命と性の日記〜日々是命、日々是性

水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。
 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。
新着情報の新設、完了しました!
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     予告しながら遅れておりました新着情報ができました。活動報告だけですが、よろしければご一読を。

    サイト「水谷潔の新しき地に踏み出だす」の「新着情報」
    | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 21:41 | - | - | - |
    今後の発信について
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       久しぶりの更新となりました。突然になってしまい恐縮ですが、今後の発信は、以下のサイトに移行します。

      「水谷潔の新しき地に踏み出だす」
      http://kiyoshimizutani.com/

       5月上旬にこのサイトに「新着情報」を新設し、そこに働きについての情報や報告を掲載します。フェイス・ブックも基本、発信はせず、読むだけのお付き合いとなります。祈り、熟慮してのことですので、どうか、ご理解をお願いします。私の働きについては従来通りです。

      〈追記〉
       5月21日現在、まだ、「新着情報」のページを作成できていません。完成しましたら、この記事内でお知らせします。今しばらくお待ちください。
      | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 13:41 | - | - | - |
      キリスト教性教育研究会・会長就任のご報告
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         大切なことをお伝えしておりませんでした。4月1日付で「キリスト教性教育研究会」の会長に就任しました。同会は、2004年3月にOCCビルを会場に、富永國比呂先生(ロマンダ・クリニック院長)と稲葉裕先生(当時、日本衛生学会会長、順天堂大学教授)の呼びかけにより超教派のキリスト教信仰に立つ性教育の学術研究会として立ちあがりました。12年間もの長きにわたり、会をリードしてこられた富永國比呂先生に替わり、私が会長に就任した次第です。

         「キリスト教性教育研究会」は現在、40名弱の会員構成されており、性教育を担う団体の働き人、医療者、大学や中高の教師、牧師、牧師夫人、カウンセラーなどが主要な会員です。キリスト教会においては著名な方も少なくありません。文字通りの超教派で、カトリック、無教会派、聖公会、リベラル派、改革派、福音派のクリスチャンで構成されています。大きな理念としては、結婚制度と性の人格性を尊重する保守的な見解に立っています。

         研究会などを通じて、会員間の研鑽を図り、その成果を何らかの形で発信し、教会と一般社会に貢献することを願っています。恒常的な活動ではありませんし、私にとってメインの働きとなるわけではありませんが、その意義においては極めて重要であり、重い責任を感じています。また、学術的な面においては、決して長けているわけではありませんので、会員の皆さんに支えられつつ重責を果たせたらと願うばかりです。

         8月18日(木)には、東京(吉祥寺付近)で研究大会が予定されております。後日、改めてご案内申し上げます。

         というわけで、ご報告いたしますとともに、日々のお祈りの片隅に覚えていただければ幸いです。
        | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 12:24 | - | - | - |
        J+Passion Tokyo16のご案内
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           気が付けば、今年のJ+Passion Tokyoは、もう来週の土曜日。実行委員会からの報告によれば、J+Passion Tokyo歴代最多出場講師は、何と、だそうです。密にそうではないかと思っていたのですが、やっぱりそうでした。以前は、毎年のように「恋愛・結婚・性」の分科会講師をさせていただいておりましたから・・・。強い思い入れのある集会だけに、大変、光栄であります。

           というわけで、来週土曜の同集会のご案内です。FBの情報を以下に貼りつけてお知らせします。
          会場地図やアクセスなどはこちらを、ご参照ください。
          https://www.facebook.com/events/1015301555203903/

           
          J+Passionは、教派を超えて教会・クリスチャンが協力して開催する、クリスチャンのための青年大会です

          J+Passion Tokyo 2016
          テーマ:「隠された宝」

          テーマ聖句:「マタイ13:44」
          天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
          ...
          【場所】大野キリスト教会
           小田急線「相模大野駅」から徒歩5分
          (駐車場のご用意はございません。お近くのコインパーキングをご利用ください)

          【講師】チョ・ドリュー(聖会機法
           クリスチャンアカデミーインジャパンCAJ 99年卒業 UCLA 03年卒業 ウェストミンスター神学校 07年卒業 日本宣教師である韓国の両親と共に9歳で日本に渡り横浜・川崎育ち。人生の三分の一を韓国、日本、そしてアメリカで過ごした背景を持つ牧師。4年前に日本に戻り去年から東京・品川で開拓教会を牧会している。
           特徴は、非常に若く見られること。初対面の人に35歳に見られることはない。「人生で燃え尽きる時があるなら、キリストのために燃え尽きたい」と思っている。

          吉永豊(聖会供
           1967(昭和42)年生まれ。中学1年の晩秋受洗。中高生時代はバスケ部に所属するが勉強をおろそかにしたため浪人。大学卒業後、会社員を経て2001年牧師を目指し中央聖書神学校へ入学。2004年卒業。現在、日本オープンバイブル教団町田聖書教会牧師。イエスキリストを信じ生きることの素晴らしさについて分かりやすく熱い思いを込めて語ることを目指している。

