16節)

                (2)今の艱難より永遠の栄光(永遠のプラス>今のマイナス)
                   「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」(17節)

                (3)目に見えるものより見えないもの(今、見えずやがて見るもの>今、見えるもの)
                   「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(18節)

                 「アウトラインはそれなりだけど、み言葉の掘り下げがまだ浅いなー、未信者にはピンと来ないかもなー」というのが自己評価。後は、み言葉と共に働かれるご聖霊に信頼して・・・。「聖霊はあんたのおもりじゃない」って言われそうだけど。


                 明日は名古屋市守山区、小幡駅近くの教会で礼拝説教。普段教会に行っていないクリスチャンの方、近隣の皆様、よろしければ、共にイースターをお祝いしましょう
                | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 12:16 | - | - | - |
                クリスチャンドック・四つの健康チェック
                0
                   金曜から昨日までの奉仕のためにお祈りいただいた方には、感謝・感謝です。いずれの奉仕も大変祝福され、大きな実を結んでいることを実感しております。

                   昨日の夜は、女性10名ほどの有志による「女性合宿」での奉仕。大半は某学生団体OGで、成熟したクリスチャン女性が多い集会でした。とは言え、様々な葛藤や悩みを抱えての参加者が多いのもまた事実。夕食の交わりの後、1時間のメッセージと1時間の分かち合い、さらにフリートーク、交わり、相談などで、6時から11時まで楽しくも充実しまくりの5時間でした。それでも、個々のニーズに十分は対応しきれていないことを覚えながら、帰宅しました。

                   依頼されたテーマは「クリスチャンドック」。「クリスチャンドック」と言っても、クリスチャンを焼いてパンにはさんで、ケチャップとマスタードをかけるのではありません。いわば「人間ドック」のクリスチャン版です。忙しい日常を離れて、立ち止まり、クリスチャンとしての総合的な健康チェックをしようという意図です。

                   昨夜は四つのみ言葉を伴う四つのチェック項目で健康チェックを実施。健康の範囲内であることを確認した女性クリスチャンもいれば、病気を発見した方もいたようです。もしかしたら、悪性腫瘍が見つかったり、緊急入院の必要を覚えた参加者もいるかも。「自己実現傾向」と「あるがまま愛されたがりすぎ傾向」が強いいまどきの青年クリスチャン向けに作成したものですが、老若男女関係なくいまどきクリスチャンには、有効な健康チェックだと思うので、昨日のメッセージの概要を以下に掲載します。

                   読者の信仰の健康上の参考になれば感謝なことです。また、教会の諸集会や研修会などで、この健康チェックをするための訪問医療?もさせていただきます。お気軽にご依頼を。


                  クリスチャンドック〜みんなで四つの健康チェック
                   
                  1.視力検査:ヴィジョンは、健全か?
                  「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」(箴言29:18)

                   ここでの「幻」とは「律法」とほぼ同義で、神からの「啓示一般」のこと。聖書が明示する普遍的啓示が、個人のヴィジョンの前提。普遍的なみこころに歩む中で、本物の個人的ヴィジョンは与えられるのでは?普遍的なみこころである神の栄光を目的せず、神と人に仕ようとしないビジョン(自己栄光目的、他者支配的ヴィジョン)は神様からのものではない不健全なもの。まずは、置かれた場所で忠実に仕えること。聖書の登場人物同様、多くの場合、それで行き詰まった時に、次のステージや生涯の召しなどに、正しいヴィジョンの実現へと導かれていくもの。

                   
                  2.聴力検査:神様の声に聴き従っているか?
                   するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 (汽汽爍隠機В横押
                   
                   「礼拝、聖書、お祈り、奉仕、献金」の5点セットの実行よりも「み言葉に聞き従うこと」が、クリスチャンの健康基準。結局、自分は誰の言葉に聴き従って歩んでいるかを考えてみよう。榎本保郎先生の表現で言えば「み言葉聴く」(自分が主体)のではなく「み言葉聴く」(神様、み言葉が主人)のが、健康なクリスチャン。福音の本質は「自分の願いを神様がきくこと」でなく「神様の願いを自分がきくこと」、自己実現でなく神実現に生きるのが健康。
                   

                  3.公衆衛生確認:ゴミは捨てているか?
                   「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」(ピリピ3:13)

                   前進に必要なのは、「うしろのものを忘れること」、「うしろのもの」とは3:4−8節が示す民族的優越性、宗教的エリート性や過去の実績などキリストと出会う前に「得」と思えたこと。パウロはキリストを知る素晴らしさの故に、それをゴミと認識して、捨てて前進。「握っているゴミを捨てよう」とは言わない。「キリストを深く知ろう」と言いたい。深く知るほど、得と思って握っているのがゴミだと分かって、捨てたくなるから。そして、より前進できる健康なクリスチャンになれるから。


                  4.心身の総合チェック:体をささげ、心を一新しているか?
                   「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12:1、2)

                   ここに記されているのは、深遠かつ壮大な救いの恵みへの応答としてのパウロによる「体と心」についてのお願い。その内容は、体をささげ、心を一新すること。贖われた者の身体は、キリストがオーナー、聖霊と自分が住人で、自分は管理人。オーナーの意向にそって、聖霊の住まいにふさわしい身体の管理を。お互いは、何に対して体を献げるのか?神か罪か?将来の夫か、それ以外の男性か?使命・召しか、それとも自己実現か?それが、健康と不健康を分ける。「霊的な礼拝」「理に適った仕える歩み」にふさわしい体の用い方を。

                   一方の心は一新すべきもの。ここでの「こころ」とは「心情」よりも「思索・考え方」。神様のみこころや事の是非を知るのに必要なのは、消極命令としての「世と調子を合わせぬこと」と積極命令としての「心の一新による自己変革」の二つ。周囲に流され神なき価値観で歩まぬよう抵抗、工夫、戦いを続け、自分の考え方が聖書と異なるなら、それを悔い改め、一新し続けるその歩みこそが、まさに健康


                   「聖い、生きた供え物としてささげなさい」も「心の一新によって自分を変えなさい」も一度限りの行為の命令ではなく、継続的行為、反復行為としての命令。日々、体をささげ続け、機会あるごとに心を一新していく健全な歩みを。


                  アピール
                   WHOの「健康」の定義によれば、「病気や障碍のないこと=健康」ではない。不健康要素を悲しみ落ち込むのでなく、それが見つかったことを感謝し、向き合おう。主がみ言葉によって、探って下さる中で、見つかった健康上の課題を認め、向き合い、神様に扱っていただき、より健康に歩んでいこう。
                  | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 11:58 | - | - | - |
                  今日からちょっと多忙、お祈りを
                  0
                     昨日午後から日曜までは、珍しく多忙となります。昨日の午後は非常勤講師をさせていただいている金城学院大学で、非常勤講師の説明かや懇談会、大変、有意義な交わりをいただきました。夜は所属教会の祈祷会に出席。

                     今日は、午前中に自宅を出て、東京へ、午後3時からキリスト教雑誌の取材を受けます。その後、日本救世軍ユースセミナーで奉仕。日本全国から青年たちが集まっての集会で、タイトルは「マジで考え、ガチで語り合おう、恋愛と結婚」。堅いイメージがあるかもしれませんが、こうしたタイトルがOKになるくらい救世軍は柔軟なのです。土曜日は、三回の講演。夕食後に失礼して名古屋へ。

                     日曜は、毎月お邪魔している教会で、午前は礼拝奉仕、午後は、「妻から夫への伝道」と「教会としての片親家庭の支援」をテーマに家庭セミナー。その後、いったん帰宅して、名古屋中心部で、有志による女性集会で奉仕。これは某学生伝道団体のOGの有志が主催。テーマは「クリスチャンドック」。「人間ドック」の信仰版です。少し立ち止まって普段の歩みの健全さをチェックという趣旨。夜遅くまで奉仕をして、帰宅します。女性参加者は一泊して、翌日まで親しい交わりと分かち合いを持ちます。

                     実は、二日続けて3回のメッセージというのは、二十数年の伝道者生涯で初めてです。移動も伴うので、少し大変です。どうか、健康が支えられ奉仕が全うできるように、また、それぞれの奉仕が豊かな実を結びますようお祈りをお願いします。では、あとひとつ記事をアップしてから出かけます。
                    | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 10:25 | - | - | - |
                    誰がイエス・キリストを殺したのか?(4)
                    0
                       マタイ27:11−26から「誰が、イエスキリストを殺したのか?」を考えるシリーズの今日は4回目、そして最終回です。
                       