          【ワーシップチーム】浜名湖バイブルキャンプ中高生キャンプワーシップチーム
           日本同盟基督教団 浜名湖バイブルキャンプ中高生キャンプの賛美を導くワーシップチーム。心も体もすべてを尽くし爆裂した賛美を捧げようという爆裂賛美、通称「爆賛」をモットーに掲げる

          【分科会】
          1、キリスト教世界観から見るワンピース (東京キリスト教学園 広瀬薫)

          2、献身 (町田聖書教会 吉永豊)

          3、恋愛・結婚・性 (川口福音自由教会 大嶋裕香)

          4、貧困・社会貢献 (国際飢餓対策機構 田村治郎)

          5、教会を建て上げる (ニューコミュニティチャーチ チョ・ドリュー)

          6、ユースを助ける大人 (川崎キリスト教会 古波津真琴)

          【プログラム】
          9:45  受付
          10:00  開場
          10:30  聖会 淵瓮奪察璽検Д船隋Ε疋螢紂 師)
          12:00  お昼休憩
          13:30  分科会
          15:00  休憩
          15:30  聖会◆淵瓮奪察璽検У髪 豊 師)
          17:00  終了予定

          【参加費】
           大人:1000円
           学生(専門学校生、大学生):1000円
           高校生:500円
           中学生以下:無料

          【コアバリュー(J+Passionの理念)】
          ・福音的な聖書信仰に基づく超教派であること。
          ・クリスチャン青年の励ましと育成をすること。
          ・結果的に教会を力づけ時代に影響をもたらしていくこと

          【主催】
          J+Passion Tokyo 2016実行委員会
          | ヤンキー牧師 | キリスト教会(出来事・情報) | 20:45 | - | - | - |
          神が今日求め給う「傷ついた癒し人」と「傷つける愛し人」
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             「父となる旅路」から考える母性愛と父性愛のシリーズは、それなりに好評であったようです。
                     

            (5)に対してはFBの方ではこんな応答が。(太字は私の編集)
             
             青年期を振り返るとき、大切な転機となったのは幾人かの年長者の愛ある叱責、警告、問いであったように 思います。ある人は細やかな配慮の中で控えめに、ある人は多少の誤解を恐れず大胆にぶつかってくださいました。その時、確かに自分のことについては言い訳はそれなりにしやすいわけですが、神は人間関係、特に信仰者の交わりの中で、人間の限界を用いつつそれを超えて語り給うと信じて、先ずは聴く、そして御心を問う、というというふうにすることで、己を違った角度から見つめ直し、砕かれる経験をしたように思います。


             傲りにせよあきらめにせよ、もう変わらない、変わる必要もない、というのではなく、常に生かされ変えられて行くことに開かれている、というところに信仰生活の革新があり、しばしば母性的と捉えられる聖霊は、しかし革新者、変革者として立ちたもうという意味においては、先生の記事の文脈で言うところの「父性愛」を持って働いておられるのかもしれません。


             以上が引用です。信仰者の交わりの中、年長者からの愛のある叱責が青年期の転機となること。聖霊の働きが父性愛的側面を持つこと。適格で鋭い考察と指摘だと思いましたので、ご紹介しました。残念ながら、昨今は相手を傷つけることを恐れるあまり、こうした人間関係の中での恵み、聖霊の父性愛的な働きが経験されなくなっているのかもしれません。


             また、ある方は(4)を。シェアをしてくださり、その際に、箴言27:6の後半のみことばを記されました。

            「憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。」


             これら二つのことを通して、考えました。

            (後記:以下は、一連のシリーズ記事の文脈の中、豊田先生による「父性愛」の定義の中でお読みください。)


             「傷ついた癒し人」という表現があります。イザヤ53:5は記します。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」キリストは傷つけられたことによって他者を癒す者となられました。同じように、小さなキリストであるクリスチャンたちも傷つけられた経験が用いられて、他者を癒す者とされるのでしょう。

             一方で、真実な愛の故に愛する者の罪や課題を指摘し、その結果として相手を傷つけてしまうことがあります。愛の名目で人の罪や欠点を指摘して、意図的に傷つけるのではありません。傷つけることが目的はなく、予想される結果、リスクなのです。目的は罪であれ欠点であれ、課題を示し、相手がそれに向き合い、回復成長し、祝福されることです。相手を傷つけてしまえば、その事実が自分を傷つけます。それでも相手のためにと願うのは、自己犠牲を伴う献身的な愛キリストの愛と言うべきでしょう。

             (後記:愛という動機が相手を傷つけることを正当化するわけではありません。これは、相手を傷つけ、それによって自らも傷つくことを恐れるあまり、愛することから逃げてしまうことへの警鐘です。また、エペソ4:15の「愛をもって真理を語り」とのみことばに生きることを願って記しています。この点は誤解をされませんように。)


             私はそれを、「傷ついた癒し人」ならぬ「傷つける愛し人」と呼びたいです。


             そして、思うのです。

             傷つきやすい現代人が集う日本の教会において、今、神様が求めておられるのは、

             傷ついた者を癒す「傷ついた癒し人」とともに、

             傷つけることを恐れず愛する「傷つける愛し人」でもあるのだろうと。


             そう、君も誰かの「傷つける愛し人」になろう。

             傷つける愛し人に愛されたら、たとえ傷ついても、逃げず、心閉ざさず、逆切れせず、その愛を感謝し、受け止め、その真実の愛に応答しよう。
            | ヤンキー牧師 | キリスト教界(論説読みきり) | 15:35 | - | - | - |
            プロ野球ポッドキャストで再び、ドラゴンズを語る
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               大野キリスト教会を牧する中澤信幸牧師が、スタートしましたプロ野球ポッドキャスト番組。シーズン開始を受けて、光栄なことにトップバッターは私となりました。今週月曜に2回目の収録を済ませ、昨日既にアップされております。

               ご存知ない方はこちらを。

              「プロ野球ポッドキャストの番組紹介 」
              http://nobu.bokushi.jp/pykp000/

               昨日アップされたその番組がこちら。

              中日ドラゴンズvol.2 2016年4月(ミズタニさん)
              http://nobu.bokushi.jp/pykp005/

               今回は25分にわたり、至って真面目な野球解説をしてしまいました。次回からはもっと面白くせねばと反省。やはり、名古屋弁を入れるべきかと検討中。

               ポイントは、ほぼ5割の勝率ながら、上位チームとも対等に戦えそうな戦力になっていること。打撃成績打率部門は月曜の時点ではビシエド選手が1位で、高橋周平選手が2位であります。誰も予想しなかったこの新戦力台頭。この二人は怪我さえなければ、シーズンを通じてかなりやるでしょう。中継ぎ抑えも安定し、昨年に終盤の逆転と僅差での敗戦の多さはないでしょう。打線の弱さと先発のコマ不足は否めませんが、しばらくは、5割程度の勝率はキープできると読んでおります。既に今年もホームで強く、アウェイで弱いのが、予想できてしまいます。これは中澤牧師も指摘してくださったのですが、球場動員数が増えるので、プラスに評価すべきなのでは?

               楽しみなのは、シーズン中に若手が成長し、ベテランの復活が期待できるので、だんだん強っていくことです。高橋周平に続いて、堂上直倫がレギュラー定着、若手投手の台頭があり、吉見、浅尾、岩瀬らが一定戦力になる期待もあり、ドラ1の小笠原投手のデビューもあるのでは?と後半戦が楽しみです。3位から上位は行けそうですし、優勝も夢ではないとの展望を語っております。

               というわけで、完全に牧師を捨てて、名古屋の居酒屋でよく生息が確認されるただのドラゴンズ親父となっております。プロ野球ファンの皆様はぜひ、お聴きください。
               
              | ヤンキー牧師 | スポーツ | 16:49 | - | - | - |
              成功するために召されたのではなく、忠実に仕えるために召されたのでは?
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                 「何のために召されているのか?」そのことは、すべてのクリスチャンである職業人、家庭人、教会員にとって大切なこと。しかし、召しの目的を自覚して始めた使命だったのに、いつの間にか、大切なことを忘れがちなもの。とりわけ牧師など教職者はスタート時の召しが問われ、検証されるのに、その後の召しは、あまり他者から問われることなく、いつの間にかスタート時の原点を忘れてしまいがちかと思うのです。そして、召しの目的がいつのまにか別のものへと逸脱してしまう危険は少なくないように感じています。

                 そのことを私自身改めて、問われたのが、こちらのデイリーブレッドの記事です。
                http://japanese-odb.org/2016/04/05/%e9%80%83%e3%81%92%e3%82%8b%e3%81%aa/

                 ジョン・パイパーの経験が紹介されます。パイパー師はその後大きな組織をリードして、成功者と見られるようになりました。しかし、そうでなかったら、どうだろう?とこの記事は問いかけます。パイパー師が召しにとどまり続け、その結果として注目される働きや大きな責任を担う有名牧師にならなければ、大きな名声と豊かな功績を後世に残すことはなく、成功者として評価されることなくその生涯を終えたことでしょう。

                 しかし、聖書は、エレミヤという人の目から見れば失敗者の記録を残しています。エレミヤがそれでも、召しに歩み得た理由をデイリーブレッドはこう記しています。「成功するために召されたのではなく、忠実に仕えるために召されたと知っていたから」だと。この記事にあるように、エレミヤは民が立ち返ることを願う神の言葉を取りついだだけでなく、愛なる神の姿を体現していたのでしょう。