                       ここまで、マタイ27章イエス様の裁判の場面から、イエス様を十字架につけた人々の罪を三つのポイントで見てきました。それは「エリート達の妬み」であり、「責任者の自己保身」であり、「群集の付和雷同」でありました。そして、それは私たちの罪と言えるのではないかと、みことばの前にお互いが自らを検証してきました。
                       
                       
                      ある時、クリスチャンと未信者が共にいる場で、一人のクリスチャンが言いました。「クリスチャンたちが、『私のためにイエス様が十字架に架かってくださり、感謝、ハレルヤ!』とうれしそうにしているのを見ると腹が立つ」というのです。その理由を問われるとその方は、こうおっしゃいました。「私のためにイエス様十字架についただけじゃないだろ!自分が、イエス様を十字架にかけたんだろう?それがわからないクリスチャンに腹が立つ」。ドキッとさせられる発言でした。確かに、「自分のために」だけでは、おめでた過ぎ、罪も恵みもその認識が浅すぎるのかもしれません。

                       それを聞いた未信者の一人が言いました。「私はまだ自分の罪が赦されるということが分からない、だからクリスチャンになっていないの。でも、私は自分がイエス様を十字架にかけたのは分かる。私がイエス様を十字架につけたと思っている。」

                       長年福音に触れ続けてきたこの方はクリスチャン以上に自分の罪を自覚しておられるのだと私は感動しました。同時に、自分はどうだとうと問われました。愚かにも、クリスチャンだから、牧師だからという理由で自らの罪を差し引き、割引して見積もっていることを示され恥ずかしく思いました。


                       このシリーズのは最後として、救世軍の創始者として知られるブース大将の夢を紹介します。ブース大将は、十字架にまつわる一つの夢を見たそうです。キリストが釘付けされた十字架の前に自分が立っています。その苦しみを見るに忍びなく、何とかお助けしたいと願います。夢にはよくあることなのでしょうが、脚が前に進みません。いらいらしていると一人の小柄な男がはしごをかついて十字架の下に駆けつけます。そして、はしごを十字架にかけて、上っていきます。

                       「ああ、よかった救いに行ってくれる人がいて」と思っていると、その男は、腰から金槌を取り出します。そして、イエス様が釘付けされているその釘を、抜けないようさらに深くまで打ち込んだのです。その男が群集の方を振り返り、にやりと笑ったその笑顔に、ブース大将は愕然とします。何と、その男の顔は、ブース大将その人の顔だったのです。


                       お互いはブース大将と同じ夢を見てうなされる必要はないでしょう。なぜなら、マタイ27章が記す裁判についてのみとこばは、この夢と同じことを私たちに問いかけているからです
                       
                       醜い妬みに支配されイエス様を十字架に追いやった祭司長と長老たち、自己保身から無実の人に死刑判断を下したピラト、付和雷同の故にバラバを赦免し、イエスを十字架につけた群集とは、まさしく私たち自身ではないでしょうか?私たちは、殺人罪よりはるかに重い殺神罪を犯した「殺神犯」ではないでしょうか?

                       もしそうであるなら、そんな自分を赦し、自らのいのちと差し替えに永遠のいのちを与えてくださった、その恵みのありえない大きさを、この受難週の時こそ、厳粛な思いと新鮮な感動とをもって、受け止めようではありませんか。

                       殺神犯の加害者の罪を、殺神犯の被害者自身が、身代わりとなり負って、罰を受けることによって、赦してくださったのです。そればかりか。殺神罪の故に滅ぼされなくてはならなかったいのちを、
                      ご自身の永遠の命と取り換えてくださったのです。人は、自らの罪の自覚の深さに応じて主の恵みの深さを体験します。それこそが、受難週の恵みに違いありません。昨年より一歩も二歩も深く自らの罪深さを自覚しましょう。それ故に、さらなる主の恵みを覚えて、それに真実な思いをもって応答するお互いでありたいと願います。
                      | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 08:38 | - | - | - |
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