                 この記事には、私自身が問われましたし、さらには私自身がお会いする牧師たちに抱く思いを問われました。牧する教会の規模や知名度や著書などで、態度を変えるようなところがあるのを探られました。いつも、このブログで、教会の規模や知名度や著書など、評価基準ではないと語ってきたのにです。教会を大規模にした牧師ばかりが評価され、用いられ、団体の重責を担うことに強い反発を覚えてきたにもかかわらずです。他方で、地域にあって小規模教会で忠実に仕えておられる牧師夫妻たちに、心から尊敬を抱いてきた自分であったのにです。


                成功するために召されたのではなく、忠実に仕えるために召されたと知っていたから」

                 まずは、今更ながらに「何のために召されたのか?」を繰り返し確認しながら、歩みたいと願いました。成功を微塵たりとも追求せず、召しに忠実であることを追求する自分になること、それを徹底すること。また、成功者と目される牧師ではなく、忠実に仕えておらる牧師を尊敬し、それに倣う自分でありたいと願いました。


                 僭越ながら、職業生活も、学校生活も、教会生活も、結婚も育児も「召し」であることを忘れがちなのでは?神様から召されて、その場に遣わされていることを覚えましょう。エペソの5章ー6章によれば、夫と妻、親子、上司と部下は、仕え合う関係です。誰かに仕えるために、家庭でも社会でも召されているのです。家庭内で、職場で、地域で、教会で与えられている権威も、神様からの委託であって、それは、人を支配するための権威ではなく、人に仕え、模範を示すための権威なのです。

                 その目的は「成功」ではありません。ましてや「自己実現」や「自己満足」などのはずがありません。神様は、結果としての繁栄、勢力拡大、世間からの称賛ではなく、私たちが「忠実に神と仕えるべき人に仕えているか?」を見ておられます。そうです。「忠実に仕えているのに、願った結果が出ない」、「忠実に仕えているのに評価してもらえない」というのは、きっと、残念で不本意でしょうが、必ずしも失敗ではありません。むしろ、神様の目にはその歩み自体が、既に成功と映っているのかもしれません。

                 この世がすべてではありません。すべてのクリスチャンは再びキリストの前に立ちます。タラントのたとえでは主人は「よく儲けた」と喜んだのではなく、「よい忠実な僕」と褒めました。神様は実績主義者ではありません。再臨のキリストの評価基準は「成功したか否か」ではなく「忠実に仕えたかどうか」であることを覚えたいものです。「結果」でなく「プロセス」、「業績」でなく「姿勢」が地上から永遠につながる評価基準であることを覚えて、この地上の生涯を歩みたいものです。まずは、今、置かれた場所で忠実に仕えることから、スタートです。

                 今日は、デイリーブレッドから教えられたことを記事にしてみました。
                | ヤンキー牧師 | キリスト教会(出来事・情報) | 10:29 | - | - | - |
                日本伝道会議に申し込んだぞ
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                   9月27日(火)から30日(金)まで神戸で、第6回日本伝道会議。前回の札幌に続いて、分科会で発題をすることもあり、全日程参加します。3月までに申し込むと2000円割引と知って、大慌てで3月31日に申し込みました。8月末までの申し込みで、12000円6月までなら、1000円割引。この金額で全日程参加できて三回の食事代が含まれているのですから、ありがたくて泣けそうです。(あとは、宿泊費と交通費ですな)

                  余計なお世話とは思いますが、同会議の概要はこちら。
                  http://jcenet.org/index.shtml

                  また、申し込みはこちら。
                  http://jcenet.org/application.html

                   申し込みはネットでの買い物や予約申し込みになれている方なら、15分程度でできてしまうのでは?むしろ、前もって参加するプロジェクトと分科会を決めておかないと時間がかかるかなと思いました。申し込みフォーマットの中にもリンクがあり、申し込みをしながら、プロジェクトと分科会は選べますが、申し込みより、先に決めておくとスムースかなというのが個人的実感。

                  まずは、こちらで参加希望のブロジェクトを第二希望まで決めて、番号と名称をメモしておくといいのでは?
                  http://jcenet.org/project.html#1

                  次に、こちらで、二回の分科会も第二希望まで決めて番号と名称をメモ。
                  http://jcenet.org/program/subcommittee.html

                  さらに、有料のオープン集会に参加希望の方はこちらの「オープン集会」を参照。
                  http://jcenet.org/program.html#4

                   これだけ決めておいて、申し込みをするとスムースかと思います。お支払いは、カードまたは、振り込みです。


                   ホテルについては、外国からの宿泊者が多く、急がないとホテルが取れないかもと聞いたので、こちらも、さっそく予約してしまいました。会場へのアクセスを考えると、三ノ宮のホテルがよいのでは?二つのホテルチェーンのメンバーカードを持っているのですが、安いホテルから予約が満杯になりつつあるようです。私はあと2人というところで、最安値で予約ができました。3泊で15000円未満となり、感謝。大手チェーンのホテルの空室はまだまだあるようですが、安く泊りたいなら、そろそろ予約をしなければならないでしょう。

                   今のところ、ブースを出す気もなく、ぶらぶらしながら、全日程、会場におりますので、携帯電話の番号をご存知の方はお気軽にスカイメール(ガラケーで普通のメールもしていませんので)をお送りください。この機会でなければお交わりのできない皆様とは、よき機会となるかと思います。では、参加予定の皆様、特別、関西の皆様、秋には神戸でお会いしましょう
                  | ヤンキー牧師 | 活動報告・宣教 | 15:53 | - | - | - |
                  「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(5)父性の復権を願って二つの提案
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                     このシリーズも今日で最終回。昔、昔、その昔、男として生まれた限りは、ほぼ強制的に親離れと社会参加と結婚をさせられ、責任ある社会の構成員とならざるを得ませんでした。その路線から外れることは社会的おちこぼれを意味していいました。つまり、社会の基礎構造に強烈な父性原理があったたわけです。

                     古代の母系的社会を除けば、たいていの共同体にはこうした父性原理によるシステムが見られます。文明化されていない社会では、バンジージャンプのような一発男の勇気証明系の通過儀礼がありました。明治以前の日本では男性ばかりが共同生活し地域で生きるための教育を受ける「若者組」とか「若衆」がありました。それも、夜這いなど猥雑な要素があったたため、明治以降の意向で衰退。その名ごりが現在の青年団らしいです。

                     やがて、日本も文明化され、他国と戦争をする管理社会になれば、徴兵制がその機能を担うこととなります。続いて敗戦後の平和主義の中では、企業戦士の徴兵制のような企業研修が通過儀礼の機能を果たします。プライドや学生気分を粉砕され、企業社会に自分を適応させ、終身雇用で働くわけです。さらに、それも終身雇用制の終焉と慢性不景気のため、もはや人材育成に投資はせず、人材は使い捨てです。

                     そうです。日本は有史以来、ついに、男の子を男にして、強制的に社会参加させる通過儀礼システムを持たなくなったように思うのです。文明化され、平和で人権が尊重される社会になってきたのは、幸いなことでしょうが、皮肉にも、野蛮さ、猥雑さ、戦争、人権侵害とセットで機能していた通過儀礼を失ったように思うのです。本来、それは父親、学校、地域、スポーツ、文化活動などを通じた教育で代理できるはずですし、事実、意識的に父性原理を取り入れれば、ある程度できているのでしょう。

                     でも、極端に父性を失った家庭や社会の中で、日本有史以来初の「父性愛欠損・母性愛一辺倒男子」が登場しているのは、間違いなさそうです。そして、クリスチャン家庭や教会が、この波の防波堤となりえず、子どもたちを犠牲者にしてしまったのだろうと私は認識しています。父性愛を持つ父なる神を信じていながら、父性欠損的な家庭を作り、父性愛なき神観や福音を伝えてきたとするなら、当世クリスチャン男子の課題を責める前に、悔い改めに立って、為すべきことがあるように思うのです。

                     そこで今回は私なりに二つの提言をさせてください。
                     
                     一つは、「愛の忍耐」です。これは人を育てる際に聖書が示す必須要素です。「理解不能」「関わりたくない」と見捨てたり、諦めたりしないで欲しいのです。それは上の世代の責任放棄だと私は思います。自らの責任を受け止めた上で、いまどきクリスチャン男子をあるがままで受け止めながら、少しずつでも適切な期待と要求をして、まずは、達成できなくても、努力するだけで、認めてあげることでしょう。中高生の時から、洗礼を受けていなくても、受け身でなく、積極参加させ、可能な奉仕を与えていくことなどは、その具体的歩みの一つでしょう。

                     ここで、気を付けるべきは、自分の感覚や基準で、期待や要求をしないことです。学生や青年たちをよく理解し、自分の物差しでなく、当人たちの物差しで適切な期待と要求をすることです。「えっ、そんなことで潰れてしまうの?」「この程度のプレッシャーで教会に来なくなるとは!」という失敗は、あちらこちらの教会でお聞きしております。家庭で父性愛を注がれてこなかった学生や青年男子たちが、普通に父性愛を注いでしまうと、受け止めきれず潰れます。あくまで、母性愛で受け止めながら、父性愛を小出しにしていくことかなと考えています。

                     また、それを「甘い」とか、「それではだめ」とか、「自分たちの頃はこうだった」といまどきクリスチャン男子を愛し、理解使用としない、ベテラン世代が批判をするかもしれません。そんな時、若者を愛し、理解するリーダーや先輩や親たちは、防波堤になり、守ってやりたいものです。また、上の世代にも、対立したり、無理解を責めるのでなく、謙遜と愛をもって、理解をお願いしていくことでしょう。

                     日本社会では、父性と母性のバランスは、世代間とリンクしています。団塊の世代の男性は、頑固おやじ雷親父に育てられたのでかなりの父性愛育ちです。次の団塊ジュニア世代は、父性が減少し、母性に大きく傾いた成育環境で育っています。そして、ジュニアの両親に育てられた今時の学生や青年クリスチャン男子は、どうしても母性愛一辺倒傾向が高まるわけです。ですから、団塊世代の男性クリスチャンがいまどき学生や青年クリスチャン男子を理解するのは、極めて困難なのです。だからこそ、攻撃から守るべきですし、対立してまで理解を訴えるのは賢くないと思うのです。

                     世代間の無理解の中で防波堤として波を受けながら、下の世代を育てていくのは至難の業かと思いますが、そこから逃げてしまっては、教会の未来は見えてこないでしょう。ストレス覚悟で勇気をもって自らその役割を担う者を、神様のこの時代に求めておられると思うのですが、どうでしょう?まずは、愛の忍耐をもって、育てていく道です。


                     二つ目は「愛の対決」ということです。「いつまで忍耐しても、変わらない」「愛の忍耐への応答能力自体が疑わしい」「忍耐の愛をこれ幸いに利用して、いよいよ変わろうとしない」。残念ながらそんな現実もあるでしょう。まさに「あるがまま、今のまま、ずっとそのままクリスチャン」を生涯の信仰スタイルにするクリスチャン男子がいるとしましょう。かと言って、強く踏み込めば「もう、教会来ない」「教会変わる」という最終兵器を出しかねません。どうしたらいいのでしょう?

                     そこで考えたいのが、「何が本当の愛か?」「何のための教会か?」であります。
                     
                     愛は真理を喜びますから、愛は、相手が真理に歩むこと、真理に向けて成長することを願います。
                     相手の弱さは愛の故に理解しますが、成長拒否を無期限で放置するのは、むしろ、愛に反することでしょう。

                     また、何のための教会でしょう?教会が目指すべき目的はなにでしょう。
                     
                     人を集めて教会を大きくすることではないはず。
                     奉仕者を増やして、事業拡大をすることでもないはず。
                     献金を確保して、教職の生活と教会の運営を安定させるためではないはず。
                     信徒一人一人がキリストに根差して成長し、愛のうちに結び合わされキリストの体を建て上げるため、神の栄光を現すため、神の業を行うためのはず。

                     そう考えますと、愛の忍耐をもって待つにも、やはり限界や期限はあると思うのです。どこかの時点で「愛の対決」が必要となる場合もあると思うのです。残念ながら、年齢を重ね、社会人になると、プライドが高くなるばかりで、「愛の対決」が通用しなくなる傾向があります。若い時代にチャンスを逃すと「あるがまま、今のまま、一生そのままクリスチャン」になりかねないこともあるようです。それだけに、「忍耐し続けるよりも愛の対決」と判断した場合は、できれば学生時代に、遅くとも最終学校卒業数年目までに、「愛の対決」を実行するのが適切かと考えています。

                     以前、ある教会の中高生科で奉仕をしました。献身的な大学生スタッフたちに大変感銘を受け、年長スタッフに「どのように育てたのですか?」と尋ねました。返ってきた答えは意外なものでした。スタッフの多くは、以前は、主日礼拝が終わったら、さっさと帰宅し、教会の働きには全く参与しないタイプだったというのです。

                     中高科の先輩スタッフはそうたい大学生たちに向き合い、愛をもって「それでいいのか?」と問いかけたそうです。そして、涙を流しての悔い改めに導き、教え訓練し、育ててきたのだというのです。これは、まさに「愛の対決」です。教会を離れる、教会を去るというリスクと背中合わせです。

                     牧師が異動する場合も「愛の対決」のチャンスかもしれません。愛の対決で勝負を決しておいて、後任に譲るのが、教会と当人と後任牧師のためという場合もあるでしょう。逆にあえて、愛の対決をせず、後任に判断を委ねるという選択肢もあるでしょう。大切なのは、常に、「愛の忍耐」と「愛の対決」のどちらを優先すべきかを考え、神様が導くタイミングを逃さぬことでしょう。

                     私は考えるのです。愛の対決の故に、相手が教会を離れたとしても、人はそれを非難するかもしれませんが、神様はその決断を喜んでくださるだろうと。逆に、無期限で変わることを待ち続けるなら、低リスクであり、それは人には批判されずに済みますが、それは本当の愛で、教会の目指す目的に合致しているでしょうか?もしかすると、私たちの問題は、こうした「愛の対決」という選択肢を選ばないことではなく、リスクを犯してまでそれをするだけの愛がないことなのかもしれません。


                     父性喪失文明で育ち、その欠損の犠牲者となったクリスチャン男子に、父性愛を注ぎ、受け止めてもらうことは決して、容易なことではないでしょう。しかし、愛をもって、優しくしかし、はっきりと課題を示し、向き合うよう勧めていく中で、教会を離れてしまうことはそれ程、多くはないように観察します。むしろ、こちら側が、弱さや境遇を理解し、心情に寄り添う愛を失い、裁いたり、責めたりしてしてしまうと、決定的決裂に至ってしまうようです。その意味で、愛の忍耐よりも愛の対決の方が、こちらの愛の真実さが問われる厳しい選択かと思います。

                     結論として、愛の忍耐と愛の対決という二つの選択肢を、父性愛を注いでいくための指針として提案しました。この二つは一見、正反対のように見えて、実は同じ目的を持つものです。前者が母性愛で、後者が父性愛なのではありません。両者ともが父性愛なのです。あえて違いを言えば、前者が父性愛の長期訓練で、後者が父性愛の短期決戦と言えるでしょう。

                     今回の記事が、父性欠損文明の犠牲者を健全なクリスチャンに育てていく一助になれば、感謝なことです。
                    | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承シリーズもの | 16:42 | - | - | - |
                    「父になる旅路」から考える母性愛、父性愛(4)いまどきクリスチャン男子の「父性拒否体質」
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                       日本全国、どこにいっても耳にするのが、青年男子クリスチャンたちに見られるある課題です。とりわけ、首都圏で奉仕をすると、牧師夫妻や婚活系クリスチャン女子たちから、いまどきクリスチャン男子たちについて、同じような愚痴や悩みを山ほどお聞きし、それについての相談を受けます。内容は似たようなものです。以下に箇条書きにしてみましょう。

                        
                       健全な自信がなく、現実に対応できない、社会参加できない、異性とコミュニケーションがとれない。
                       それ故に強い劣等感を秘めているが、それを隠すために自分を大きく見せようとするか、内にこもってしまうかのどちらか。
                       
                       責任ある結婚生活を送る自信がなく、結婚を意味なく先送りにしている。
                       成人していても、二次元萌えにはまっており、生身の女性との恋愛を恐れて、願うことがない。
                       
                       地道な社会参加ができないだけなのに、それを合理化するために、仮想優越感をもって、自称「夢」とやらを追いかける。
                       弱いくせに、プライドだけ高いので、やっかいな存在になってしまっている。

                       いい歳した大人なのに、キリストの愛に応えようとせず、ひたすら愛されたがりなのを女子から「キモイ」と嫌悪されている。
                       すべての評価基準は自分が愛されていると実感できたかどうかで、未熟過ぎる。

                       信仰生活において、底なしに愛されることを求める。
                       「もっと愛されたい」と発言し、「どんだけ愛されたら、満足して愛に応答するの?」と呆れさせている。

                       親から心理的な自立ができておらず、依存的で、自己防衛的で、自分の責任を認めない。
                       自分の課題については、親と教会の責任にするだけで、自分からは何の決断も努力もしない

                       口にする親と教会に対しての批判は、一定正しくても、実は、批判ではなく自己防衛のための言い訳に過ぎない。
                       他者批判による自己防衛を無意識にかつ常習的にしている。当人にその自覚がないので、やっかいである。

                       全力を尽くして自分の課題と向き合うことから逃げる。皮肉にも、そのためには、努力と犠牲は惜しまない
                       課題を指摘すると「さばいている」と逆切れして、愛をもって指摘した者を責めて、黙らせようとする。

                       課題に向き合わせようとすると弱さを盾に拒否する。
                       それでも、当人の成長を願い愛をもって向き合わせようとすれば「教会来ない」「教会変わる」と言い出す。

                       この最終兵器によって、周囲の愛の忠告をやめさせ、自分本位の信仰生活を継続させている。
                       周囲は及び腰になってしまい、本気で向き合うことをやめてしまっている。


                       こうした父性愛拒否体質と思われるクリスチャン男子たちに、接しながら、将来の教会の不安を覚えたり、大きな徒労感に打ちひしがれている読者も少なくないでしょう。いわば聖なる父性愛を拒否されて、途方にくれてしまっているという声を、実によくお聞きします。「どうしたら、いいですか?」とよく尋ねられますが、20年近くかけて父性愛の欠損で形成された人格が、短期間で変化することは、当人が変化を願わない限りは困難です。

                       私自身も多少の徒労感や悲しみを覚えながらも、昨日の記事を書いた上で思ったのです。「これらは当人の課題で当人の責任だろう。でも、私たちに責任はないのか?」と。「世の父性欠損の波から彼らを守ってやれなかったクリスチャンホームや教会は、神様の前に、責任を問われずに済むのだろうか?」と。私自身はまず、この責任を認め悔い改めることから、始めるべきと判断しました。

                       こうした残念な現実を認めた上で、まず悔い改めから始め、その実を結ぶこと願うべきでしょう。その悔い改めの結実の歩みとして、時間をかけ、忍耐をもって、父性愛を含む福音を語り続け、父性愛的な愛を注ぎ続けていくことからしか、何も始まらないでしょう。やはり、何と言っても、男性クリスチャンを成長させ、自立させ、責任ある働き人、力ある証し人に育てるのは父性愛ですから。


                       「〜しなさい。そうすれば・・・」という父性愛的命令を受け止め、達成努力をする中で、クリスチャンは成長します。一定の達成をして自信をつけるし、試行錯誤しながら前進する中で、成長していきます。父なる神からの承認を経験すれば、それが節目となり、さらなる向上心が与えられ、成長し続けます。

                       「従いなさい。そうすれば・・・」は、自分の願い通りではない、願いにまさる最善の道を歩ませます。

                       「献げなさい。そうすれば・・・」は、失った以上のものが与えられる経験へと従う者を導きます。

                       「委ねなさい。そうすれば・・・」は、委ねた結果に対する不安以上に、委ねた者しか味わえない深い平安を与えます。

                       そうです。父性愛による命令が、み言葉のリアリティーを体験させ、生きて働く神を体験させ、健全な自信と成長意欲を与えるのです。男性たちはこれによって、たくましく、自立した、責任ある大人のクリスチャンに成長するのです。父性愛による命令がなければ、観念的、心情的、教条的な信仰に終始し、場合によっては、「言うだけ番長」「教会評論家」などを生み出しかねません。

                       
                       まずは、親や教会への批判にたじろがないことです。「親がこうだから、自分はこうなった」「教会が〜してくれないから、自分はこうなんだ!」その批判は事実性と因果関係において、正しいのかもしれません。事実として認め、悔い改め、詫びることもよいでしょう。でも、詫びたからと言って、相手の言いなりになってはなりません。むしろ、本当に悔い改めるなら、その実を結ぶためにこそ、たじろいではならないはずです。

                       その批判は、自己責任放棄の口実だからです。今の自分を正当化する自己防御の手段に過ぎないからです。こちらの非を認め、詫びるとしても、その次には、「君の側でできる決断や努力はなんだろう?そのために助け支えたいから。」がなくてはならないと思うのです。「批判にたじろぎ期待要求をしない」のは、相手の思う壺です。何の変化もなく「あるがまま、今のまま、ずっとそのままクリスチャン」で終わっていくでしょう。しかし、「批判は受け止めつつも、愛をもって期待要求をする」なら、その謙遜と愛の姿勢の向こうに、希望の光は見えてくるのでは?と思うのです。


                       もう一つは巧みな対人操作に支配されないことです。自分の弱さを知らせて、相手が父性愛的な期待や要求をしてこないようにコンロールしてきます。「そんなこと求めらても弱くてできない」と泣きごとを言ったり、「弱さをわかってくれない」と責めたりです。まるで、弱い者いじめをしているような感覚を相手に与えて、愛の言動を抑制してしまうのです。これが「弱さによるコントロール」です。

                       また、クリスチャンが「裁いている」「傷ついた」と言われると、弱いのを知っていて、それを利用します。「裁いている」「傷ついた」と言えば、自分が精神的に優位に立ちます。悔い改めるべきは、愛をもって忠告した相手へと移り変わります。かくして見事に自分は悔い改める立場を免れるわけです。これは「裁いてる詐欺」あるいは「傷つた逆襲」と呼ぶとしましょう。

                       最終兵器は、「もう教会来ない」「教会変わる」です。自分の愛の忠告によって、相手が教会に来なくなったら、教会を変わったら、その愛の人はどんなに苦しむでしょう。真面目な方は自分を責め続けるでしょう。その愛の人は、教会の方々から責められる可能性すらあるわけです。だからこのフレーズは最終兵器なのです。ここまで言われても、自分が悪者にされ嫌われててでも、教会の人々から批判されてでも、相手を真の課題に向き合わせ、成長させようと願う愛の人はそうはいないでしょう。

                       この最終兵器の有効確率は90%を超えているようです。「教会を去ったら、改善の可能性がないから」と自分を納得させて、熱い愛の忠告をとりやめてしまいます。愛の人は「忍耐をもって待つのが愛」と自分に言い聞かせて、「忍耐」や「待つ」という言葉を「無期限放置」に置き換えてしまいます。果たして、この判断は、正しいのでしょうか?


                       とにかく、批判にたじろがないことです。毅然として愛をもって真実を語りましょう。そして、「弱さによるコントロール」「裁いている詐欺」「もう教会来ない」という最終兵器、以上三つの巧みな対人操作に、やられないことです。まんまとやられてしまっているケースがあまりに多いように観察しています。

                       この対人操作は「愛は不正を喜ばず、真理を喜びます」を「愛は不正を放置し、真理に歩ませません」に変換してしまいます。こうした偽物の愛が教会で「」とされる時、教会がどうなるかは予想がつくでしょう。いいえ、既にそうなっているのかもしれません。


                       「父となる旅路」を読みながら、現代の日本の教会にありがちな愛の不健全さ愛の歪みは「父性欠損・母性愛一辺倒」にあるように思うに至りました。そして、そのような不健全さと歪みをもたらすのは、父性愛欠損で育ったいまどきクリスチャン独自の「父性愛拒否体質」にあるように考え始めています。

                       明日は最終回として、この「父性愛拒否体質」の体質改善のために二つの大きな指針を提示してみたいと願います。
                      | ヤンキー牧師 | 育児・信仰継承シリーズもの | 09:05 | - | - | - |
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